学位論文要旨



No 114024
著者(漢字) 植田,康弘
著者(英字)
著者(カナ) ウエダ,ヤスヒロ
標題(和) ペロブスカイト型金属バナジウム酸化物における電子状態の核磁気共鳴法による研究
標題(洋) NMR Studies of Electronic States in Metallic Vanadium Oxides with the Perovskite-type Structure
報告番号 114024
報告番号 甲14024
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3513号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 瀧川,仁
 東京大学 助教授 藤森,淳
 東京大学 教授 家,泰弘
 東京大学 教授 毛利,信男
 東京大学 教授 十倉,好紀
内容要旨

 バンド理論は、固体物理における基礎理論として確固とした基盤をなしている。その一方で、遷移金属化合物で観測される興味深い現象の多くは、この理論の枠内で説明が付かない。金属絶縁体転移現象や高温超伝導現象はその良い例である。これらの共通点は、絶縁体相近傍の金属状態では、伝導性と共に磁性が状態を記述するのに不可欠なことである。つまり、根本的に電子間相互作用が重要なパラメーターとなっている。電子相関効果は、理論的にはしばしば、ハバードモデルに基づいて議論され、クーロン相互作用Uと1電子バンド幅Wによって指定される。UとWの値が等しくなる領域、つまり、電子の遍歴性と局在性の拮抗する領域で、電子相関効果は物性に重要な役割を演じると考えられている。この領域において、Brinkmann等による計算では、電子の有効質量の著しい増大が予測されている。また、反強磁性的スピン揺らぎが重要になるというMoriya等による議論もある。

 本研究で扱ったCaVO3は、高温超伝導体と関わりの深いペロブスカイト型結晶構造を取ることに加え、遷移元素バナジウムが不完全最外殻電子を担う物質であり、電子間相互作用の効果が注目される。従来、その良伝導性と温度無依存な帯磁率によって、SrVO3と共に、単純なバンド金属とされていた。しかし、近年、酸素量を僅かに定比からずらせたCaVO3-xにおいて金属絶縁体転移現象が観測され、続いてCa1-xLaxVO3においても同様な現象が観測された。藤森等は様々な遷移金属酸化物の電子相関効果を光電子分光により調べ、バンドフィリングとU/Wとをパラメーターとして整理した。その結果、CaVO3とSrVO3は、同様にd1の電子配置を取る金属酸化物ReO3やVO2に比べ、強い電子相関効果が期待されること、特に、CaVO3はU/W〜1.7の値を示し、金属絶縁体転移近傍の物質と認識されるようになった。しかしながら、その後、電子比熱測定と電子間相互作用を無視したバンド計算により見積もられたCaVO3とSrVO3における電子の有効質量の増大は2倍程度であった。この結果は、金属非金属転移を起こすSr1-xTixO3やCa1-xTixO3において観測された有効質量の著しい増大とは対照的である。また、核磁気共鳴法により縦緩和率とナイトシフトが測定され、電子相関効果に関する解析が行われた。しかし、結果は、CaVO3とSrVO3共に、電子相関効果の無視できる単純なバンド金属というものであった。

 本研究は、これら定比化合物そのものの電子状態の理解に加え、電子数を変化させたときに生ずる電子状態の変化を核磁気共鳴法により調べるものである。具体的なテーマは、(1)CaVO3とSrVO3における電子相関効果、(2)CaVO3の酸素不定比系の一つ、擬立方晶相において観測された温度無依存な帯磁率の増大の原因、(3)CaVO3の酸素不定比系の一つ、斜方晶相において観測された金属状態におけるキュリーワイス的挙動の起源解明、(4)SrVO3においてSrをLaで置換することによって起こる金属絶縁体転移現象の機構解明、である。この4点を通じて、これ等の化合物の電子状態を微視的観点から把握しようとするものである(SrVO3における酸素不定比とCaVO3におけるCaのLa置換は、単相が得られなかった)。

 実験、及び、解析の結果は以下のようなものである。(1)CaVO3とSrVO3において、帯磁率測定を700Kまで行ったところ、帯磁率の有意な増大が観測された。ナイトシフトの結果と合わせ超微細相互作用としてそれぞれ、-49kOe/Bと-19kOe/Bを得た。これらの値は、d電子の原子的な超微細相互作用として仮定されてきた-120kOe/Bに比べ非常に小さな値である。従来、超微細相互作用は核近傍の波動関数の振る舞いに強く依存し、化合物に依らない量とされてきた。CaVO3とSrVO3に関して、以前行われた核磁気共鳴の測定結果の解析もこのような考えに基づいている。今回得られた小さな超微細相互作用をバナジウムと酸素との強い結合によるものと仮定してナイトシフトと縦緩和率の解析を行った。低温領域において縦緩和率1/T1は金属に特徴的なコリンハ則(T1T=一定)に従う温度依存性を示す。低温領域ではスピンの揺らぎの繰り込みの効果は無視できるため、この一定値をRPAに基づいて評価した。その結果、従来考慮されることのなかった反強磁性的なスピン揺らぎの存在が示された。(2)擬立方晶相において、酸素欠損は"rigid-band"における単純な電子ドープという見方が当て嵌まらず、電子状態は酸素欠損による局所的な格子の乱れに強く依存することが明らかとなった。これは、例えば、P-doped Si系に代表される半導体物質に見られるような格子の乱れに影響されにくい性格とは対照的な結果である。酸素欠損1つ当たりバナジウム核6つに対応するNMRスペクトル強度の減少が観測された。一方、観測されたスペクトルのナイトシフトと縦緩和率の挙動は定比な組成のCaVO3と同じものである。この結果と微量な酸素欠損による温度無依存な帯磁率の増大とを考え合わせることにより、酸素欠損近傍のバナジウムサイトの局所帯磁率として、CaVO2.95に対して3.4×10-4emu/mol、CaVO2.93に対して5.2×10-4emu/molを得た。(3)斜方晶相において、磁気的に異なる数種のサイトがNMRスペクトル上で観測された。しかし、ナイトシフトと縦緩和率の温度依存性を調べた結果、擬立方晶相におけるのと同様に、ほとんどのサイトがCaVO3とほぼ同じ電子状態を保つことが明らかとなった。NMRスペクトル上の特徴は、少数の磁気的サイトからのsupertransferred hyperfine fieldを仮定することで説明出来た。縦緩和率1/T1に関して、すべてのサイトが1/T1+Tで表される温度依存性を示す。その中でただ一つのサイトのみ著しく大きな項を持ち、この系における磁性を担っていることが明らかとなった。帯磁率測定の結果、及び、このサイトのスペクトル強度の割合からはS=1/2の局在モーメントを持っていると推測される。このサイトの項をスピン揺らぎの局所性によるものと考え、局在スピンモデルで評価した。計算値と実験値との間に良い一致が得られた。このことは、このサイトにおける電子相関効果が非常に強く、金属状態であってもモーメントの大きさを一定に保ったままでの低周波励起とモーメントの大きさが変わるような高周波励起が周波数領域でかなりはっきり分離されていて、スピン揺らぎの性格は局在モーメント間に働く交換相互作用によって特徴付けられていることを示している。この結果は、マグネリ化合物における電子相関効果とは対照的である。マグネリ化合物も形式的にはV3+、V4+からなり、金属的なキュリーワイス挙動を示す。ただし、帯磁率から見積もられたキュリー定数は大きな値を取り、V3+とV4+がそれぞれS=1とS=1/2の局在スピンを持っているように見える(NMR測定から決定された局所帯磁率の温度依存性をみる限り、各サイトでの電荷配置はそれほど良く分離されていない)。縦緩和率は1/T1+Tで表される温度依存性を示すが、局在スピンモデルで評価した値に比べ実験値は一桁以上もの食い違いを示す。つまり、局所的スピン揺らぎの動的な挙動には、高周波成分が重要な役割を果たしている。CaVO3酸素欠損系における磁気的サイトの性格は、マグネリ化合物における磁気的サイトよりも、むしろV4+とV5+のmix valenceであるアンダーソン化合物の磁気的サイトの性格に近いと考えられる。例えば、V6O13における金属領域では、V4+とV5+の電荷配置は良い分離を示し、V4+サイトの縦緩和率は1/T1+Tで表される温度依存性を示す。そして、局在スピンモデルで評価した値と実験値との一致は非常に良い。(4)Sr1-xLaxVO3においては、金属非金属転移近傍の組成で、帯磁率に異常な挙動が観測された。しかし、それらの組成におけるNMRの結果は、スペクトルが高磁場側へ裾を引くことや、核磁化の緩和曲線が単一の曲線では表せないなど、試料の不均一性を示していた。この領域における試料はX線回折によると単相である。このことは、X線で検出できないほどの微視的なレベルで試料が一様でないことを示している。従って、金属非金属転移近傍での帯磁率の増大および異常な挙動は、試料の均一な性格によるものではないと考えられる。

審査要旨

 植田康弘氏提出の本論文には、3次元ペルブスカイト型バナジウム酸化物SrVO3、CaVO3-x,および混晶系Sr1-xLaxVO3について、51V原子核の核磁気共鳴法を用いた磁気的性質の測定により、電子相関効果を研究した成果が述べられている。金属絶縁体転移を示すV2O3を始めとして多くの酸化バナジウムが、典型的な強相関金属として古くから研究が行われてきたのに比べて、ペロブスカイト化合物SrVO3およびCaVO3は、温度に依存しない磁化率や高い電気伝導度を示すために、比較的電子相関の弱い金属と考えられてきた。しかし最近、La1-xCaxVO3のような混晶系が示す金属絶縁体転移(モット転移)との関連において、これらの物質における電子相関効果が注目されてきている。

 強相関電子系はしばしば磁気的不安定性を示すことから、その研究には比熱、磁化率といった熱力学的性質のみならず、磁気相関、特に動的な磁気的揺らぎの特性を知ることが重要である。これに対して、核磁気共鳴法(NMR)によるナイトシフトおよびスピン格子緩和率(1/T1)の測定が重要な知見を与える。NMRの一つの利点は原子スケールで局所的な情報が得られることであり、例えば混晶を作ることによって乱雑性が生じ、局所的な物理量に分布が生じたとき、NMR測定からは単なる平均値ではなく分布そのものが得られる。この情報は電子状態の不均一性を知る上で重要である。

 本研究の主な成果は次のようにまとめられる。まず均一な物質であるSrVO3およびCaVO3に対し、低温で1/T1の電子間相互作用による増強因子が、ナイトシフトのそれに比べて著しく大きいことが見出され、従来着目されていなかった反強磁性的な磁気相関が強いことが示唆された。また高温での1/T1の非常に奇妙な温度変化が見出された。次いで,CaVO3に酸素欠損を導入した物質に対し、NMRスペクトルの線形、強度の解析から、バナジウムが磁気的性質の異なるいくつかの原子サイトに分類できることが分かり、1/T1の測定から酸素欠損濃度の高い系では、比較的少数のサイトがスピン1/2の局在モーメントを持つというモデルが適当であることが示された。更にこの不均一な電子状態と,ある特定の組成で酸素欠損の配列が示す超周期構造との関連が議論された。これらの点について以下に説明する。

 本論文は英文で5章よりなる。第1章では、本研究の対象となったペロブスカイト型バナジウム酸化物の現在まで知られている物性を、他のバナジウム化合物と比較して位置付けている。第2章では、NMR実験技術の基本と、実験で取り上げた試料について構造上、相図上の特徴を述べてある。第3章は実験結果の記述、第4章は結果の解析と考察、第5章はまとめに当てられている。

 本研究の対象となった試料は、(1)乱雑性のないSrVO3およびCaVO3、(2)酸素欠損のあるCaVO3-x(3)混晶系Sr1-xLaxVO3に大別できる。まず(1)に関しては、ナイトシフトと磁化率の測定から決定された超微細結合定数が、大多数のバナジウム化合物に比べて著しく小さいことが見出された。これは強い軌道混成の効果と考えられるが、これを考慮して従来の方法を改善した解析方法により、d電子スピンによる磁化率、ナイトシフトへの寄与が求められた。これをLDAバンド計算から得られた状態密度と比較することにより、電子間相互作用による磁化率の増大因子が決定された。更に、この解析から得られたパラメータを用いて、低温での1/T1についても、d電子スピンの揺らぎによる寄与が分離された。この結果を乱雑位相近似に基づいて解析し、1/T1の電子間相互作用による増大因子の磁化率のそれに対する比が、SrVO3に対し7.5、CaVO3に対し2.2と決定された。この値が1より大きいことは、波数に依存する一般化磁化率の増大因子がゼロ以外の波数において最大になることを意味し、従って反強磁性的な相関が強いことが示唆される。このような定量的な議論は、900Kまでの広い温度範囲にわたるナイトシフトの測定と、詳細な超微細相互作用の解析によって可能になったもので、評価に値する。更に200K以上でスピン格子緩和率と温度の比(1/T1T)が著しく増大することが見出された。これは金属においては極めて稀な現象で今後の解明が期待される。

 第2のCaVO3-xに関しては、X線回折で単一相であることが確認されている試料(0.04<x<0.08,x=0.14およびx=0.20)が対象とされた。酸素欠損濃度の低い領域(x=0.05,0.07)で磁化率はxとともに増大するが、ナイトシフトからはこれに対応する変化が観測されなかった。しかしNMR強度がxとともに減少することから、磁化率の増大は、NMRの観測にかからない酸素欠損近傍の比較的少数のサイトによって担われていることが示唆された。酸素欠損濃度の高い試料(x=0.14,0.2)では酸素欠損が規則的に並んだ超周期構造が現れることが電子線回折から知られており、磁化率は温度に強く依存したキュリー・ワイス則を示す。NMRスペクトルからは磁気的に異なる数種類のサイトが観測された。このうち1つのサイトが、キュリー・ワイス型の負のナイトシフトと温度依存性の弱い大きなスピン格子緩和率を示す。この振る舞いは,このサイトがスピン1/2の局在モーメントを持っているとして、半定量的に説明された。また他のサイトの振る舞いはこの局在モーメントからの間接的超微細相互作用の効果として理解できる。磁気的性格の異なる多種類のサイトの存在は、酸素欠損の超周期構造と関連しており、特に欠損に近いサイトが局在モーメントを担っていると考えられる。このような不均一な電子状態に関する微視的描像は、NMRの利点を巧みに利用してはじめて得られたもので、評価に値する。

 第3のSr1-xLaxVO3については、金属絶縁体転移に近い組成で磁化率に異常な温度依存性が観測されたが、NMRのスペクトルからは対応する異常が観測されなかった。NMRスペクトルの積分強度がxとともに大きく減少し、1/T1の分布やスペクトル線形の非対称性がxとともに著しくなる事から、X線構造解析では単一相である試料でも、ミクロな電子状態には大きな不均一性があることが示された。

 以上の結果を総合すると、NMRを用いてペロブスカイト型バナジウム酸化物の動的な磁気相関、微視的な電子状態とその不均一性が明らかにされ、マクロな磁性や構造の特徴と比較検討がなされた成果は、強相関電子系の磁性という分野の今後の発展に資するところが大きいと判断される。本論文の成果について議論した結果、審査委員会は全員一致で本研究が博士(理学)の学位論文として合格であると判定した。なお本研究は、東京大学物性研究所安岡弘志、上田寛両教授との共同研究の部分があるが、上に述べた成果の主要部分について論文提出者が主たる寄与をなしたものであることが認められた。

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