学位論文要旨



No 114032
著者(漢字) 加藤,清
著者(英字)
著者(カナ) カトウ,キヨシ
標題(和) 量子モンテカルロ法による低次元ランダム反強磁性量子スピン系の研究
標題(洋) Quantum Monte Carlo Study of Random Antiferromagnetic Quantum Spin Systems in Low Dimensions
報告番号 114032
報告番号 甲14032
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3521号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 今田,正俊
 東京大学 教授 福山,秀敏
 東京大学 教授 上田,和夫
 東京大学 教授 後藤,恒昭
 東京大学 教授 高橋,實
内容要旨

 量子多体効果とランダムネスが共存する系では、様々な興味深い物理現象が存在する。特に、一次元および二次元反強磁性体におけるランダムネスの効果に関しては、多くの未解決問題を含み、実験と理論の双方において近年ますます注目されている。

 一次元ボンドランダム反強磁性体において多くの予言を与えているのは、実空間繰り込み群の方法である。この方法は様々な磁性鎖についてランダムシングレット相、あるいは量子グリフィス相といったランダム量子系に固有な基底状態を予言しているが、スピンの大きさがS1の磁性鎖、あるいはランダムネスの弱い領域など、多くの場合にその妥当性は明らかではない。これらの模型を数値的に調べ、繰り込み群が妥当な領域を明らかにすること、また、妥当ではない領域について、その物理描像を解明することは重要な問題である。

 一方、二次元反強磁性体におけるランダムネスの効果は、高温超伝導現象との深い関連も指摘されており、非常に興味深い問題である。量子スピン系の観点から言えば、まずは、二次元反強磁性体における静的な非磁性不純物の影響を明らかにすることが重要であろう。また、不純物濃度を増してゆくことによって引き起こされる量子相転移も興味深い現象である。数値計算によると、この量子相転移は古典スピン系とは本質的に異なる振舞いを示すことが示唆されている。これを支持する実験結果も報告されているが、いずれも臨界領域まで十分に調べられておらず、より詳しい研究が必要である。

 我々は、これらの興味深い問題を明らかにするために、量子モンテカルロ(QMC)法を用いて、ボンドランダム反強磁性ハイゼンベルグ鎖(S=1/2交替ボンド、S=1)及び、二次元希釈反強磁性ハイゼンベルグ模型(S=1/2及び1)について詳しい解析を行なった。また、QMC法をS=1模型に適用するにあたって、アルゴリズムの開発を行なった。

反強磁性ハイゼンベルグ鎖におけるボンドランダムネスの効果:

 まず、実空間繰り込み群(RSRG)による結果を簡潔にまとめておく。

 S=1/2反強磁性ハイゼンベルグ鎖の基底状態は臨界的である。RSRGによれば、相互作用に僅かでもランダムネスを導入すると、全く異なった基底状態(ランダムシングレット相(RS相))が現われる。RS相はやはり臨界的であるが、これは繰り込まれた相互作用の分布P(J)が非常に広く、J〜0付近に重みを持つためである。一様帯磁率は低温で〜1/Tlog2(T)のように振舞う。

 RSRGはさらに、弱い交替性を導入した反強磁性鎖に対し、別の基底状態(ランダムダイマー相(RD相))を予言する。交替性は繰り込みによって増幅されるため、RS描像が系全体に広がることはなく、基底状態は独立なRSセグメントによって表される。希に存在する大きなセグメントが寄与するため、相互作用分布P(J)は、やはりJ〜0付近に重みを持ち、基底状態はギャップレスである。一様帯磁率は低温でのように振舞う。は交替性の強さに依存する非普遍量である。

 S=1反強磁性ハイゼンベルグ鎖の基底状態はハルデイン相である。RSRGの手続きはこの場合、複雑になるばかりでなく、やや曖昧なものとなる。その解析によって得られる描像は、ランダムネスが十分強い領域ではRS相が基底状態となり、弱くなると二次相転移を経てRD相に似た非普遍的な相(量子グリフィス相(QG相))が現われる、というものである。

 我々は、S=1/2ボンド交替反強磁性ハイゼンベルグ鎖および、S=1反強磁性ハイゼンベルグ鎖におけるボンドランダムネスの効果をQMC法を用いて調べ、繰り込み群予想との比較を行なった。

 S=1/2ボンド交替反強磁性ハイゼンベルグ鎖における各物理量の振舞いは、交替性の弱い領域でRD相の振舞いと一致したが、強い交替性を導入すると、基底状態に有限のギャップが生じる。交替性は偶数サイトと奇数サイトの相互作用の平均値の差uによって特徴づけるられる。境界付近u〜u1におけるギャップの振舞いを評価したところ、1〜0.62という結果が得られた。上述の繰り込み群は有限のギャップが生じる振舞いを記述することはできない。ギャップを持つ基底状態の描像は、繰り込み群の描像を借りると、相互作用の分布が十分広がる前にセグメントに別れた結果であると解釈することができる。

 S=1反強磁性ハイゼンベルグ鎖におけるボンドランダムネスの効果は、一様帯磁率の振舞いを見るとわかりやすい(図1a参照)。ランダムネスの強さは相互作用の分布の幅Wによって表される。一様帯磁率は、分布の幅が狭い領域、すなわちランダムネスの弱い領域では指数関数的に減衰し、ある程度強くなると、指数が連続的に変化する冪的な振舞いが見られる。さらに、十分強いランダムネス領域では、〜1/Tlog2(T)の振舞いが確かめられた。これらの振舞いは、系がハルデイン相、QG相、RS相と移り変わることを示唆している。その他の物理量(相関長、ギャップ及び、一様帯磁率の冪の指数)からもこのような系の振舞いを読みとることができる(図1b参照)。我々は、QG相、RS相間の臨界現象をさらに詳しく調べるため、ストリング秩序変数のスケーリング解析を行なった。臨界指数を正確に評価することは困難であったが、転移点については一様帯磁率の解析結果とほぼ一致する結果が得られた。以上の考察から、S=1反強磁性ハイゼンベルグ鎖では、ランダムネスの強さWに応じて、ギャップは1〜0.54のように振舞い、また、分布の幅が広い領域においてQG相からRS相への相転移があることが結論された。

図1:一様帯磁率の温度依存性(a)及び相関関数、ギャップ及び、臨界指数のランダムネス依存性(b)。
二次元反強磁性ハイゼンベルグ模型における非磁性不純物の効果:

 二次元反強磁性ハイゼンベルグ模型は、基底状態において長距離ネール秩序を持つ。希釈系に対しては解析的な手法は乏しく、実験と数値解析が中心的な役割を果たしている。最近の実験によると、不純物濃度を増してゆくと、三次元転移温度に特異な振舞いが観測されており、二次元基底状態の長距離ネール秩序は比較的少ない不純物によって消失することが示唆されている。QMC計算においても同様な結果が報告されているが、系の大きさ、温度ともに不十分でありさらに詳しい研究が必要である。

図2:スタッガード磁化の濃度依存性。

 我々は二次元希釈反強磁性ハイゼンベルグ模型(S=1/2及び1)について、この量子相転移に焦点を絞り、QMC法を用いた詳しい解析を行なった。最初に量子転移濃度を評価するために長距離秩序を特徴づけるスタッガード磁化Msの解析を行なった。Msは温度の低下とともに増加するが、低温では一定の飽和値を取る。我々は二点の異なる低温においてMsが誤差の範囲で同じ値を取ることを確認し、その系の大きさLの絶対零度の値とした。さらに無限系のMsは1/Lに関する線形外挿によって評価した。これは、基底状態が長距離秩序を持つ場合の低励起がスピン波励起であることに基づく。このようにして見積もられたスタッガード磁化は、S=1/2及び1、いずれの場合も、古典転移濃度、すなわちパーコレーション濃度pclまで有限の値を取るように見える(図2参照)。特に、これまでに報告されている量子転移濃度付近(〜0.65)においては有意に正値を取り、先の数値計算と実験結果はいずれも測定領域が十分臨界領域に達していなかったことがわかる。

 我々は、Msの振舞いから、量子転移濃度が古典転移濃度と一致する(=pcl)と仮定し、その臨界現象を詳しく調べた。臨界現象が古典的か否かは、図2における転移点付近の振舞い、、を調べることにより容易に推測することができる。その冪はS=1/2,1模型でそれぞれ、1/2〜0.62、1〜0.30と見積もられ、古典スピン系(cl=5/36〜0.139)とは異なることがわかる。我々はさらに、転移点直上におけるスケーリング解析を行なった。スケーリング理論はパーコレーション理論に基づく臨界指数の他に、二つの量子的な臨界指数,Tを導入することによって定式化される。は転移点直上におけるスピン相関関数の古典系からのずれを表す臨界指数であり、Tは低温における相関長の臨界指数である。相関関数、スタッガード構造因子、スタッガード帯磁率についてスケーリング解析を行なった結果、S=1/2,1各々について、1/2〜0.4及び1〜0.15という値が得られた。この値から計算されるスタッガード磁化の臨界指数(=5/36+4/3)は上で求めた値ともほぼ一致し、(1/2〜0.64、1〜0.30)、この量子相転移が古典的ではないことをはっきりと結論づけている。

数値計算の方法:

 最後に、この研究で用いられた量子モンテカルロ法のアルゴリズムについて簡単に触れておく。近年、S=1/2XXZ模型に対し非常に有力なアルゴリズム(ループアルゴリズム)が発見され、さらに連続虚時間におけるシミュレーションが可能であること(連続時間ループアルゴリズム(CTLA))が示された。

 我々は、さらにこのCTLAを改良し、任意のスピンの大きさを持つXXZ模型(スピンの大きさは場所に依存してもよい。)に適用可能な定式化を行なった。この一般化されたアルゴリズムは、我々のS=1模型の計算において不可欠であるとともに、ランダムスピン模型、S3/2模型など、様々な量子スピン系の数値的研究に応用可能である。また、通常のCTLAにおける利点は全て引き継いでおり、特に非常に短い自己相関時間は、これまでと比べて遥かに低温かつ大きな系についてのシミュレーションを可能にしている。

審査要旨

 加藤清提出の本論文は低次元ランダム反強磁性量子スピン系を量子モンテカルロ法によって研究したもので、英文で5章からなる。

 低次元ランダム量子スピン系では、強磁性秩序、反強磁性秩序と、スピン励起にギャップを持つ一重項基底状態、さらにランダム量子系に特有のランダム一重項状態や、量子グリフィス相などがあらわれる。これらの相の物理的性質の解明や、異なる相の間の量子相転移および量子臨界現象が近年さまざまな角度から集中的な研究が行なわれてきているが、ランダム系に特有の現象については理論的に信頼できる取り扱いがむつかしく、また低次元性にともなう多体効果と量子効果の絡み合いのために、単純な理論手法が通用しない。今までに、信頼できる結果を得るために実空間繰り込み群の手法や、量子モンテカルロ法、密度行列繰り込み群法などの数値的手法を用いた研究が行なわれてきたが、簡単な理論模型に対しても、相図などの基本的な物理的性質は解明されていない場合が多い。本研究は、計算による系統的な誤差を見積りやすい数値手法である量子モンテカルロ法を用いて、いくつかの理論模型でランダム系に特有の性質を明らかにしたものである。

 量子モンテカルロ法は近年、手法の改良進歩が著しい。本研究では、量子スピン系のために最近開発されたループアルゴリズムと連続虚時間でのシミュレーション法を応用して、交換相互作用が幅Wの一様ランダムな分布を持っている1次元反強磁性ハイゼンベルグ模型と、正方格子上の希釈型反強磁性ハイゼンベルグ模型に対して、大規模な計算を行ない、物理的性質を解析したものである。第1章は一般的なイントロダクションが記述され、第2章でランダムなスピン1/2およびスピン1の1次元反強磁性ハイゼンベルグ模型の解析を行ない、第3章が正方格子上の希釈型反強磁性ハイゼンベルグ模型の解析に充てられている。第4章で量子モンテカルロ計算のアルゴリズム、特にループアルゴリズムと連続虚時間アルゴリズムの解説を行ない、第5章が結語となっている。

 ランダムなスピン1/2およびスピン1の1次元反強磁性ハイゼンベルグ模型については、量子力学的なランダム系に特有な相としてランダム一重項相と量子グリフィス相の存在が予想されている。特に実空間繰り込み群ではスピン1/2の場合にランダムネスの大きさWがゼロでないときにランダム一重項相となることを予想する。ランダム一重項相の特質として、スピンの虚時間相関、空間相関が絶対零度でいずれも距離の関数として代数的に減衰し、相関距離が温度の低下とともに代数的に発散すること、帯磁率が低温で1/Tlog2(T)に比例するなどの性質がある。本モンテカルロ計算はこれらの予想を確認している。

 本論文は次に、この系の奇数ボンドと偶数ボンドの平均的な交換相互作用の大きさをずらせて、ダイマー化させた場合を考察している。ダイマー化した系では、スピン励起にギャップが生じるダイマー相となるため、Wが十分小さいときには、このダイマー相は壊れない。Wがある程度大きくなったときに、ダイマー相からの量子相転移によって、量子グリフィス相(ランダムダイマー相)が現われることが、実空間繰り込み群の結果から予想される。本論文での量子モンテカルロ計算の結果では、Wの大きい領域での低温で、虚時間方向の相関距離が温度の低下とともに増大し続けているにもかかわらず、空間方向の相関距離が飽和することが示されている。これはランダムダイマー相が存在していることを支持している。ギャップの閉じ方や、一様帯磁率のふるまいの変化もランダムダイマー相への量子相転移の存在を裏付けている。

 スピン1の1次元反強磁性ハイゼンベルグ模型が本論文の次の考察対象である。この場合、実空間繰り込み群の結果は、上記のダイマー化したスピン1/2の系と似たふるまいを予測し、Wが増大すると量子グリフィス相が現われる。しかしWをさらに増やしたときに、ダイマー系に見られないランダム一重項相への転移をも予測している。一方実空間繰り込み群の手法は、スピン1のときには信頼性が不明であり、任意性があるという問題点がある。また少数クラスターでの厳密な対角化による考察では、物理的に興味ある、Wが2より小さい領域にはランダム一重項相はないと結論されており、繰り込み群と結論が矛盾していた。本論文では、少数クラスターの従前の考察よりはけた違いに大きな系でのシミュレーションにより、確かにWが大きく2より小さい範囲W2<W≦2(W2〜1.9)でランダム一重項相が存在するという繰り込み群の結果を支持する結果を得た。この結果は一様帯磁率のスケーリング、空間相関距離の温度依存性、局所帯磁率の分布関数、ストリング秩序のスケーリングといういくつかの異なった物理量の解析から矛盾なく得られた結論である。またW11≦W≦W2(W1〜1.37)で量子グリフィス相が存在することも多くの物理量の一致した結論として得られた。このように、本研究は大規模な量子モンテカルロ計算によって、はじめてランダム一重項相とランダムダイマー相(量子グリフィス相)およびその相境界をある程度定量的に見積もった研究である。ただし臨界指数の定量的な評価については、多くは将来に残されている課題である。

 第3章での考察の対象は、希釈した正方格子上のハイゼンベルグ模型である。希釈度を増やしていったときに、古典ハイゼンベルグ模型では、パーコレーション臨界濃度で反強磁性秩序相から無秩序相へ相転移することが知られているが、この研究ではスピンが1/2の時に量子効果がどの程度重要となるかを調べたものである。従前の研究では量子効果のために、相転移する希釈度そのものが古典系に比べて減少するという研究結果が複数あった。これに対して、本研究ではそれらの研究よりも十分大きな系と一桁以上低い温度でのシミュレーションにより、質の高い計算データが得られ、その結果臨界希釈度は変化せず、臨界指数だけが変化すると考えるべきであることを示した。

 以上の一連の結果は、最近開発された連続虚時間ループアルゴリズムを用い、さらにこのアルゴリズムを任意の大きさのスピンに使えるように拡張して、パッケージ化されたプログラムを完成させた上で行なわれた研究であり、さらにこれらのアルゴリズムをランダム系の研究に本格的に応用したものとしては初めてといってよい。数値計算の精度の向上のために費やされた努力は評価できるものであり、この努力が従前の計算結果を否定する解析へとつながっている。

 このように論文提出者は1次元および2次元のランダムな量子スピンハイゼンベルグ模型において、数値計算の精度の向上のための努力を重ねて、大規模な量子モンテカルロ計算を行ない、今までの数値計算結果の不十分さを明確に明らかにするとともに、量子グリフィス相への量子相転移、パーコレーション相転移での臨界指数への量子効果の評価など、興味深い性質のいくつかを新たに明らかにした。この分野での研究の進展に大きく寄与していると認められる。

 以上の成果について議論した結果、本論文審査委員会は全員一致で本研究が博士(理学)の学位論文として合格であると判定した。

 なお本研究は、指導教官高山一教授、助手藤堂真治博士を含む5名との共同研究の部分があるが、上に述べた成果の主要部分について論文提出者が主たる寄与をなしたものであることが認められた。

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