希ガスは地球内部のマグマ源の状態やマグマの生成・移動に関する過程の識別に有効なトレーサーである。希ガスは化学結合をつくらないので、その同位体比の変化は放射起源同位体の付加程度の差などによって生じた異なった成分やそれらの混合の履歴を反映する。特に3He/4Heは大気などの表層物質の影響を受けにくいため、これまでマグマ源の識別に利用されてきた。一方、より重い希ガスの同位体比、中でも40Ar/36Arは表層物質による混染の影響を非常に受け易い。この変動が生じている場を特定できれば、その噴出環境を反映する大気的な成分の混入を高感度に検出し、その過程についての情報が得られる可能性がある。しかし、マグマの生成から噴出にいたる数多くの過程においての影響が考えられるため、どの段階が主要なのかの特定が非常に難しく、これまではそのような試みはなされてこなかった。 中央海嶺玄武岩(MORB)は海底拡大系においてマントル物質から生成されるマグマの地球化学的特徴をもっとも反映した物質であると考えられている。そのマグマ源は海嶺軸直下のペリドタイトであると推定され、海洋島玄武岩等に比べて非常に一様な組成を示すことから、異なるテクトニクスの場での火成活動を比較する基準に用いられることが多い。例えば、3He/4Heは8±1RA(RA:大気の3He/4He)で特徴づけられ、グローバルに非常に一様である。一方、MORBの40Ar/36Arは大きな変動を示すが、一般的には、30,000以上の40Ar/36Arを示す共通の源物質からマグマが生じ、噴出に至る様々な段階で大気的な希ガス(40Ar/36Ar〜300)の混入を被るためであると解釈されている。 これまでMORBのマグマ源の情報を得るためには、急冷ガラス部分が専ら用いられてきた。しかしながら、最も揮発性成分に富んだMORBの一つである2D43に対して、段階破砕法やレーザー加熱法などを適用し、ガス抽出段階での大気成分の寄与を抑えてもなお、それぞれの同位体に対して大気成分の寄与がみられることが知られている。このような単一試料内でみられる希ガス組成の変動がマグマの生成・移動に関する過程の情報を覆いかくしていた可能性が高い。本研究では、マグマの噴出以降の影響を抑えてマグマ起源の希ガス組成情報を得る手法を確立し、インド洋地域のMORBに応用した。 先ず噴出時以降の変化は試料状態に反映されていると考え、新鮮な単一の枕状溶岩のガラス質部分の内での希ガス組成の変化を詳細に調べた。これは、試料に由来する大気的な成分の寄与を抑えるための試料選別の基準を確立するためである。その結果、実体鏡や顕微鏡下で観察される組織の違い(これは急冷表面からの深さに関連して変化する)と希ガス組成との間に関連があることが判った。色調や透明度にむらがある外縁やクラック沿いと考えられる部分では、大気的な組成の希ガスが段階加熱の際の低温段階で多量に抽出された。また、急冷結晶の晶出があり、結晶質部分への漸移層に近いと考えられる部分ではマグマ起源の成分の減少がみられた。それらの中間にあたる均質な部分は噴出マグマ固有の情報をより保持していることが推定できた。 従って、試料選別に際しては「可能な限り均質な急冷ガラス部分を選び出す」ことが非常に重要であることが明らかになった。この際、例えば実体鏡下の観察などで均質性が充分に示されればよい。従来の希ガス分析において試料の選別にこれほどの考慮が払われているとの報告はほとんど例がない。 次に、実際のMORB試料を対象に上記の基準を適用して試料を選別し、その有効性を検証した。この際、ガス抽出は段階加熱法によったが、これは試料のvesicularityが非常に低いため、破砕法が有効ではなかったことによる。一個の枕状溶岩から分け取った試料では40Ar/36Arは測定誤差の範囲内で一致し非常に良い再現性を示した。例えば、DR25Alb#2で17500±5600、DR25Alc#2で16100±600であった。これと同じ地点で回収された異なった岩石の分析値も非常に近く、DR25A2は14400±500を示した。このことは、得られた40Ar/36Arがその場に噴出したマグマの値を反映しているとみなしてよく、また、試料の選別が有効であったことを示している。 更に本研究で確立した試料選択基準に基づいて、インド洋のロドリゲス海嶺三重点周辺地域の試料から、マグマの生成・移動過程における環境に対する制約条件を得ることを試みた。ここでは拡大速度の異なる3つの海嶺が会合しており、典型的な海嶺三重点の特徴を示す。試料は、中程度の拡大速度を持つ中央インド洋海嶺(CIR:両側拡大速度48mm/y)と南東インド洋海嶺(SEIR:55mm/y)で海嶺軸に沿って100kmにわたり採取されたものを用いた。 希ガスの存在度は典型的なMORBの特徴(Heに富み重い希ガスほど減少する)を示す。3He/4Heは8.36±0.33RAでほぼ一様であり、Ne同位体比、Xe同位体比とも大西洋・太平洋で知られている変動の範囲内に収まる。一方、40Ar/36Arは16,000以下で太平洋・大西洋に比べてやや低い範囲にとどまっている。大気的な成分の混合に影響されにくいHeを除けば、いずれも大気的な成分を一方の端成分とする2成分の混合でこれらの特徴は説明できる。さらにマグマ起源の希ガス成分の量はマグマ源の溶融やマグマの脱ガス等を反映していると考えても矛盾がない。 また、海嶺軸沿いに地形に対応して希ガス組成の変動、とくに40Ar/36Arに反映されるマグマに対する大気的な成分の寄与が見いだされた。得られた40Ar/36Arは同じセグメント内では類似した値を示し、その値が各セグメントにおけるマグマの噴出環境を反映している可能性が指摘できる。例えば、SEIRの第1セグメントでは30kmの距離にわたる3点試料で40Ar/36Arは6000内外と非常に近く、その領域は水深の浅い地形的な高まりと対応しているようにみえる。また、地形の切れ目にあたる三重点では40Ar/36Arは際だって高くなっている。このような地形ないし噴出位置と希ガス同位体比との対応は上記のような試料選別基準を適用して、噴出時以降に生じた大気的な成分の影響を除去した試料において初めて明らかになったことである。 40Ar/36Arと36Ar量を用いたプロットを作成すると、類似した40Ar/36Arを示す試料の中で36Arの最も多いものどうしが2成分混合を示唆する直線をつくる。このことは、40Ar/36Ar≧16000の共通の端成分と大気的成分の混合した結果として解釈できる。しかもセグメント単位のグループ内で非常に近い40Ar/36Arを示す。これは、1試料の中でさえ容易に変動し得る大気的な成分の混合の程度が、噴出前のマグマにおいては少なくともセグメント程度の空間的なひろがりで均一化されていることを示唆する。 そのような大気的な成分の混合の仕組みとしては、以下の2つの可能性が考えられる。第1は生成したマグマがマグマ溜まりまで上昇する間に平均化すると考えるもので、第2はマグマ溜まりの中で混合がおこり平均化されると考えるものである。しかしこの地域ではそれぞれの海嶺の拡大速度が比較的遅く、マグマ溜まりの連続性が期待できないため、第2のモデルの可能性は低い。一方、第1のモデルでは海洋地殻深部までキャリアーが達しそれとマグマとの混合がセグメント単位で均質化される必要があり、熱水循環が寄与していると考えられる。またこのことは、熱水循環系がセグメントを単位として生じている可能性を示唆する。 さらに、大気的な成分の寄与の程度については海嶺の火成活動ならびにそれに関連した熱水活動との関連が示唆される。例えば、三重点の試料でこの地域でもっとも高い40Ar/36Arが示され、一方、発達したセグメントで水深も浅いSEIRの第1セグメントで40Ar/36Arが低くなっている。この地域では現在活動的な熱水湧出は発見されていないが、希ガス組成の変動からは熱水活動が反映されている可能性は高い。このことは、本研究で対象とした地域でのより詳細な調査により明らかにされよう。さらにこのような観点からグローバルな希ガス組成変動を解釈することが可能である。例えば、SEIRと同程度の拡大速度を示す太平洋のJuan de Fuca海嶺では、これまで非常に低い40Ar/36Arのみ報告されているが、これを活発な熱水活動の反映と解釈することができる。 |