加藤清提出の本論文は低次元ランダム反強磁性量子スピン系を量子モンテカルロ法によって研究したもので、英文で5章からなる。 低次元ランダム量子スピン系では、強磁性秩序、反強磁性秩序と、スピン励起にギャップを持つ一重項基底状態、さらにランダム量子系に特有のランダム一重項状態や、量子グリフィス相などがあらわれる。これらの相の物理的性質の解明や、異なる相の間の量子相転移および量子臨界現象が近年さまざまな角度から集中的な研究が行なわれてきているが、ランダム系に特有の現象については理論的に信頼できる取り扱いがむつかしく、また低次元性にともなう多体効果と量子効果の絡み合いのために、単純な理論手法が通用しない。今までに、信頼できる結果を得るために実空間繰り込み群の手法や、量子モンテカルロ法、密度行列繰り込み群法などの数値的手法を用いた研究が行なわれてきたが、簡単な理論模型に対しても、相図などの基本的な物理的性質は解明されていない場合が多い。本研究は、計算による系統的な誤差を見積りやすい数値手法である量子モンテカルロ法を用いて、いくつかの理論模型でランダム系に特有の性質を明らかにしたものである。 量子モンテカルロ法は近年、手法の改良進歩が著しい。本研究では、量子スピン系のために最近開発されたループアルゴリズムと連続虚時間でのシミュレーション法を応用して、交換相互作用が幅Wの一様ランダムな分布を持っている1次元反強磁性ハイゼンベルグ模型と、正方格子上の希釈型反強磁性ハイゼンベルグ模型に対して、大規模な計算を行ない、物理的性質を解析したものである。第1章は一般的なイントロダクションが記述され、第2章でランダムなスピン1/2およびスピン1の1次元反強磁性ハイゼンベルグ模型の解析を行ない、第3章が正方格子上の希釈型反強磁性ハイゼンベルグ模型の解析に充てられている。第4章で量子モンテカルロ計算のアルゴリズム、特にループアルゴリズムと連続虚時間アルゴリズムの解説を行ない、第5章が結語となっている。 ランダムなスピン1/2およびスピン1の1次元反強磁性ハイゼンベルグ模型については、量子力学的なランダム系に特有な相としてランダム一重項相と量子グリフィス相の存在が予想されている。特に実空間繰り込み群ではスピン1/2の場合にランダムネスの大きさWがゼロでないときにランダム一重項相となることを予想する。ランダム一重項相の特質として、スピンの虚時間相関、空間相関が絶対零度でいずれも距離の関数として代数的に減衰し、相関距離が温度の低下とともに代数的に発散すること、帯磁率が低温で1/Tlog2(T)に比例するなどの性質がある。本モンテカルロ計算はこれらの予想を確認している。 本論文は次に、この系の奇数ボンドと偶数ボンドの平均的な交換相互作用の大きさをずらせて、ダイマー化させた場合を考察している。ダイマー化した系では、スピン励起にギャップが生じるダイマー相となるため、Wが十分小さいときには、このダイマー相は壊れない。Wがある程度大きくなったときに、ダイマー相からの量子相転移によって、量子グリフィス相(ランダムダイマー相)が現われることが、実空間繰り込み群の結果から予想される。本論文での量子モンテカルロ計算の結果では、Wの大きい領域での低温で、虚時間方向の相関距離が温度の低下とともに増大し続けているにもかかわらず、空間方向の相関距離が飽和することが示されている。これはランダムダイマー相が存在していることを支持している。ギャップの閉じ方や、一様帯磁率のふるまいの変化もランダムダイマー相への量子相転移の存在を裏付けている。 スピン1の1次元反強磁性ハイゼンベルグ模型が本論文の次の考察対象である。この場合、実空間繰り込み群の結果は、上記のダイマー化したスピン1/2の系と似たふるまいを予測し、Wが増大すると量子グリフィス相が現われる。しかしWをさらに増やしたときに、ダイマー系に見られないランダム一重項相への転移をも予測している。一方実空間繰り込み群の手法は、スピン1のときには信頼性が不明であり、任意性があるという問題点がある。また少数クラスターでの厳密な対角化による考察では、物理的に興味ある、Wが2より小さい領域にはランダム一重項相はないと結論されており、繰り込み群と結論が矛盾していた。本論文では、少数クラスターの従前の考察よりはけた違いに大きな系でのシミュレーションにより、確かにWが大きく2より小さい範囲W2<W≦2(W2〜1.9)でランダム一重項相が存在するという繰り込み群の結果を支持する結果を得た。この結果は一様帯磁率のスケーリング、空間相関距離の温度依存性、局所帯磁率の分布関数、ストリング秩序のスケーリングといういくつかの異なった物理量の解析から矛盾なく得られた結論である。またW11≦W≦W2(W1〜1.37)で量子グリフィス相が存在することも多くの物理量の一致した結論として得られた。このように、本研究は大規模な量子モンテカルロ計算によって、はじめてランダム一重項相とランダムダイマー相(量子グリフィス相)およびその相境界をある程度定量的に見積もった研究である。ただし臨界指数の定量的な評価については、多くは将来に残されている課題である。 第3章での考察の対象は、希釈した正方格子上のハイゼンベルグ模型である。希釈度を増やしていったときに、古典ハイゼンベルグ模型では、パーコレーション臨界濃度で反強磁性秩序相から無秩序相へ相転移することが知られているが、この研究ではスピンが1/2の時に量子効果がどの程度重要となるかを調べたものである。従前の研究では量子効果のために、相転移する希釈度そのものが古典系に比べて減少するという研究結果が複数あった。これに対して、本研究ではそれらの研究よりも十分大きな系と一桁以上低い温度でのシミュレーションにより、質の高い計算データが得られ、その結果臨界希釈度は変化せず、臨界指数だけが変化すると考えるべきであることを示した。 以上の一連の結果は、最近開発された連続虚時間ループアルゴリズムを用い、さらにこのアルゴリズムを任意の大きさのスピンに使えるように拡張して、パッケージ化されたプログラムを完成させた上で行なわれた研究であり、さらにこれらのアルゴリズムをランダム系の研究に本格的に応用したものとしては初めてといってよい。数値計算の精度の向上のために費やされた努力は評価できるものであり、この努力が従前の計算結果を否定する解析へとつながっている。 このように論文提出者は1次元および2次元のランダムな量子スピンハイゼンベルグ模型において、数値計算の精度の向上のための努力を重ねて、大規模な量子モンテカルロ計算を行ない、今までの数値計算結果の不十分さを明確に明らかにするとともに、量子グリフィス相への量子相転移、パーコレーション相転移での臨界指数への量子効果の評価など、興味深い性質のいくつかを新たに明らかにした。この分野での研究の進展に大きく寄与していると認められる。 以上の成果について議論した結果、本論文審査委員会は全員一致で本研究が博士(理学)の学位論文として合格であると判定した。 なお本研究は、指導教官高山一教授、助手藤堂真治博士を含む5名との共同研究の部分があるが、上に述べた成果の主要部分について論文提出者が主たる寄与をなしたものであることが認められた。 |