学位論文要旨



No 114057
著者(漢字) 川崎,渉
著者(英字)
著者(カナ) カワサキ,ワタル
標題(和) 南天近傍銀河団カタログの作成
標題(洋) A Catalog of Nearby Clusters of Galaxies in the Southern Hemisphere
報告番号 114057
報告番号 甲14057
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3546号
研究科 理学系研究科
専攻 天文学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 古井,讓
 東京大学 助教授 川良,公明
 東京大学 助教授 須藤,靖
 国立天文台 教授 小林,行泰
 東京大学 教授 岡村,定矩
内容要旨

 宇宙の幾何学的性質を定める宇宙論パラメータと呼ばれる諸量の値を求めることは、宇宙の質量全体の9割を占めると考えられている暗黒物質の性質を調べることと並んで、宇宙論の分野において現在最も重要な問題の一つである。宇宙論パラメータのうち独立なものは3つであり、ハッブル定数H0、密度パラメータ0、及び宇宙定数A0が用いられることが多い。ハッブル定数の値が宇宙年齢のおおよその値を反映しているのに対し、無次元量である0とA0は宇宙膨張の仕方を微妙に変化させる。その結果、宇宙における銀河・銀河団等の構造形成に影響を及ぼしたり、極めて遠方の天体までの距離とその赤方偏移との関係が微妙に異なってくる。逆にこれらのことを利用して、観測的に宇宙論パラメータの値に制限を付けようとする様々な試みがなされている。この中で最も代表的なものとして、銀河或は銀河団の数密度や、それらをプローブとして得られる宇宙の大規模構造の研究がある。本論文では、この種の研究に欠かせない、大規模で且つ精度の高い、新しい銀河団カタログの構築を試みる。

 銀河団は、自己の重力によって形を保っている構造としては最大規模の天体である。その力学平衡に達するまでに要する時間は10億年以上にもなり、宇宙自体の年齢(100億年程度)と比べて無視できない長さを持っている。このため、銀河団の形成と進化は宇宙自体の進化の影響を強く受けていると考えられる。宇宙論パラメータに制限を与えるためには数多くの銀河団のサンプルの統計的な解析を行なうことが必要になる。以前のこの種の研究では、既存の銀河団カタログからサンプルが取られていた。現在用いられている大規模な銀河団カタログ(Abell(或はACO)カタログ、Edinburgh-Durham銀河団カタログ、APM銀河団カタログ)は、いずれも写真乾板による銀河の撮像データを元にして作られている。これらのカタログで共通する点は、いずれも天球上に投影された銀河の2次元分布の密度が高い場所を銀河団と見倣している点である。ところが、このような場合、実際には距離が全く異なるにも関わらず、偶然に天球上に銀河が集中してみえる場所を銀河団だと誤認するケースがかなり多く存在するという指摘がされている。また逆に、遠方や小規模な銀河団の場合には、見えているメンバー銀河の数が不十分なため検出ができないという事態が発生する。実際、上に挙げた銀河団カタログのいずれも、赤方偏移(以後zと表記する)にして0.1よりも遠方ではサンプルの完全性がかなり落ちることがわかっている。z=0.1という距離は、典型的な大規模構造のスケールとされている約100Mpcの高々2倍程度にしかならず、宇宙論的な興味からするとサンプルの量が十分とはまだ言い難い。検出した銀河団が偽でないかを確認するためには、分光観測によってメンバー銀河のzを直接測定しなければならないが、これは大変な労力を要する作業であり、例えばAbell/ACO銀河団のうち、zが測定されて距離が分かっているものは全体の1/6程度(約1000個)しかない。X線観測に基づいた銀河団カタログの作成もされてはいるが、視野、積分時間等における効率が可視光に比べて悪いため、可視光データから作られたものに匹敵する大規模な銀河団のデータベースの作成は、現在のところ非常に困難と思われる。私はこの論文で、可視光の銀河データを用い、なお且つ従来よりも精度の高い銀河団カタログを構築することを試みた。

 銀河データとしてはAPM銀河カタログを用いた。これは、オーストラリアのUKシュミット望遠鏡によって撮影された写真乾板から作られた銀河のカタログで、南天の約6000平方度もの天域をカバーしており、bJ等級で20.5等までの銀河約330万個を含む、均質な銀河のサンプルとしては現在世界最大級のものの一つである。まず、これを効率良く処理して精度の高い銀河団カタログを作成するためのコードの開発を行なった。このコードはPostman et al.(1996)によって最初に示された"matched-filter method"の一種である。この方法の最大の特徴は、天球上の銀河の位置分布だけでなく、個々の銀河の見かけ等級を同時に考慮して銀河団の検出を行なうことにある。具体的には、銀河団のメンバー銀河の天球上での空間分布と見かけ等級の分布のモデルを用意し、モデルと実際の銀河データとを比較して最尤法を適用し、尤度が局所的に最大になる場所を銀河団と見倣すというものである。この時、銀河団モデルには、銀河団までの距離(即ちz)と銀河団の規模とが自由パラメータとして含まれているので、さらにそれらを調節して銀河団(候補)の場所での尤度を最大化することによって、モデルを介在してではあるが、銀河団を検出するだけでなくそのzと規模とを推定することができる。即ち、分光観測なしに銀河団の3次元空間分布を得ることが可能である。Postman et al.(1996)の方法では、銀河団のzと規模の推定にやや統計誤差があったのだが、私が作成した銀河団検出コードでは、尤度の計算において彼らと若干異なるものを採用し、統計誤差を抑えることができた。遠方銀河団の探査のために、視野は狭いが限界等級が暗いデータに対してmatched-filter法が用いられることは最近多くなっているが、本論文のように、広い領域のデータに対して比較的近傍の(だが従来のカタログではサンプリングが不完全になっている)銀河団の検出を目的としてこの方法が用いられた例は、まだ他に存在しない。

 APM銀河カタログのカバーする領域のうち、銀緯b<-40°、赤緯<0°の約5800平方度の領域について銀河団検出を行なった。そのうち、南銀極付近の10×10平方度の領域について、元の銀河分布(図1)と検出結果(図2)を示す。その結果、規模が大体Abell Richness Class 0以上(Abell/ACOカタログに載っている銀河団と同じ規模)に相当する銀河団(の候補)を、z<0.2の範囲内で約9000個検出した。またその数密度はz=0.2までほぼ一定であった。これはz<0.2の範囲内ではAbell Richness Class 0以上に相当する規模の銀河団はほぼ完全に検出されていることを意味しており、Abell/ACOカタログに比べてzにして2-2.5倍遠方までの銀河団を完全に検出できたことになる。ここで強調しておきたいのは、元になった乾板データは私の作成したカタログとAbellカタログ(南天分)とで同じであるにもかかわらず、結果として2倍以上遠方まで完全なサンプルを作ることができたということである。なお、Abellカタログが完全に銀河団をサンプリングしていると思われるz<0.1での銀河団の数は、今回検出したものとAbellカタログとで良く一致している。

図1(左):南銀極付近の10°×10°の領域の銀河分布。図2(右):図1の銀河データに対して銀河団検出コードを適用した結果。+印が今回検出した銀河団候補。丸印はAbell銀河団。

 さらに、今回検出された銀河団の個数密度をモデルと比較することによって、宇宙論パラメータの一つである密度パラメータ0の値の簡単な考察を行なった。その結果、今回検出された銀河団の個数密度は標準的CDMモデル(0=1)の予想する値よりも数倍多く、大体0〜0.2-0.3のモデルに合う。この結果は、他の研究で予想されている値の範囲内に入っている。

審査要旨

 銀河団とは、数千個の銀河がお互いを重力で束縛して形を保っている銀河集団で、宇宙における天体としては最大規模のものである。一般に、これら銀河団が力学平衡に達する時間は宇宙の年齢と比べて無視できないため、銀河団の形成や進化には、宇宙自体の進化が強く影響していると考えられている。このことを利用して、銀河団の数密度や銀河団がつくる宇宙の大構造から、膨張宇宙を記述する基本パラメータの値を観測的に制限する研究が注目されるようになってきた。しかしながら、既存の銀河団カタログでは、サンプル数と精度が充分とは言えず、統計的に有意な定量的議論は可能になっていない。このような背景から、本論文に於いて、著者は銀河団を効率良く検出するデータ処理法を確立し、かつてないサンプル数と精度をもつ、新しい銀河団カタログの構築を行った。

 本論文は4章で構成されている。研究の意義と背景を解説した序章に続いて、第二章では、いわゆる"matched-filter method"という銀河団検出法を改良し、写真乾板による銀河の撮像データを効率良く処理して精度の高い銀河団カタログを作成するためのコード開発について述べている。この方法では、まず銀河団のメンバー銀河の天球上での空間分布と見かけ等級の分布のモデルを用意し、この銀河団モデルと実際の銀河データとを比較して最尤法を適用し、尤度が局所的に最大になる場所を銀河団として検出する。銀河団までの距離(即ち赤方偏移)と銀河団の規模とを自由パラメータとして調節することによって、銀河団を検出するだけでなく、分光観測なしにその赤方偏移と規模とを同時に推定する。従来の方法では、赤方偏移と規模の推定に系統誤差が残ることが難点とされていたが、本論文で開発された銀河団検出コードでは、尤度計算法に独自の改良を加えることで系統誤差を抑えることに成功している。著者は人為的に作り出した銀河データにこの銀河団検出コードを適用し、検出した銀河団と実際にインプットした銀河団との比較から、銀河団の位置、赤方偏移、規模の推定値の誤差を詳細に検討した。また銀河団の検出率や偽検出についても評価を加えた。この結果、可視のBJ等級で20.5等までの銀河のデータに適用した場合、赤方偏移がz=0.2までは、検出された銀河団の推定値は充分な精度があり、充分な完全性をもった銀河団カタログを構築しうることを示した。これは、既存のカタログより2倍以上遠方の銀河団を検出できるという点で画期的であり、著者が開発した銀河団検出コードは極めて有用なものであることを明確にした。

 第三章は、このコードを実際の銀河カタログに適用して得られた銀河団検出結果の記述である。本論文で用いた銀河カタログは、オーストラリアのUKシュミット望遠鏡によって撮影された写真乾板から作られたAPM銀河カタログで、南天の銀緯b<-40°、赤緯<0°の約6千平方度もの天域をカバーしており、可視のBJ等級で20.5等までの銀河約330万個を含む、均質な銀河のサンプルとしては現在世界最大級のものである。著者はこの膨大な銀河データから、既存のAbell/ACO銀河団カタログに載っているRichness Class 0以上の規模の銀河団候補を、赤方偏移z<0.2の範囲内で約9000個検出した。この結果の信頼度のチェックとして、既存のAbell銀河団カタログが完全にサンプリングしていると思われるz<0.1での銀河団の数と位置が、今回検出したものと良く一致していることを確認した。ところで、既存の銀河団カタログは、いずれも、天球上に投影された銀河の2次元分布の密度が高い場所を銀河団と見倣すため、実際には奥行距離が全く異なるにも関わらず、偶然に天球上に銀河が集中してみえる場所を銀河団と誤認するケースが多い。また、小規模な銀河団の場合には、メンバー銀河の数が不十分なため、銀河団ではないと誤認するケースも多い。このような誤認は赤方偏移とともに増加するため、これが従来の銀河団カタログを構築する際の障害となっていた。しかしながら、今回検出したRichness Class 0以上の規模の銀河団候補の数密度はz=0.2までほぼ一定であることから、その規模の銀河団はその赤方偏移までほぼ完全に検出されていると考えられる。このような大規模なデータ解析によって、サンプル数、赤方偏移、精度のいずれにおいても、従来のカタログを凌駕する銀河団のデータベースを完成させた。

 最終章では、今回検出された銀河団の個数密度が標準的CDM宇宙モデルが予想する値よりも数倍多く、密度パラメータが0〜0.2-0.3の範囲にある低密度宇宙のほうがより観測と合うことを示した。また規則的な形状を持つ銀河団に属する個々の銀河の典型的な明るさは、不規則な銀河団に属する銀河より有意に異なり、約0.5等程明るくなっていることを見出した。これらの知見は、膨張宇宙での銀河団の形成について重要な手がかりを与えるものである。

 以上述べたように、本論文は、大規模かつ高精度の銀河団カタログの構築を通じて、銀河団やそれに属する銀河の形成・進化過程に新しい知見をもたらし、銀河団をプローブとした観測宇宙論研究に大きな貢献をしたものと判断する。なお、本論文の第2章は、嶋作一大、土居 守、岡村定矩氏との共著論文としてすでに学術雑誌に公表済みであるが、この部分についても著者が中心的な寄与をしている。よって委員会は全員一致で、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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