学位論文要旨



No 113996
著者(漢字) 大塚,岳夫
著者(英字)
著者(カナ) オオツカ,タケオ
標題(和) ニトロニルニトロキシド分子間化合物の結晶構造と磁性
標題(洋) Crystal Structures and Magnetic Properties of Molecular Compounds of Nitronylnitroxide.
報告番号 113996
報告番号 甲13996
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第214号
研究科 総合文化研究科 総合文化研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 阿波賀,邦夫
 東京大学 教授 菅原,正
 東京大学 教授 小林,啓二
 東京大学 助教授 小川,桂一郎
 東京大学 助教授 松下,信之
内容要旨 序論

 ニトロニルニトロキシド系有機ラジカルは、図1(a)に示したような構造を有する有機ラジカル分子で、-位に、芳香環、アルキル鎖、ハロゲン、水素等様々な置換基を導入した分子が開発されてきている。また二座配位子として各種金属に配位する能力もあり、磁性金属イオン間のスピンカップラーとして働く有用な架橋配位子としても注目されている。ニトロニルニトロキシドラジカルの特徴としては、NO基上への不対電子軌道の局在と強いスピン分極効果が挙げられ、これらは強磁性的相互作用を与えるために有利となる。実際1991年には、この誘導体の一種p-NPNN(図1(b))がTc=0.65Kの強磁性体であることが発見され、関心を集めた。その後さまざまな有機強磁性体が発見される一方、分子磁性体固有の特性の開拓が重要であると考えられている。

 ニトロニルニトロキシドの誘導体の一種、ピリジルニトロニルニトロキシド(PYNN,図1(a))は、ピリジン環を有することから、さまざまな化学修飾が可能である。特にN-アルキル化やN-プロトン化は、ラジカルとして性質を保ったまま分子に正電荷を持たせることになり、このことが、広範な対アニオンとの塩の形成を可能にする。さらに、ピリジル基の塩基としての性質を活かし、酸-塩基錯体の合成も可能である。本研究では、分子性結晶の特長の一つである異方的な構造を活かした新規低次元磁性体や、磁性と他の物性とが共存する複合物性を持つ物質の開拓を目的とし、PYNNをコンポーネントとする分子間化合物という新しい物質群に対して、構造と磁性の検討を行った。

図1.(a)Nitronylnitroxide (b)p-NPNN (c)p-PYNN
ピリジルニトロニルニトロキシド水素結合性分子間化合物

 PYNN分子は、水素結合受容部位を二種類持つという特徴がある。p-PYNNのN-アルキル化誘導体がアルキル鎖長の延長に伴う結晶構造・磁性の系統的な変化を示すことが知られていた。本研究ではPYNNとHX(X=ハロゲン)との反応を検討した。PYNNとHBrから、PYNN2分子に対してHBr1分子の化学量論比の錯塩が得られる。分光学的に、水素はPYNN2分子の2つのピリジン環に共有された、[NHN]+分子間水素結合の状態にあると見られる。m-およびp-誘導体について磁気測定を行ったところ、m-誘導体では、分子間に強磁性的な相互作用が、少なくとも3分子以上に渡って作用していた。このことは、磁気的な相互作用が、[NHN]+水素結合で結ばれたPYNN二量体内ではなく、別の方向に沿って作用していることを示す。結晶構造解析のための単結晶作成を様々な手段で試みたが、現在にいたるまでX線測定に耐える単結晶は得られていない。

図2.PYNN2・HBr

 そこでこのような構造のより安定な分子間化合物を得るため、PYNNと二価の有機酸X(=ヒドロキノン、フマル酸、四角酸)との錯体を、酸性度を変化させながら作成した。構造解析の結果から、いずれもPYNN-X-PYNNの架橋構造が得られたが、ここで水素結合に与るPYNNの部位に図3のような選択性が見られた。すなわちヒドロキノンとの水素結合ではNO基が、フマル酸ならびに四角酸との水素結合ではピリジン環のNが塩基として作用する。この選択性は、水素結合のエネルギーに対する、静電相互作用の寄与とCT相互作用の寄与との競合によって定性的に説明できる。このことはpKaの調節による水素結合部位選択の可能性を示している。

図3.水素結合の比較

 さらに、PYNNの塩基としての性質を利用し、有機ラジカル同士の酸-塩基錯体を合成した。酸としては、ニトロニルニトロキシドを置換した安息香酸(NNBA-H)を選択した。

 m,p-PYNNとm-,p-NNBA-Hとで計4種類の錯体がすべて結晶として得られ、期待したとおりカルボキシル基とピリジン環とで水素結合を形成していた。将来の有機フェリ磁性体構築のためには、異種ラジカル分子錯体の形成、結晶化が不可欠であるが、このための有用な方法論になると考えられる。

図4.NNBA-H・PYNN錯体
分子性スピンラダーp-EPYNN・[Ni(dmit)2]

 図5はPYNNをN-アルキル化して得られる1価のカチオン、N-R-PYNN+を示してある。この分子の最大の特長はその正電荷であって、広範な対アニオンと錯塩を作ることが知られている。その誘導体中にも強磁性的分子間相互作用を示す系が知られている。磁性と同様に固体物性を代表する物性として電気伝導性が挙げられるが、ここでは分子性固体における磁性と電気伝導性の共存を目指し、N-R-PYNNと[Ni(dmit)2]の錯塩を合成した。

図5 N-R-PYNN+cation

 [Ni(dmit)2](図6)は分子性導体のコンポーネントとして良く知られていいる、平面的な構造を有する分子である。中心金属であるNiは、Ni2+,Ni3+,Ni4+等種々の酸化状態を取り得、それに対応して分子全体としても-2〜0までの各種酸化状態を取る。特にNi3+-Ni4+の部分酸化状態は対カチオンによっては電気伝導性のカラムを形成し、さらに超伝導体が数種類報告されてきたため、近年、電気伝導性CT錯体の分野での注目を集めている。

図6[M(dmit)2]

 そして、本研究において作成した、N-R-PYNN・[Ni(dmit)2]塩のうち、p-EPYNN・[Ni(dmit)2]塩(R=ethyl)の結晶内に、図8(b)のようなラダー構造が見い出された。この系では、カチオンの強磁性的一次元鎖(図7(a))と、アニオンからなるスピンラダーとが共存しており、また磁化率の温度依存性の測定(図9のx=0)から、分子スピンラダーのスピンギャップが認められた。

図7.p-EPYNN・[Ni(dmit)2]結晶中の(a)p-EPYNNの一次元鎖(b)[Ni(dmit)2]のラダー構造図8.p-EPYNN・[Ni(dmit)2](1-x)[Au(dmit)2]xの磁気測定結果

 [Ni3+(dmit)2]は[Au3+(dmit)2]と互い混晶を作ることが知られている。[Ni3+(dmit)2]はS=1/2の常磁性であるが、[Au3+(dmit)2]は反磁性である。そこで、p-EPYNN・[Ni(dmit)2]塩の[Ni(dmit)2]を部分的に[Au(dmit)2]に置換した固溶体p-EPYNN・[Ni(dmit)2](1-x)[Au(dmit)2]xを作成し、この分子性スピンラダーの不純物効果を評価した。

 結晶構造的にはp-EPYNN・[Ni(dmit)2]とp-EPYNN・[Au(dmit)2]は同型ではない。しかし固溶体のうちx=0.5の結晶について、p-EPYNN・[Ni(dmit)2]と同型であることがX線で確認できたので、0x<0.5の範囲の固溶体はp-EPYNN・[Ni(dmit)2]と同様にラダー構造を有すると考えてよい。磁気測定結果は図8のようである。50K〜150Kの温度領域ではTの値は温度に対してほぼ一定であるが、xの増加に伴ってその値は増加している。これは、反磁性の不純物を常磁性のスピンラダーに置換していくことで、ラダー中のスピン対が一部壊れ、キュリースピンが生じたと考えると定量的に説明できる。次に、低温部の挙動が、強磁性的から反強磁性的に反転している。この低温領域のデータをキュリーワイス則で解析し、反強磁性的相互作用の大きさをワイス定数の形で求め、xに対してプロットしたものが図9である。最近の理論的研究から、スピンラダー上への反磁性不純物導入は、その近傍に反強磁性的に分極したスピンを発生させることが指摘されている。xの増加に伴いラダー上に生じたキュリースピンの周りに反強磁性的な、スピン分極の’波’が立つならば、p-EPYNNカチオン上のスピンがそのスピン分極に引き摺られ、あたかも反強磁性的な相関を持つように見えるためと考えている。

図9.反強磁性的相互作用の大きさとxの相関
結論

 PYNN2HBr,PYNN2・X(X=ヒドロキノン,フマル酸,四角酸)およびPYNN・NNBA-H錯体の各種の水素結合性分子間化合物を得た。PYNN2・X錯体においては水素結合形成の選択性を、水素結合のエネルギーの観点から定性的な説明を与え、またPYNN・NNBA-H錯体ではヘテロラジカル分子間化合物が得られたことから、分子間化合物作成のための有用な方法論を得た。また、p-EPYNN・[Ni(dmit)2]塩中に、[Ni(dmit)2]からなる分子スピンラダーが得られ、スピンギャップ状態が分子結晶において確認された。カチオンの強磁性的一次元鎖と互いに磁気的に独立に振る舞う、Two chain systemとなった。[Au(dmit)2]による不純物効果を検討し、その磁性について、高温部、低温部ともに系統的な不純物濃度依存性を見い出した。

審査要旨

 本論文は5章からなり、第1章は導入説明にあてられている。第2章はニトロニルニトロキシドラジカル分子の水素結合性分子間化合物の結晶構造と磁性について、第3章ではニトロニルニトロキシドと金属dmit錯体との塩の磁性とその構造との関連について記されている。第4章では全体の結論が述べられている。第5章は実験の詳細を記述するために割かれている。

 第1章は、本論文の導入説明として、分子磁性研究においてニトロニルニトロキシド系有機ラジカルが果たした役割について言及されている。そこではニトロニルニトロキシドラジカルの一般的特徴と、この有機ラジカル系において最初に発見された有機強磁性体の例が述べられた上で、今後の分子磁性研究の目指すべき方向性として、新規低次元磁性体の研究と、磁性と他の物性とが共存する複合物性の開拓を提案している。論文提出者は、ピリジルニトロニルニトロキシド(PYNN)について多様な化学修飾が可能であること、しかもPYNN自身あるいはその誘導体が、分子間化合物を容易に形成しうることに着目し、PYNNの分子間化合物生成のための方法論の確立とともに、得られた多様な物質群の中から、先に指摘した分子磁性研究の新しい視点に適う系の発見を研究目的として提示している。

 第2章では、PYNN水素結合性分子間化合物の結晶構造と磁性に関する研究結果を述べている。第1節はこの章の導入として、水素結合が分子結晶の構造と物性に果たす役割を挙げている。第2節はPYNN分子のプロトネーションの実験の結果を記している。(PYNN)2HBrなる組成の塩の多結晶試料が得られ、[NHN]+分子間水素結合の状態にあると見られること、m-誘導体では強磁性的分子間相互作用が3分子以上にわたって作用することが示されている。第3節では、PYNN-X-PYNNのような架橋構造を持つより安定な分子間化合物を得るため、PYNNと二価の有機酸X(=ヒドロキノン、フマル酸、四角酸)との錯体を作成し、その構造と磁性を記載している。構造解析の結果から、いずれもPYNN-X-PYNNの架橋構造を持つことが分ったが、ヒドロキノンとの錯体ではPYNN分子のNO基が水素結合受容基として作用するのに対して、フマル酸ならびに四角酸との錯体中ではピリジン環のNが塩基として作用することが分った。このような水素結合の選択性に対して、水素結合のエネルギーに対する静電相互作用の寄与とCT相互作用の寄与との競合によるとする定性的な説明を与えている。第4節ではPYNNの塩基としての性質を利用して、有機ラジカル同士の酸-塩基錯体を合成を述べている。ここで用いられた酸は、ニトロニルニトロキシドを置換した安息香酸(NNBA-H)である。m,p-PYNNとm-,p-NNBA-Hとで計4種類の錯体を結晶化し、カルボキシル基とピリジン環との間の水素結合形成を報告している。磁気特性という点では新規な性質は見いだせなかったが、酸-塩基相互作用に基づくPYNNの分子間化合物作成の方法論を確立した点が評価された。

 第3章では、PYNNの誘導体であるN-アルキルピリジニウムニトロニルニトロキシドカチオンラジカルと金属dmitアクセプターアニオンから得られる塩の磁性とその構造との関係を記している。第1節は導入部であって、まず金属dmitアクセプターアニオンの代表例[Ni(dmit)2]-を簡単に紹介されている。当初複合物性を目的として塩の合成を行ったところ、得られた結晶の一つが、新規低次元磁性体として注目を集めているスピンラダー構造を含むことが見いだされ、特にその磁気的性質を詳しく調べたという研究の経緯が述べられている。第2節では、その分子性スピンラダーを含む結晶p-EPYNN・[Ni(dmit)2]についての研究結果が記されている。そこではまず、スピンラダーに対する一般的説明の後、p-EPYNN・[Ni(dmit)2]結晶構造が[Ni(dmit)2]のラダー構造を有していること、分子スピンラダーが/kB=940Kのスピンギャップを持ち、p-EPYNNが強磁性的一次元鎖としてふるまうことが示されている。第3節では、p-EPYNNカチオンと[Au(dmit)2]の塩の結晶構造と磁性を述べている。結晶構造から、[Ni(dmit)2]-塩と[Au(dmit)2]-塩が同型ではないが、カチオンの一次元鎖状の配列や、カチオンとアニオンとの相対配置等の類似性を指摘し、また磁気的には、[Ni(dmit)2]-はS=1/2の常磁性であるが、[Au(dmit)2]-は反磁性であって、磁化率にその置換の効果が現れていることを記載している。第4節では、[Ni(dmit)2]-が[Au(dmit)2]-と互いに固溶体を作ることを利用し、p-EPYNN・[Ni(dmit)2]塩の[Ni(dmit)2]-を部分的に[Au(dmit)2]-に置換した固溶体p-EPYNN・[Ni(dmit)2](1-x)[Au(dmit)2]xを作成してこの分子性スピンラダーに対する不純物効果を評価している。まず、固溶体のうち0x0.5の範囲の固溶体はp-EPYNN・[Ni(dmit)2]と同様なラダー構造を有すると考えられることを実験結果から示して、次にそれらの磁気測定の結果を述べている。反磁性の不純物を常磁性のスピンラダーに置換していくことで、ラダー中のスピン対が一部壊れ、キュリースピンが生じる。そして低温部の挙動が、強磁性的から反強磁性的に反転することを発見している。極低温域の磁気測定の結果から、その反強磁性的が、[Ni(dmit)2]塩中では強磁性的であったp-EPYNNをも巻き込んで作用していることが示された。最近のスピンラダーに対する理論的研究から、スピンラダー上への反磁性不純物導入は、その近傍に反強磁性的に伝搬するスピン分極を発生させることが指摘されているが、そのスピン分極をテンプレートにすることにより、反強磁性的なスピン相関がp-EPYNN鎖上に広がった可能性が示され、審査員一同の関心を喚起した。

 本章の結果では特に、スピンラダーの不純物効果を検討するにあたって、ラジカルの強磁性鎖がスピンラダーの近傍に配置された系を用いてことによって、スピンラダー上にスピン相関が、常磁性的な格子欠陥を通じてたラジカル強磁性鎖への影響という形でモニターできた、という点が独創的であると評価された。

 第4章は結論に充てられている。PYNN2HBr,PYNN2・X(X=ヒドロキノン,フマル酸,四角酸)およびPYNN・NNBA-Hの各種の水素結合性分子間化合物を得、そのうちPYNN2・X錯体においては水素結合形成の選択性について、水素結合のエネルギーの観点から説明を与え、PYNN・NNBA-H錯体では、ヘテロラジカル分子間化合物作成のための有用な方法論を得たこと、また、p-EPYNN・[Ni(dmit)2]塩中では、[Ni(dmit)2]-からなる分子スピンラダーが見い出され、スピンギャップ状態形成が分子結晶において確認され、[Au(dmit)2]による不純物効果を検討したところ、p-EPYNNの磁性に影響を与えるという興味深い結果を得たことをまとめとして述べている。

 なお、本論文中の第2章の一部は、奥野恒久氏(現和歌山大学システム工学部)との共同研究であるが、論文の提出者が主体となって実験を行ったもので、また第3章の一部は、今井宏之、稲辺保氏(北海道大学理学系)との共同研究であるが、論文提出者が主体となって磁気測定と解析を行ったもので、ともに論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 よって本論文は博士(学術)の学位請求論文として合格と認められる。

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