学位論文要旨



No 114041
著者(漢字) 関根,佳明
著者(英字)
著者(カナ) セキネ,ヨシアキ
標題(和) NaV2O5の誘電的性質
標題(洋)
報告番号 114041
報告番号 甲14041
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3530号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 藤井,保彦
 東京大学 教授 福山,秀敏
 東京大学 教授 加倉井,和久
 東京大学 教授 瀧川,仁
 東京大学 教授 上田,寛
内容要旨

 1996年、磯部、上田は帯磁率の測定結果から、NaV2O5は、無機物ではCuGeO3に次ぐ2番目のスピンパイエルス物質であると発表した。帯磁率の測定結果からスピンパイエルス転移温度Tspは34Kで、それより低温で帯磁率は降温にしたがい、指数関数的に減少する。そして転移温度より高温での温度変化は、S=1/2の反強磁性相互作用を持った、スピン一次元鎖のHeisenberg模型である、Bonner-Fisher曲線に大変良い一致を示した。結晶構造的にも、磁性原子であるV4+(S=1/2)の、理想的な磁性一次元鎖が存在していると考えられれるような、構造解析の結果が、CarpyとGalyにより1975年に発表されていた。NaV2O5は斜方晶系であり、酸素を各頂点とするVO5のピラミッドがa-b面内で二次元的な構造をとっている。そしてこの二次元構造が、Naを間にはさみながら、c軸方向に積層している。CarpyとGalyは、磁性原子であるV4+(S=1/2)と非磁性原子であるV5+(S=0)が、それぞれ別々のサイトに、同数存在しており、それらのV4+とV5+はb軸方向に一次元的に並んでいると主張していた。このため、V4+(S=1/2)による理想的なS=1/2の磁性一次元鎖がなりたっていると考えられた。そして藤井らによるX線散乱の実験から、スピンパイエルス転移温度以下で格子歪みに起因する長周期構造(2a×2b×4c)による超格子反射が観測された。また中性子散乱の実験から転移温度以下で、スピンシングレット状態の形成に伴う、スピンのエネルギーギャップが観測された。これらの研究結果により、スピンパイエルス転移に特徴的な性質が確認された。すなわち、磁性的にはスピンシングレット状態への非磁性への転移、そして構造的にはS=1/2の磁性一次元鎖の存在と、転移温度での格子歪みである。

 これらの研究が引き金となり、NaV2O5はスピンパイエルス物質であるとの認識のもと、さまざまな物性研究が爆発的に進んだ。しかし、研究が進むにつれ、スピンパイエルス物質とは異なるNaV2O5の性質が、次第に指摘され始めた。まず、転移温度より高温での結晶構造に疑問が投げかけられた。そして、大浜らの51V核のNMRの測定により、転移温度より高温では、Vには一つのサイトしかないことが分かり、VはV4+(S=1/2)とV5+(S=0)の分離された状態ではなく、平均価数が4.5価の状態であることが分かった。このことにより、スピンパイエルス転移の大きな前提である、S=1/2の磁性一次元鎖の存在は否定され、NaV2O5の転移は単純なスピンパイエルス転移ではないことが分かった。また、Koppenらはcapacitance dilatometerを用い高精度の熱膨張率の測定、また比熱の測定を行い、T1=33K、T2=34Kと狭い温度範囲に転移が二つあることを指摘した。そしてT1=33Kの転移は一次転移、T2=34Kの転移は二次転移であり、それらの転移温度の磁場依存性から、T2=Tspであると主張した。現在に至るまで、NaV2O5の転移に関しては実験的にも、理論的にもさまざまな研究がなされている。しかし、NaV2O5の転移温度以下での結晶構造が分かっていないなど、NaV2O5の転移に関しては未解決な問題がまだ多くある。

 このような状況のなか、我々はNaV2O5の誘電的性質に着目し、単結晶のNaV2O5のa、b、c軸に対する誘電率を測定し、それぞれの軸で異方的な振る舞いを見いだした。転移温度は34.3Kで、a軸には転移温度以下でknee-like型の変化をし、c軸には転移温度でピークを持つ型の変化を示した。しかし、b軸方向には実験誤差の範囲で異常は観測されなかった。これらの異常には、100Hz〜100kHzの範囲では誘電率の周波数依存性がなく、ある種の緩和現象でない。これらの誘電異常は、電子も格子も含めた、結晶の対称性の変化を反映している。また、転移温度より十分高温の領域では、誘電率は、とても大きな周波数依存性を示してる。NaV2O5は転移温度より高温ではVの価数は4.5価の状態であり、混合原子価系である。この大きな周波数依存性は、他の混合原子価系、価数揺動物質にみられる大きな周波数依存性と類似している。c軸の誘電率は転移温度で型のするどいピークが見えているが、熱膨張率や比熱でKoppenらにより観測された、二つの転移は確認できなかった。大変狭い温度領域に二つの転移があるため、この測定では見分けられなかった可能性がある。そこで我々はこの転移温度が、圧力、磁場といった外場によってどのように変化するかを調べることにした。二つの性質の違う転移があるならば、外場により、転移温度の外場による応答は異なることが予想される。そして圧力、磁場といった外場を同時に印加できれば、単一の外場をかけるより、さらに広い物性領域での外場の応答を調べることができる。このため我々は、超高圧・強磁場・低温といった環境を同時に実現できる、多重極限環境下での測定を目指した。

 本論文では、超高圧・強磁場・低温の多重極限環境下での、NaV2O5の誘電率測定、磁化測定を行うことにより、以下の二点を調べること主な目的としている。1)二つの転移点の有無を調べる。2)転移温度の磁場応答を調べることによりスピンパイエルス転移か否かを調べる。

 誘電率測定に際しては、主に、定加重式ピストンシリンダー型高圧装置と20/18Tマグネットを用いた。磁化測定に際しては、クランプ式ピストンシリンダー型高圧ボンベとSQUID磁化測定装置を用いた。

 各圧力でのNaV2O5のc軸に対するの誘電率の温度変化を述べる。各圧力における測定周波数は1kHzである。加圧により転移温度は下がり、0.6GPaで転移が二つに分かれているのが、はっきりと分かった。ここで、二つの転移温度の高温側をTC1、低温側をTC2とする。そしてさらに加圧していくと、低温側の転移が成長し、1.2GPaでは高温側の転移温度TC1は見分けられなくなった。その後も加圧により転移温度TC2は下がり、2.0GPaではTC2=12.3Kになった。このように二つの転移は圧力による振る舞いが異なっており、異なった二つの転移があることが分かった。また、加圧による試料の劣化などにより、転移点が二つに分かれた可能性を否定するため、2.0GPaまで加圧した試料を取り出し、常圧下で再度、誘電率の測定を行った。加圧後の試料では、転移点は一つしか見えず、転移温度も34Kに戻っていた。高圧下での転移点の分裂は、NaV2O5の本質的性質である。常圧下では二つの転移温度の差が小さく観測できなかったが、加圧によりその差が大きくなり、二つの転移点が確認できた。

 各圧力で、10T、17Tの磁場をかけ、誘電率の温度変化を測定し、転移温度の磁場による影響を調べた。スピンパイエルス転移ならば、磁場に転移温度の下降は(1)式のようになる。また臨界磁場Bcは(2)式のようになり、転移温度[K]と臨界磁場[T]はほぼ同じ値をとる。加圧により転移温度は下がっているため、転移温度の磁場による影響を確認しやすくなっている。

 

 それぞれの転移温度の磁場依存性を(1)式をもとに解析した。TC1、TC2ともにスピンパイエルス転移で予想される値より磁場依存性は小さいことが分かった。それぞれの転移点に対してg値を2として、(1)式での第一項の係数を求めると、TC1に対しては、=0.031、TC2に対しては、=0.038なる。理論的に予測されている値の0.11と比べ、どちらとも1/3程度であり、磁場に対する応答が、三倍ほど小さいことが分かった。また、1.5GPaではTC2=14.3K、2.0GPaではTC2=12.3Kと、加圧により転移温度は常圧下の半分以下になっている。転移温度TC2以下がスピンパイエルス相であるならば、臨界磁場はそれぞれ、1.5GPaではBc∝16[T]、2.0GPaではBc∝14[T]となり、17Tより小さい。しかし17Tの磁場をかけても1.5GPa、2.0GPaともに、転移温度TC2は消失しなかった。

 次に磁化測定の結果について述べる。単結晶のNaV2O5の試料を圧力ボンベに入れ、圧力ボンベごと、SQUID磁化測定装置で、磁化を測定した。NaV2O5の帯磁率は10-4[emu/mol]程度と大変小さく、圧力ボンベの帯磁率もこれと同程度、もしくはこれ以上である。このため、高圧下でNaV2O5そのものの帯磁率を、正確に求めることは難しい。各圧力での帯磁率の温度変化は、加圧により、非磁性への転移温度が下がっている。各圧力での非磁性への転移温度TM1は、誘電率での高温での転移温度TC1によく対応している。各圧力での帯磁率の微分をとると、ある温度で帯磁率の微分値はピークをとり最大値となる。帯磁率の二階微分はこの温度で0になるので、この微分が最大値となる温度は、帯磁率の変曲点に対応している。この温度をTM2とするとこの温度は誘電率の低温での転移温度TC2にほぼ対応していることが分かった。

 これら誘電率の結果と帯磁率の結果をまとめ、圧力-温度相図を作成した。上に述べた、誘電率転移温度と帯磁率の転移温度の対応がはっきりと分かった。

 以上、本研究によりNaV2O5に関して、次のことが明らかになった。

 1)転移温度34Kで、各軸に対して、異方的な振る舞いをする誘電異常を見いだした。

 2)転移温度より十分高温の温度領域で誘電率に大きな周波数分散を見いだした。

 3)圧力をかけることにより、転移温度が二つに分かれてくるのが、はっきりと観測され、転移点が二つあることが分かった。

 4)これら二つの転移温度の高温側で、非磁性への転移を起こす。

 5)これら二つの転移温度の磁場依存性は、スピンパイエルス転移で予想される値より、3.5倍程度小さいことが分かった。

 6)これら二つの転移温度の磁場依存性は、ほぼ同じである。

 以上の結果は、本研究により、高圧下での小さな静電容量を、精密に測定する技術が確立されたことによる。

審査要旨

 本研究は、スピン・電荷・格子の絡んだ興味ある物質であるNaV2O5について、多重極限下(低温・高圧・強磁場)での誘電率および帯磁率測定を行い、この物質が低温で示す相転移の性質を明かにしたものである。

 本論文は全体で5章から成り、まず第1章序論では本研究の背景として、NaV2O5が低温Tc=34Kで示す相転移が当初スピン・パイエルス転移であると考えられていたが、その後の実験的および理論的研究によって、電荷の秩序-無秩序転移も絡んだ多自由度系(スピン・電荷・格子)の相転移として注目されるようになった経緯と、この相転移点が一つではなく、狭い温度領域中に2つあるという熱膨張率等の実験報告を紹介し、本研究の目的として、その電荷自由度を反映する誘電率測定と高圧力下における相転移点の挙動を探索する意義を述べてある。

 第2章実験方法では、本論文提出者が、高圧力下での誘電率測定方法、特に浮遊電気容量による雑音を低減するための圧力プラグを新たに開発し、さらに強磁場下での帯磁率測定のための高圧マイクロボンベに工夫をこらして、多重極限条件下での信頼性の高いデータ取得を可能にした実験方法について述べてある。誘電率測定に際しては、主に定加重式ピストンシリンダー型高圧装置と20/18Tマグネットを用い、磁化測定に際しては、クランプ式ピストンシリンダー型高圧ボンベとSQUID磁化測定装置を用いている。

 第3章実験結果では、まづ誘電率の測定結果を示している。良質の単結晶NaV2O5を用いた、常圧でのa、b、c軸に対する誘電率の測定結果は異方的な振る舞いを示し、a軸には転移温度以下でknee型の変化をし、c軸には転移温度でピークを持つ型の変化を示したが、b軸方向には実験誤差の範囲で異常は観測されなかった。これらの異常には、100Hz〜100kHzの範囲では誘電率の周波数依存性がないので、ある種の緩和現象でなく、電子と格子も含めた、結晶の対称性の変化を反映していると判断している。また、転移温度より十分高温の領域で、誘電率が大きな周波数依存性を示す事実は、この物質のVの価数は高温では4.5価の状態にあり、混合原子価系に特有の現象としてよく説明できる。

 なお、c軸の誘電率には転移温度で型のするどいピークが観測されているが、熱膨張率や比熱でKoppenらにより観測された、二つの転移は確認できなかった。大変狭い温度領域に二つの転移があるため、この測定では見分けられなかった可能性がある。

 そこで論文提出者は、さらにこの転移温度が、圧力、磁場の外場によってどのように変化するかを調べた。常圧〜6GPaの各圧力でc軸に対する誘電率の温度変化を、測定周波数1kHzの条件で詳細に測定した。その結果、加圧により転移温度は下がり、0.6GPaで転移が二つに分かれているのが明瞭に観測された。ここで、二つの転移温度の高温側をTC1、低温側をTC2とすると、さらなる加圧にともなって、TC2の転移がより明瞭になるが、1.2GPaでは高温側の転移温度TC1と見分けられなくなる。その後も加圧によりTC2は下がり、2.0GPaではTC2=12.3Kになった。このように二つの転移は圧力による振る舞いが異なっており、異なった二つの転移点があることが明かになった。また、加圧による試料の劣化などにより、転移点が二つに分かれた可能性をチェックするため、2.0GPaまで加圧した試料を取り出し、常圧下で再度誘電率の測定を行った。その結果、加圧後の試料では転移点は一つしか観測されず、転移温度も元の34Kを示した。従って、高圧下での転移点の分裂、すなわち逐次相転移することは、NaV2O5の本質的性質であると結論している。次に各圧力で、10T、17Tの磁場を印加し、誘電率の温度変化を測定し、転移温度の磁場による影響を調べた。その結果、スピン・パイエルス転移で予想される値の約1/3の小さな影響しか観測されなかった。一方、転移温度TC2以下がスピンパイエルス相であるならば、臨界磁場はそれぞれ、1.5GPaでは16T、2.0GPaでは14Tと予想されるが、17Tの磁場をかけても1.5GPa、2.0GPaともに、転移温度TC2は消失しなかった。

 次に磁化測定の結果を示してある。単結晶試料を圧力ボンベに入れ、圧力ボンベごと、SQUID磁化測定装置で磁化を測定した。NaV2O5の帯磁率は10-4emu/mol程度と大変小さく、圧力ボンベの帯磁率もこれと同程度、もしくはこれ以上であるため、高圧下でNaV2O5そのものの帯磁率を、正確に求めることは難しい。各圧力での帯磁率の温度変化は、加圧により非磁性への転移温度が下がっている。各圧力での非磁性への転移温度TM1は、誘電率での高温での転移温度TC1によく対応している。各圧力での帯磁率の微分をとると、ある温度で帯磁率の微分値はピークをとり最大値となる。帯磁率の二階微分はこの温度で0になるので、この微分が最大値となる温度は、帯磁率の変曲点に対応している。この温度をTM2とするとこの温度は誘電率の低温での転移温度TC2にほぼ対応していることが分かった。

 第4章は考察である。まづ常圧で測定した誘電率が、Tc以下の低温で1/Tで発散するように振る舞う実験事実を、エネルギー活性化型の式で解析し、活性化エネルギーを求めているが、この現象の本質については未だ良く分かっておらず、今後の発展が期待される。転移温度の詳細な圧力依存性については、誘電率と帯磁率の結果をまとめ、圧力-温度相図を作成した結果、誘電率転移温度と帯磁率の転移温度の対応がはっきりと認められた。そして、高圧下で逐次相転移(TC1,TC2)を行うことと、TC1で非磁性状態への転移を行うことが明かにされた。

 これらの実験事実から、第5章結論において、NaV2O5の相転移はスピン・パイエルス転移ではなく、TC1,TC2での二段階の電荷秩序、そしてスピン一重項対の再組み替えの可能性を提案している。

 以上、本論文は、論文提出者が開発し測定可能となった未踏の多重極限下での誘電率、帯磁率の測定により、NaV2O5のスピン・電荷の状態に付いて新たな情報をもたらし、この分野の研究に大きなインパクトを与えたオリジナルな研究として評価出来る。

 なお、本論文の第3、4章の一部は毛利信男、竹下直、上田寛、磯部正彦各氏との共同研究であるが、論文提出者が主体となって実験及び解析を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 従って、博士(理学)の学位を授与できると認める。

UTokyo Repositoryリンク