学位論文要旨



No 114056
著者(漢字) 青木,和光
著者(英字) Aoki,Wako
著者(カナ) アオキ,ワコウ
標題(和) ISO SWSによる進化の進んだ低温度星の赤外スペクトルの研究
標題(洋) Infrared spectroscopy of coal evolved stars with the ISO SWS
報告番号 114056
報告番号 甲14056
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3545号
研究科 理学系研究科
専攻 天文学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 中田,好一
 東京大学 教授 安藤,裕康
 東京大学 助教授 尾中,敬
 国立天文台 助教授 野口,邦男
 北海道大学 教授 藤本,正行
内容要旨

 中小質量星の進化の進んだ段階にあたる赤色巨星および漸近巨星枝星(AGB星)においては、星からの質量放出が顕著になり、光球に比べて大きくひろがった外層部が形成される。恒星半径の数十倍から数百倍程度にひろがった領域(以下、星周外層)については、電波域の分子輝線の観測などにより、質量放出率や膨張速度などその性質は比較的よく理解されているが、恒星半径の数倍程度の領域(以下、外層大気)の構造については未解明の点が多い。外層大気においては、さまざまな分子やダストの形成が進んでいると考えられ、質量放出機構の解明の鍵となる領域である。この領域は数百度から2000度程度の温度をもつと考えられるため、赤外線による観測が有効である。天体からの赤外線の大部分は地球大気を透過しないため、従来の研究では、観測天体、波長域ともに極めて限られていたが、1995年11月に打ち上げられた赤外スペース天文台(ISO)によって、赤外全域にわたる分光観測が可能になった。そこで、ISOに搭載された分光器(SWS)を用いて、赤色巨星・AGB星の観測を行い、光球および外層大気の構造(分子組成、温度、密度など)の研究を行った。

 SWSは、2.4〜45mをカバーし、分解能は最大約2000である。観測は、炭素星とM型星(酸素過多星)の双方について行ったが、本論文では、炭素星6天体の分子吸収帯と、炭素星・M型星あわせて10天体の金属微細構造線の観測から得られた結果について述べる。これらの天体の多くは半規則型もしくは不規則型変光星であり、ミラ型変光星に比べて星の脈動が小さく、質量放出率もさほど大きくない(程度あるいはそれ以下)のが特徴である。

 炭素星の赤外スペクトルには、3〜15m域に、HCN,CO,SiSなど多数の分子吸収帯が発見された。これらの多くは、炭素星においては今回初めて明確に同定されたものである。

 低温の炭素星の多くはN型星とよばれるが、可視光域のC2吸収帯の著しく弱い星はSC型に分類され、N型星と区別される。C2分子吸収が弱いことは、SC型星の炭素組成が比較的小さく、炭素・酸素組成比が1に極めて近いことを意味している。さらに、C2分子やCN分子の吸収が弱いことによって、SC型星の光球の温度構造は、同程度の有効温度をもつN型星のそれとは大きく異なり、光球上層部の温度が著しく低いことが知られている。N型、SC型それぞれ3天体ずつ観測し、得られた赤外スペクトルを比較する(図1)ことで、分子吸収の炭素組成に対する依存性を調べたところ、以下のような結果が得られた。まず、(1)3-4m域のCH分子吸収帯は、N型星で明確に検出されたが、SC型星では検出されなかった。これは可視光・近赤外域におけるC2分子やCN分子の吸収と同様の特徴であり、SC型星では炭素組成が小さいためであると解釈できる。また、(2)SC型星には、6.6m域にSiS分子吸収帯が発見されたが、N型星にはこの吸収はみられない。これは、N型星では、大部分の硫黄が、比較的安定であるCS分子に取り込まれているのに対し、SC型星では炭素組成が小さく、CS分子が形成されても硫黄原子が豊富に残り、SiS分子を形成することができるためであると解釈できる。一方、(3)C2分子やCH分子などの吸収帯の特徴とは逆に、HCN分子吸収は、N型星に比べてSC型星でむしろ強いことが明らかになった。これは、三原子分子であるHCN分子の存在量は、光球の温度に極めて敏感であり、SC型星の光球上層部が低温であるためにHCN分子が形成されやすいという効果が、炭素組成が小さいためにHCN分子が形成されにくいという効果に卓越しているためであると考えられる。炭素星の分子吸収スペクトルは、炭素組成と分子吸収、光球の温度構造が深く絡み合った結果として現れるが、赤外スペクトルの炭素組成に対する依存性は、基本的には以上のようにして解釈できる。これらの結果は、光球モデルによってもよく説明される。

図1:炭素星の赤外スペクトル(3-8m域)。上の3つがN型星、下の3つがSC型星のスペクトルである。図には同定された分子吸収を示した

 しかし、N型、SC型のいずれにおいても、COおよびCS分子吸収帯(4-8m)は、光球モデルから予想されるよりも弱く、波長が長くなるほどその傾向は顕著である。さらに、14m域では、HCN分子吸収帯が光球モデルからの予想に比べて著しく弱いことが確認されただけでなく、HCN分子の放射スペクトルが直接検出された。これらの結果は、従来の光球モデルのみでは説明が困難であり、外層大気および星周外層にCO分子やHCN分子などが多量に存在しており、それらの放射が赤外スペクトルに寄与している可能性を示している。M型星においても、ISOによる観測などによって、H2OやCO2を多量に含んだ外層大気の存在が示されており、分子を豊富に含んだ外層大気の存在は、進化の進んだ低温度星に共通の特徴であると考えられる。

 一方、25mおよび35m域を高分解能(約1200)で観測した10天体のうち、炭素星3天体およびM型星2天体で、鉄、硫黄およびケイ素の微細構造線が輝線として観測された。これらの輝線は、赤色巨星・AGB星では初めて検出されたものである。25m域のスペクトルを図2に示した。

図2:M型星5天体(左側)および炭素星5天体(右側)の25m域のスペクトル。検出された微細構造線を図中に示した

 観測された輝線の励起ポテンシャルから、これらの輝線は数百度ないし千数百度の領域から放射されていると考えられる。また、観測された輝線のフラックスから、この領域の質量は10-6〜10-5太陽質量に達すると見積もられる。これは、光球から恒星半径の数倍程度の領域に109(cm-3)を越える密度の高い領域が存在していることを示している。これは外層大気に相当する領域であり、その密度は、CO分子輝線の電波観測によって求められた星周外層における質量放出率(約)と膨張速度(約10km/s)から予測される密度より10倍程度高い。数百年程度の期間では質量放出率が一定であるとすると、外層大気の膨張速度は星周外層のそれに比べかなり小さいことになるが、これは外層大気において質量放出流が加速されるという描像と一致する結果である。

 また、顕著な結果として、炭素星では中性金属(鉄、硫黄)の輝線が検出されたのに対し、M型星では金属イオン(鉄、ケイ素)の輝線が検出されたことがあげられる。これにより、天体のサンプルは少ないものの、外層大気に存在する金属のイオン化状態は、炭素星とM型星で大きく異なることが示された。外層大気においては、数千度の温度をもつ彩層からの紫外線放射が金属のイオン化の主たる要因であると考えられるため、M型星に比べて、炭素星では彩層の活動が著しく弱いか、あるいは彩層のごく近くの領域で分子などによって紫外線の大部分が吸収されていることを示唆している。

 また、図に示したように、M型星で輝線が観測されたのは、 Her(M5型)および30g Her(M6型星)である。30g Herにおいては、金属イオン輝線に加え、外層大気に起因すると考えられるH2O分子およびCO2分子の吸収もしくは放射スペクトルも検出されており、外層大気の構造は極めて複雑であると考えられる。より早期型(M4型まで)の星には輝線は検出されなかったが、これは質量放出率が低過ぎるためであると解釈される。一方、より晩期型(M7-8)の星については、この波長域では外層大気(もしくは星周外層)のH2O分子およびダストからの放射が強く、金属の微細構造線は検出されなかった。この結果から、酸素過多星については、M6型を境に、イオン化の進んだ外層大気から分子およびダストの豊富な外層大気にかわるとみられる。

 以上のように、ISO SWSによって得られた赤色巨星・AGB星の赤外スペクトルには、光球における分子吸収に加えて、外層大気に存在していると考えられる原子および分子の放射も観測された。外層大気の存在は炭素星にもM型星にも共通しているが、そこでの化学反応は大きく異なり、M型星においては、この領域の化学反応に彩層が重要な役割を果たしていることが示唆された。本論文で研究した星は、質量放出率もさほど大きくはなく、星の脈動も小さいとみられるが、こういった天体でも、多様な分子や原子(中性およびイオン)を含む密度の高い外層大気が存在していることが明らかになった。

審査要旨

 本論文は7章からなり、第1章は論文全体の概要、第2章は観測とデータ整約、第3章は分子のライン吸収、第4章は炭素星の大気モデル、第5章は炭素星分子スペクトルの特徴、第6章はAGB星の金属微細構造線について述べ、研究全体の結論は最後の第7章にまとめられている。

 晩期型巨星の大気の研究はこれまでに観測、理論の双方から多くの研究がなされ、静的なモデルとしての骨組みはほぼ完成したといえる。しかしながら、巨星の進化に伴ういくつかの著しい現象、例えば大気化学組成の変化、質量放出、脈動等を研究するには現在のモデルの適用範囲をさらに拡大しなければならない。著者はこのような問題意識とともに、赤外線天体観測衛星ISOに搭載された短波長赤外分光光度計(SWS)を用いてN型星、SC型星それぞれ3つを観測した。

 取得したスペクトルを解析した結果、まず、CH、SiS.HCN分子吸収帯の強度がN型星とSC型星とでは大きく違うことが判った。この結果は基本的には、化学組成及びそれに付随する恒星大気温度構造の違いによるとして理解されるものである。しかしながら、著者は観測されたCOおよびCS分子の吸収帯強度が、光球モデルから計算されるスペクトルより弱いことを示した。この傾向はHCN分子ではさらに著しく現れ、輝線すら観測されたことが判った。これらの特徴から、著者は光球の外側に、従来考えられていたよりも高密度の外層大気の存在が必要であることを示した。著者の提唱する炭素星高密度外層大気は従来の大気モデルの枠組みから一歩踏み出たモデルとして、また大気からダストシェルまで一貫した質量放出モデルを考えるための重要な要素を与えるものとして評価される。酸素過多のM型星においてもH2OやCO2の観測から類似の外層大気の存在が想定されており、低温度の巨星に一般的な特徴であることが示唆される。

 著者はさらに炭素星とM型星10個のSWS観測から、Fe,S,Siの微細構造線を輝線として検出した。これらの輝線は温度が数百から千数百度の領域から放射されていると考えられ、輝線のフラックスから推定される放射領域の質量は10-6〜10-5太陽質量、密度は109cm-3と見積もられる。この密度は電波CO輝線の観測から推定されるダストシェルの密度を1桁上回り、著者の提唱する外層大気が質量放出の基盤となっていることを強く示唆するものである。また、炭素星とM型星とでは輝線の現われ方が異なり、炭素星ではFeIとSIの輝線であるが、M型星ではFeIIとSiII輝線が観測された。この違いは外層大気における紫外輻射強度の差に起因すると考えられる。M型星でもM4より早期の星からはイオン輝線が観測されなかったが、これは質量放出率が低すぎたためであろう。逆にM7より晩期になるとおそらくダストやH2O分子の輻射が強すぎて輝線の検出は大変困難になる。

 以上の結果から判るように、N型炭素星とSC型星の赤外線スペクトルの解析により、著者は光球の外側にかなり高密度の外層大気が存在することを示した。この外層大気は亜音速の膨張速度を持ち、質量放出の基盤層となっている可能性が強い。中性Fe、S輝線の観測からは紫外輻射が弱いこともわかり、層内での化学反応を考える際に重要な手がかりが与えられた。一方、M型星のスペクトルからは、M5,6型で外層に強い紫外輻射場が存在することが分かった。この輻射は光球に接して彩層が存在するためと考えられ、M型星大気の化学反応を研究するに当たり重要な条件を与えている。質量放出のメカニズムはいまだに解明されていない大問題であるが、本論文で提唱された炭素星高密度外層大気は光球と恒星風臨界点との間隙を埋める極めて興味深いモデルである。現在はまだ、温度、密度、半径などの概略値しか得られていないが、将来この外層大気の研究がさらに進み、質量放出大気の一貫したモデルが完成することを期待したい。

 なお、本論文第5章と第6章は、辻 隆、大仲 圭一氏との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析および検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54680