学位論文要旨



No 114017
著者(漢字) 生嶋,健司
著者(英字)
著者(カナ) イクシマ,ケンジ
標題(和) イッテリビウムとウランNMRの直接的観測によるf電子系の電子状態に関する研究
標題(洋) A Study of the Electronic State in f-electron Systems by Direct Observations of Ytterbium and Uranium NMR
報告番号 114017
報告番号 甲14017
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3506号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 松田,祐司
 東京大学 教授 福山,秀敏
 東京大学 教授 加倉井,和久
 高エネルギー加速器研究機構 教授 永嶺,謙忠
 東京大学 教授 上田,和夫
内容要旨

 NMR法は、歴史的に物質が示す磁性や超伝導の微視的解明の研究において多大な成果を収めてきた。とくに、3d電子が物性に重要な働きをしている銅酸化物高温超伝導体をはじめとする遷移金属化合物に関しては、その磁気的性質や超伝導状態について、ほかの実験方法では得られない多くの情報を提供してきた。たとえば、NMRスペクトルからは磁気秩序の有無などの静的な磁気的性質を明らかにし、核磁気緩和率1/T1や1/T2からは低エネルギー磁気励起に関する情報を獲得することができる。また、超伝導状態に関しては、縦緩和率の温度依存性からクーパー対の対称性について決定的な実験を行うことができる。このNMR法の有用性は、銅酸化物高温超伝導体においていち早く反強磁性的スピンの揺らぎの重要性を指摘し、d-波対超伝導体を主張してきた事実からも明らかである。これらの成果は、3d電子を有する磁性イオンの原子核(Cu核)のNMR研究が可能だったからといっても過言ではない。

 ここで重要なことは、NMR法は、着目した原子核とその周辺の電子との相互作用(超微細構造相互作用)を通して局所的な電子状態を調べているという点である。このことは、しばしば観測量の定量的評価において、超微細構造相互作用が大きな曖昧さを生むことを意味している。たとえば、ウラン化合物のようにf電子が磁性や超伝導に重要な役割を担っていると考えられる系の場合、s電子やp電子を価電子とする非磁性核のNMRでは、その価電子とf電子との何らかの相互作用を通してf電子の電子状態を探ることになる。現在、行われているf電子系に関するほとんどのNMR研究は、この非磁性核NMRによる極めて間接的な情報をもとに議論されている。銅酸化物高温超伝導体における研究から推測されるように、f電子系に関するより直接的な情報を獲得するためには、希土類やアクチノイド核といった磁性を担っている原子の原子核に対するNMR研究を推進していく必要がある。

 これまで希土類やアクチノイドNMRの報告が極めて少ない理由として、その短い核磁気緩和時間があげられる。通常行われるパルス法では数マイクロ秒以下の緩和時間をもつ信号の観測は極めて困難である。この短い緩和時間は、大きな軌道場による超微細構造場とf電子系の比較的小さな特性エネルギーに起因している。したがって、希土類やアクチノイドNMRの観測を試みる場合、緩和時間が比較的長いと考えられる系とその測定温度領域を吟味する必要がある。なかでも、近藤半導体、反強磁性体あるいは超伝導体などのスピン励起にギャップをもつ系は有利である。なぜなら、ギャップよりもずっと低い温度領域では、温度減少とともにその緩和時間は急激に長くなるからである。さらに、アクチノイド元素に関しては、天然で存在し、かつ、核磁気モーメントを有する原子核は唯一235Uに限られる。しかしながら、その核磁気モーメントの大きさは63Cu核の1/10以下であり、またその自然存在比も0.72%と63Cu核の1/100程度である。したがって、通常の10T程度の超伝導マグネットを用いた、天然ウランでのNMR観測は極めて困難である。

 本研究の主目的は、希土類やアクチノイドNMR研究の第一段階として、上記の困難を克服することによる171Ybと235U NMR信号の観測とそこから得られるYb3+イオンやU4+イオンにおける磁気的超微細相互作用及び電気的核四重極相互作用についての典型例の獲得である。特に、アクチノイドNMRに関してはこれまで固体中で一切報告が無いため、その典型例を得ることは極めて重要と考えられる。

 まず、本研究では近藤半導体といわれるYbB12において171Yb NMR信号観測を試みた。このYbB12は、高温においてその帯磁率はf電子が局在モーメント的であることを示しており、その電気抵抗の値も近藤格子系と同程度の大きさである。しかしながら、80K以下で帯磁率は急激に減少し、また電気抵抗も半導体的に温度減少とともに増大する。そのエネルギーギャップは100K程度の大きさであるが、温度に依存しているとも考えられている。バンド構造計算で得られるバンドギャップよりも実験でははるかに小さなギャップが観測され、さらにf電子と伝導電子の混成が重要視されていることからも、通常の半導体とは異なる多体効果の効いたギャップ形成であると考えられている。

 171Yb NMRが観測されたのは、ギャップより低温の15K以下であり、帯磁率がほとんど一定になっている温度領域である。10KでのKnight shiftの値、66.44%と帯磁率3.219×10-3emu/molから、超微細結合定数は115T/Bが得られた。これは以前報告のある、YbAl2やYbAl3171YbNMRによって得られた値とほぼ同じである。また、これはYb3+の自由イオンに対して計算されたHartree-Fock値〈r-3〉を用いて評価したJ=7/2の軌道場による超微細結合定数とほぼ一致している。したがって、J=5/2の第一励起状態との混成、コア分極効果及び相対論的効果などは極めて小さいということがわかる。また、観測値が軌道場であることからその温度領域での帯磁率はJ=7/2の軌道モーメントに由来した軌道帯磁率であることが結論される。近藤半導体ではギャップよりずっと低温においても帯磁率はゼロにならず、比較的大きな帯磁率を示していることが指摘されており、その大きなVan Vleck帯磁率の存在が示唆されてきた。本研究により、この帯磁率が疑いもなくJ=7/2の軌道モーメントに関係したものであることが証明された。この結果は、非磁性核NMRでは得られない磁性核NMR特有の重要な結果であろう。

 次に、本研究では235Uを93%濃縮したUO2を用いてウランNMRの観測を試みた。UO2はネール点30.8Kをもつ立方晶の反強磁性体であり、交換相互作用とJahn-Teller歪みが競合した古くから有名な物質である。理論、実験両面から、立方対称の結晶場における基底状態はU4+(3H4)の5三重項状態であることがわかっている。その転移点では、反強磁性転移とともに酸素サイトが平行位置から0.014Åずれることが中性子散乱実験から報告されている。

 核燃料物質の規制上、濃縮ウランは通常の大学や研究機関へは持込が不可能なことから、濃縮ウランに関する実験はすべて、日本原子力研究所(原研)で行われた。NMR実験は、安岡研究室の装置を一部持ち込み、原研内に新たにセットアップしたスペクトロメータを使用した。メスバウワー分光実験から大まかな内部磁場270±20Tがわかっているので、その大きな内部磁場を利用したゼロ磁場での反強磁性共鳴を行った。その結果、図1にみられる7本に分裂した共鳴線の観測に成功した。この14MHzの等間隔に分裂したNMRスペクトルはウラン核サイトで軸対称的な電場勾配が生じていることを意味している。スピン-軌道相互作用が強い場合、たとえ立方晶的な局所対称性においても、磁気秩序状態では有限の電場勾配が存在することはよく知られている。このことは、磁気秩序による磁気モーメントの整列は軌道モーメントの整列を伴い、それによって原子核まわりの電荷の空間分布が軸対称的になることから理解される。結局、その中心線から超微細場252.3T、分裂間隔から電気的核四重極相互作用、392MHzが得られた。磁気秩序モーメント1.74Bを用いてその超微細結合定数は145T/Bと評価される。アクチノイドイオンでは、相対論的補正も考慮した〈r-3〉が計算されており、それから評価した軌道場の結合定数は130T/Bであり、ほとんどが軌道場であることを示している。アクチノイドイオンは、コア分極の効果が希土類イオンより大きいという指摘があり、また、その超微細場は軌道場と同じ向きであることが実験的に得られているので、観測値と計算値の違いはコア分極にあるかもしれない。いずれにせよ、この観測値は、U4+イオンの典型例として、今後より複雑な物性を示すウラン化合物の研究をする際に役立つものと思われる。一方、電気的核四重極相互作用は、結晶場内における5f電子の基底状態に敏感であり、その解析にはより詳細な磁気構造が必要となる。UO2の磁気構造は中性子散乱実験の詳細な解析から、non-collinearな磁気構造であることが指摘されており、2k-構造あるいは3k-構造が有力とされている。前者は、磁気モーメントの方向は〈110〉に平行であり、酸素サイトの歪みは斜方晶的である。後者は、磁気モーメントの方向及びその歪み方向とも〈111〉に平行であるので、酸素サイトにおいて三回対称軸を保ったままである。よく知られているように、中性子散乱実験では、複数のドメインからなる試料を用いてこれらの区別は明確にできない。そこで、本研究では17Oを濃縮したUO2を用いて酸素NMRに着手した。隣接非磁性核サイトの超微細相互作用は、まわりの磁性サイトからの影響が主に寄与するため、磁気構造の検証にしばしば用いられる。核四重極相互作用によるスピンエコー変調の周期から、酸素サイトの電場勾配が軸対称的であることが判別された。このことは、3k-構造を強く支持している。この結果を用いて、〈111〉を量子化軸にとり、仮想スピン=1を用いてウラン核サイトにおける電気的核四重極相互作用を見積もると、534MHzが得られた。大まかには観測値と一致しており確かに5f電子による電場勾配であることが確認された。しかしながら、この見積もりは純粋な5三重項状態を用いており、現実にはf電子の四重極間相互作用によって、磁気秩序状態における基底状態はより複雑になっていると考えられている。したがって、この電気的核四重極相互作用の正確な評価には、3k-構造における四重極間相互作用を考慮したより詳細な研究が必要である。

図1:UO2の反強磁性状態における235U NMRスペクトル。
審査要旨

 近年様々な興味ある磁性や超伝導性を示す物質が発見されているが、これらの物質の磁気的性質や電子状態を微視的な立場から探る上で核磁気共鳴(NMR)法は不可欠な実験手段として確立している。特に最近では希土類物質やアクチノイド系といった4f及び5f電子が主役となる物質の特異な物性に興味を持たれており、NMR法による研究も盛んに行われている。しかしながらf電子を持つ磁性原子の原子核からの信号を直接観測することはその困難さからこれまでほとんど行われておらず、研究のほとんどは周辺の原子の原子核からの信号を解析したものである。これから得られる情報はf電子と周辺原子の原子核との超微細相互作用を通じた間接的なものであるため、時として大きな曖昧さを伴う。したがって電子物性や磁性を研究する際には周辺の原子核だけではなく磁性を持つf電子の原子核からのNMRを直接観測するのが望ましい。

 このような背景の元、本論文はこれまでほとんど行われてこなかったf電子磁性イオンの原子核のNMRの直接観察を行った。対象物質として4f電子系ではYbB12を5f系ではUO2についての研究を行っている。本論文は5章からなり、第1章は序論として希土類4f電子系のうち近藤半導体として知られるYbB12とアクチノイド5f電子系の反強磁性体UO2の物性を説明し、これらの物質に関しての簡単なレビューを行っている。次になぜf電子系の研究の上で磁性イオンの原子核のNMRを行う必要があるのか、そしてなぜf電子系でのNMRの実験が困難であるのかについての詳細な説明を行っている。第2章ではNMR法の実験手段について簡単に解説している。第3章がこの論文のメインな部分であり、実験で得られた結果とその解析を行っている。まずYbB12の低温領域において171Yb核のNMRの結果から得られたナイトシフト及びスピン-格子緩和時間T1の解析を行っている。次にUO2の反強磁性秩序相において235UのNMRスペクトルの観測の結果について述べている。特に235U核のNMRスペクトルの中心線と分裂線から内部超微細場の値と電気核4重極相互作用の強さを評価することに成功している。さらに17O原子核のNMRスペクトルの精密な解析からUO2のスピン構造の決定を行っている。第4章では希土類イオンとアクチノイドイオンにおける超微細構造相互作用の解析法について簡単に記述し最後に第5章では本論文の結論と将来の展望について述べている。

 以上の研究から以下の3つの主要な成果が得られている。

 1.近藤半導体ではf電子が伝導電子とシングレット状態をつくった低温領域で温度に依存しない大きな帯磁率が残ることが観測されておりその起源については明らかではなかった。論文提出者はYbB12171Yのナイトシフト及びT1の測定からこの帯磁率はYb磁性イオンのf電子の軌道帯磁率が起源であることを明らかにした。このことは近藤物質の電子状態を研究する上で重要である。

 2.これまでアクチノイド系の原子核からのNMRの観測は例がなかった。論文提出者は235Uを濃縮したUO2の反強磁性状態において、内部磁場を利用することにより235U原子核のNMRの測定に成功し超微細場の測定を行った。さらにNMRスペクトルの電気的核四重極相互作用による分裂を発見し235U核サイトにおいて軸対称の電場勾配が生じていることを明らかにした。アクチノイド系の磁性原子の核のNMR測定は論文提出者らの報告が初めてのものである。U系の化合物には様々な興味ある磁性や超伝導性を示す物質があり、論文提出者らの成果は今後この分野の研究における新しい手法の可能性を示したもので高く評価される。

 3.最後に論文提出者はUO217OのNMRの解析によりこの物質の詳細なスピン構造の決定を行っている。この系のスピン構造はこれまで中性子回折において2通りの可能性が示されていたが本研究により最終的な決定がなされた。

 なお本論文のうちYbB12に関しては東京大学安岡弘志、広島大学伊賀文俊、高畠敏郎、UO2に関しては東京大学安岡弘志、日本原子力研究所筒井智、佐伯正克、那須三郎、伊達宗行の各氏との共同研究である。試料を作成した以外はすべて論文提出者が主体となって実験及び解析を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって博士(理学)の学位を授与できると認める。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54057