学位論文要旨



No 114064
著者(漢字) 大谷,竜
著者(英字)
著者(カナ) オオタニ,リュウ
標題(和) GPSによる可降水量推定の評価に関する研究
標題(洋) A study on the evaluation of GPS retrieved precipitable water vapor
報告番号 114064
報告番号 甲14064
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3553号
研究科 理学系研究科
専攻 地球惑星物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 加藤,照之
 東京大学 教授 木村,龍治
 国立天文台 助教授 内藤,勲夫
 東京大学 教授 浜野,洋三
 東京大学 教授 大久保,修平
内容要旨

 水蒸気は地球上で生じる様々な気象現象において重要な役割を果たしている.水蒸気は降水の源であり,その時空間分布を知ることは降水予報にとって極めて重要である.特に集中豪雨や局地的な降雨等のメソスケール現象の予報を行うには時間単位で,数十kmスケールの水蒸気の変動を捉えることが必要である.一方,このスケールの水蒸気分布の非一様性は,VLBIやGPS等の宇宙測地技術を使った測位の精度を制限している最大の誤差要因であると考えられており,こうした規模の水蒸気の分布と変動を知ることは測地学にとっても不可欠である.しかしながら,これまではこうしたスケールの水蒸気の変動を陸上で広域かつ連続的に観測する有効な手段がなかった.

 近年,GPSを使って大気中の可降水量(単位面積あたりの気体柱に含まれる水蒸気の総量)を精度よく,高い時間分解能で推定できることが米国における研究で明らかにされてきた.特に我が国には,地殻変動の監視を目的に国土地理院により全国平均で約25kmの稠密なGPS観測網が展開されており,この観測網を使って面的に詳細な水蒸気の分布とその変動を連続して捉える可能性のある世界でも稀なフィールドである.アジアモンスーン帯に属し,水蒸気の変動の激しい日本においては,可降水量を精度よく高い時空間分解能で捉えることは大変重要である.

 そこで本研究は,日本におけるGPS観測から推定される可降水量(GPS可降水量)の精度を評価し,特にリージョナルなスケールの水蒸気の変動の検出を試みて,我が国におけるGPSを使った可降水量測定の有効性を調査することを目的とした.そのために以下の一連の研究を行った.(1)国土地理院の測位目的の定常解析から推定されたGPS可降水量のラジオゾンデによる精度評価,(2)つくば局におけるGPS観測から独自の解析で推定されたGPS可降水量の精度評価とその系統的な偏差の原因解明,(3)水蒸気ラジオメータとの比較による高時間分解能でのGPS可降水量の精度評価,(4)国土地理院GPS観測網を用いた可降水量の日変化に関する事例解析.

 まず(1)では,日本におけるGPS可降水量の基本的な推定精度を明らかにすることを目的とした.国土地理院が地殻変動監視を目的とした定常解析から副産物として求められるGPS可降水量と,全国十数点において一日2回の定常ラジオゾンデ観測による可降水量との比較を行った.定常解析結果として1995年一年のGAMIT解析ソフトウエアによるもの,及び1996年後半のBernese解析ソフトウエアによるものそれぞれについて比較評価した.その結果,GPS可降水量はr.m.s.でそれぞれ3.2mm,3.5mmで一致し,SSM/I等の気象衛星による水蒸気測定法に匹敵する精度を持っていることを示され,湿潤で水蒸気の変化の激しい日本においてもGPSを使って可降水量を精度よく測定できることが分かった.しかしながら,特にGPS可降水量とラジオゾンデの可降水量との間には系統的な偏差があることが分かった.即ち,(A)可降水量の絶対量が多くなると,GPS可降水量とラジオゾンデの可降水量の差が大きくなること(偏差の量依存性),(B)この偏差の量依存性は,ラジオゾンデの放球時(00 UT.12 UT)によって異なること(偏差の時刻依存性),である.この特性は,解析ソフトウエアが異なるにも関わらず同様に見られ,また全く異なる解析アルゴリズムを使った別の解析ソフトウエアを使って改めて推定したGPS可降水量にも同様な傾向が見られることから,解析ソフトにはよらないものであることが示された.

 (2)では,つくばにおける1995年から1996年の2年間のGPSデータを独自に解析して,この偏差の原因を調べた.定常ラジオゾンデ観測との比較の結果,GPS可降水量は全体的にバイアスは小さく,精度も定常解析によるものと同等か若干よい結果が得られたが,やはり(1)で見られたものと同様な偏差の系統性が見られた(図1).GPSの解析モデルを検討し,新たな解析を行った結果,B)については海洋潮汐荷重による観測局の変位を解析時に加味することで,またA)は,マッピング関数において圏界面高度と地上気温の季節変動を考慮することで小さくすることができた.この結果,可降水量の量や時刻に依存した系統的な偏差はほとんど見られなくなったが,GPS可降水量に00 UTと12 UTとで1mm程度異なる,約2mmの,量に依存しない一定量のバイアスが残った.

図1 つくばにおける2年分の解析から得られたGPS可降水量と,一日二回の放球から得られたラジオゾンデの可降水量との相関図.図中の直線は,放球時間毎に分けた両者の線形フィット.その傾きとy切片の値も示す.

 定常のラジオゾンデ観測は一日2回と時間分解能が粗いため,一日以下の時間スケールのGPS可降水量の精度の評価はできない.そこで,1997年の夏に気象研究所を中心として約10日間にわたって行われた特別観測に参加し,複数の機種から得られたGPS可降水量を3時間毎に行われたラジオゾンデ,1分毎に得られた水蒸気ラジオメータそれぞれによる同時観測で評価した(3).この比較から,GPS可降水量はラジオゾンデ,水蒸気ラジオメータの観測値に対してr.m.s.で約2mm程度で一致することが分かった.同時にGPS可降水量には,水蒸気ラジオメータには見られない振幅で1〜l.5mm程度,数時間程度の時間スケールを持つ変動があることも見いだされ,こうした短周期の変動がGPS可降水量の精度を規定する大きな要因であることが示された.この変動は,一日の内のある決まった時間帯に卓越することから,一恒星時の周期で再現される衛星の天球上の配置に関係していることが示唆された.更にこの変動はGPS解析時の最低仰角の設定に依存することから,衛星電波の地面等からの反射(マルチパス)やアンテナ位相中心の変動が原因として考えられたが,同時期に別の場所で同条件で行われた観測や,平行して行われた2台の異機種アンテナによる観測にも同様な変動が見られることから,これらの問題である可能性は低く,はっきりした原因は分からなかった.

 以上の比較評価から,我が国においてもGPSを用いて可降水量を,絶対値で2mm,相対値で2mm程度(r.m.s.で3mm)の精度で測定できることが検証された.

 国土地理院の稠密GPS観測網によって,特にリージョナルなスケール(〜数十km)の水蒸気の変動を検出できるかを調べるために関東地方における事例解析を行った(4).(2)で推定されたつくばにおけるGPS可降水量をみると、特に夏場において関東域で総観規模の擾乱が発生していないにも関わらず,日変化が大きく卓越した日々が見られる.そうした気象条件下では海陸風,山谷風等,日周期特性を持つ局地循環が発達することが期待されることから,GPS可降水量の日変化は,局地循環によって運搬された水蒸気の変動を検出しているものと考えられる.そこで,局地循環に伴う水蒸気の変動を検出することを目的に事例解析を行った.解析はつくばのGPS可降水量に顕著な日変化が観測された,1996年7月17日,18日について行った.関東・中部地方に設置されている,およそ200点の国土地理院のGPS観測局で得られたGPSデータの解析を行い,5分毎に可降水量を計算した(図2).

図2 国土地理院GPS観測網の約200局から推定された,1996年7月17日の可降水量の時空間変化.単位はmm.各局における0905JSTからの偏差をプロット.矢印はアメダスによる地上の風向風速.

 その結果,GPS可降水量の時空間変動に以下のような特徴があることが分かった.朝方には関東域では可降水量の分布の非一様性は小さいが,午後になるにつれて房総や伊豆半島,東京湾周辺など沿岸地方の広い範囲での可降水量の減少,関東内陸部での可降水量の増加が見られた.これは関東地方を覆う大規模海風により,沿岸から内陸へ水蒸気が輸送された結果として解釈される.このことは,沿岸での可降水量の減少は大規模海風がもっとも発達する午後3頃まで持続し,その後海風の衰退とともに可降水量の増加へと転じたことからも支持される.

 一方,関東内陸では一貫して可降水量は増加を続け,特に北関東の山岳地帯を中心とした地域では夕方頃極大となり,朝からの日較差は最大約12mmにも及んだ.過去に行われた局地循環の数値シュミレーションによれば,晴天静穏時の局地循環によって水蒸気は平地から山岳へと輸送され,その輸送量は山岳の水平規模が100km程度のときに最大になり,夕方頃に極大となることが示されている.関東北部の山岳地域は水平規模が約100km程度であり,局地循環による顕著な水蒸気の集積が期待される場所である.今回この地域において見られたGPS可降水量の変動は彼らの結果と調和的であり,局地循環による水蒸気の輸送と蓄積を捉えたものと解釈できる.アメダスによる地上風系を見ても,関東平野からの風と日本海側からの海風が北関東山岳地帯において収束している様子が見られ,この地域での可降水量の増大が局地循環によるものであることを支持している.

 また夏季の局地循環によって山岳へ蓄積された水蒸気は,午後になっての雷雨や夕立等の局地的降雨の発生のトリガーとなっている可能性が指摘されていたが,今回の2つの事例において,局地的で短時間の降雨がレーダーアメダスで観測され,その降雨の発生地域は可降水量の増大域に対応していることが示された.

 夕方以降夜半すぎに掛けて,北関東山岳地域で増大した可降水量の蓄積域が南下していく様子が見られる.これは上層風に乗って,山岳に蓄積された水蒸気が輸送されたためと解釈できる.つくばにおけるGPS可降水量の変動は午後にかけて増大を続け夜半に最大となるが,同日の9時と21時におけるつくばでの定常高層観測によると,水蒸気の顕著に増大する高度が,1000mから4000mと比較的高く,この増大が北関東山岳地帯からの移流によるものであることと矛盾しない.

 以上の結果から,稠密なGPS観測網を使って高い時間分解能で可降水量の変動を調べることにより,局地循環に伴う水蒸気の輸送の事例を世界で初めて明瞭に捉えることに成功した.このことは,既存の気象学的観測手法では捉えられなかった,空間スケールで数十km程度,時間スケールで一日以下といったスケールの水蒸気の変動の検出や水蒸気塊の追跡にGPS観測網は非常に有効であることを示している.今後,GPS観測網から得られる水蒸気情報を,他の様々な気象観測や数値シュミレーション等と組み合わせて,より多くの事例解析を通じることにより,水蒸気の動態に関する知見は深められ,特にメソスケールの気象現象の予報に大きく貢献できることが期待される.

審査要旨

 本研究は,GPS観測から推定される大気中の可降水量の精度を検証し,特に今まで捉えることのできなかった,数十km程度のスケールの水蒸気変動を検出することで,GPS観測網を用いた可降水量測定の地球物理学的意義を論じたものである.水蒸気は地球上の様々な気象現象において重要な役割を果たす一方,その空間分布の非一様性が,宇宙測地技術を使った測位の精度を制限している最大の誤差要因であると考えられており,水蒸気の分布とその時間変動を精度よく知ることは,気象学のみならず,測地学にとってもきわめて重要な研究課題である.

 本論文は6つの章から構成される.第1章は序論であり,GPSを用いた可降水量測定の意義を,既存の気象学的測定方法との対比やGPS技術の発展の歴史的背景を概観しながら説明している.第2章では,GPSを用いた可降水量測定の原理,及びこれまで行われたGPS可降水量の推定に関する研究の詳細で包括的なレビューに充てられている.

 第3章では,国土地理院によって,地殻変動監視を目的として全国で実施されているGPS観測の定常解析から求められているGPS可降水量推定値と,全国十数点において一日2回実施されているラジオゾンデ観測による可降水量推定値との比較を行っている.約1年半にわたる長期のデータを用いた比較から,両者は4mm程度以内で一致し,多様な気象条件を有する我が国においても,GPS可降水量は既存の測定法に匹敵する精度を持っていることを示した.同時に,両者の間には系統的な偏差が存在すること,異なるGPS解析ソフトウエアを用いた結果にも同様な偏差が見られることを明らかにした.

 第4章では,この系統的偏差の原因調査を行っている.まずつくばにおける1995年から1996年の2年にわたるGPSデータを独自に解析して推定したGPS可降水量を評価した結果,定常解析に見られるのと同様な系統的な偏差が見られ,こうした偏差は解析アルゴリズムや衛星の暦等にはよらないものであることを確認している.そしてGPSの解析方法を検討し,海洋潮汐荷重による観測局の変位やマッピング関数の季節変動を解析時に考慮に入れることで偏差を小さくできることを示した.ここで得られた結果は,精度よくGPS可降水量を推定する際に地球物理的環境の効果が重要であることを示したものであり,GPS可降水量の誤差要因についての一つの可能性を提案するものとして意義深いものである.

 第5章では,より高い時間分解能でのGPS可降水量の精度評価を行っている.1997年の夏に行われた特別集中観測から得られたデータの解析を行って5分毎の可降水量を推定し,3時間毎に行われたラジオゾンデ観測,5分毎に収集した水蒸気ラジオメータ観測に対して約2mmの精度で一致することを示した.同時にGPS可降水量には,水蒸気ラジオメータには見られない,振幅で1〜1.5mm程度,数時間程度の時間スケールを持つ変動があることを見出した.この原因について,様々なGPS観測条件下で得られたデータを比較して考察を行い,GPSアンテナの位相特性等といった観測点の極近傍を起源とするノイズがGPSによる可降水量推定の短周期変動に寄与している可能性を示し,今後の精度向上への誤差源解明の指標を与えた.

 第6章では,国土地理院のGPS観測網を使って,GPSが数十km程度のスケールの水蒸気の変動を検出できるかを調べるため,夏季の関東地方における可降水量変動の事例解析を行っている.アメダスによる風や降水量データとの比較の結果,GPS可降水量に見られる時空間変動が局地循環に伴う水蒸気の輸送の結果として説明でき,局地循環に伴う水蒸気の時空間変動の詳細を捉えることに成功した.このことは,既存の気象学的観測手法では捉えられなかった,スケールの小さな水蒸気変動の追跡にGPS観測網が非常に有効であることを示すものであり,その有用性を実証するものとして,高く評価できる.

 以上を要するに,本論文はGPS観測から推定される大気中の可降水量の精度と特性についての評価及び誤差原因についての調査を行い,また局地循環に伴う水蒸気の変動の詳細を初めて明瞭に捉えたものであり,その地球物理学的意義は高く評価される.

 なお,第3章は国立天文台助教授内藤勲夫氏との共同研究であるが,論文提出者が主体となって解析を行っており,論文提出者の寄与が十分であると判断する.

 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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