学位論文要旨



No 114028
著者(漢字) 奥村,公宏
著者(英字)
著者(カナ) オクムラ,キミヒロ
標題(和) スーパーカミオカンデにおける大気ニュートリノの観測及びニュートリノ振動解析
標題(洋) Observation of Atmospheric Neutrinos in Super-Kamiokande and a Neutrino Oscillation Analysis
報告番号 114028
報告番号 甲14028
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3517号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 木舟,正
 東京大学 助教授 川崎,雅裕
 東京大学 助教授 相原,博昭
 東京大学 教授 小林,富雄
 東京大学 教授 折戸,周治
内容要旨

 大気ニュートリノとは地球に降り注ぐ一次宇宙線が大気と衝突し、その生成粒子としてできるニュートリノである。その組成比は生成過程から決定されており、ミューオンニュートリノ()と電子ニュートリノ(e)で約2:1である。この十年間でカミオカンデ、IMBなど、いくつかの実験グループにおいて大気ニュートリノの観測がなされてきたが、その幾つかは事象とe事象の比(/e比)が予想よりも有意に少ないことが報告され、大気ニュートリノ問題として議論されてきた。

 この問題を解決する理論としてニュートリノ振動現象が挙げられる。ニュートリノ振動とは質量の固有状態とフレーバーの固有状態とのずれによって生ずるフレーバー振動現象であり、ニュートリノに質量が存在する時に起こると考えられている。ニュートリノ質量の直接検出は今まで成功されていなく上限値しか与えられていなかったが、もし大気ニュートリノにおいてニュートリノ振動が生じているのであれば、ニュートリノに質量が存在する証拠となり得る。

 本論文では、スーパーカミオカンデ検出器を用いて大気ニュートリノ観測を行った。スーパーカミオカンデ検出器は高さ、直径が約40mの円筒型で、内部に純水を5万トン(有効容量22.5万トン)を含んだ水チェレンコフ検出器である。ニュートリノの相互作用によって生ずる電子やミュー粒子などの荷電粒子のチェレンコフ光を約11000本の光電子増倍管を用いて検出し、粒子の種類、方向、運動量などを測定する。観測される大気ニュートリノ事象は、粒子の軌跡がすべて検出器内に含まれるFully-contained(FC)事象と、ミュー粒子などが検出器外につき抜けたPartially-contained(PC)事象の2種類に分けられる。FC事象の粒子識別はニュートリノ相互作用によって生ずる電子とミューオン粒子のチェレンコフ光のイメージの違いを用いて行われ、その性能モンテカルロシミュレーションから99%以上と評価された。またPC事象のうち97%はによる事象である。バーテックスの決定精度はFC(PC)事象で約30(134)cm、運動量決定精度は1GeV/c電子事象で約3%である。

 本論文では、1996年5月から1998年5月まで、有効観測日数535日のデータについて解析を行い、FC事象で4474事象、PC事象で301事象の大気ニュートリノ事象を得た。事象とe事象との比(/e比)を理論と比較するため、観測値とモンテカルロによる予想値との比をR(=(/e)DATA/(/e)MC)と定義すると、可視エネルギー1.33GeV以下(sub-GeV)および1.33GeV以上(multi-GeV)においてRの測定を行った結果、

 

 となり、sub-GeVおよびmulti-GeVエネルギー領域において予想より/e比が有意に小さいことが確認された。Rの系統誤差はニュートリノフラックス、散乱断面積及び測定誤差などを考慮してsub-GeV(multi-GeV)で7%(11%)と評価した。また粒子の運動量が200MeV/cから10GeV/cの領域ではRの明らかなエネルギー依存性は観測されなかった。

 次にニュートリノ事象の天頂角分布について考察を行った。ニュートリノ振動はニュートリノの飛行距離およびエネルギーによって振動確率が決定される。大気ニュートリノの場合、飛行距離は15kmから13000kmにかけて分布しており、それらは飛来方向の天頂角に依存する。ゆえに大気ニュートリノ事象の天頂角分布はニュートリノ振動を測定する上で非常に有効な情報となる。図1は大気ニュートリノ事象の天頂角分布である。事象、特にmulti-GeV領域において上向き(cos<-0.2:天頂角)事象数が少ないことが分かる。実際、観測されたcos<-0.2の上向き事象数(U)とcos>0.2の下向き事象数(D)とを比較すると、

 

 とsub-GeVで3、multi-GeVでは6も1から離れており、明らかな上下非対称性が見られる。それに対してe事象の上下非対称性は予想と一致している。

図1:sub-GeVおよびmulti-GeV領域における大気ニュートリノ事象の天頂角分布。e-like(-like)はe()事象を示す。横軸は天頂角の余弦で、cos=-1が垂直上向きを示す。誤差棒のついた点はデータ、四角のヒストグラムはモンテカルロシミュレーション(四角の高さは統計誤差)を示す。3世代(2世代)ニュートリノ振動を仮定した時の分布を破線(点線)で示している。

 今回得られた大気ニュートリノの分布は明らかな事象の欠損を示すことから、主にミューオンニュートリノとタウオンニュートリノ間の振動(振動)が生じていることが考えられる。しかしながら現在ニュートリノはeの3世代存在することが知られており、ニュートリノ振動もこの3世代間での振動が自然であることが考えらえる。本論文では間の2世代間の振動及び3世代間の振動について振動解析を行い、それぞれの振動における振動パラメータの許容領域を求めた。

 ニュートリノ振動解析は、観測された大気ニュートリノ事象の分布とある振動パラメータを仮定した時に期待される分布を比較した2値を用いて行った。図2及び図3は、それぞれ2世代振動及び3世代間振動の許容領域を示す。まず2世代間のニュートリノ振動はニュートリノ質量の2乗差(m2)と1つの混合角()を用いて表され、8×10-4<m2<6×10-3eV2及びsin22>0.79の領域が90%の信頼度で許容された。2最小値は(m2,sin2)=(2.1×10-3eV2,0.97)において69.7/67自由度(d.o.f.)であった。

図2: 2世代振動におけるニュートリノ振動パラメータ(m2,sin22)の90%(実線)及び99%(破線)信頼度の許容領域。2最小値は(m2,sin2)=(2.1×10-3eV2,0.97)において69.7/66d.o.f.。図3:3世代振動におけるニュートリノ振動パラメータ(m2,sin223,Sin231)の90%(実線)及び99%(破線)信頼度の許容領域。左図が(m2,sin223)、右図が(m2,sin213)平面上に投影された領域を示す。2最小値は(m2,sin223,sin213)=(2.2×10-3eV2,0.68,0.20)にて65.7/66d.o.f.。

 3世代振動では混合角パラメータが1つ増え、(m2,23,31)の3つのパラメータで記述される。図3から9×10-4<m2<2.5×10-2eV2、0.33<sin223<0.87及びsin213<0.75の領域が90%信頼度における振動パラメータの許容領域として求められた。2最小値は(m2,sin223,sin213)=(2.2×10-3eV2,0.68,0.20)において65.7/66d.o.f.であった。

 2世代振動は3世代振動において混合角31=0の場合に等価となる。この31は比較的大きい値(sin213<0.75)が許されるが、31=0の場合でも90%信頼度内では矛盾しない。しかしながら2世代振動はe事象の上下非対称性が観測されていないことから、99.99%信頼度で排除された。図1に2世代振動及び3世代振動を仮定した時に期待される天頂角分布を示す。これらの仮定は上向き事象の欠損をよく説明しており、これはミューオンニュートリノが振動している明らかな証拠であることが分かる。

審査要旨

 宇宙線が大気中で生成する大気ニュートリノはミューオンニュートリノと電子ニュートリノとから成りその強度比が大体2であると、その生成過程に関与する素粒子相互作用の性質から推測される。しかしながら、これまでの観測値はこの理論値から異なることが示唆されており「大気ニュートリノ問題」として議論されてきた。この異常な観測結果は、異なる種類のニュートリノが伝播につれて相互に転換する「ニュートリノ振動」によって説明でき、ニュートリノが質量を持つことが帰結されるなど、素粒子物理学にとって極めて大きな意義をもった問題となっている。

 本論文は9章からなり、第1章の導入部において大気ニュートリノのこれまでの観測結果がまとめられている。大気ニュートリノ問題に明快な結論を与えることが本論文の主題であり、2章においてカミオカンデ装置が説明されている。1万本を越える多数の光電子像倍管により32キロトンの水タンク中の素粒子の発光現象を観測する装置の、性能の較正方法についての説明が第3章に、1997年のスーパーカミオカンデ運転開始以来535日にわたって蓄積された観測データから信号を抽出するデータ選別法については第4章に記述されている。第5章において、信号の予想される振る舞いがモンテカルロシミュレーションによって計算され、第6、7章でえられた観測データと比較されている。第6章において、信号の時間情報や粒子識別に使用される観測データの特徴を再構成した事象について吟味した。その結果、大気ニュートリノ事象として最終的に選別された事象が第7章にまとめられ、ニュートリノ振動として解釈したときの解析が第8章に、結論が第9章に与えられている。

 これまでの観測によれば、ミューオンニュートリノによる事象の数と電子ニュートリノによる事象の比(/e比)が予想より有意に少ない。ニュートリノ振動は各ニュートリノが宇宙線によって大気中で生成された後飛行中に他の種類のニュートリノに変換される現象であり、その変換の確率はニュートリノの質量、エネルギー及び飛行距離に依存する。地下1kmに設置されたスーパーカミオカンデ検出器で観測するとき、大気ニュートリノの飛行距離は15km(上方天頂方向)から13000km(鉛直下方)に分布している。このニュートリノ振動によって、/e比の天頂角分布が一様でない観測事実を、自然に説明することができる。しかし、ニュートリノによりひきおこされる比較的稀な事象は膨大な観測データに埋没しているから、信号としてニュートリノ事象を誤りなく選別するための解析を注意深く行なう必要がある。ニュートリノ振動の振る舞いはニュートリノのエネルギーに依存し、また、信号の解析方法もエネルギー領域によって異なる。このような理由に基づき、論文提出者はまず、データを1.33GeV以下のエネルギー領域(sub-GeV)とそれ以上の領域(multi-GeV)に分け、前者はさらに事象が水タンク検出器の内部に限られている場合(FC:Fully Confined)とそうでない場合(PC:Partially Confined)に分けて解析され、さらに、事象がミューオンニュートリノあるいは電子ニュートリノのどちらによるものらしいか光電子増倍管の出力信号をモンテカルロ計算と比較し詳細に吟味する作業を行なった。データ選別の各段階を通過した後の事象、および解析の全過程を行なった後に信号として残る事象について、解析結果としてえられる諸パラメタ、事象に附随する光量や空間的位置などのの観測値を、モンテカルロ計算から予想されるニュートリノ事象の値と比較した。最終的に、ニュートリノ振動を推定する解析に使用された事象がニュートリノ事象について期待される性質と一致し、雑音の振る舞いとは明らかに異なっていることが示された。

 このような吟味をへた後で論文提出者は、1996年5月から1998年5月まで有効観測日数535日のデータから総計4775例のニュートリノ事象が観測されたことを結論づけた。これらの事象を用いて、/e比の観測値とモンテカルロ計算の予想値との比Rとして、sub-GeV及びmulti-GeVエネルギー領域においてそれぞれR=0.63±0.03(統計誤差)±0.05(系統誤差)、及び0.65±0.05(統計誤差)±0.08(系統誤差)を得た。論文提出者は特に事象のエネルギーや空間位置の決定など解析の全過程から生ずる系統誤差の大きさを評価し、Rが値1から有意にずれていることを帰結した。

 ミューオンニュートリノの欠損を明らかに示すこの結果から、ミューオンニュートリノとタウニュートリノ間の振動が生じていることが示唆される。しかしながら、ニュートリノの種類には電子ニュートリノを加えて3世代存在する。論文提出者はミューオンニュートリノと電子ニュートリノ間に加えて3世代間の振動について振動解析を行なった。2世代間の振動モデルではニュートリノ質量の2乗差m2が8×10-4と6×10-3eV2の間にあること、混合角としてsin22>0.79の領域が許容される制限を得た(信頼度90%)。3世代間の振動を仮定したとき、混合角のパラメタがひとつ増えるが、ニュートリノ質量の2乗差は2世代間のときと同様な制限9×10-4<m2<2.5×10-2eV2が得られた。ミューオンニュートリノと電子ニュートリノの2世代間振動は99.99%の信頼度で排除される。このパラメタによって記述されるニュートリノ振動は、スーパーカミオカンデによって観測された鉛直下方向からのミューオンニュートリノの欠損を良く説明し、ミューオンニュートリノが振動している明らかな証拠を与えている。

 以上、本論文によって明らかにされた結果は素粒子物理学や宇宙物理学等、物理学の広汎な分野の根幹にかかわり、分野の発展に貢献する重要な成果である。得られた知見は博士の学位の取得に十分な成果であり、この分野の研究の進展に大いに貢献するものであると審査委員全員により認められた。なお、本論文では「スーパーカミオカンデ」グループが全体の共同実験として得た観測データを用いているが、論文提出者が主体となって、最終結論を得るための解析過程、モンテカルロ計算による期待される信号の振る舞いとの比較、装置の較正と系統誤差の評価など最終誤差のまとめと検証を行なったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54059