学位論文要旨



No 113990
著者(漢字) 寺内,一姫
著者(英字)
著者(カナ) テラウチ,カズキ
標題(和) ラン藻の青色光情報伝達におけるアデニル酸シクラーゼの機能解析
標題(洋) Biological function of an adenylate cyclase in blue light signal transduction in cyanobacteria
報告番号 113990
報告番号 甲13990
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第208号
研究科 総合文化研究科 総合文化研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大森,正之
 東京大学 教授 川口,昭彦
 東京大学 助教授 箸本,春樹
 東京大学 助教授 池内,昌彦
 東京大学 助教授 渡辺,雄一郎
内容要旨 <序論>

 サイクリックAMP(cAMP)は原核生物から真核生物まで広く存在する細胞内情報伝達物質であり、細胞がとらえた環境シグナルを細胞内に伝えるセカンドメッセンジャーとして働いている。ラン藻においても、環境変化に対してすばやいcAMPの細胞内濃度変化がおきることが知られており、他の生物と同様にcAMPが細胞内情報伝達物質として働いていると考えられる。cAMPはアデニル酸シクラーゼによってATPから合成される。アデニル酸シクラーゼ遺伝子はラン藻から多数単離されているが、これまで、外部環境変化に対応する個々のアデニル酸シクラーゼの役割やcAMPの具体的な機能については全く解明されていない。

 本研究は、ラン藻Synechocystis sp.PCC 6803において、青色光-cAMP情報伝達機構の存在を明らかにし、さらにそれが細胞の運動を調節していることを明らかにした。

<結果と考察>1.ラン藻Synechocystis6803における光シグナルによる細胞内cAMP量の変動

 Synechocystis6803を用い、光照射に伴う細胞内cAMP量の変化を測定した。Synechocystis6803の野生株細胞を光合成条件下で培養し、細胞を遠心により回収し、培地に再懸濁した。細胞懸濁液を暗所に40分おいた後、白色光(光強度100mol/m2/s)を照射し、光照射の前後に細胞懸濁液を採取した。cAMPはエンザイムイムノアッセイ法により測定した。その結果、光照射後数分以内に細胞内cAMP量が、暗所での細胞内cAMP量(約40 pmol/mg chl.)の数倍にまで増加することが明らかになった。

 次に、この反応に関与する光質を調べるために、岡崎国立共同研究機構基礎生物学研究所の大型スペクトログラフを用いて、単色光照射による細胞内cAMP量の変化を調べた。白色光の場合と同様の実験を380、450、520、575、630、670、720nmの波長の単色光(光強度30mol/m2/s)を用いて行った。その結果、青色光(450nm)の照射によりcAMP量が増加し、520nm以上の光ではcAMP量は変化しなかった(図1)。また、近紫外光(380nm)でもcAMP量が増加した。これらの結果から、Synechocystis 6803では青色光のシグナルにより細胞内cAMP量が増加することが明らかとなった。

 また、光によるcAMPの増加は、フェニル酢酸により阻害された。フェニル酢酸はフラビンの光反応の阻害剤であり、青色光の受容体の色素として、フラビンが関わっていることが示唆された。

図1.単色光照射(光強度30mol/m2/s)によるSynechocystis6803野生株の細胞内cAMP量の変動(時間0分で光を照射した:矢印)
2.アデニル酸シクラーゼ遺伝子破壊株の光シグナルによる細胞内cAMP量の変動

 青色光によるcAMP量の増加においてはその合成酵素であるアデニル酸シクラーゼの活性化、あるいは分解酵素であるホスホジエステラーゼの不活性化が青色光により引き起こされていると考えられる。そこで、まず合成酵素であるアデニル酸シクラーゼに着目して実験を行った。

 Synechocystis6803のゲノムの全塩基配列は1996年に決定された。その中には、ラン藻のアデニル酸シクラーゼの触媒領域と相同性のある領域をもつオープンリーディングフレーム(ORF)が2つ(ORF No.slr1991、sll0646)存在する(図2)。ORF slr1991は337のアミノ酸からなるタンパク質をコードし、C末端側の領域にアデニル酸シクラーゼの触媒部位があり、N末端側には機能不明のフォークヘッドアソシエイト(FHA)ドメインとよばれる配列がみられた。このORFをcya1と名付けた。ORF sll0646がコードするタンパク質は756のアミノ酸からなり、Cya1同様、C末端側の領域にアデニル酸シクラーゼの触媒部位があり、そのN末端側の領域には膜貫通領域と考えられる疎水性の高い領域が4カ所存在した。このORFをcya2と名付けた。

図2.Synechocystis6803のアデニル酸シクラーゼの一次構造モデル網掛けは触媒領域、FHAはフォークヘッドアソシエイトドメイン、TMは推定膜貫通領域を示す

 どちらのアデニル酸シクラーゼが青色光に対する反応に関わっているかを明らかにするために、Synechocystis6803のcya1、cya2破壊株を作製し、これらの株を用いて暗から明への光環境の変化にともなうcAMP量の変化を調べた。cya2破壊株では、野生株と同様に、白色光、青色光照射によりcAMP量が増加したが、cya1破壊株では白色光、青色光の照射によるcAMP量の増加はみられなかった(図3)。このことから、野生株でみられた青色光によりcAMP量の増加は、アデニル酸シクラーゼCya1の活性化が青色光により引き起こされたためであると考えられる。また、これらの実験結果は、光によるホスホジエステラーゼの不活性化は起こらないことを示していると考えられる。

図3.青色光照射(光強度30mol/m2/s)によるSynechocystis6803 cya1破壊株(A),cya2破壊株(B)の細胞内cAMP量の変動(時間0分で光を照射した:矢印)
3.Synechocystis6803の細胞内cAMP量と運動性

 さらに、これらのcya遺伝子破壊株を解析したところ、cya1破壊株には興味深い表現型がみられた。通常Synechocystis6803は、BG11培地の1.2%寒天プレート上で白色光(光強度約30mol/m2/s)を連続照射して維持されている。この条件下ではプレート上で野生株は、シート状にひろがってコロニーを形成しない(図4A)。Synechocystis6803は運動性をもつことが知られており、そのためプレート上でこのような表現型を示すと考えられる。しかしcya1破壊株はプレート上でコロニーを形成した(図4B)。つまり運動性が失われていると考えられる。cya2破壊株は、野生株と同様の表現型を示した(図4C)。つまりコロニーを形成せず運動性を維持していた。

 次に、連続光条件で培養した対数増殖期後期の細胞内cAMP量をエンザイムイムノアッセイ法により測定した。cya1破壊株では細胞内cAMP量は野生株の数%にまで減少していたが、cya2破壊株ではほとんど減少はみられなかった。また、通常の培養に用いている培地中にcAMP(0.1mM)を加えた寒天プレート上では、cya1破壊株は野生株と同じようにコロニーを形成しなくなった(図4D)。これは、cAMPの添加によりcya1破壊株細胞の運動性が回復したためと考えられる。これらの結果からSynechocystis6803の運動にはcAMPが必要であることが示唆された。

 さらに、Synechocystis6803の細胞の運動を、顕微鏡下で観察し、ビデオ録画して解析した。細胞に青色光(450nm)、赤色光(670nm)を照射して運動能を検討した結果、青色光がもっとも顕著に細胞の運動を促進した。cya1破壊株は青色光を照射しても運動性を示さなかった。

図4.Synechocystis6803の1.2%寒天プレート上での細胞集団の形態A(野生株)、B(cya1破壊株)、C(cya2破壊株)、D(cAMPを0.1mM加えたプレートで培養したcya1破壊株)目盛線は0.1mmを示す
<まとめ>

 本研究では、Synechocystis6803では、青色光のシグナルがCya1に伝わり、Cya1の活性化により細胞内cAMP量が増加し、それによって細胞の運動が促進されること、すなわち青色光-cAMP情報伝達機構が存在し、それが細胞の運動を調節していることを明らかにした。

 本研究はラン藻のアデニル酸シクラーゼのin vivoでの具体的な生理機能を初めて明らかにしたものであり、同時にラン藻の運動の制御に関する分子生物学的な研究の出発点となる新しい基礎的な知見を提供し得た。

審査要旨

 サイクリックAMP(cAMP)は原核生物から真核生物まで広く存在する細胞内情報伝達物質であり、アデニル酸シクラーゼによってATPから合成される。アデニル酸シクラーゼ遺伝子はラン藻から多数単離されているが、これまで外部環境変化に対応する個々のアデニル酸シクラーゼの役割やcAMPの具体的な機能については全く解明されていない。

 申請者は、ラン藻Synechocystis sp.PCC6803において、青色光-cAMP情報伝達機構の存在を明らかにし、その中でのアデニル酸シクラーゼの役割について解析した。

 初めに、Synechocystis6803を用い、光照射後数分以内に細胞内cAMP量が、暗所での細胞内cAMP量の数倍にまで増加することが明らかにした。さらに、この反応に関与する光質を調べるために、岡崎国立共同研究機構基礎生物学研究所の大型スペクトログラフを用いて、単色光照射による細胞内cAMP量の変化を調べた。その結果、青色光(450 nm)の照射によりcAMP量が増加し、520nm以上の光ではcAMP量は変化しないことが明らかとなった。また、光によるcAMPの増加は、フラビンの光反応の阻害剤であるフェニル酢酸により阻害されたことから、フラビンが関わっていることが示唆された。

 Synechocystis6803のゲノムの全塩基配列は1996年に決定されている。その中に、アデニル酸シクラーゼと考えられるオープンリーディングフレーム(ORF)が2つ存在した。これらのORFをcya1、cya2と名付けた。どちらのアデニル酸シクラーゼが青色光に対する反応に関わっているかを明らかにするために、Synechocystis6803のcya1、cya2破壊株を作製し、暗から明への光環境の変化にともなうcAMP量の変化を調べた。cya2破壊株では、野生株と同様に、青色光照射によりcAMP量が増加したが、cya1破壊株では青色光の照射によるcAMP量の増加はみられなかった。このことから、野生株でみられた青色光によるcAMP量の増加は、アデニル酸シクラーゼCya1の活性化が青色光により引き起こされたためであると考えられる。

 さらに、cya1破壊株には興味深い表現型がみられた。通常Synechocystis6803の野生株は、運動性をもつことが知られており、プレート上でシート状にひろがってコロニーを形成しない。しかしcya1破壊株はプレート上でコロニーを形成し、運動性が失われていると考えられる。cya2破壊株は、野生株と同様の表現型を示した。これらの株の細胞内cAMP量をエンザイムイムノアッセイ法により測定した。cya1破壊株でのみ細胞内cAMP量の顕著な減少がみられた。また、培地中にcAMP(0.1mM)を加えた寒天プレート上では、cya1破壊株は野生株と同じようにコロニーを形成しなくなり、cAMPの添加によりcya1破壊株細胞の運動性が回復したと考えられる。以上の結果からSynechocystis6803の運動にはcAMPが必要であることが示唆された。さらに、Synechocystis6803の細胞の運動を顕微鏡下で観察し、ビデオ録画して解析した。細胞に青色光(450nm)、赤色光(670nm)を照射して運動能を検討した結果、青色光がもっとも顕著に細胞の運動を促進した。cya1破壊株は青色光を照射しても運動性を示さなかった。

 以上の結果より、Synechocystis6803では、青色光のシグナルがCya1に伝わり、Cya1の活性化により細胞内cAMP量が増加し、それによって細胞の運動が促進されること、すなわち青色光-cAMP情報伝達機構が存在し、それが細胞の運動を調節していることを明らかにした。本研究はラン藻のアデニル酸シクラーゼの具体的な生理機能を初めて明らかにしたものであり、同時にラン藻の運動の制御に関する分子生物学的な研究の出発点となる新しい基礎的な知見を提供し得た。

 上記のように、申請者は分子生物学的手法を用いて生理学的研究を発展させる幅広い知識と研究能力を身につけてきたと考える。また、ラン藻を材料としたcAMP情報伝達に関する研究において、独創性を示し、この分野の発展に多大の貢献をした。よって、本論文は博士(学術)の学位請求論文として合格と認められる。

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