C60結晶中には、様々な原子分子をインタカレートすることができ、その化合物の多様性や、Ihという分子の高い対称性を反映した電子状態等から、物質科学、物性物理学上で興味が持たれている。特に、アルカリ金属(A)との化合物A3C60は低温で超伝導体となり、高い転移温度を示したことから数多くの研究が成されてきた。A3C60の超伝導に関して最も特徴的なことは、転移温度が格子定数の増大に伴い良い相関を持って上昇するという点である。これは、格子定数の増大による伝導バンド幅の減少、フェルミ面の状態密度の増加によるものと考えられており、弱結合BCS理論に基づいて理解することができる。 アルカリ金属C60化合物へのアンモニアインタカレートは、より大きな格子定数、より高い転移温度を求めて行われ、多くのアンモニア・アルカリ金属・C60三元化合物が合成された。実際、(NH3)4Na2CSC60においては20K近い転移温度の上昇が見られた。しかしながら、その他の化合物については格子定数は高いTcが期待できる値にあるにもかかわらず、転移温度は下降もしくは、超伝導自体が消失する結果となっている。この原因には、アンモニア導入によりアルカリ金属が対称性の低い位置にずれたために生じる局所的な対称性の低下などが考えられているが、詳細はまだ明らかにされていない。 一方、結晶構造の観点から見れば、A3C60にインタカレートされたアンモニアはアルカリ金属に配位し、A-(NH3)nというクラスターを作ってC60結晶の間隙を占有することになる。アンモニアの導入はアルカリ金属を対称性の低いサイトへ移動させ、アンモニア、アルカリ金属の配置に関するdisorderを生じさせる。アンモニアのインターカレートは高々100℃付近で行われることから、室温付近でもA-(NH3)nクラスターは格子間隙で激しく運動していると考えられる。この結晶間隙中でのA-(NH3)nの配置に関する自由度は、低温で秩序化することが期待できる。さらに、インターカラントの秩序化は電子状態に影響を与えることも考えられる。しかしながら、ほとんどのアンモニア・アルカリ金属・C60三元化合物については、室温での結晶構造は決定されているが、インターカラントであるアンモニア、アルカリ金属の低温での挙動変化、結晶構造に関する測定は、ほとんど成されていない。本研究では、アンモニア・アルカリ金属・C60三元化合物について、室温から低温まで幅広い温度領域に渡ってX線回折実験を行い、以下の3点を明らかにすることを目的とした。 1.低温での結晶構造相転移の有無を探索する。 2.結晶構造解析により、低温における間隙中でのインターカラント配置を直接的に決定する。 3.構造解析の結果から、インターカラント間、インターカラントとC60間に働く相互作用を検討する。 本研究で用いた物質は、以下の3つの系に分類することができる。 ・(NH3)K3C60(図1(a)) (NH3)K3C60は室温においては面心斜方晶(空間群Fmmm)となると報告されている。アンモニアはC60の作る八面体に囲まれた間隙(八面体サイト)中をKと共に占有するが、アンモニアインタカレートによってKはサイトの中心から〈110〉方向へ移動する。結晶学的に等価な移動の方向は4通りあり、それらを1/4の確率で占有するとされている。低温でのX線回折実験を行ったところ、八面体サイト中のK-NH3の秩序化による結晶構造相転移が観測された。秩序化の起源を探るために、アンモニアを重水素化した(ND3)K3C60、類似の結晶構造を持ち四面体サイトのKをRbに置換することにより格子を拡大した(NH3)KRb2C60を用いて、構造相転移に対する置換効果の実験も行った。 ・(NH3)xNaRb2C60(図1(b)) この系ではアンモニアの組成xは可変であり、0.4から1の値を取ることができる。室温では面心立方晶(空間群Fmm)であり、八面体サイトはxの割合でNa-NH3が占有した構造と、1-xの割合でRbが占有した構造の2つが微視的に交じり合った固溶体となっているとされている。八面体サイトを占有したNa-NH3は、8つの等価な方向がある〈111〉方向に確率的に配向している。この系は低温では構造相転移はないとされていた。しかし、最近になって、(NH3)xNaRb2C60では冷却速度によって、磁化率、超伝導体積率に差があることがわかった。結晶構造についても同様のkineticsを持った変化がある可能性を考え、冷却速度を変えての低温での結晶構造について調べた。 ・(NH3)6Na3C60(図1(c)) Na3C60にアンモニアを導入した(NH3)6Na3C60は、室温では体心立方晶(空間群Im)である。立方体の面上を4個のアンモニア分子が菱形を形成して占有し、Naがその菱形の辺上を1/4の確率で占有した構造となっている。この構造を見る限り、NaにはNH3が2配位したNa(NH3)2のかたちで結晶中に存在していると考えられ、上述の2つの系とは異なっている。この系についても低温X線回折実験を行った。 以上の、低温での結晶構造とは別に、A3C60超伝導体と異なる転移温度と格子定数の関係をもった(NH3)xNaA2C60(A=K、Rb)が、圧力によって格子定数を変えた場合に転移温度がどう変化するかにも興味が持たれる。これらの物質について、圧縮率を測定することにより、別に測定された転移温度と圧力依存性とあわせて、転移温度と格子定数の関係を求めることも行った。 実験に用いた試料は、北陸先端大、および、Oxford大で合成されたものである。粉末X線回折実験は、シンクロトロン放射光X線を線源とし、検出器には2次元検出器であるイメージングプレートを用いることにより、高分解能、高統計精度のデータ得た。結晶構造解析は、Rietveld法により行った。 ・A-NH3の秩序化による結晶構造相転移 (NH3)K3C60の低温でのX線回折実験では、150K以下で新たなピークが出現し、結晶構造相転移があることを発見した(図2)。超格子反射の強度は、温度に対して連続的に変化しており、ヒステリシスも観測されなかったことから、2次相転移と考えられる。これらのピークは半整数を用いて指数づけできることから、低温相は高温相の単位格子を各軸方向に2倍にした単位格子を持つことになる。また、消滅側から低温相の空間群はFdddとなった。この空間群のもとで結晶構造解析を行ったところ、室温(高温相)では無秩序であった八面体サイト中のKとアンモニアの成すペア(K-NH3)の配向が、低温相では秩序化していることがわかった(図3)。秩序化したK-NH3の配向方向は、主としてK+間の静電相互作用により理解できる。格子定数の温度依存性では、K-NH3が存在しているab面で、転移点以下で負の熱膨張が観測された。相転移前後の結晶構造解析によれば、低温相では高温相に比べてK-NH3間の距離が増大しており、これが負の熱膨張と関係していると考えられる。また、結晶構造解析から得られたNH3と炭素原子間の距離は、低温相では、これらの間に水素結合が存在することを示唆する結果となった。 アンモニアを重水素置換した(ND3)K3C60については、室温、低温とも(NH3)K3C60と同様の結晶構造であり、低温ではK-ND3の秩序化が観測された。転移温度は(NH3)K3C60よりわずかに低い値となった。炭素原子とアンモニア間の水素結合が相転移の起源であれば、アンモニアの質量の増大したD体の方が転移温度は高くなるはずであるが、実験結果はそれとは逆になっている。この結果から、アンモニアと炭素原子の間の水素結合は、K-NH3の秩序化の結果として生じる二次的な相互作用であると考えられる。 一方、今回はじめて合成された(NH3)KRb2C60の結晶構造は室温では、八面体サイトをK-NH3、四面体サイトをRbが占有しており、八面体サイト中のK-NH3は〈110〉方向を向き、その配向が無秩序であることがわかった。この結晶構造は、(NH3)K3C60の四面体サイトをKからRbに置換したものであり、その結果、格子定数が約0.1Å増大している。また、低温では、K-NH3の秩序化が観測された。相転移温度は(NH3)K3C60と比べて約25K低下する結果となった。これは、八面体サイト中のK+間の距離が増大したことにより、静電相互作用が弱められたと考えれば理解できる。 以上のことから、八面体サイトにK-NH3をもつ面心斜方晶の化合物は、低温でK-NH3の秩序化による結晶構造相転移を起こし、その起源は主として、K+間の静電相互作用によることがわかった。 (NH3)xNaRb2C60(構造解析の結果x=0.78と決定)については、徐冷した場合も、低温では構造相転移は観測されなかった。結晶構造は、これまでの報告どおり、八面体サイトにNa-NH3、四面体サイトにRbの構造(割合0.78)と八面体サイトにRb、四面体サイトにNa、Rbの構造(割合0.22)の固溶体で300K、10Kとも説明できた。 ・(NH3)6Na3C60の結晶構造相転移 (NH3)6Na3C60では低温で回折ピークの分裂が観測された。ピークの分裂は(h00)反射で顕著であるのに対し、(hhh)反射では見られないことから、面心斜方晶となっていることがわかった(図4)。格子定数の温度依存性を見ると、相転移点の前後で格子定数が大きく変化していることから、1次に近い相転移であると考えられる。また、室温での回折ピークは、(hhh)反射が幅が狭いのに対し、(h00)反射は広がっており、相転移時の変形の方向へのひずみが、室温で既に存在していることがわかる。低温相の空間群は、室温の空間群Imから3回軸を除いたImmmが考えられ、それに基づいてピーク位置は説明できたが、低温相の結晶構造を決定するには至らなかった。 ・(NH3)xNaA2C60(A=K,Rb)の圧縮率測定 (NH3)xNaA2C60(A=K、Rb)について高圧下でのX線回折実験から圧縮率を求め、北陸先端大グループにより測定された圧力と転移温度の関係とあわせて、高圧下での格子サイズと超伝導転移温度との関係を得た。図5に示すように、最も低いTcを示すx1の試料では、格子定数が小さくなるとTcは最初上昇し、その後飽和する傾向をもつ。一方、Tcの高いxの小さい試料については、格子の収縮に伴い、Tcは減少する。この結果は、アンモニアを含んだ系では格子定数だけでは転移温度が一義的に決定できず、例えばNa-NH3の配向に関するdisorderの効果などの、さらに別の要因の検討が必要であることを示している。 図1:アンモニア・アルカリ金属・C60三元化合物における、アルカリ金属とアンモニア分子の室温での占有位置。(a):面心斜方格子の(NH3)K3C60。K、NH3とも八面体サイトの中心から〈110〉方向にずれている。(b):面心立方格子の(NH3)xNaA2C60(A=K、Rb)。八面体サイトではNa、NH3が〈111〉方向にずれている。(c):体心立方格子の(NH3)6Na3C60。NH3の作る菱形の辺の上にNaが1/4の確率で占有している。図2:300K(a)および15K(b)における(NH33)K3C60の粉末X線回折パターン。波長は1.1Å。15Kでは半整数で指数付けできる超格子反射が現れている。図3:(NH3)K3C60の低温相における結晶構造。単位胞全体の概略図。・はC60、矢印はK-NH3のペアを表す。四面体サイトのKは簡単化のために描いていない。図4:300Kおよび20Kにおける(NH3)6Na3C60の粉末X線回折パターン。波長は1.1Å。20Kでは回折ピークの分裂が観測されており、結晶の対称性が低下していることがわかる。図5:超伝導転移温度と格子サイズの関係。実線でつないだデータが本研究で行った(NH3)xNaA2C60(A=K、Rb)の高圧下での結果である。 |