学位論文要旨



No 114044
著者(漢字) 鶴見,剛也
著者(英字)
著者(カナ) ツルミ,タケヤ
標題(和) ボース・アインシュタイン凝縮における非線形物理
標題(洋) Nonlinear Physics in Bose-Einstein Condensation
報告番号 114044
報告番号 甲14044
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3533号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 神部,勉
 東京大学 教授 吉岡,大二郎
 東京大学 助教授 和田,信雄
 東京大学 教授 矢崎,紘一
 東京大学 教授 長澤,信方
内容要旨

 ボース・アインシュタイン(以下BEと略記)凝縮は、量子多体系において最も顕著な現象のうちのひとつであり、1925年にアインシュタインによってその存在を予言された。この現象は「ボース粒子は一つの状態にいくつでも入り得る。」というBE統計の性質のみから導かれる帰結であり、「粒子間に相互作用がないボース粒子からなる気体は、ある転移温度以下では巨視的な数の粒子が最低の量子エネルギー準位を占める。」というものである。しかし、この転移温度は非常に低いため、1938年にF.ロンドンが4Heにおける転移をBE凝縮と解釈することでBE凝縮を"再発見"するまで、この現象は数学的理論上のものと見なされていた。ただし、4He原子間の相互作用は決して小さいとは言えず、そのためこの系において純粋にBE統計的な振舞を観測するのは困難である。一方、半導体中の励起子(エキシトン)系においてもBE凝縮が起きていると最近考えられている。励起子間の相互作用はHeよりも小さいのであるが、その性質についてはあまりよく知られていないため、実験データから情報を引き出すことがやはり困難である。以上のようなことから、弱い相互作用をするボース気体の候補として、スピン偏極した水素の蒸気をBE凝縮させる努力がここ15年程なされてきたが、原子間の非弾性散乱による熱の発生等に対する良い処方が見つからず、実験は遅々として進まなかった。

 ところが、近年の原子・分子系の制御技術(レーザー光による冷却、蒸発冷却、磁気トラップ等)の著しい進歩によって状況は一変した。1995年の夏、コロラド大学のグループが87Rb原子系をBE凝縮させることに成功したのを皮切りに、ライス大学のグループでは7Li原子系を、マサチューセッツ工科大学のグループでは23Na原子系をそれぞれBE凝縮させることに成功したのである。このようなアルカリ金属をBE凝縮させることの利点として、1)原子間の相互作用は水素と同じく十分に弱い、2)原子間の相互作用をスピン状態、原子・同位体の種類、外場の印加等によって調節できる、3)トラップの周波数等も容易に変えることができる、等があげられる。なお、水素原子系によるBE凝縮も、ごく最近マサチューセッツ工科大学のグループによって達成されている。

 上でも述べたように、BE凝縮は純粋にBE統計の帰結として導かれるものであるため、粒子間の相互作用の効果はむしろ二次的なものとして考えられがちである。しかし、現実の凝縮体を扱う場合、原子間の相互作用を無視して考えることはできないし、あるいは逆にこの相互作用の存在こそが、多彩かつ興味深い数々の現象を凝縮体中に発生させるとも考えられる。さらに、この相互作用は系に非線形性を与えるため、凝縮体の研究では非線形物理学の観点からのアプローチが不可欠であると考えられる。以上のようなことを踏まえて、本論文では非線形物理学の手法を用いて、BE凝縮体の安定性やダイナミクス等を解析した。

 本論文ではまず最初に、原子間に引力的な相互作用がはたらく磁気トラップ中のBE凝縮体の崩壊現象について考察した。現実のBE凝縮の実験において、トラップ中の原子は極低温(10-6〜10-7K)に冷却されており、かつ十分希薄である。このような状況では、原子間の相互作用は低エネルギー散乱が重要であり、2体の相互作用の強さはs波散乱長によって特徴付けられるのであるが、前述の7Li原子系ではこのs波散乱長が負であることが観測されている。そのため、7Li原子系による磁気トラップ中のBE凝縮体は、原子数がある臨界値を越えると不安定化し崩壊することが知られている。凝縮体の波動関数の時間発展は、調和ポテンシャル項(磁気トラップに相当)を伴う、グロス-ピタエフスキー方程式に従うが、この方程式は(調和ポテンシャル項を伴う)非線形シュレディンガー方程式と全く同じものである。そこで第2章において我々は、凝縮体の崩壊現象を扱う準備として、非等方な調和ポテンシャル項を伴うD次元の非線形シュレディンガー方程式の解の安定性について、一般的な考察を行った。まず、非線形項が斥力的な場合において、解は常に安定であることを示した。次に、非線形項が引力的な場合については、ザハロフが行ったように、動径の2乗の波動関数による期待値の時間発展を解析的に調べることで、解の安定性を考察した。その結果、エネルギーに相当する保存量が負である場合、解は有限時間で必ず特異点をもつ、すなわち崩壊することが分かった。また、エネルギーが正である場合も、初期条件次第では解が有限時間で崩壊し得ることを示し、その崩壊条件の具体的な形を書き下した。続いて第3章では、第2章で得られた結果を基にして、原子間に引力的な相互作用がはたらく磁気トラップ中のBE凝縮体の崩壊現象を理論的に説明した。特に系のエネルギーが正の場合、凝縮体の波動関数の初期条件をガウシアンとすることにより、凝縮体が崩壊するための原子数の臨界値を導出した。導出した臨界値は、7Li原子系の実験で実際に観測された値とほぼ一致しており、この理論は凝縮体の崩壊の機構を十分精密に説明しているものと思われる。

 第4章では、原子間に引力的な相互作用がはたらく磁気トラップ中で、BE凝縮体の崩壊に伴って発生する特異点の性質について解析した。一般に、特異点の近くでは解を特徴付ける時空のスケールが無限に小さくなるので、解の振舞は初期・境界条件で定められるスケールとはかけ離れたものとなり、その結果解に普遍性(universality)や自己相似性(self-similarity)が生じると考えられる。このため、偏微分方程式における特異点の解析は、数学と物理の両方の観点から最も興味深い問題の一つとなっている。また、特異点付近において各変数についてのスケーリング則を調べることも、解の振舞を解析する際の有力な手掛かりとなる。以上で述べたことを動機として、我々は崩壊によって凝縮体中に生じる特異点の性質を、スケーリングの理論を用いて以下のように調べた。まず、独立変数および波動関数(従属変数)に関してスケーリング則を求め、特異点付近では磁気トラップの影響はほぼ無視できることを示した。次に、波動関数について自己相似性と球対称性を仮定し、波動関数が満たすべき常微分方程式を導出した。さらに、相似変数が十分大きい領域において波動関数を漸近展開し、展開係数の漸化式を求めた。特異点付近の凝縮体の振舞は実験では未だ詳しく調べられていないものの、上で述べた性質(自己相似性等)は観測するに十分値するものと思われる。

 第3,4章で原子間に引力的な相互作用がはたらくBE凝縮体を扱ったのに対し、第5章では斥力相互作用がはたらく場合について解析を行った。最近、マサチューセッツ工科大学において、23Na原子(原子間には斥力相互作用がはたらく。)からなる、1方向に引き延ばされたBE凝縮体中に、パルス状の音波が伝播するのが観測されている。このパルスの伝播速度は、ボゴリューボフらの理論に従うことが確認されているが、振幅への依存性についてはまだ観測されていない。一般に非線形効果によって波動の伝播速度は振幅の大きさに依存する。そこで第5章では、この系に対して非線形解析を行い、伝播速度の振幅への依存性やパルスの形状を以下の手順で解析的に調べた。まず、凝縮体は十分に細長いとして、系を擬1次元的に扱った。そして、凝縮体中に含まれる23Na原子は十分多いとして、凝縮体中の原子の密度分布に対してトーマス-フェルミ近似を行い、密度や速度等について流体力学の方程式(連続の方程式、オイラー方程式等)をたてた。次にこの一連の方程式を線形化して分散関係を求めた。そしてこの分散関係式にもとづいて、逓減摂動法による非線形解析を行い、音波の伝播がコルトヴェーグ-ド・フリース(KdV)方程式に従うことを示した。KdV方程式はNソリトン解を持つことが知られているが、特に1ソリトン解を実験で観測されたパルスとみなすことで、パルスの伝播速度と振幅の関係を解析的に予言した。

 本論文では、ボース・アインシュタイン凝縮体の安定性やダイナミクス等を非線形物理学の手法を用いて解析した。これらの成果は、今まで実際に行われた実験に対する十分精密な説明、あるいは今後実験で明らかにされると思われる現象のいくつかに対する興味深い予言を与えていると考えられる。

審査要旨

 量子多体系において顕著な現象の一つが、ボース・アインシュタイン凝縮である。近年の原子・分子系の冷却などの制御技術の著しい進展によって、従来の液体4Heあるいは半導体の励起子系に加えて、原子系においてもボース・アインシュタイン凝縮を達成できるようになった。このような凝縮はボース・アインシュタイン統計の直接の結果ではあるにしても、現実の凝縮体では粒子間の相互作用が存在する。この相互作用の非線形性を考慮すると、非線形物理学の立場からのアプローチが必要となる。この観点に立って、本論文ではボース・アインシュタイン凝縮体の安定性やダイナミクス等を、非線形物理学の手法によって解析を行なった。以下ではボース・アインシュタイン凝縮はBE凝縮と略記する。

 本論文は6章から構成されている。第1章のIntroductionに続いて、第2章で、調和ポテンシャルを有する非線形シュレディンガー方程式の解の安定性と凝縮体の崩壊について考察する。次いで第3章で凝縮体の崩壊の臨界質量を導き、さらに第4章では崩壊を表す特異解のスケール則を考察する。第5章では葉巻形の細長い凝縮体の非線形波動を解析し、最後に結論が述べられる。

 磁気トラップ中の7Li原子系のBE凝縮体などでは、原子間相互作用のs波散乱長が負であること、また原子数がある臨界値を超えると不安定化して崩壊することなどが知られている。まず最初に第2章で、調和ポテンシャルと弱非線形相互作用項を有する非線形シュレディンガー方程式を空間2次元以上で解析し、磁気トラップ中の系の安定性とBE凝縮体の崩壊現象を考察した。まず相互作用が斥力的な場合には、状態は安定であることを示した。次に相互作用が引力的な場合に、エネルギーに相当する保存量が正のとき、負のときに分けて調べた。エネルギーが負の場合には、有限時間で解に特異性が発生し、崩壊を示すこと、また正の場合にも初期条件に依存するが、特異性が発生することもあることが示された。

 続いて第3章では、原子間に引力的な相互作用がある場合に、前章の結果をGross-Pitaevskiiの方程式の解に応用し、磁気トラップ中のBE凝縮体の崩壊現象を理論的に説明した。特に系のエネルギーが正の場合、初期条件をガウス関数形にとって、凝縮体が崩壊するための原子数の臨界値を導出した。その値は、7Li原子系の実験で観測されている値とほぼ一致している。

 第4章ではGross-Pitaevskiiの方程式の解の特異性がどのようなものか、その性質を調べた。これは原子間に引力的な相互作用がある磁気トラップ中でのBE凝縮体の崩壊現象の性質、あるいはその過程を調べることに対応する。波動関数について球対称性と自己相似性を仮定し、特異性発生の時間の近傍のスケール則を導いた。

 最近の23Na原子系の実験で、細長い葉巻形の凝縮体中にパルス状の音波の伝播が観測されている。第5章ではそのような波動を解析するために、BE凝縮体が安定に存在する斥力相互作用の場合を考察した。波動の伝播速度の振幅依存性やパルス形状について非線形解析を行なった。凝縮体は十分細長いとして軸対称の擬1次元的近似をおこない、凝縮体中の23Na原子の数は十分多いとしてトーマス・フェルミ近似を用い、流体力学的近似によって密度、速度、断面半径についての時間発展方程式を導いた。まず波動の線形分散関係を求め、次に摂動法によって弱非線形波動がKdV方程式に従うことを示した。この方程式は伝播するNソリトン解をもつが、実験で観測されているパルスがそのような伝播ソリトンとして説明できるか否かについては、今後の問題として残された。

 以上、論文提出者は本論文において、ボース・アインシュタイン凝縮体の安定性やダイナミクス等を非線形物理学の手法に基づいて解析を行ない、凝縮体の崩壊とその臨界質量、解の特異性の性質、および凝縮体を伝わる波動について有意な結果を導いた。問題解析の方法および得られた結果の吟味等は堅実であり、本論文の学術的水準は高く、博士(理学)の学位にふさわしいものであると、審査員全員により判断された。

 本論文は、第3章から第5章の内容は既に発表済みで、第2章の内容は論文投稿中であり、合計6編の共著論文に対応している。掲載学術誌は、Journal of Physical Society of Japan,Physics Lettersである。これらを本学位論文に使用することについては共同研究者から同意が得られており、論文の内容は提出者が主体となっての研究で、その寄与が十分であると判断された。

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