学位論文要旨



No 114040
著者(漢字) 須藤,裕之
著者(英字)
著者(カナ) ストウ,ヒロユキ
標題(和) 2次元電子伝導度測定による超流動ヘリウム3表面の研究
標題(洋)
報告番号 114040
報告番号 甲14040
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3529号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 家,泰弘
 東京大学 教授 生井澤,寛
 東京大学 教授 塚田,捷
 東京大学 教授 石本,英彦
 東京大学 助教授 和田,信雄
内容要旨

 液体ヘリウム表面上に局在した二次元電子系は,数百mK以下の温度で三角格子を組んだウィグナー結晶に転移する。格子点に局在した電子は,局所的な力を液面に及ぼし,液面に浅いへこみを形成する。このへこみは,電子の水平方向への運動に追随し,表面に液体の流れを誘起する。最近の常流動3He表面上でのウィグナー結晶の伝導度測定[1]と,超流動3He-B相表面上でのウィグナー結晶の伝導度測定[2]の結果からは,ウィグナー結晶の伝導現象はへこみを通じて液体3He準粒子と散乱することにより決定されることが分かった。これは見方を変えると,ウィグナー結晶をプローブとして,液体表面に飛来してくる準粒子の自由表面による散乱現象を調べることができる事を示している。

 近年,異方的な超伝導体が続々と発見されており,その振舞いに対する界面からの影響に注目が集まっている。しかし,これらの物質の界面には不純物や格子欠陥が存在し,理想的な界面とはいえない。一方,異方的超流動3Heの自由表面は,フェルミ波長のスケールで滑らかであり,不純物が存在しない。この結果,準粒子の界面での衝突は非常に鏡面的に起こり,準粒子の表面での振舞いや秩序変数は極めて異方的になることが期待される。これは,超流動3Heの自由表面が,理想的な実験対象であることを示している。

 本研究では,超流動3He-A相表面上ウィグナー結晶の伝導現象を測定し,A相における自由表面での準粒子の散乱の様子を調べた。超流動3HeのB相は磁場がない場合には等方的なエネルギー・ギャップを持つのに対し,A相のエネルギー・ギャップは南北両極の二点でゼロになるような極めて異方的な形をしている。この両極間を結ぶ方向(とする)には,特に準粒子が励起されやすい。このの液体内部での空間的な配置の構造は,液面での準粒子の振舞いに大きく影響を与える。

 本研究では,A相を実現するために液体に磁場を印加している。超流動3He-A相表面の実験を行なう上での最大の問題点は,の方向が界面や磁場の存在により空間的に変化することである。は表面に垂直に,また磁場に垂直に配向する性質を持つ。本研究では表面に平行に磁場を印加することにより,液体の全ての領域でを表面に垂直に配向させることを試みた。また,表面に平行な磁場は二次元電子系の運動状態を変えないため,磁場の印加による伝導度の変化は全て超流動3Heの性質の変化によるものと結論でき好都合である。

 本研究では,銅の核断熱消磁により,サンプルの冷却を行なった。温度測定は,3He融解圧温度計により較正をおこなったPt-NMR温度計を使用した。サンプル・セルは焼鈍した純銀製であり,この中には銀微粒子による熱交換器を設置した。電子系の抵抗測定には,液面に局在した二次元電子系と,電子系に平行に液面の上下に置かれた極板が,容量的に結合する事を利用した。電極は,エポキシ製プリント基盤をエッチングして作成した。上部電極(縦16mm,横15mm)は液面の上1mmに配置した。下部電極は入出力電極の二枚の電極であり,液面下1mmに上部電極と対向して平行に配置した。この二つの電極は縦8mm,横15mmであり,0.1mmのギャップを介して隣合わせに配置した。入力電極側に微小な交流電圧を加え,電子系が感じる電場に不均一を生じさせると,電子系はこの電場の不均一を遮蔽するように流れる。電流は変位電流として出力電極に流れ込むので,この電流を測定する。出力電圧と二次元電子系の抵抗の関係は,本研究で使用した電極の形状を考慮して解析した。サンプル・セルの外側に超伝導ソレノイドを置き,水平及び電流に平行に3000Gまでの磁場を液体に印加できる。これによりA-B転移を450K以下まで下げることができる。

 測定は,次の条件で行なった。電子数密度ns=2.1×1012m-2,電子を液面に押え付ける電場=360V/cm,入力電圧Vin=2mVpp,入力周波数f=100kHz,二次元電子結晶の電流方向に0G,383G,2172G,2556Gの四つの磁場について測定を行なった。

 図に磁場2172Gを電流方向に印加した時の,ウィグナー結晶の抵抗を示す。この図の横軸は超流動転移点Tcで規格化した温度の逆数であり,縦軸は超流動転移点での抵抗で規格化した抵抗である。この図から分かる通り,超流動転移点(Tc=930K)以下で抵抗が減少している。また,640K付近(Tc/T〜1.45)で,急激に抵抗が減少している。この抵抗が急激に減少する温度は,ほぼ磁場強さの二乗に反比例しており,超流動A相とB相の間の転移に対応している。また,他の実験によるAB転移温度と磁場との相図にも,ほぼ一致している。

 Monarkhaらは,へこみでの準粒子の散乱を考慮して,超流動3He-B相表面上二次元電子結晶の移動度を計算した[3]。この計算では,超流動が球対称なエネルギー・ギャップを持っている場合のみ具体的な表式を示しているが,異方的なギャップを持つA相の場合にもこの計算結果を拡張することができる。本研究では,は,液体内部でも一様に液面に対して垂直な方向に並んでいると仮定した場合と平行になっている場合について計算を行ない,実験結果と比較した。図の上側の曲線はA相でが液面に垂直な場合の二次元電子結晶の抵抗の計算結果であり,下側の曲線は,B相の電子結晶の抵抗の計算結果である。A相でが液面と平行の場合には,B相の結果とほとんど一致することが分かった。これは,が液面と平行の場合には液体表面での準粒子の散乱の様子はA相とB相では,あまり違いが現れないことを示している。実験結果と理論計算を比較すると,A相では,液体表面から液体内部にわたってが一様に液面に垂直に並んでいることが結論できる。また,B相表面上での抵抗よりA相表面上での抵抗が大きい事から,が液体内部でも一様に液面に対して垂直な方向に並んでいる場合には,B相の場合よりも多くの準粒子が液面にほぼ垂直に衝突している事が分かる。

 AB転移に次数が一次であるかどうかは重要な問題であるが,この実験結果を見る限り,確定的な結論を述べることはできない。磁場の均一性を向上させた実験を行なうなど,今後の研究が必要である。また,解析では磁場中のB相のエネルギー・ギャップに磁場の影響を考慮していないが,さらに定量的な議論を行なうためには,この効果を考慮する必要があると考えられる。

図1:水平磁場2172Gaussを電流方向に印加した時の超流動3He表面上ウィグナー結晶の抵抗横軸は超流動転移点Tcで規格化した温度の逆数であり,縦軸は超流動転移点での抵抗で規格化した抵抗参考文献[1]H.Suto,K.Shirahama,and K.Kono Czech.J.Phys.46,S-1,341(1996)[2]K.Shirahama,O.I.Kirichek,and K.Kono Phys.Rev.Lett.79,4218(1997)[3]Y.P.Monarkha,K.Kono J.PHys.Soc.Jpn.66,3901(1997)
審査要旨

 本論文は液体ヘリウム3表面上に束縛された2次元電子系をプローブとしてヘリウム3の超流動相の性質を調べた研究をまとめたもので,5つの章からなる.序章において研究の歴史的背景を概観したのち,第2章では液体ヘリウムおよびヘリウム液面2次元電子についてこれまでに明らかになっていることをまとめている.第3章は実験方法の記述である.第4章において実験結果とその考察が述べられ,第5章は全体のまとめに当てられている.

 液体ヘリウムは電子に対して約1eVの負の電子親和力を持つため,その自由表面は電子に対するポテンシャル障壁となる.一方,表面近くの電子は液体ヘリウムの誘電分極による鏡像力を受ける.実験ではしばしば液面に電子を押しつける方向の垂直電場を加える.これらのポテンシャルにより電子は液体表面に束縛され,2次元電子系を形成する.2次元電子の移動度を決める散乱過程としては,高温(T>1K)では気相ヘリウム原子による散乱,低温では表面波を量子化したリップロン励起による散乱が支配的である.ところで,ヘリウム液面2次元電子はその密度によって決まる転移温度以下では電子結晶(ウィグナー結晶)を形成する.垂直電場(押しつけ電場)によって電子の周りの液面に深さ0.1A程度の凹みが形成され,この液面の凹みと液体ヘリウムの素励起との相互作用がウィグナー結晶状態の伝導度を決める上で重要な要素となることが知られている.

 液体ヘリウム3表面上のウィグナー結晶の伝導度測定はこれまで常流動相および超流動相についての実験が行われてきたが,常圧下では常流動相から超流動B相に転移するため.これまで超流動A相に関する実験は行われていなかった.本研究では磁場をかけることによって常流動相-超流動A相-超流動B相の転移を実現しそれぞれの領域においてウィグナー結晶の伝導度測定を行うことによって新しい知見を得た.

 ヘリウム3の超流動相に達するためにはサブミリケルビンの超低温を実現する必要がある.このため実験に用いるセルは銅の核断熱消磁によって冷却される.常圧において超流動A相を実現するために磁場をかけるが,それが2次元電子の運動に直接影響を与えないよう,磁場は液面に垂直で電流に平行な方向にとる.本実験のシステムでは水平に置いた超伝導ソレノイド中にサンプルセルが入る構造になっており,3000Gまでの水平磁場をかけることが可能である.磁場方向と液面との平行度の誤差の影響が懸念されるところであるが,測定データの解析から特に問題とはならないことがわかった.温度測定はヘリウム3融解曲線によって較正されたPt-NMR温度計を用いている.

 ヘリウム液面電子の伝導度測定はSommer-Tanner法によっている.これは平行板コンデンサーの中間にヘリウム液面を置き,2次元電子とそれぞれ容量的に結合する分割電極間に交流を印加して,その応答を調べるという方法である.論文提出者は実際の電極配置に対応する等価分布定数回路の解析を行い,測定される交流信号の両位相成分から2次元電子の抵抗を求める際の誤差について検討を行っている.電子は上部電極の一部に空けた小さな孔に設けられたフィラメントから供給される.典型的な測定条件は,2次元電子密度ns=2.1×1012cm-2,押しつけ電場=360V/cm,交流入力電圧Vin=2mVp-p,周波数f=100kHzである.

 ヘリウム3の常流動相でのウィグナー結晶の伝導度はMonarkha and Konoにより計算されている.約20mK以下の温度領域では準粒子の平均自由行程が十分長くなっており,電子と凹みが一体となって運動するようなモードに対する抵抗は液体内部から飛来する準粒子と凹みとの散乱によって決まっている.超流動B相に入るとエネルギースペクトルにギャップが開くため,準粒子による散乱が急激に減少する.このような振る舞いについては本研究に先立って,論文提出者のグループの白濱らによって実験が行われ,その結果が上記のモデルによって定量的に説明されている.

 超流動B相のエネルギーギャップはフェルミ面の全体にわたって等方的であるのに対して,A相では南北両極でゼロとなるような異方的なギャップが開く.この両極間を結ぶ方向をと呼ぶ.はp波の対称性をもつクーパー対の角運動量の方向を表しているので,は表面では法線方向を向く.また磁場に対して垂直方向を向く.このように表面では境界条件によっての方向が固定されるが,液体内部では制約がないので一般に場の複雑なパターン(テクスチャー)が生じる可能性がある.の方向が空間変化する距離のスケールは10m程度である.凹みとの散乱に最も有効に効くのは表面の法線から約30度の角度で入射する準粒子である.したがって超流動A相における凹みと準粒子との散乱確率はこの角度に対してがどのように分布しているかに依存する.この場合,先に述べたように準粒子の平均自由行程が十分に長いため,液体内部から飛来する準粒子が散乱に寄与しているので,表面付近のみならず液体内部にわたるの配向分布が反映される.

 が液体内部でも表面の法線に平行に揃っているとすれば,南北極でのゼロギャップが効くため,A相での抵抗はB相でのそれに比べてかなり小さくなる.それに対してが法線と直角方向に揃っている場合には,A相での抵抗はB相とそれほど違わない.実験結果はAB相転移で抵抗の大きな跳びを示しており,またA相での抵抗の温度依存性が前者の配向分布を仮定して計算したものとよく一致していることから,水平磁場がかかっているこの系では液体内部でもが法線に平行に揃っていることが結論される.

 以上のように,本論文は液面2次元電子をプローブとして超流動ヘリウム3の素励起に関する新しい知見を得たものである.既に超流動B相については実験が行われていたが,超流動A相について行われた本研究は異方的クーパー対形成をより明確な形で捉えたものであり,超低温分野における重要な成果であると評価される.本論文の内容は博士(理学)の学位授与に十分値するものと審査員全員一致で認めた.なお,ヘリウム3液面の2次元電子に関する研究は指導教官らとの共同研究であるが,本論文の中核をなす超流動A相の実験に関してはサンプルセルの製作から実際の測定,結果の解析・解釈に至るまで論文提出者が主体的に行ったものであると認められる.

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