学位論文要旨



No 113995
著者(漢字) 箸本,健二
著者(英字)
著者(カナ) ハシモト,ケンジ
標題(和) 情報化にともなう流通システムの空間構造変容に関する地理学的研究
標題(洋)
報告番号 113995
報告番号 甲13995
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第213号
研究科 総合文化研究科 総合文化研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 荒井,良雄
 東京大学 教授 谷内,達
 東京大学 助教授 松原,宏
 東京大学 助教授 永田,淳嗣
 東京大学 助教授 新宅,純二郎
内容要旨

 本研究の目的は,流通システムを,情報交換,物的流通(物流),商的流通(商流)など,多様な空間システムの集合体として捉え,情報技術(information technology)の進展あるいは情報基盤の整備に代表される情報化が流通システムに与えた影響を,主に空間システムの変容という視点から検討することである.

 流通システムは,製造業,卸売業,小売業,金融業など多岐にわたる業種が相互に関係して成立し,これらの業種が流通チャネルを中心とした企業間ネットワークを形成する一方,個々の企業もまた,本社を中心として支店・営業所,配送センターなどの拠点群を結ぶ企業内ネットワークを構築している.これらの空間的な拡がりを持つ企業のネットワークは,いずれも一定のリードタイムに規定された取引サイクルの維持を前提としており,情報技術の進展による情報交換部分での時間短縮が大きな意味を持っている.また,情報化の進展にともなって,より高度な情報システムやネットワークが構築されることにより,システムの共有化やネットワークの固定化を通じて協業化などの企業間連携も進行する.こうした企業間連携の進展は,企業間における従来までの業務分担関係を大きく変化させ,流通チャネルにおけるパワーシフト,産業の上位集中化,そしてアウトソーシングに代表される異業種参入などの可能性を高めている.

 このような変化は,当然のように流通システムにおける拠点配置,拠点が分担する業務機能,そして拠点間でのフローなど,流通の空間構造そのものの変容を意味している.本研究の意義は,流通システムにおける個々の業務内容を詳細に検討しながら,こうした空間的変容をあり方を整理し,その一般化を図ることにある.

 以上の目的に沿い,本研究は,3部9章から構成される.まず,第I部では,本研究全体の視点・目的を整理するとともに,地理学および周辺諸科学における関連研究を俯瞰を行い,本研究における課題の所在,仮説の提示ならびに研究の位置づけを明示した.このうち第1章では,地理学および経営学,商業学,マーケティング,経営組織論など周辺諸科学における関連研究のサーベイを通じて,情報化の進展が個別産業に与える空間的影響を,対面接触の代替,情報交換における時間の短縮,情報交換における費用の逓減,そして通信インフラの整備にともなう企業誘致という4つの視点から整理した.

 続く第2章では,研究対象であるわが国の流通システムを概観した上で,本研究が検討すべき個別課題を,(1)情報・データ面での標準化の進行と,チェーンストアへのパワーシフト,(2)中間流通段階の集約化と卸売業の再編成,(3)最寄品消費財メーカーにおける生産・出荷体制の変容,(4)メーカーの営業拠点である支店機能・配置の変化,(5)協業体制・アウトソーシングの進展,という5つのテーマに集約し,個別研究の課題と方向性とを提示した.

 第II部では,第2章で提示した流通システムの情報化における空間的影響を,典型的な業種・業態・業務分野を対象とする6つのケーススタディを通じて考察している.まず第3章,第4章では,POSデータなど,ミクロな成果データの普及を背景とするチェーンストアへのパワーシフトに関して,2例のケーススタディを行った.まず第3章では,首都圏に展開するコンビニエンスストア(CVS)約100店舗の商品群別売上データの分析を通じて,売上構造の差異によるCVS店舗の分類を行うとともに,売上の差異を規定する商圏要因を整理し,CVSの競争戦略が,多頻度小量配送に支えられた立地別マーチャンダイジングに移行しつつあることを指摘し,販売データがパワーシフトに果たす役割を明らかにした.第4章では,首都圏に展開する2店舗のスーパーマーケットにおける消費者パネル分析を通じて,立地の空間的な差異,とりわけ来店客の世帯属性の差異が商品群別での購入実績に与える影響を検討し,商品情報に加えて顧客情報を併せ持つチェーンストアの優位性を指摘した.

 第5章では,主に中間流通段階の再編成と情報処理業務のアウトソーシングを取り扱った.具体的には,まず中間流通段階における集約化の進行と卸売業の再編成過程を,公的統計の分析を通じて整理するとともに,長野県全県に店舗を展開する大手チェーンストアを対象とする事例研究を通じて,情報化を軸とする物流の集約化と取引卸の絞り込み過程を分析し,流通システムにおける情報化が,a.卸の上位集中化,b.全国卸による地域卸の垂直的統合,c.商物拠点の分離および商情拠点の分離,d.情報処理作業におけるアウトソーシングの進展(異業種参入)などの変化を,中間流通段階にもたらしていることを明らかにした.

 第6章,第7章では,最寄品消費財メーカーによる生産・出荷体制の再構築を,2例のケーススタディを通じて検討した.まず第6章では,販社流通を採用している大手日用雑貨品メーカーにおける生産・出荷体制の分析を通じて,既存の工場立地を維持しつつ,流通コストの最小化を目指した物流体制の構築を目指した空間的戦略のあり方について検討し,商物両流の完全な分離を前提とした,広域物流センターの導入が進められていることを指摘した.また第7章では,中間流通段階を卸売業に依存しているビール工業における生産・出荷体制の分析を通じて,マーケティングが主導する多ブランド戦略が,ブランド別での集中生産体制と横持ち物流を発生させ,最終的に生産拠点の再配置を含めた出荷体制の再構築につながることを指摘した.この2つの事例研究を通じて,情報システム化が流通在庫や見込み生産量を圧縮することを示すとともに,典型的な消費地立地型工業とされてきたビール工業においても,集中生産・横持ち物流体制への移行が進みつつあるあることを指摘して,流通チャネルを貫流する垂直的な情報フローが持つ,空間的影響を明らかにした.

 第8章では,大手最寄品消費財メーカーにおける営業活動の事例研究を通じて,情報ネットワーク化に伴う企業内及び企業間におけるコミュニケーションの変化が,支店の機能や空間配置に及ぼす影響を検討するとともに,とりわけメーカーとチェーンストア間で進行しつつある協業化が,メーカーの組織構造や拠点機能や及ぼす影響を整理した.

 そして,第III部第9章においては,第II部におけるケーススタディの結果を収斂し,得られた知見の一般化を行うとともに,情報化が流通システムに与えた多面的な変化をふまえて,情報化の浸透を前提とした新たな競争の方向性を展望した.さらに,新たな競争構造のもとで形成される空間システムの特徴を整理し,関連する地域政策上の提言を試みた.

 まず,情報化が流通システム全体に与えている影響については,それが製造業における技術革新のように,突然導入されて急激な競争環境の変化をもたらすという例は極めて希であり,むしろ変化の潮流を一定方向へ加速させ,不可逆的に固定させる性格が強いことを指摘した.

 次に,流通システムを形成する企業間でのネットワーク化の影響を整理し,スタンドアローンで導入された個々のシステム自体は,部分的,局地的な効率化を実現するに過ぎず,戦略的意図を持った空間横断的なデータベースや企業間ネットワークが構築された時に,はじめて競争優位が実現される場合が多いことを指摘するとともに,スケールメリットの創出,配送圏の拡大による積載効率の向上,そしてデータを用いた意思決定を背景とする市場対応能力の高度化などが,流通システムにおける情報ネットワーク化の主要な目的であり,こうした目的を達成するために,企業間の協業化や連携が進行することを指摘した.

 また,情報化の進展にともなう取引関係の変容を採り上げ,情報を媒介とするネットワーク化が,チャネル横断的なものであれ縦断的なものであれ,ネットワークで結ばれた閉鎖的な取引関係の形成を促進することから,市場における競争構造も,個々の企業同士の競争から,ネットワーク化された企業グループ間での競争へとシフトすることを説明した.その結果として,地域市場におけるCVSチェーンの一斉撤退に示されるように,競争優位の維持に失敗した企業グループが,市場から急速に淘汰されるというドラスティックな変化も発生する可能性を示唆した.一方,これまでの考察を通じて,情報化が流通システムにおける産業の上位集中化を促進することが明らかとなっており,こうした推移が地域政策み与える影響を検討する必要がある.具体的には,県庁所在地など中心都市への機能集中と,第2位以下の拠点都市の相対的な地盤沈下とをもたらす可能性が強いことを指摘し,こうした点に配慮した地域政策の方向性を整理した.

審査要旨

 今日の産業界における情報通信技術の急速な普及は産業活動の諸側面に多くの変化をもたらしている.とりわけ,企業間あるいは企業内における情報ネットワークの利用は,取引における空間距離の抵抗を著しく削減し,企業の拠点立地や機能のみならず,取引活動の内容をも大きく変化させている.このような情報化を背景とする産業活動の空間的変容については,1980年代半ばから経済地理学の分野を中心に注目が集まっている.しかし,わが国に限らず世界的に見ても,現段階においては,きわめて限定的な事例研究をもとに抽象的議論が行われる場合が多く,一つの産業分野全体を対象として個別具体的な事例研究を蓄積し,その結果をふまえて産業全体の構造変容を明らかにする研究は十分とはいえない.本研究は,情報化がわが国の流通システムを構成する各種産業の空間構造に与えた影響に注目し,その変容を分析した.わが国の流通システムにおいては,1980年代の後半から情報通信技術利用の高度化が急速に進展し,その結果として,情報交換,生産・物的流通,営業活動などの諸側面に多様な変化が生じている.本論文は,流通システムを形成する製造業,卸売業,小売業の各業種における代表的な情報化事例を詳細に検討することにより,拠点配置,拠点が分担する業務機能,そして拠点間での商流・物流・情報流など,流通システムにおける空間構造変容のあり方を論じたものである.

 本研究は,3部9章から構成される.

 第I部第1章では,先行研究のサーベイを通じて,情報化の進展が個別産業に与える空間的な影響を,対面接触の代替,情報交換における時間短縮,情報交換・情報処理における費用の逓減,そして通信基盤を媒介とする新たな産業立地という4つの視点から整理した.

 第2章では,研究対象であるわが国の流通システムにおける諸特性を概観した上で,(1)情報・データ面での標準化の進行と,チェーンストアへのパワーシフト,(2)中間流通段階の集約化と卸売業の再編成,(3)最寄品消費財メーカーにおける生産・出荷体制の変容,(4)メーカーの営業拠点である支店機能・配置の変化,(5)協業体制・アウトソーシングの進展という5点を,本研究における個別研究の課題として提示した.

 第II部では,6つの典型的な業種・業態・業務分野を対象とする事例研究をふまえて,第2章で提示した個別の研究課題を検討した.

 このうち第3章では,首都圏に展開するコンビニエンスストア約100店舗の商品群別POSデータを用いて,売上構造の差異による店舗分類を行った.さらに,同データから売上の差異を規定する商圏要因を分析し,コンビニエンスストアの競争戦略が,多頻度少量配送に基づく立地別マーチャンダイジングに移行していることを指摘するとともに,販売情報が流通チャネルのパワーシフトに果たす役割を明らかにした.

 第4章では,首都圏に展開する2店舗のスーパーマーケットにおける消費者パネル分析を通じて,立地の空間的な差異,とりわけ来店客の世帯属性の差異が商品群別での購入実績に与える影響を明らかにし,チェーンストアが商品情報に加えて顧客情報を併せ持つことの優位性を指摘した.

 第5章では,主に中間流通段階の再編成と情報処理業務におけるアウトソーシングの進展を取り扱った.具体的には,長野県全県に店舗を展開する大手チェーンストアを対象として,流通システムにおける情報化が,卸の上位集中化,全国卸による地域卸の垂直的統合,商物拠点の分離および商情拠点の分離,情報処理作業におけるアウトソーシングの進展などの変化を中間流通段階にもたらしていることを明らかにした.

 第6章,第7章では,最寄品消費財メーカーによる生産・出荷体制の再構築を,2例の事例研究を通じて検討した.このうち第6章では,販社流通を採用している大手日用雑貨品メーカーにおける生産・出荷体制の分析を通じて,既存の工場立地を維持しつつ,流通コストの最小化を目指した物流体制の構築について検討した.その結果から,情報システムの高度利用が流通在庫や見込み生産量を圧縮することを示すとともに,商物両流の完全な分離を前提とした広域物流センターの空間的な合理性を評価した.

 第7章では,中間流通段階を卸売業に依存しているビール工業における生産・出荷体制の分析を通じて,マーケティングが主導する多ブランド戦略が,ブランド別での集中生産体制と横持ち物流を発生させ,最終的に生産拠点の再配置を含めた出荷体制の再構築につながることを指摘した.

 第8章では,大手最寄品消費財メーカーの営業活動における情報化を検討した.その結果,企業内及び企業間におけるコミュニケーションのあり方の変化が,支店・営業所など拠点の機能や空間配置に与えた影響が整理されるとともに,とりわけメーカーとチェーンストア間で進行しつつある協業化が,メーカーの組織構造に及ぼす影響が明らかになった.

 最後に,第III部第9章では,事例研究から得られた新たな企業間競争の枠組みを展望し,スケールメリットの創出,配送圏の拡大による積載効率の向上,そして需要予測など市場対応能力の高度化などが,流通システムにおける情報ネットワークの導入の主たる効果であり,こうした効果を追求する過程で,企業間の協業化や連携が進行することを説明した.また,情報化の進展にともなう取引関係の変容を整理し,企業間の情報ネットワークの構築が閉鎖的な取引関係の形成を促進することから,市場における競争構造が,個々の企業同士の競争からネットワークで結ばれた企業グループ間での競争へとシフトすることを指摘した.さらに,情報化がもたらす産業の上位集中化が地域経済に与える影響を検討し,県庁所在地など中心都市への機能集中と,第2位以下の拠点都市の相対的な地盤沈下とを指摘するとともに,こうした点に配慮した地域政策のあり方を議論した.

 本論文は,流通企業の活動に関する豊富な知識に立脚した上で,膨大なフィールドワークから得られた詳細なデータに基づいて,産業活動における情報化の影響を,流通システムにおける個別業務の詳細な検討に立ち返って分析し,その実態に関する多くの新しい知見を得ている.さらに,それらの知見をもとに流通システムに係わる諸産業全体における情報化の空間的影響の全容を明らかにし,ひいては産業一般における情報化の空間的意義を包括的に論じるための方法を示唆している.そうした点で,本論文は,情報化の進展に関心を強めている今日の経済地理学の発展に大きく寄与するとともに,情報の空間的意義の解明をめざす「情報の地理学」の可能性を開くものである.よって,本論文の提出者箸本健二は,博士(学術)の学位を授与される資格があるものと認める.

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