オートマトンの受理集合・判定手続きによって定義される幾何集合・力学系のベイシンは、全て判定手続きによって定義される。これらの集合はそれぞれ計算論・幾何学・力学系研究という異なった分野で扱われ、集合の要素も異なるが、判定手続きによって定義される停止集合という意味においては区別ができない。しかし、その共通点に注目して、これらの集合を統一して研究することは、これまでなされてこなかった。本論文では、これらの停止集合の幾何的性質と判定手続きの力学系的性質を同一の手法を使って研究する(オートマトンの受理集合の場合には、シンボル列をEuclid空間上の点にコードすることによって幾何的・力学系的性質を研究する)。 具体的に、判定手続きによって定義される停止集合として、万能Turing機械の停止集合・Mandelbrot集合・riddled basinを対象に研究を行なう。これらの集合は、単に判定手続きによって定義されるというだけではなく、受理集合・幾何集合・ベイシンの中でも最も複雑なものとして知られている。また、単純に自己相似性だけでは特徴づけられない、非自己相似集合でもある。停止集合の幾何的性質としては主に境界次元、判定手続きの力学系的性質としては停止時間の分布を調べる。その際、非線形力学系研究で使われる実験的手法を積極的に用いる。 2章では、コードについて調べる。オートマトンの受理集合の幾何的性質と判定手続きの力学系的性質は、一般に、シンボル列をEuclid空間上の点に対応づけるコードに依存する。本論文では、シンボル無限列を区分線形写像のマルコフ分割の同じラベルで指定される実数に、シンボル有限列を同じラベルで指定される区間に、それぞれ対応させるコードを扱う。このようなコード全体を考えた場合、あるコードから他のコードへの変換はLebesgueの特異関数のようなフラクタル関数になり、一般に(境界)次元の値を保存しない。 3章では、特に決定不能性がどのように特徴づけられるかに関心を持ち、万能Turing機械の停止集合を扱う。決定不能性は古典計算論では最も重要な概念であり、決定不能集合(帰納的加算言語)はChomskyの階層の中でも最も複雑なものである。この対象に対して証明という従来からの手法のみを使うのではなく、実験的手法を積極的に用いて研究を行なう。2章で導入したコードを用いて、万能Turing機械の停止集合をコードした幾何集合は、任意の小さなスケールで異なった構造を持ち、また、異なったパターンを持つことが分かる。 さらに、万能Turing機械の停止集合の境界のbox-counting次元に関しては以下のことが分かる。万能Turing機械の停止集合に含まれる初期点の内、ある有限の計算時間n以内に停止する初期点を2次元平面上に埋め込んだ幾何集合について、その境界次元を数値的に調べた結果、計算時間nの増加とともに境界次元はコードした空間の次元である2に漸近して行く。特に、計算時間nの極限で定義されている万能Turing機械の停止集合の場合、その境界次元は空間次元の値2と等しくなることが分かる。さらにこの結果は、フラクタル変換であるコード変換に対しても不変であり、コードには依存しない。 境界次元が空間次元と等しい場合とそうでない場合とでは本質的な差がある。境界次元が空間次元と等しいことは、境界の近傍を考えた場合、その体積(面積)がに依存しないことを示している。それはつまり、観測精度の誤差の存在下で、万能Turing機械の停止集合に含まれるか否かを判定する場合には、観測精度をいくら上げても原理的に誤る確率を下げることができないという強い不確定性を意味する。判定手続きに関していえば、例えどんなに小さくても誤差が存在する限り、誤差なしの状態で定義された判定手続きのモデルには近づけないことを意味する。このモデル到達不可能性は、決定不能性がカオス的初期条件鋭敏性とは異なり、観測精度に関係なく存在することと対応する。この様に、万能Turing機械の停止問題の持つ決定不能性は、モデル到達不可能性、および、この性質のコード変換に対する不変性によって特徴づけることができる。 同様に、万能Turing機械の停止時間の分布が、時間nに対して、ベキ的(またはそれより緩やか)に減衰すること、また、この性質がコード変換に対して不変であることも分かる。 4章では、特に万能Turing機械の停止集合との類似性に注目して、幾何集合であるMandelbrot集合を扱う。Mandelbrot集合は単なる自己相似構造ではなく、極端に複雑な構造を持つことで知られており、その境界のHausdorff次元が空間次元と等しくなることが証明されている。これまでにも決定不能性との関係に関心が持たれ、実数計算モデル方面からの研究がなされたが成功しているとはいえない。 Mandelbrot集合に対しても、万能Turing機械の停止集合と同様に、境界次元の計算時間に対する漸近的な振る舞いと判定手続きの計算時間の分布とを調べた結果、コード変換に対応するフラクタル変換に対する振る舞いも含めて、万能Turing機械の停止集合と同じ性質を持つことが分かる。このことは古典的な意味での決定不能集合と同等の、モデル到達不可能性、および、この性質のコード変換に対する不変性を持つことを示している。この様に、Mandelbrot集合と決定不能集合との関係を明確な形で明らかにする。 5章では、riddled basinを扱う。riddled basinを持つ力学系は、初期点が最終的にどのattractorに収束するかに関しても誤差存在下で予測不可能になるという意味で、一般的なカオス力学系とは質の異なった不確定性を持つ。 ある簡単な力学系のriddled basinは、ある文脈自由言語ををコードした集合になることが分かる。境界次元に関しては、上記の万能Turing機械の停止集合やMandelbrot集合の場合とは大きく異なり、たとえ、このriddled basinの境界次元が空間次元と等しくなった場合でも、コード変換によって簡単にこの性質が壊れることが分かる。同様に、停止時間の分布に関しても、コード変換によって性質が変化することが分かる。この様にこのriddled basin(文脈自由言語)は一般的なフラクタル集合と上記の万能Turing機械の停止集合やMandelbrot集合の中間に位置する。単純に自己相似性だけでは特徴づけられない非自己相似集合、特に境界次元が空間次元と等しくなる集合の中にも様々なクラスが存在することが分かる。 以降、6章では、修正を加えた(万能)Turing機械の停止集合の幾何的性質と判定手続きの力学系的性質ついて、特に加えた修正と計算万能性との関係に注目して調べる。7章では、この論文で得られた結果に基づいて、実数計算とコードに関して議論する。 |