審査要旨 | | 本論文は,陰性症状・幻覚・妄想という精神分裂病の主要な症状について,これまでの疾患中心のアプローチに替わる症状中心のアプローチに基づく理論的枠組みを示すとともに,その結果を心理学実験ならびに調査によって実証した結果をまとめたものであり, (1)精神分裂病の陰性症状と幻聴に関する連続遂行課題実験と信号検出理論による定式化, (2)構造化面接によって幻覚を評価する手法の開発と,幻覚現象の多変量解析による構造化, (3)妄想の内容について質問紙法を用いて評価する手法の開発と,妄想の多変量解析による構造化の3つの柱からなっている。 (1)「注意障害と精神分裂病の陰性症状」では,持続的注意課題である連続遂行課題(Continuous Performance Test)を用いて,信号検出理論から得られる指標を分析し,各指標と分裂病の症状との関係を調べた。信号検出課題によって求められる指標とは,知覚弁別力の指標であるd’と,判断バイアスの指標と考えられているである。分裂病患者と健常対照群を比較検討した結果,第一研究では,分裂病の持続的注意は安定しているが,健常群に比べかなり悪いこと,判断バイアスを柔軟に変更できない可能性があることが見いだされた。臨床症状との関連については,各指標は陰性症状全体と相関があること,とくに,「思考の貧困」と強い相関を持つことが明らかとなった。続く第二研究では,判断の誤りに対してフィードバックを与え成績の改善状況をみた。その結果,感覚モダリティに関係なく,即時的で単純なフィードバックが知覚弁別力を改善させること,判断バイアスは変化しないこと,がわかった。症状との関連については,注意障害と社会性の異常が関連する可能性があること,分裂病患者は時間的干渉や妨害に対して脆弱であることが見いだされた。第三研究では,幻聴の有無によって患者群を分け,健常対照群も加え3群間の指標の異同を調べた。その結果,幻聴のある患者群は,知覚弁別力が健常者よりも低下しているにもかかわらず,健常者と同じ判断バイアスを維持しようとするところに異常があることが見出された。また,幻聴患者群の中で,特に自我障害を呈している患者は,幻聴患者群の認知的特徴をさらに強く持っていることがわかった。このように,症状を中心に検討することによって,注意障害と思考・社会性との関連や幻聴患者の認知特性などが理解できることが明らかとなった。 (2)「幻聴に関する心理学的研究」では,分裂病の陽性症状の中でも,これまで実証的研究が不十分であった幻聴をとりあげて,構造化面接によって評価する手法を開発し,それによる幻覚現象の多変量解析による構造化を試みた。第一研究では,分裂病患者群の作業療法中の行動評価(他者評価および自己評価)を行い,幻聴患者群が客観的には「私語・よそ見」に代表されるような持続的注意に問題があることを見出した。逆に,彼らの作業に関する自己評価は非幻聴患者群よりも正確であることがわかった。第二研究では,既存のアセスメント法を総覧することによって,幻聴が一定の認知的構造を持っていることを明らかにした。第三研究では,第二研究の結果もとづいて,幻聴を包括的に理解するための「幻聴に関する半構造化面接法」(Semi-structured Interview for Auditory Hallucination;SIAH)を開発した。第三研究において,幻聴患者群を対象としたSIAHによる幻聴調査を実施した。数量化III類による分析の結果,幻聴の親近性対侵害性を示すと考えられる第1軸と,自他境界の明瞭性対不明瞭性の軸であると考えられる第II軸が抽出された。この2つの軸によって構成される平面上では,自我障害変数群,幻聴の肯定的受容変数群,聴覚イメージ変数群という3つの変数群が見出された。こうした変数の分析に基づいて,被験者の臨床像の分類をおこなうと,自我障害型,肯定的妄想型,聴覚イメージ型というの3つの型が抽出された。また,第1軸と第2人称軸で構成される平面上において,幻聴は,病状の極期においては自我障害型を呈するが,経過にしたがって肯定的妄想型や聴覚イメージ型に変化することがわかった。この点はまだ予備的な知見に留まるが,本研究の治療的示唆を示す所見として注目すべきものである。さらに,分裂病性幻聴と非分裂病性幻聴の異同に関しては,その内容ではなく,関与する自我障害の程度によって区別できることが示された。これまで,幻聴と妄想・自我障害などとの関連は実証的に検討されたことは少なかったが,本研究では症状別アプローチの利点を生かし,各症状間の興味深い関係を見出すことができた。 (3)「妄想の心理学的研究」における第一研究では,妄想に関するアセスメント法を批判的に総覧し,妄想の素因,形式,主題に分けて詳細に検討した。特に妄想の主題に関して,症状別アプローチの観点からはどれも不十分であることが判明した。そこで,第二研究として,それらの欠点を補い,臨床的にも十分な妥当性を持つ,妄想主題に関するアセスメント技法として,「妄想観念チェックリスト」(Delusional Ideation Check List;DICL)を開発した。このDICLの開発は,分裂病の妄想のみならず,健常者の妄想的観念についてもアセスメントすることを可能にした。健常群の結果から,健常者の妄想的観念は,正と負の感情価を持つ8つの因子が抽出された。すなわち,負の感情価を持つものは疎外観念,微小観念,被害観念,加害観念であり,正の感情価を持つものは被好意観念,庇護観念,他者操作観念,自己肯定観念である。これらは「自己-他者」図式にしたがって明確に構造化することが可能であった。つまり,「自己→他者」,「他者→自己」の2つの相反する方向性をもつものと,自己完結的なものの3通りに分類が可能であった。また,複数の精神科医によって,DICLの臨床的妥当性が確認されたが,健常大学生における妄想的観念体験率は,臨床専門家が想像する以上に高いことが示された。また,DICLによって,これまで注目されてこなかった,「自己→他者」の方向性や,肯定的内容を持つ妄想的観念の重要性が示唆された。さらに,妄想患者群と健常群とを比較すると,患者群を特徴づけるのは,被害観念と庇護観念であった。患者群の「他者」は非現実的他者であり,分裂病性の自我障害を強く反映するものである。 以上要約した本論文においては,とくに次の諸点が高く評価された。 (1)陰性症状・幻覚・妄想といった症状を中心とするアプローチを提示し,9本にもおよぶ実証的研究をおこなって,これまで見逃されてきた現象を見いだし,旧来の精神病理学や臨床心理学の方法を乗り越えていること。 (2)連続遂行課題成績を信号検出理論で解明することにより,精神分裂病患者の判断の特徴を検討した上で,精神分裂病の症状との関連を調べることによって,これまでにない新たな知見を見いだしていること。 (3)幻覚と妄想について,先行研究を厳密に総覧した上で,新たなアセスメント技法を開発し,それを精神分裂病患者および健常者に実施し,多変量解析を用いて客観的に症状の構造化を試み,かなりの成功をおさめたこと。 これらの成果により,本論文は博士(学術)の学位に値するものであると,審査員全員が判定した。 なお,第1部第1研究と第2研究はすでに学術雑誌上にて公表済みであり,第1部第3研究と第3部第1研究は同じく公表予定である。また,第2部および第3部については,現在公表を準備している。 |