学位論文要旨



No 114011
著者(漢字) 白川,晃
著者(英字) Shirakawa,Akira
著者(カナ) シラカワ,アキラ
標題(和) 非平行光パラメトリック増幅によるサブ5fsパルス発生とそのポリジアセチレンにおける構造緩和の研究への応用
標題(洋) Sub-5-fs pulse generation by noncollinear optical parametric amplification and its application to the study of geometrical relaxation in polydiacetylenes
報告番号 114011
報告番号 甲14011
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3500号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 山本,智
 東京大学 教授 渡辺,俊太郎
 東京大学 助教授 坪野,公夫
 東京大学 助教授 黒田,寛人
 電気通信大学 教授 植田,憲一
内容要旨

 凝縮系の位相緩和や光化学反応、分子振動などの、数フェムト秒から数10フェムト秒という極限的な時間領域における現象を追跡するには、10フェムト秒を下回るような極超短光パルスが必要である。近年の短パルス化の発展は目覚ましいものがあり、1997年の4.5fs世界最短パルスの発生に特徴づけられる。しかしこれらは従来の伝統的手法である白色連続光発生-圧縮法を用いており、スペクトル領域が近赤外の800nm付近に限られ波長可変性に乏しい欠点がある。

 このブレークスルーとして、我々は非平行光パラメトリック増幅(NOPA)という方法を提案し、波長可変な極超短光パルス発生を探求してきた。信号光と励起光の非平行配置においては、様々な波数ベクトルがベクトル和として位相整合し、結晶透明領域の全スペクトル領域におけるモード励振が可能である。円錐状に射出する光パラメトリック蛍光に顕著に見られるこの特性はいわゆるアクロマティック位相整合の周波数下方変換であり、パラメトリック利得のバンド幅を制限する信号光・アイドラー光群速度不整合が、スペクトル角分散を用いて自動的に取り除かれることに他ならない。入射信号光を増幅する場合、群速度整合条件はsicos(+)となる(信号光、アイドラー光非平行角を,、群速度をそれぞれs,i)。これが最近特に注目を集めている群速度整合OPAであり、タイプIのBaB2O4(BBO)結晶を用いたチタンサファイアレーザーの第二高調波(SH)励起の場合、縮退波長よりも短い信号光の波長可変域全域でこの非平行角が存在する。図1に示すように=3.7°の場合、結晶角を回転することなく500〜750nmの広い範囲で平坦な位相整合曲線を有し、可視域で160THzという広帯域を増幅することができる。

図1.=3.7°の時の非平行広帯域位相整合曲線。左上はパラメトリック利得曲線

 フェムト秒チタンサファイア再生増幅器(130fs,400J,790nm,1kHz)の第二高調波(130J,395nm)を励起光とし、基本波から発生させた白色光を信号光に用い、-BaB2O4(BBO)結晶を用いたタイプIの非平行OPAを行った。群速度整合点ではスペクトル角分散が圧縮され限られた方向に非常に広帯域な蛍光が射出し、その円錐面上に白色光を注入すると、増幅信号光のスペクトル幅は60THzにも達する。白色光のチャープにより、励起光と重なり増幅されるスペクトル成分が選択され、励起光の遅延路を掃引するだけで結晶角を変えることなく550nmから700nmまで連続的に波長可変である。最短14fs、波長可変域全域にわたって20fs以下のパルス幅が得られたが、時間バンド幅積は1前後とフーリエ変換限界からほど遠い。観測された増幅信号光の空間チャープから、非平行配置にともない時間空間結合によるパルス面傾斜(pulse-front tilting)が生じていることが原因であるとつきとめた。

 これを解決するため励起光のパルス面をプリズムを用いて傾け、望遠鏡により結晶中で拡大・結像して信号光とパルス面が等しくなるような励起配置を考案した。図2に光学系の概念図を示す。これにより、パルス面傾斜の結果として生じる空間チャープがほぼ消失し、傾角が補償されていることが確認できた。パルス幅伸延効果が取り除かれたためフーリエ限界まで圧縮が可能であり、回折格子・プリズム対による精密な分散補償により最短6.1fs、550〜700nmの全領域にわたり6〜8fs(sech2フィット)のパルスが得られた。図3にスペクトルとフリンジ分解自己相関波形を示す。波長可変なサブ10fsパルスの発生は、世界で初めてのことである。更に回折格子をNOPA用に特別設計したチャープ鏡に替え、白色光のチャープを別のチャープ鏡対であらかじめ圧縮することで、原理的限界である250nm(150THz)にも及ぶバンド幅全域の増幅を行った。sech2フィットで3.5fs、複素フーリエ変換で4.7fsのパルスが5Jのパルスエネルギーで得られた。図4にスペクトルとフリンジ分解自己相関波形を示す。これは初めての可視域サブ5fsパルスであり、白色連続光/圧縮法以外の方法による初めてのサブ5fsパルス発生である。

図2.サブ10fs波長可変非平行光パラメトリック増幅器。図3.波長可変信号光のフリンジ分解自己相関波形。sech2フィット(点線)によるパルス幅は(a)7.1fs(550nm)、(b)6.2fs(630nm)、(c)6.1fs(690nm)。それぞれのスペクトルを左上に示す。図4.サブ5fs信号光フリンジ分解自己相関波形。測定(実線)、sech2フィット(点線,3.5fs)、スペクトル(左上)の複素フーリエ変換フィット(黒点)。その時の強度波形を右上に示す。フーリエ変換限界は4.4fs(点線)。

 広帯域な信号光と位相整合するためにアイドラー光は大きなスペクトル角分散のために扇状に射出する。この角分散を補償するため全反射型望遠鏡及び回折格子からなる角分散補償器を設計した。800〜1400nmにわたり出力角分散を600rad以下に抑圧し、コリメートされたアイドラー光出力を得る。信号光に対応して900〜1300nmにわたり波長可変であり、やはり約60THzの非常に広いバンド幅を有する。信号光の正チャープの結果アイドラー光は負チャープとなり、正分散プリズム圧縮器により得られたパルス幅は最短8.4fs(sech2フィット)に達した。1m以上の近赤外領域におけるサブ10fsパルスの発生はやはり世界で初めてのことである。

 このNOPAはサブ10fsの極超短光パルスをJのパルスエネルギーで繰り返しkHzで波長可変に得るというこれまでの常識を打ち破る夢の光源である。その分光への応用として、一次元共役高分子系のポリジアセチレン(PDA)の構造緩和過程を調べた。PDAの大きな光学非線形性は主鎖方向に非局在化した電子系における自由励起子(FE)生成に起因する。生成直後100fs以下で骨格の炭素の伸縮振動と強く結合し局在中間状態である自己束縛励起子(STE)へと構造緩和するモデル東大の小林らにより提案されている。しかし11Bu状態は最低一重項状態(21Ag)への内部転換も伴い、振動との結合過程はその高速性により未知の部分が多い。ここではその過程をサブ5fsの高時間分解能で明らかにした。

 PDA-4BCMU4A(8)薄膜の室温での波長分解過渡吸収信号を図5に示す。励起子遷移ピーク(1.96eV)では60fs及び900fsの時定数を持つ褪色が見られ、その低エネルギー側(1.75eV)では80fsで誘導放出が優勢の状況から光誘起吸収が優勢の状況へと移行する様子が観測された。更に1ps以上も継続する分子振動に起因する非常に速い波束運動が顕著にみられる。振動成分のフーリエ変換により、PDAのラマン信号に典型的に見られるC=C(〜1455cm-1,周期23fs)、C≡C(〜2080cm-1,周期16fs)の二つの主鎖伸縮振動が非常に強く現れていることがわかる。1220cm-1(C-C伸縮)、700cm-1(ひねり振動)、230cm-1(C-C=C面内変角振動)付近のモードも励振されており、複雑な骨格分子のコヒーレントな運動の様子を実時間的に観測していることが分かる。これらの分子振動を時間周波数解析したスペクトログラムが図6である。モード周波数は一定ではなく、光励起後振動している様子が分かる。特にC-CおよびC=C伸縮振動はモード周波数及び振幅が〜230cm-1の周期で互いに変調を受けている様子が明らかであり、C-C=C面内変角振動との結合状態と推測される。この様な分子振動の瞬時周波数の変調は本研究で初めて観測されたものである。

図5.1.96eV及び1.75eVにおける過渡吸収信号。指数関数フィットによる緩和時間を図内に示す。振動成分のフーリエ変換を右に示す。図6.1.75eVにおける振動周波数のスペクトログラム。各伸縮振動の強度(点線)及び瞬時周波数(実線)を右に示す。

 ポテンシャル曲線における波束運動の様子を図7に示す。配位座標はSTE生成を引き起こすアセチレン型→ブタトリエン型骨格構造異性化を表している。光励起後10-20fsでSTEが生成する。1.96eVで観測される60fsの成分は誘導放出信号であり、11BuSTE→21Ag自己束縛状態の内部転換を示すものと考えられる。この時間領域に見られる強い振動はSTEにおける振動であり、内部転換に伴い2〜3周期で減衰しimpulsive誘導ラマン散乱により生成された基底状態の弱い振動のみ継続する。1.75eVにおいては動的ストークスシフトにより誘導放出信号は80fsと長く持続し、n1Bu←21Ag遷移の光誘起吸収へと移行する。1ps以上持続する強い振動は11BuSTEから21Ag自己束縛状態へと分子振動結合状態が移行していることを示している。トンネル効果による基底状態への非輻射遷移により、1.5psで光誘起吸収は減衰する。図6より明らかなようにC=C、C≡C伸縮振動はラマン周波数よりも低周波数で振動しており、自己束縛状態はブタトリエン型へと構造緩和していることが分かる。

図7.ポテンシャル曲線における構造緩和モデル。SE:誘導放出、PIA:光誘起吸収。

 この様にC=C,C≡C伸縮振動がPDAの構造緩和において主要な推進力となり、内部転換後もコヒーレンスが保たれ伸縮振動と変角振動が結合した非平衡な構造緩和状態を形成することが初めて明らかにされた。NOPAの短パルス性、広帯域性を用いたこの実時間振動分光は、光初期過程の振電相互作用の解明に威力を発揮するものと期待される。

審査要旨

 本論文は、非平行光パラメトリック増幅によって、5fsを切る短パルスを生成するレーザーシステムを開発し、それを用いてポリジアセチレンにおける励起状態の構造緩和を研究したものである。論文は、全体で5つの章よりなる。第1章のイントロダクションに続いて、第2章では超短パルスレーザーの現状と問題点についてまとめている。第3章では5fsを切る超短パルス発生にいたる開発について、また、第4章ではそれを用いたポリジアセチレン系の研究について述べられている。そして、第5章でまとめを行っている。

 10fs以下のパルス幅を持つ超短パルス光は、電子励起状態の構造や状態緩和の動力学を研究する究極の手段として、世界的にしのぎを削った開発競争が行われている。これまでは、白色連続光発生・圧縮の方法が用いられてきたが、波長可変性に難があった。そこで、それを乗り越える方法として、非平行光パラメトリック増幅による発生が注目されてきた。この方法は、可視光領域で160THzという広帯域の増幅が可能であり、従って超短パルス発生に非常に適していると考えられてきた。しかし、実際には10数fsのパルス幅の光しか得られていなかった。論文提出者は、その原因が、非平行配置のために信号光と励起光のパルス面が互いに傾いていること(パルス面傾斜)にあることを突き止め、実際に信号光のパルス面を傾けて入射する光学系を設計して挿入することにより、この方法ではじめてパルス幅10fsを切る可視光の超短パルスの発生に成功した。さらに、プリズム対と回折格子対によって行っていたパルス圧縮のための分散補償を改良し、回折格子の代わりに特別に設計したチャープ鏡を用いることによって、パルス幅4.7fsの可視光超短パルスの発生を世界で初めて実現した。これは、非平行光パラメトリック増幅の原理的限界に迫るものである。さらに、アイドラー光を利用することによって、近赤外領域で10fsを切る超短パルスの発生にも世界に先駆けて成功した。

 論文提出者は、この超短パルスレーザーシステムをポリジアセチレンの構造緩和の研究に用い、5fsの時間分解能で薄膜の過渡吸収スペクトルを測定した。その結果、誘導放出がおよそ80fsで減衰することから、1Buから2Ag状態への内部転換が起こっていることを示した。また、5fsの時間分解能を活かして、波束の運動に起因する光吸収強度の振動構造が明瞭に観測できた。そのフーリエ変換から、2Ag状態の振動構造を明らかにした。また、150fsごとのそれらの振動数の変化を調べたところ、C=C振動とC-C振動が互いに相補的な位相で約200cm-1の周波数変調を受けていることがわかった。これは、C-C=C変角振動とのモード結合を時間軸で見ていると解釈でき、論文提出者が開発した超短パルス光源によってはじめて観測された現象である。

 このように、論文提出者は、5fsを切る超短パルスを発生する波長可変レーザーシステムを世界ではじめて開発するとともに、それを用いてポリジアセチレンの電子励起状態における構造緩和を高い時間分解能で観測し、新しい知見を得た。これらの研究は、量子エレクトロニクス、光物性等の分野で新しい研究の可能性を拓くものとして高く評価できる。また、本論文における研究は、論文提出者が指導教官や共同研究者の助言の下、自ら着想し実行したものであり、論文提出者の寄与は十分である。よって、論文提出者は博士(理学)の学位を授けるにふさわしいと判断する。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54676