学位論文要旨



No 114046
著者(漢字) 中尾,裕則
著者(英字)
著者(カナ) ナカオ,ヒロノリ
標題(和) X線散乱によるNaV2O5の電荷・格子系相転移の研究
標題(洋)
報告番号 114046
報告番号 甲14046
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3535号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 毛利,信男
 東京大学 助教授 藤森,淳
 東京大学 教授 福山,秀敏
 東京大学 教授 寿栄松,宏仁
 東京大学 教授 上田,寛
内容要旨

 1996年NaV2O5の帯磁率の温度変化から、低温(TC=34K)において磁気相転移が発見された。この物質はVO5ピラミッドが稜及び角を共有してab面内に2次元ネットワークを構成し、この2次元構造がc軸方向に積層する。そして層間にNaが入り込んだ層状構造をとり、斜方晶系に属する(a=11.3,b=3.6,c=4.8Å)。また結晶学上V原子サイトが2種類あることから、当初室温で電荷秩序が生じ磁性原子V4+()と非磁性原子V5+(s=0)がb軸方向に鎖を形成していると考えられた。構造的に、b軸方向にV4+のスピン1次元鎖がV5+の非磁性鎖によって良く隔離された構造をとっており、また帯磁率の温度変化が転移点以上で,1次元反強磁性ハイゼンベルグで予想されるBonner and Fisher曲線で良く説明ができること、さらに転移点以下で帯磁率が指数関数的に減少することから、低温の磁気相転移がスピン・パイエルス転移であると考えられた。そして、X線散乱により転移点以下での格子歪みに起因する長周期構造(2a×2b×4c)による超格子反射が観測され、また中性子散乱によりスピン-重項基底状態の形成に伴うエネルギーギャップが観測され、スピン・パイエルス転移の特徴的な2つの性質が観測された。しかしながら、各種物性研究が進むにつれてスピン・パイエルス転移と異なる性質も指摘され始めた。その中室温構造の再測定がX線構造解析によって行われ、また51V核のNMRの測定により、室温でそもそもV4+のスピン1次元鎖は存在せずVが平均価数4.5価の状態であることが判明した。またさらに精力的な理論的研究により、NaV2O5は電荷・スピン・格子の寄与する相転移を引き起こす興味深い物質として注目を浴びるようになった。

 本論文では、(1)低温での磁気相転移における電荷・格子系の振舞いをX線散乱により観測する。(2)X線異常散乱の利用により、電荷秩序状態を直接決定する。(3)外場(圧力,Na欠損)によりスピン・格子相互作用を変化させ、相転移に及ぼす影響を研究する。

 実験室系X線源と放射光(PF/KEK,NSLS/BNL)を相補的に用いたX線散乱実験により、電荷・格子系に注目した実験研究を行った。特にX線異常散乱を用いた実験においては、放射光の特徴であるエネルギー可変性が不可欠であった。また、原子変位による格子異常を高分解能測定するために粉末中性子散乱実験HRPD(ISIS/RAL)を行った。

 スピン・パイエルス転移の特徴の一つである格子二量体化による超格子反射の探索を行い、という波数ベクトルを持った超格子反射の観測に成功した。超格子反射強度の温度変化を、図1.(上)に示す。温度履歴がなく、転移点での反射強度の不連続変化が観測されないことから、これは二次相転移である。したがって、二次転移に特徴的な臨界散乱が観測される。図2.(上)に超格子反射位置から少し離れた点で測定した臨界散乱強度の温度変化を示す。転移点で臨界散乱強度が最大となる様子が明瞭に観測され、転移点をTC=36.6±0.1Kと決定した。また、転移点以上の臨界散乱の運動量空間内でのプロファイルの解析により、相関長(=1/)の温度変化を求めることに成功した(図2.(下))。磁気1次元鎖方向であるb軸方向に、他の軸に比べ強い相関が残っている。一方積層方向であるc軸方向は急激に相関が弱くなることが分かる。また、粉末中性子非弾性散乱実験によりスピン・ギャップの観測に成功し、T=7.2Kにおいて9.8meVと決定した。ギャップエネルギーの温度変化を図1.(下)に示す。超格子反射強度の出現と同時にギャップが形成されることがわかる。

図1:超格子反射での反射強度及び、スピン・ギャップの温度変化。図2:臨界散乱強度及び相関長の温度変化。

 相転移での格子歪みの異常を観測するため、格子定数の温度変化を精密に測定した(HRPD)。その結果、a,b,cそれぞれの軸方向で異常が観測された。積層方向であるc軸は降温により転移点に向かって大きく縮み、転移点以下で異常に膨張する。一方磁気1次元鎖方向であるb軸は、転移点に向かって降温により伸長し転移点以下で収縮するという特異な変化を示す。積層方向であるc軸方向の温度変化が他の軸に比べ大きいことを反映し、単位胞体積の温度変化は、ほぼc軸の温度変化と同じであり、転移点以下で、体積の異常な膨張が観測された。この体積異常量は、ちょうど超格子反射強度の温度変化と一致しprimary order parameterである原子変位の自乗に比例していることが分かる。したがって格子歪みは、secondary order parameterであることがわかる。

 NaV2O5の電荷秩序状態を解明するため異常散乱を用いた実験を行った。X線散乱強度のエネルギー依存性をV原子のK吸収端近傍で測定すると、エネルギーに対する強度の変化分からV原子だけの情報を得ることができる(異常散乱)。したがって、原子の散乱情報を選択的に得ることが可能となる。さらに、V4+(5.4685keV)とV5+(5.4703keV)のK吸収端のエネルギーが約2eV異なることを利用すると通常は識別が困難なV4+,V5+を明瞭なコントラストをつけて識別することが可能となる。図3に黒丸で示すのが観測した超格子反射()の強度の著しいエネルギー依存性である。

図3:超格子反射の強度のエネルギー依存性(T=8K)。

 電荷秩序状態に対しては理論的な考察が数多くなされ、低温ではスピン1次元鎖がb軸方向に並ぶ構造(以前言われていた室温構造,chain model)か、図4に丸印で示すV4+が、zigzagパターンを作った構造(zigzag model)と考えられている。図中で丸印はV4+を表すが、そのうち〇,●は、異なる原子変位(,-)を区別して表現してある。また、×印はV5+原子を表す。このzigzag modelの電荷秩序は図中波線で示す2a×2b×4cの周期を持つので、吸収端近傍で助長されるV4+とV5+の原子散乱因子の差分を反映した超格子反射が、波数ベクトル()を持つ逆格子点上に現れる。観測した超格子反射()に対する計算結果を図3に実線で示すが、実験データを良く再現する。一方、chain modelでは電荷秩序がa×b×cの周期しか持たないので、波数ベクトル()を持つ逆格子点上では原子変位による回折強度が支配的であり、V吸収端では顕著なエネルギー依存性を示さないはずである。事実、その計算結果は図中に波線で示すように、実験データを説明することができない。このように、低温相における電荷秩序パターンはzigzag modelと一致することを初めて明らかにした。

図4:zigzag model構造

 さらに本実験において、V原子のK吸収端でV原子の異常分散項の大きさが結晶軸と入射X線の偏光方向に対して著しい結晶方位依存性を示すことを観測した。この吸収端近傍での異常は、注目している原子周りの電子の状態、つまり軌道や結合状態を反映しているものと考えられるが、解析は今後の課題である

 次にNaV2O5結晶の持つ弾性を格子定数の圧力依存性を通して研究した。予想されるように、積層方向であるc軸方向は非常に大きな収縮を示す。一方、b軸方向は加圧にともない伸長し、さらにa軸方向は約4GPaまで収縮後伸長するという特異な振舞いを示す。構造解析の結果Na原子が層間に入り込むことにより、特異な格子定数の圧力依存性を示すことが理解できる。同様に転移点以上での温度変化も説明できることが分かった。また、圧力を印加したときの転移点の変化を低温高圧X線散乱実験により、(K/GPa)と求めることに成功した。この圧力に対する転移点の変化はこの相転移が二次転移であることからエーレンフェストの関係式より求めることができ、実験結果とほぼ一致することがわかった。

 この物質におけるNa欠損は、スピン一重項状態を作っているV4+対の破壊に相当することから不純物効果として興味深い。系統的なNaxV2O5(x=1.0〜0.95)試料を用いたX線散乱実験により、欠損により転移点が低下し、格子歪みも著しく抑制され、さらに転移点が散漫になることを明らかにした。

 以上本研究では、次のことを明らかにした。

 (1)格子歪みによる超格子反射及び、スピン一重項基底状態の観測に成功した。

 (2)低温での相転移のもつ性質を臨界現象、格子異常などを通して明らかにした。

 (3)X線異常散乱を利用することにより、低温相での電荷秩序状態を明らかにした。

 (4)圧力,Na欠損という外場により相互作用を変化させたときに相転移に及ぼす性質を明らかにした。

審査要旨

 NaV2O5はCuGeO3に引き続く第2のスピンパイエルス転移を示す無機化合物である可能性が指摘され、この2〜3年、実験、理論ともに活発に研究が行われた。その結果、NaV2O5はスピンパイエルス転移を起こす物質で見られる特徴的な挙動が明らかにされてきた。その第一は、帯磁率の温度変化が転移温度より高温でs=1/2、一次元ハイゼンベルグモデルで予想されるBonner and Fisher曲線で良く再現され、転移温度以下で指数関数的に減少し、さらに、スピン・シングレット状態の形成に伴うエネルギーギャップが中性子散乱実験で観測された。しかしながら、各種の物性測定が進むにつれNaV2O5の転移はスピン・パイエルス転移と異なる性質も指摘され始めた。特に、転移温度より高温での結晶構造について、V4+(s=1/2)、V5+(s=0)のイオンがb軸方向に電荷秩序をしており、一次元鎖を形成していると従来報告されていたが、最近のNMRの実験からVの価数は転移点以上の温度領域では4価と5価との2つのサイトが存在するのではなく4.5価をもつ一つの状態になっていることが明らかにされ、構造についての再検討が要求された。また、理論的にも電荷秩序状態に対して活発な考察が行われ、1次元鎖のモデルのほかにzigzagモデルが提案された。このようにNaV2O5の真の物性を明らかにするには低温相の構造を解明することが重要な課題となっている。

 本論文ではNaV2O5の低温の相転移における電荷秩序状態をX線散乱の手段を用いて直接決定し、転移点近傍でのその挙動を明らかにすることを目的としている。

 本論文は5章からなり、第1章の序論ではNaV2O5についてこれまでの物性研究の経緯と本論文の目的が述べられ、第2章では実験方法ならびに結晶構造のモデル解析、第3章は転移点近傍における超格子反射強度、格子定数の温度変化等の精密測定結果について、第4章は実験結果の考察、第5章に結論が述べられ、付録としてデータ解析の方法について記している。

 NaV2O5の転移点近傍の格子及び電荷の挙動を精密に測定するには良質の単結晶はもとより、分解能および精度の高いX線散乱実験装置が必要となる。本研究では高純度高品質の単結晶を入手し、先ず、構造解析、空間群の確認を行い、次いで、スピン・パイエルス転移の際だった特徴である2量体化を確かめるためQ=(1/2,1/2,1/4)の波数ベクトルをもつ超格子反射の強度の温度変化の精密測定が行われた。転移点で二次相転移に特徴的な臨界散乱強度が最大となることが明かとなり、臨界指数を求めるとともに、運動量空間内でのプロファイルの解析により、各結晶軸方向に依存する相関長の温度変化についても求めることに成功している。その結果、積層方向であるc軸方向では温度の上昇とともに急激に相関が無くなり、磁気一次元鎖方向のb軸方向に強い相関が残っていることを見いだした。これらの成果は、他のスピン・パイエルス系と比較検討するための重要な知見を与えるものとして高く評価できる。

 本論文の主目的である低温での構造を決める重要なポイントはV4+(s=1/2)、V5+(s=0)の原子の占有するサイトを特定することである。低温での電荷秩序に関してこれまでにX線散乱や中性子散乱実験が行われ、転移点の前後で基本反射強度にほとんど差のないことが明かとなっている。またこれらの実験をふまえて理論的に提案されている主なモデルは二つある。一つはchainモデルでb軸方向にV4+、V5+の一次元鎖が交互に配列した電荷秩序構造、他方はV4+対がab面内でジグザグパターンを作っているzigzagモデルである。本研究ではchainモデルとzigzagモデルに基づいた構造因子のモデル計算を行っている。そこでは指数hklがすべて奇数の超格子反射の強度はchainモデルではV4+の原子散乱因子のみからの寄与によること、zigzagモデルではV4+とV5+の原子散乱因子の差が寄与することを明らかにし、二つのモデルによる反射強度のエネルギー依存には大きな差異の生じることを指摘している。従って、chainモデルとzigzagモデルの違いを見分けるには吸収端近傍でのV4+とV5+の原子散乱因子の差を反映した超格子反射強度のエネルギー依存性を精密に調べることで決着できるとの予測がなされた。

 モデル計算の予測を実証するため、本研究ではK吸収端のV4+(5.4685keV)とV5+(5.4703keV)が約2eVと大きく異なることに着目し、X線散乱強度のエネルギー依存性をV原子のK吸収端近傍で測定している。この方法は通常は識別の困難なV4+とV5+イオンを明瞭なコントラストを付けて識別することが可能な手法であり、この着想は極めて高く評価できよう。実験的には多くの基本反射ならびに超格子反射で精密なデータが集められた。その中で超格子反射強度のエネルギー依存性はQ=(15/2,1/2,1/4)で明瞭に示され、実験結果と二つの理論モデル、chainモデルとzigzagモデル、を比較検討している。実験データは明らかにzigzagモデルで再現され、chainモデルでは説明できないことが示された。さらに本論文ではzigzagモデルでc軸方向の積層構造について取りうる可能性やスピン一重項状態の形成の仕方について考察し、今後の問題点を指摘している。

 以上のように、本論文はNaV2O5のスピン・パイエルス転移と云われていた低温での相転移温度以下でV4+とV5+イオンが電荷秩序を起こすこと、その構造がzigzagモデルで非常に良く説明されることをX線散乱実験の手法を用いて初めて示した。本論文に記された内容は世界的にも先駆的なものと位置づけることができ、当該研究分野に大きな貢献をしたものと判断されるため、審査員全員一致して論文提出者に対して博士(理学)の学位を授与できると認めた。

 尚、実験成果は複数の研究者との共同研究であるが、論文提出者が主体となって実験、解析をおこなったものであると認められた。

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