学位論文要旨



No 114020
著者(漢字) 石野,宏和
著者(英字) Ishino,Hirokazu
著者(カナ) イシノ,ヒロカズ
標題(和) スーパー神岡実験における太陽ニュートリノのエネルギースペクトルの研究
標題(洋) Measurement of the solar neutrino energy spectrum at Super-Kamiokande
報告番号 114020
報告番号 甲14020
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3509号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 蓑輪,眞
 東京大学 教授 小林,富雄
 東京大学 教授 柳田,勉
 東京大学 教授 酒井,英行
 東京大学 助教授 相原,博昭
内容要旨

 地球上の殆んど全ての生物のエネルギー源である莫大な太陽エネルギーは太陽の中心付近で起きている核融合の結果生じる。そのときに、大量の電子ニュートリノ(太陽ニュートリノ)も生じており、そのフラックスは地球上で、約600億個/cm2/秒と計算されている。

 太陽ニュートリノは、塩素原子核を標的として使ったアメリカグループによって1970年台に初めて観測された。ところが驚いたことに、観測された太陽ニュートリノのフラックスは太陽標準模型(Standard Solar Model,以下SSM)が予言している量の半分以下しかなかった。後に、塩素とは全く違う標的を用いた日本、イタリア、ロシアでおこなわれた3つの実験によっても太陽ニュートリノは観測されたが、やはり観測されたフラックスはSSMの予想値よりも有意に小さかった。これは『太陽ニュートリノ問題』と呼ばれており、今なお解決されていない問題である。SSMと実験値の比較をもとにした最近の詳しい研究によると、この問題の最も有力な解はニュートリノが質量を持つことによって生じるニュートリノ振動であると考えられている。ニュートリノ振動が起きると電子ニュートリノの一部が電子ニュートリノよりも検出しにくいミューオン(あるいはタウ)ニュートリノに変わってしまうからである。

 もし、ニュートリノ振動が起きると、大変特徴的な現象が生じると予想されている。そのうちの一つに、太陽ニュートリノのエネルギースペクトルが理論的に予想されているスペクトルの形からずれる現象がある。この現象はSSMの不確定性に依らないため、もしこの歪みを観測することができたら、それはニュートリノ振動の確個たる証拠となる。この現象を検証するためには、ニュートリノに対して感度の高い検出器を用いなくてはならない。本論文では世界最高感度を持つ検出器を用いたスーパー神岡実験(Super-Kamiokande,以下SK)における太陽ニュートリノの観測結果を用いて、その歪みについて論じている。

 SKは約5万トンの純水と約12000本の直径50cmの光電子増倍管からなる水チェレンコフカウンター(直径39.3m、高さ41.4mの円柱形)を用いた実験で、1996年4月からデーターを取り始めた。検出器内に入って来た太陽ニュートリノの一部は水分子中の電子を散乱する。その反跳電子は水中でチェレンコフ光という微弱な光を放出し、その光を光電子増倍管でとらえる。ニュートリノのエネルギーは電子の質量の約20倍(〜10MeV)もあるので、電子は運動学的にニュートリノがやってきた方向に弾き飛ばされる。したがって、電子の方向と太陽の方向を見比べれば、太陽ニュートリノ事象を同定することができる。また、放出されたチェレンコフ光の量は電子の運動エネルギーに比例するので、観測された光量から電子のエネルギーを測定することができる。エネルギースペクトルの歪みを観測するにあたって重要なことは、検出器の感度を上げるだけではなく、反跳電子の絶対エネルギーを精度良く(1%以内の不確定性で)求めなければならない。SKでは電子線形加速器(LINAC)を用いて、5〜16MeVのエネルギーの範囲に加速された単色電子を検出器内に直接入射することによって絶対エネルギーの較正を行った。その結果、10MeVの電子に対して、0.8%の精度で絶対エネルギーを求めることに成功した。また、事象の方向や発生位置もLINACを用いて較正された。

 本論文での太陽ニュートリノの解析では、水の純度が安定した1996年6月から1998年3月までに取られたデーターを用いた。その期間での観測実時間は503.8日であった。得られたデーターのなかで、電子のエネルギーが6.5MeV以上20.0MeV以下の事象で、かつ検出器の最内部に設けた有効体積内(22.5kt)に発生した事象だけを選びだす。さらに、高エネルギー宇宙線ミュー粒子がひき起こす酸素原子核破砕事象、つまり酸素原子核が破砕されることにより放射性元素が生じ、それがベーター崩壊をすることによって生じる事象、を除去する。この事象によって生じる電子のエネルギーは太陽ニュートリノ事象のエネルギーと類似しており、その事象はやっかいなバックグランドとなる。宇宙線ミューオンの軌跡とその通過時間との相関をとることによってそれらの事象は除去される。最終的に残った事象の数は86637であった。

 これらの事象と太陽方向との角度(sun)を計算し、その分布をとると図1のようになる。cossun=1は太陽と逆の方向をあらわしており、このピークは太陽ニュートリノによって散乱された電子の存在を示す。ピーク以外のフラットな成分は除去しきれなかったバックグランドであり、バックグランドの上にある事象が太陽ニュートリノ事象で、その事象数はであった。ここで(stat.)は統計誤差、(syst.)は系統誤差を意味している。系統誤差に寄与している主な不定性は絶対エネルギー+エネルギー分解能、太陽ニュートリノのエネルギースペクトルの理論的不定性,そして角度分解能(+2.2%)である。一方SSMは14377事象を予想しており、データーと理論値の比はとなり、有意に観測値は予想値より小さく、SKは太陽ニュートリノ問題を追認した。

図1:図は最終的に残った事象と太陽方向との相関を示す。cossun=1は太陽と逆の方向をあらわしており、このピークは太陽ニュートリノによって散乱された電子の存在を示す。ヒストグラムはSSMが予想するフラックスの0.471倍に相当する。

 次に、最終サンプルデーターをエネルギー0.5MeV刻みのビン(ただし、14MeV以上は1ビン)にわけ、それぞれのエネルギービンごとにcossun分布をとり、太陽ニュートリノ事象数を数えると、図2(a)のようなエネルギースペクトルを得る。ここで、エラーバーの内側は統計誤差を外側は系統誤差を示す。SSMの予想スペクトルも示してある。図2(b)は実験値と理論値の比を示している。もし、ニュートリノ振動によってニュートリノのエネルギースペクトルが歪むと図2(b)の分布はフラットではなくなる。そこで観測されたスペクトルの形がどのぐらいの度合で理論計算で期待される形に一致するのかを定量的にみるために、系統誤差を含めた2検定を行った。その結果自由度が(16-1)で2=24.4を得た。これは実験で得たスペクトルと理論計算で得られたそれは5.9%の有意水準で一致していることを示している。

 この幾らか小さい有意水準は13MeV以上の3ビンのフラットからのずれの寄与が主に効いている。このずれの原因としてニュートリノ振動以外に3He+p→4He+e++eの反応で生じるニュートリノ(hepニュートリノ)の寄与が挙げられる。このhepニュートリノの平均エネルギーは高く、ちょうど13MeV以上でフラックスの寄与の割合が大きくなる。もし、わざとhepニュートリノのフラックスをSSMが予言しているそれの倍大きくすると、実験結果を再現できる。残念ながら、hepニュートリノのフラックスの不定性は理論的に正確に知られていない。その3ビンのフラットからのずれの原因はhepニュートリノの大きな寄与によるものなのか、あるいはニュートリノ振動によるものなのかを決める一つの手段は6.5MeV以下のエネルギースペクトルを測定である。したがって、hepニュートリノの寄与の可能性とニュートリノ振動の有無の決着は、今後の正確なhepフラックスの理論的計算と、6.5MeV以下の太陽ニュートリノ事象も含めたさらなる実験データ一の蓄積が必要である。

図2:図(a)は反跳電子のエネルギースペクトルの観測値と理論値を示し、図(b)はその比を示す。
審査要旨

 まずはじめに、この論文はSuper-Kamiokande Collaborationにおける他の共同研究者との共同研究に基づくものであるが、この研究に必要な実験装置を論文提出者が主体となって設計・製作し、実験精度向上に不可欠ないくつかの予備的測定および実際の解析・論考を論文提出者がほぼ単独でおこなっているので、論文提出者の寄与が十分であると判断した。

 本論文は9章からなり、第1章は導入説明、第2章は太陽ニュートリノ問題および標準太陽モデルの概説、第3章はスーパー神岡実験装置の説明にあてられている。第4章では観測された事象の再構成の方法、第5章では実験装置のエネルギー較正、第6章では観測データの解析とモンテカルロ法によるシミュレーションについて詳しく記されている。そして、第7章ではその結果が、また第8章でそれに関する論考がなされ第9章で結論が述べらている。

 太陽中での核融合反応にともなうニュートリノ放出のフラックスの計算予測値と比べて、地上での観測値に大きな欠損があるというのが「太陽ニュートリノ問題」と呼ばれるものである。

 太陽ニュートリノ問題は、米国のR.Davis Jr.らによるテトラクロロエチレン(ドライクリーニング液)による放射化学実験を嚆矢とするが、ついで旧カミオカンデ(神岡実験)グループも全く別の検出方法により欠損があることを示している。その後ガリウムを用いた放射化学実験が、イタリアと旧ソ連で行なわれた。いずれも太陽ニュートリノの観測値が理論値の30%〜60%であるという結果を出している。

 この太陽ニュートリノ欠損の説明として太陽のエネルギー発生モデルに何らかの変更を加えることも考えられたが、その後の太陽モデルの研究の進展により、この可能性は低くなってきている。もう一つの説明は、太陽中心で発生したニュートリノが地球に到達するまでに別種のニュートリノに変化してしまっているのではないかという、ニュートリノ振動モデルがある。ニュートリノ振動が起きるためには、二種のニュートリノに質量の差がなくてはならず、ニュートリノの質量は零であるというこれまでの考え方に大きな変更を迫るものとなる。この意味で、太陽ニュートリノ問題の究極的解決が待たれている。

 本論文は、前記の旧カミオカンデを大型化した後継実験装置であるスーパーカミオカンデによる503.8日間の太陽ニュートリノ観測実験にもとづいて、太陽ニュートリノが水中の電子と弾性散乱をおこして跳ね飛ばされる反跳電子のエネルギースペクトル測定について記述している。もし、太陽ニュートリノ欠損がニュートリノ振動によるものであれば、ニュートリノ振動がない場合と比べてスペクトルにゆがみが出ることが予測される。

 観測の結果、太陽ニュートリノの検出事象数はこれまでと同様に太陽ニュートリノの欠損を明確に示す結果となった。また、反跳電子のエネルギースペクトルにはわずかなずれが認められたが、統計的解析によると、もしニュートリノ振動がおきていない場合この程度以上のずれが起きる確率は5.9%であるとの結論を得ている。

 このわずかなずれをニュートリノ振動によるものであるとして、振動を記述するパラメータである、二種のニュートリノの質量の自乗差と混合角を求めて、これまでに許されているパラメータ領域にさらに制限を与えている。

 また、上記のように太陽のエネルギー発生モデルに何らかの変更を加える可能性は低いとされているが、太陽中で作られるニュートリノのうち、3He+p→4He+e++eの反応で生じるニュートリノ(hepニュートリノ)についてはそのフラックスの理論的不定性はあまり正確には知られていない。hepニュートリノは太陽ニュートリノ中でもつとも高いエネルギー領域に分布しているので、観測されたネルギースペクトルのずれをこのhepニュートリノのフラックスを変更することでも説明できる可能性がある。そのような仮定に基づいて解析した結果、現在予測されているhepニュートリノのフラックス理論値を約20倍にする必要があるとの結論を得ている。

 以上に述べたように、この論文は太陽ニュートリノのエネルギースペクトルをはじめて測定し、ニュートリノ振動とhepニュートリノのフラックスの変更というふたつのモデルで説明を試みたものである。また、この研究には反跳電子の正確なエネルギーを知ることが不可欠であるが、論文提出者はそのために必要な電子線形加速器を神岡地下実験室内に設置しエネルギー較正を行なっている。

 以上により、博士(理学)の学位を授与できると認める。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54677