1996年NaV2O5の帯磁率の温度変化から、低温(TC=34K)において磁気相転移が発見された。この物質はVO5ピラミッドが稜及び角を共有してab面内に2次元ネットワークを構成し、この2次元構造がc軸方向に積層する。そして層間にNaが入り込んだ層状構造をとり、斜方晶系に属する(a=11.3,b=3.6,c=4.8Å)。また結晶学上V原子サイトが2種類あることから、当初室温で電荷秩序が生じ磁性原子V4+()と非磁性原子V5+(s=0)がb軸方向に鎖を形成していると考えられた。構造的に、b軸方向にV4+のスピン1次元鎖がV5+の非磁性鎖によって良く隔離された構造をとっており、また帯磁率の温度変化が転移点以上で,1次元反強磁性ハイゼンベルグで予想されるBonner and Fisher曲線で良く説明ができること、さらに転移点以下で帯磁率が指数関数的に減少することから、低温の磁気相転移がスピン・パイエルス転移であると考えられた。そして、X線散乱により転移点以下での格子歪みに起因する長周期構造(2a×2b×4c)による超格子反射が観測され、また中性子散乱によりスピン-重項基底状態の形成に伴うエネルギーギャップが観測され、スピン・パイエルス転移の特徴的な2つの性質が観測された。しかしながら、各種物性研究が進むにつれてスピン・パイエルス転移と異なる性質も指摘され始めた。その中室温構造の再測定がX線構造解析によって行われ、また51V核のNMRの測定により、室温でそもそもV4+のスピン1次元鎖は存在せずVが平均価数4.5価の状態であることが判明した。またさらに精力的な理論的研究により、NaV2O5は電荷・スピン・格子の寄与する相転移を引き起こす興味深い物質として注目を浴びるようになった。 本論文では、(1)低温での磁気相転移における電荷・格子系の振舞いをX線散乱により観測する。(2)X線異常散乱の利用により、電荷秩序状態を直接決定する。(3)外場(圧力,Na欠損)によりスピン・格子相互作用を変化させ、相転移に及ぼす影響を研究する。 実験室系X線源と放射光(PF/KEK,NSLS/BNL)を相補的に用いたX線散乱実験により、電荷・格子系に注目した実験研究を行った。特にX線異常散乱を用いた実験においては、放射光の特徴であるエネルギー可変性が不可欠であった。また、原子変位による格子異常を高分解能測定するために粉末中性子散乱実験HRPD(ISIS/RAL)を行った。 スピン・パイエルス転移の特徴の一つである格子二量体化による超格子反射の探索を行い、という波数ベクトルを持った超格子反射の観測に成功した。超格子反射強度の温度変化を、図1.(上)に示す。温度履歴がなく、転移点での反射強度の不連続変化が観測されないことから、これは二次相転移である。したがって、二次転移に特徴的な臨界散乱が観測される。図2.(上)に超格子反射位置から少し離れた点で測定した臨界散乱強度の温度変化を示す。転移点で臨界散乱強度が最大となる様子が明瞭に観測され、転移点をTC=36.6±0.1Kと決定した。また、転移点以上の臨界散乱の運動量空間内でのプロファイルの解析により、相関長(=1/)の温度変化を求めることに成功した(図2.(下))。磁気1次元鎖方向であるb軸方向に、他の軸に比べ強い相関が残っている。一方積層方向であるc軸方向は急激に相関が弱くなることが分かる。また、粉末中性子非弾性散乱実験によりスピン・ギャップの観測に成功し、T=7.2Kにおいて9.8meVと決定した。ギャップエネルギーの温度変化を図1.(下)に示す。超格子反射強度の出現と同時にギャップが形成されることがわかる。 図1:超格子反射での反射強度及び、スピン・ギャップの温度変化。図2:臨界散乱強度及び相関長の温度変化。 相転移での格子歪みの異常を観測するため、格子定数の温度変化を精密に測定した(HRPD)。その結果、a,b,cそれぞれの軸方向で異常が観測された。積層方向であるc軸は降温により転移点に向かって大きく縮み、転移点以下で異常に膨張する。一方磁気1次元鎖方向であるb軸は、転移点に向かって降温により伸長し転移点以下で収縮するという特異な変化を示す。積層方向であるc軸方向の温度変化が他の軸に比べ大きいことを反映し、単位胞体積の温度変化は、ほぼc軸の温度変化と同じであり、転移点以下で、体積の異常な膨張が観測された。この体積異常量は、ちょうど超格子反射強度の温度変化と一致しprimary order parameterである原子変位の自乗に比例していることが分かる。したがって格子歪みは、secondary order parameterであることがわかる。 NaV2O5の電荷秩序状態を解明するため異常散乱を用いた実験を行った。X線散乱強度のエネルギー依存性をV原子のK吸収端近傍で測定すると、エネルギーに対する強度の変化分からV原子だけの情報を得ることができる(異常散乱)。したがって、原子の散乱情報を選択的に得ることが可能となる。さらに、V4+(5.4685keV)とV5+(5.4703keV)のK吸収端のエネルギーが約2eV異なることを利用すると通常は識別が困難なV4+,V5+を明瞭なコントラストをつけて識別することが可能となる。図3に黒丸で示すのが観測した超格子反射()の強度の著しいエネルギー依存性である。 図3:超格子反射の強度のエネルギー依存性(T=8K)。 電荷秩序状態に対しては理論的な考察が数多くなされ、低温ではスピン1次元鎖がb軸方向に並ぶ構造(以前言われていた室温構造,chain model)か、図4に丸印で示すV4+が、zigzagパターンを作った構造(zigzag model)と考えられている。図中で丸印はV4+を表すが、そのうち〇,●は、異なる原子変位(,-)を区別して表現してある。また、×印はV5+原子を表す。このzigzag modelの電荷秩序は図中波線で示す2a×2b×4cの周期を持つので、吸収端近傍で助長されるV4+とV5+の原子散乱因子の差分を反映した超格子反射が、波数ベクトル()を持つ逆格子点上に現れる。観測した超格子反射()に対する計算結果を図3に実線で示すが、実験データを良く再現する。一方、chain modelでは電荷秩序がa×b×cの周期しか持たないので、波数ベクトル()を持つ逆格子点上では原子変位による回折強度が支配的であり、V吸収端では顕著なエネルギー依存性を示さないはずである。事実、その計算結果は図中に波線で示すように、実験データを説明することができない。このように、低温相における電荷秩序パターンはzigzag modelと一致することを初めて明らかにした。 図4:zigzag model構造 さらに本実験において、V原子のK吸収端でV原子の異常分散項の大きさが結晶軸と入射X線の偏光方向に対して著しい結晶方位依存性を示すことを観測した。この吸収端近傍での異常は、注目している原子周りの電子の状態、つまり軌道や結合状態を反映しているものと考えられるが、解析は今後の課題である 次にNaV2O5結晶の持つ弾性を格子定数の圧力依存性を通して研究した。予想されるように、積層方向であるc軸方向は非常に大きな収縮を示す。一方、b軸方向は加圧にともない伸長し、さらにa軸方向は約4GPaまで収縮後伸長するという特異な振舞いを示す。構造解析の結果Na原子が層間に入り込むことにより、特異な格子定数の圧力依存性を示すことが理解できる。同様に転移点以上での温度変化も説明できることが分かった。また、圧力を印加したときの転移点の変化を低温高圧X線散乱実験により、(K/GPa)と求めることに成功した。この圧力に対する転移点の変化はこの相転移が二次転移であることからエーレンフェストの関係式より求めることができ、実験結果とほぼ一致することがわかった。 この物質におけるNa欠損は、スピン一重項状態を作っているV4+対の破壊に相当することから不純物効果として興味深い。系統的なNaxV2O5(x=1.0〜0.95)試料を用いたX線散乱実験により、欠損により転移点が低下し、格子歪みも著しく抑制され、さらに転移点が散漫になることを明らかにした。 以上本研究では、次のことを明らかにした。 (1)格子歪みによる超格子反射及び、スピン一重項基底状態の観測に成功した。 (2)低温での相転移のもつ性質を臨界現象、格子異常などを通して明らかにした。 (3)X線異常散乱を利用することにより、低温相での電荷秩序状態を明らかにした。 (4)圧力,Na欠損という外場により相互作用を変化させたときに相転移に及ぼす性質を明らかにした。 |