寺田智樹君の学位論文は、GroELとADPおよびATPgS(ATPの非加水分解性類似化合物の一つ)の二種類のアデニンヌクレオチドとの結合反応について、それに伴う熱力学的諸量の変化を等温滴定型熱量計を用いて測定した研究について述べられている。 大腸菌のシャペロニンであるGroELはいわゆる分子シャペロンの中でもモデル系として最もよく研究されている。標的蛋白質は、疎水性残基を内側にしまいこむまでの間にGroEL表面の疎水的な部位との結合・解離を繰り返すことにより、巻き戻りおよび多量体形成を効率よく行うことができ、またこの結合の強さはATPの加水分解やGroESという補助役の蛋白質の結合によって制御されていることが知られている。そしてGroELの構造は7量体のリングが二つ重なった14量体であるため、リガンド結合によるアロステリック効果がGroELにおいても存在し、それがGroELの機能の発現に重要な役割を果たしていると考えられてきた。しかしGroELの機能は、各々の反応が複雑に絡み合った結果として実現されているものであるため、各々の反応が持つ役割やそれらの間の関係についてはまだ不明な点が多く、さらなる研究が必要とされてきた。 本論文において、寺田智樹君はGroELの機能に関わる一連の反応のうちGroELとヌクレオチドの結合反応に特に着目して、GroELへのADPおよびATPgSの結合に伴う熱力学的諸量の変化を等温滴定型熱量計を用いて測定した。等温滴定型熱量測定は、蛋白質-リガンド間の相互作用に伴う熱反応を直接観測することにより、その相互作用に伴う結合定数、ストイキオメトリーおよび熱力学的諸量の変化を同時に決定できるという特徴をもつ、新しい実験手法である。 まず非協同的な結合を仮定した解析の結果について述べる。室温(26℃)における測定から求められたGroELと各ヌクレオチドの結合反応の結合定数は5×103M-1(ADP)および3×104M-1(ATPgS)であり、ともにエンタルピー駆動の反応である。また結合のストイキオメトリーは室温ではいずれのヌクレオチドについても約12である。また5℃から35℃の範囲の5つの温度で測定を繰り返した結果、温度の上昇に伴いストイキオメトリーが14近くまで増え、また結合定数が小さくなることがわかった。DHの温度微分から求められたDCpは、両方のヌクレオチドについて約100cal/mol Kという正の値となった。DCpは結合に伴う疎水的な露出表面積の変化に比例することが経験的に知られているので、この結果はGroELとヌクレオチドの結合にともなって疎水表面の露出が起こることを示唆している。これはヌクレオチドの存在下で観測されている尿素変性や熱変性に対する不安定化や蛋白質分解酵素に対する感受性の増大とも、よく一致する結果である。またこのことは大多数の蛋白質-リガンド相互作用が疎水的な露出表面積の減少をともなうこととは対照的であり、これがGroELがその天然構造においても疎水表面を露出しているという特殊な性質を反映しているものと解釈される。 次に、正の協同性を持った結合を仮定した解析(Hill解析)の結果について述べる。正の協同性を持つ結合に対する飽和曲線はシグモイド状となるが、滴定型熱量測定においては微少な一定体積のインジェクションに伴う発熱量の変化を測定しているので、飽和曲線そのものではなくその微分を観測していることになる。したがって、もしヌクレオチドのGroELへの結合が正の協同性を持っているならば、最初の数回のインジェクションよりもその後のインジェクションの方がより大きな熱反応が起こることが期待される。しかしこれに反して、測定結果のいずれにおいてもそのようなことは起こっておらず、仮にHill解析と同様の飽和曲線を仮定して解析しても、Hill係数nHは最大で1.2以下にしかならないことがわかった。これにより、本論文の実験条件においてはGroELとヌクレオチドの結合は正の協同性を事実上持っていないと結論づけられた。今回の結果はGroEL濃度9mMにおいて得られたものであるが、GroEL濃度2mMにおける蛍光プローブによる非協同的な結果とは一致する一方、GroEL濃度25-54nMにおけるATP加水分解速度および蛍光プローブによる正の協同性を示した結果と対照的である。これらの実験条件のうち大きく異なっているのはGroEL濃度のみであることから、これまで観測されてきた正の協同性は1mMより低い濃度でのみ起こるGroELの解離に伴って現れるのではないかと考えられる。この考えに従って、ヌクレオチドの濃度が上がるにしたがってGroELの単量体から14量体への会合が起こるモデルと14量体から7量体への解離が起こるモデルの二つが提案され、これら二つのモデルの両方において、GroEL濃度を二桁下げるだけで正の協同性があらわれることが示された。過去に行われた実験と比較して、今回の実験条件の方が生体内におけるGroEL濃度に近いことから、生体内においてはGroELとヌクレオチドの結合に協同性はないと考えるべきであることを強く示唆している。これは、GroELのヌクレオチド結合が協同的でありそのことがGroELの機能発現の上で重要である、とするこれまで広く信じられてきた考えを否定するものである。 続いてGroELの二つのリングの各々に存在する7つの結合部位が、リングごとに異なる結合定数K1、K2およびエンタルピー変化DH1、DH2を伴って非協同的にヌクレオチドと結合するという仮定にもとづく解析が行われた。二つのリングの結合定数は、高温(35℃)ではほとんど同じ値であり、そこから温度が下がるにしたがってその違いが大きくなることがわかった。この変化は、最初の非協同的な結合を仮定した解析で得られるストイキオメトリーが、35℃から5℃へと下がるにしたがって約14(ADPおよびATPgSの両方)から7(ADP)および9(ATPgS)へと下がっていくことと対応している。すなわち、片方のリングにヌクレオチドが結合すると反対側のリングには結合しにくくなるという意味で、負の協同性が温度を下げるとあらわれてくる、と言い換えることもできる。 寺田智樹君の本論文における研究によって、GroELとヌクレオチドの相互作用について、熱力学的特徴が明らかになるとともに、正の協同性の存在しないこと、二つのリングの結合の強さの違い(負の協同性)が低温で大きくなることが示された。また協同性の存在に関して、これまでの相反する実験結果を統一的に理解することが可能なモデルが提唱された。これらの知見はGroELの機能発現の機序を解明する上で重要な寄与をなすものである。なお、この論文は桑島邦博氏との共同研究であるが、寺田智樹君が主体となって研究を行ったものであり、寺田智樹君は博士の学位を授与するに値するものと判断される。 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。 |