学位論文要旨



No 114045
著者(漢字) 寺田,智樹
著者(英字)
著者(カナ) テラダ,トモキ
標題(和) 等温滴定型熱量計によるGroELへのヌクレオチド結合の研究
標題(洋) The nucleotide binding of GroEL studied by isothermal titration calorimetry
報告番号 114045
報告番号 甲14045
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3534号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 若林,健之
 東京大学 教授 早野,龍五
 東京大学 助教授 能瀬,聡直
 東京大学 助教授 陶山,明
 東京大学 教授 宮下,保司
内容要旨

 分子シャペロンとは、試験管内と生体内の両方において標的蛋白質の不可逆な会合を防ぎ、正常な巻き戻りおよび多量体形成を介助する一群の蛋白質の総称であり、その中で最も研究が進められているのが大腸菌のシャペロニンGroELである。GroELは等価な分子量57kDaのサブユニット14個で構成され、7量体のリングが背中合わせに二つ重なった四次構造を持っている。X線結晶構造解析から、各サブユニットは三つのドメイン、すなわち(1)二つのリングの界面に位置し、ヌクレオチド加水分解部位を持つ赤道ドメイン、(2)疎水表面を露出しており、疎水相互作用および静電相互作用などによって標的蛋白質を認識する頂上ドメイン、(3)これらのドメインをつなぐ中間ドメインから成ることが知られている。数多くの生化学的な研究から、標的蛋白質は巻き戻りが完了して疎水性残基を内側にしまいこんでしまうまではGroELとの結合と解離を繰り返し、またこの反応はATPの加水分解やGroESという補助役の蛋白質の結合によって制御されていることが示されている。しかしこのような実験においては、GroELの機能は各々の反応が複雑に絡み合った結果として実現されているので、各々の反応が持つ役割やそれらの間の関係についてはまだ不明な点が多く、さらなる研究が必要とされている。

 本論文では、GroELの機能に関わる一連の反応のうち、GroELとヌクレオチドの結合反応について行った研究の結果を報告する。他の研究者らによるこれまでの研究では、ATPや他のアデニンヌクレオチド(ADPやATPの非加水分解性類似化合物)のGroELへの結合は、ATP加水分解速度のATP濃度依存性および蛍光プローブとして結合させたピレン-マレイミドの蛍光強度のヌクレオチド濃度依存性によって調べられており、それらはともにGroELへのヌクレオチドの結合が正の協同性を持っていることを示した。そしてさらに高濃度のヌクレオチド存在下では、加水分解速度が減少し一定の値に落ち着く、すなわち負の協同性を持っていることも報告されている。またヌクレオチド存在下での蛋白質の巻き戻し実験および表面プラズモン共鳴法による速度論的な実験からは、これらのヌクレオチドの存在下ではGroELと標的蛋白質の結合強度が小さくなることも知られている。これらの実験結果は、GroELの二つのリングの各々が、ヌクレオチドとの結合は弱い一方で標的蛋白質との結合は強いT状態とヌクレオチドとの結合は強い一方で標的蛋白質との結合は弱いR状態の二つの構造の間で平衡にあり、ヌクレオチドの濃度が上昇するにしたがって二つのリングはTT状態からTR状態を経由してRR状態に至るとする、いわゆるアロステリック模型によって統一的に説明されてきた。この模型では、GroELのT状態とR状態の間のヌクレオチドの結合の強さは大きく異なってT状態にはヌクレオチドの結合がほとんど起こらないことが仮定されており、GroELの標的蛋白質との結合の強さを同一リング内にある7つのサブユニットで一斉に変化させる上で、ヌクレオチド結合の正の協同性が大きな役割を果たしていると考えられる。また負の協同性は、二つのリングがともにヌクレオチドと結合しているRR状態の方が、一つのリングにしかヌクレオチドが結合していないTR状態と比べて弱くしかヌクレオチドと結合しないことに由来するものと解釈された。

 我々はADPおよびATPの非加水分解性類似化合物の一つであるの結合に伴う熱力学的諸量の変化を、等温滴定型熱量計を用いて測定した。等温滴定型熱量測定は、蛋白質-リガンド間の相互作用に伴う熱反応を直接観測することにより、その相互作用に伴う結合定数、ストイキオメトリーおよび熱力学的諸量の変化を同時に決定することができるので、GroELとヌクレオチドの結合をさらに特徴づけることのできる強力な手法である。

 まず一番単純な非協同的な結合を仮定した解析の結果について述べる。室温(26℃)における測定から求められたGroELと各ヌクレオチドの結合の結合定数は5×103M-1(ADP)および3×104M-1(ATP S)であり、ともにエンタルピー駆動である。また結合のストイキオメトリーはいずれのヌクレオチドについても約12であり、これはヌクレオチドのGroELへの結合が片方だけではなく両方のリングにおいて起こっており、二つのリングの間のヌクレオチドの結合の強さには、これまで仮定されていたほどの大きな違いはないことを示している。また5℃から35℃の範囲の5つの温度で同様の測定を行いHを求めることにより、それらの温度微分から求められたは、両方のヌクレオチドについて約100cal/mol・Kと正の符号を持つ、非常に小さな値となった。は結合に伴う疎水表面の露出の大きさを示す指標であることが知られているので、GroELとヌクレオチドの結合はわずかに疎水表面の露出が起こることを示唆している。これはヌクレオチドの存在下で尿素変性や熱変性に対する安定性が下がることや、同じくヌクレオチドの存在下において、疎水性プローブであるbis-ANSの結合や蛋白質分解酵素に対する感受性が増加することから示された疎水表面の露出と、よく一致する結果である。

 次に、いわゆるHill解析と同様な、正の協同性を持った結合を仮定した解析を行った。正の協同性を持つ結合に対する飽和曲線はシグモイド状となる。しかし我々の手法においては、微少な一定体積のインジェクションに伴う発熱を測定しているので、飽和曲線そのものではなくその微分を観測することになり、最初小さな値を取った後急激に増加し、緩やかに減少するはずである。したがって、もしヌクレオチドのGroELへの結合が正の協同性を持っているならば、最初の数回のインジェクションよりもその後のインジェクションの方がより多くの結合が起こり、より大きな熱反応が起こることが期待される。しかしこれに反して、実際の測定結果のいずれにおいてもそのようなことは起こっておらず、仮にHill解析と同様の飽和曲線を仮定して解析してみても、Hill係数nHは最大で1.2以下にしかならないことがわかった。これにより、我々の実験条件においてはGroELとヌクレオチドの結合は正の協同性を事実上持っていないと結論づけられた。今回の結果とこれまでに報告された正の協同性を示唆する結果との食い違いについては、最後に考察する。

 続いてGroELの二つのリングの各々に存在する7つの結合部位が、リングごとに異なる結合定数K1、K2およびエンタルピー変化H1H2を伴って非協同的にヌクレオチドと結合するという仮定にもとづく解析を行った。このようにして求めた二つのリングの結合定数は、高温(35℃)ではほとんど同じ値であり、そこから温度が下がるにしたがってその違いが大きくなり、5℃では二つのリング間の結合定数の違いは一桁以上にもなった。この変化は、最初の非協同的な結合を仮定した解析で得られるストイキオメトリーが、35℃から5℃へと下がるにしたがって約14(ADPおよびの両方)から7(ADP)および9()へと下がっていくことと対応している。すなわち、片方のリングにヌクレオチドが結合すると反対側のリングには結合しにくくなるという意味で、負の協同性が温度を下げるとあらわれてくる、ということもできる。

 最後に、我々の正の協同性はないという結果と、これまでの他の手法による正の協同性の存在を示唆する結果との見た目の食い違いの原因について考察する。実験条件を比較すると大きく異なるのはGroELの濃度のみである。我々の実験でのGroEL14量体の濃度は9Mであるのに対して、正の協同性が観測された実験におけるGroEL14量体の濃度は25nMから54nMの範囲にある。また、蛍光ラベルをされたGroELへのヌクレオチド結合実験は、上記の濃度において正の協同性を観測したのと同じグループがGroEL14量体濃度2Mで行った実験結果も報告されており、非協同的な結合を仮定したモデル曲線で十分よく記述されている。GroEL溶液の我々のグループによるX線溶液散乱実験および他のグループによるGroEL溶液の中性子溶液散乱実験から、14量体で2M以上の濃度ではGroELは14量体として存在しており、より小さい多量体への解離は起こっていないことが知られていることも考慮して、我々はこれまで観測されてきた正の協同性は1Mより低い濃度で起こるGroELの解離に伴って現れているものではないかと推測する。しかし単量体にまで解離してしまったのでは正の協同性はあらわれないので、14量体よりは小さい多量体へと解離しているものと思われる。我々はそのようなモデルの例として、TT状態の14量体からT状態の7量体リングへの解離と、解離したリングのT状態からR状態へのアロステリック転移を仮定したモデル計算を行い、GroEL濃度を下げることによって、ヌクレオチド濃度に対する飽和曲線としてシグモイド状のカーブが現れることを確認した。

審査要旨

 寺田智樹君の学位論文は、GroELとADPおよびATPgS(ATPの非加水分解性類似化合物の一つ)の二種類のアデニンヌクレオチドとの結合反応について、それに伴う熱力学的諸量の変化を等温滴定型熱量計を用いて測定した研究について述べられている。

 大腸菌のシャペロニンであるGroELはいわゆる分子シャペロンの中でもモデル系として最もよく研究されている。標的蛋白質は、疎水性残基を内側にしまいこむまでの間にGroEL表面の疎水的な部位との結合・解離を繰り返すことにより、巻き戻りおよび多量体形成を効率よく行うことができ、またこの結合の強さはATPの加水分解やGroESという補助役の蛋白質の結合によって制御されていることが知られている。そしてGroELの構造は7量体のリングが二つ重なった14量体であるため、リガンド結合によるアロステリック効果がGroELにおいても存在し、それがGroELの機能の発現に重要な役割を果たしていると考えられてきた。しかしGroELの機能は、各々の反応が複雑に絡み合った結果として実現されているものであるため、各々の反応が持つ役割やそれらの間の関係についてはまだ不明な点が多く、さらなる研究が必要とされてきた。

 本論文において、寺田智樹君はGroELの機能に関わる一連の反応のうちGroELとヌクレオチドの結合反応に特に着目して、GroELへのADPおよびATPgSの結合に伴う熱力学的諸量の変化を等温滴定型熱量計を用いて測定した。等温滴定型熱量測定は、蛋白質-リガンド間の相互作用に伴う熱反応を直接観測することにより、その相互作用に伴う結合定数、ストイキオメトリーおよび熱力学的諸量の変化を同時に決定できるという特徴をもつ、新しい実験手法である。

 まず非協同的な結合を仮定した解析の結果について述べる。室温(26℃)における測定から求められたGroELと各ヌクレオチドの結合反応の結合定数は5×103M-1(ADP)および3×104M-1(ATPgS)であり、ともにエンタルピー駆動の反応である。また結合のストイキオメトリーは室温ではいずれのヌクレオチドについても約12である。また5℃から35℃の範囲の5つの温度で測定を繰り返した結果、温度の上昇に伴いストイキオメトリーが14近くまで増え、また結合定数が小さくなることがわかった。DHの温度微分から求められたDCpは、両方のヌクレオチドについて約100cal/mol Kという正の値となった。DCpは結合に伴う疎水的な露出表面積の変化に比例することが経験的に知られているので、この結果はGroELとヌクレオチドの結合にともなって疎水表面の露出が起こることを示唆している。これはヌクレオチドの存在下で観測されている尿素変性や熱変性に対する不安定化や蛋白質分解酵素に対する感受性の増大とも、よく一致する結果である。またこのことは大多数の蛋白質-リガンド相互作用が疎水的な露出表面積の減少をともなうこととは対照的であり、これがGroELがその天然構造においても疎水表面を露出しているという特殊な性質を反映しているものと解釈される。

 次に、正の協同性を持った結合を仮定した解析(Hill解析)の結果について述べる。正の協同性を持つ結合に対する飽和曲線はシグモイド状となるが、滴定型熱量測定においては微少な一定体積のインジェクションに伴う発熱量の変化を測定しているので、飽和曲線そのものではなくその微分を観測していることになる。したがって、もしヌクレオチドのGroELへの結合が正の協同性を持っているならば、最初の数回のインジェクションよりもその後のインジェクションの方がより大きな熱反応が起こることが期待される。しかしこれに反して、測定結果のいずれにおいてもそのようなことは起こっておらず、仮にHill解析と同様の飽和曲線を仮定して解析しても、Hill係数nHは最大で1.2以下にしかならないことがわかった。これにより、本論文の実験条件においてはGroELとヌクレオチドの結合は正の協同性を事実上持っていないと結論づけられた。今回の結果はGroEL濃度9mMにおいて得られたものであるが、GroEL濃度2mMにおける蛍光プローブによる非協同的な結果とは一致する一方、GroEL濃度25-54nMにおけるATP加水分解速度および蛍光プローブによる正の協同性を示した結果と対照的である。これらの実験条件のうち大きく異なっているのはGroEL濃度のみであることから、これまで観測されてきた正の協同性は1mMより低い濃度でのみ起こるGroELの解離に伴って現れるのではないかと考えられる。この考えに従って、ヌクレオチドの濃度が上がるにしたがってGroELの単量体から14量体への会合が起こるモデルと14量体から7量体への解離が起こるモデルの二つが提案され、これら二つのモデルの両方において、GroEL濃度を二桁下げるだけで正の協同性があらわれることが示された。過去に行われた実験と比較して、今回の実験条件の方が生体内におけるGroEL濃度に近いことから、生体内においてはGroELとヌクレオチドの結合に協同性はないと考えるべきであることを強く示唆している。これは、GroELのヌクレオチド結合が協同的でありそのことがGroELの機能発現の上で重要である、とするこれまで広く信じられてきた考えを否定するものである。

 続いてGroELの二つのリングの各々に存在する7つの結合部位が、リングごとに異なる結合定数K1、K2およびエンタルピー変化DH1、DH2を伴って非協同的にヌクレオチドと結合するという仮定にもとづく解析が行われた。二つのリングの結合定数は、高温(35℃)ではほとんど同じ値であり、そこから温度が下がるにしたがってその違いが大きくなることがわかった。この変化は、最初の非協同的な結合を仮定した解析で得られるストイキオメトリーが、35℃から5℃へと下がるにしたがって約14(ADPおよびATPgSの両方)から7(ADP)および9(ATPgS)へと下がっていくことと対応している。すなわち、片方のリングにヌクレオチドが結合すると反対側のリングには結合しにくくなるという意味で、負の協同性が温度を下げるとあらわれてくる、と言い換えることもできる。

 寺田智樹君の本論文における研究によって、GroELとヌクレオチドの相互作用について、熱力学的特徴が明らかになるとともに、正の協同性の存在しないこと、二つのリングの結合の強さの違い(負の協同性)が低温で大きくなることが示された。また協同性の存在に関して、これまでの相反する実験結果を統一的に理解することが可能なモデルが提唱された。これらの知見はGroELの機能発現の機序を解明する上で重要な寄与をなすものである。なお、この論文は桑島邦博氏との共同研究であるが、寺田智樹君が主体となって研究を行ったものであり、寺田智樹君は博士の学位を授与するに値するものと判断される。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

UTokyo Repositoryリンク