植田康弘氏提出の本論文には、3次元ペルブスカイト型バナジウム酸化物SrVO3、CaVO3-x,および混晶系Sr1-xLaxVO3について、51V原子核の核磁気共鳴法を用いた磁気的性質の測定により、電子相関効果を研究した成果が述べられている。金属絶縁体転移を示すV2O3を始めとして多くの酸化バナジウムが、典型的な強相関金属として古くから研究が行われてきたのに比べて、ペロブスカイト化合物SrVO3およびCaVO3は、温度に依存しない磁化率や高い電気伝導度を示すために、比較的電子相関の弱い金属と考えられてきた。しかし最近、La1-xCaxVO3のような混晶系が示す金属絶縁体転移(モット転移)との関連において、これらの物質における電子相関効果が注目されてきている。 強相関電子系はしばしば磁気的不安定性を示すことから、その研究には比熱、磁化率といった熱力学的性質のみならず、磁気相関、特に動的な磁気的揺らぎの特性を知ることが重要である。これに対して、核磁気共鳴法(NMR)によるナイトシフトおよびスピン格子緩和率(1/T1)の測定が重要な知見を与える。NMRの一つの利点は原子スケールで局所的な情報が得られることであり、例えば混晶を作ることによって乱雑性が生じ、局所的な物理量に分布が生じたとき、NMR測定からは単なる平均値ではなく分布そのものが得られる。この情報は電子状態の不均一性を知る上で重要である。 本研究の主な成果は次のようにまとめられる。まず均一な物質であるSrVO3およびCaVO3に対し、低温で1/T1の電子間相互作用による増強因子が、ナイトシフトのそれに比べて著しく大きいことが見出され、従来着目されていなかった反強磁性的な磁気相関が強いことが示唆された。また高温での1/T1の非常に奇妙な温度変化が見出された。次いで,CaVO3に酸素欠損を導入した物質に対し、NMRスペクトルの線形、強度の解析から、バナジウムが磁気的性質の異なるいくつかの原子サイトに分類できることが分かり、1/T1の測定から酸素欠損濃度の高い系では、比較的少数のサイトがスピン1/2の局在モーメントを持つというモデルが適当であることが示された。更にこの不均一な電子状態と,ある特定の組成で酸素欠損の配列が示す超周期構造との関連が議論された。これらの点について以下に説明する。 本論文は英文で5章よりなる。第1章では、本研究の対象となったペロブスカイト型バナジウム酸化物の現在まで知られている物性を、他のバナジウム化合物と比較して位置付けている。第2章では、NMR実験技術の基本と、実験で取り上げた試料について構造上、相図上の特徴を述べてある。第3章は実験結果の記述、第4章は結果の解析と考察、第5章はまとめに当てられている。 本研究の対象となった試料は、(1)乱雑性のないSrVO3およびCaVO3、(2)酸素欠損のあるCaVO3-x(3)混晶系Sr1-xLaxVO3に大別できる。まず(1)に関しては、ナイトシフトと磁化率の測定から決定された超微細結合定数が、大多数のバナジウム化合物に比べて著しく小さいことが見出された。これは強い軌道混成の効果と考えられるが、これを考慮して従来の方法を改善した解析方法により、d電子スピンによる磁化率、ナイトシフトへの寄与が求められた。これをLDAバンド計算から得られた状態密度と比較することにより、電子間相互作用による磁化率の増大因子が決定された。更に、この解析から得られたパラメータを用いて、低温での1/T1についても、d電子スピンの揺らぎによる寄与が分離された。この結果を乱雑位相近似に基づいて解析し、1/T1の電子間相互作用による増大因子の磁化率のそれに対する比が、SrVO3に対し7.5、CaVO3に対し2.2と決定された。この値が1より大きいことは、波数に依存する一般化磁化率の増大因子がゼロ以外の波数において最大になることを意味し、従って反強磁性的な相関が強いことが示唆される。このような定量的な議論は、900Kまでの広い温度範囲にわたるナイトシフトの測定と、詳細な超微細相互作用の解析によって可能になったもので、評価に値する。更に200K以上でスピン格子緩和率と温度の比(1/T1T)が著しく増大することが見出された。これは金属においては極めて稀な現象で今後の解明が期待される。 第2のCaVO3-xに関しては、X線回折で単一相であることが確認されている試料(0.04<x<0.08,x=0.14およびx=0.20)が対象とされた。酸素欠損濃度の低い領域(x=0.05,0.07)で磁化率はxとともに増大するが、ナイトシフトからはこれに対応する変化が観測されなかった。しかしNMR強度がxとともに減少することから、磁化率の増大は、NMRの観測にかからない酸素欠損近傍の比較的少数のサイトによって担われていることが示唆された。酸素欠損濃度の高い試料(x=0.14,0.2)では酸素欠損が規則的に並んだ超周期構造が現れることが電子線回折から知られており、磁化率は温度に強く依存したキュリー・ワイス則を示す。NMRスペクトルからは磁気的に異なる数種類のサイトが観測された。このうち1つのサイトが、キュリー・ワイス型の負のナイトシフトと温度依存性の弱い大きなスピン格子緩和率を示す。この振る舞いは,このサイトがスピン1/2の局在モーメントを持っているとして、半定量的に説明された。また他のサイトの振る舞いはこの局在モーメントからの間接的超微細相互作用の効果として理解できる。磁気的性格の異なる多種類のサイトの存在は、酸素欠損の超周期構造と関連しており、特に欠損に近いサイトが局在モーメントを担っていると考えられる。このような不均一な電子状態に関する微視的描像は、NMRの利点を巧みに利用してはじめて得られたもので、評価に値する。 第3のSr1-xLaxVO3については、金属絶縁体転移に近い組成で磁化率に異常な温度依存性が観測されたが、NMRのスペクトルからは対応する異常が観測されなかった。NMRスペクトルの積分強度がxとともに大きく減少し、1/T1の分布やスペクトル線形の非対称性がxとともに著しくなる事から、X線構造解析では単一相である試料でも、ミクロな電子状態には大きな不均一性があることが示された。 以上の結果を総合すると、NMRを用いてペロブスカイト型バナジウム酸化物の動的な磁気相関、微視的な電子状態とその不均一性が明らかにされ、マクロな磁性や構造の特徴と比較検討がなされた成果は、強相関電子系の磁性という分野の今後の発展に資するところが大きいと判断される。本論文の成果について議論した結果、審査委員会は全員一致で本研究が博士(理学)の学位論文として合格であると判定した。なお本研究は、東京大学物性研究所安岡弘志、上田寛両教授との共同研究の部分があるが、上に述べた成果の主要部分について論文提出者が主たる寄与をなしたものであることが認められた。 |