学位論文要旨



No 114071
著者(漢字) 辻野,博之
著者(英字)
著者(カナ) ツジノ,ヒロユキ
標題(和) 太平洋における熱塩循環の数値モデルによる研究
標題(洋) Modelling study on thermohaline circulation in the Pacific Ocean
報告番号 114071
報告番号 甲14071
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3560号
研究科 理学系研究科
専攻 地球惑星物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 安田,一郎
 東京大学 教授 杉ノ原,伸夫
 東京大学 教授 山形,俊男
 東京大学 助教授 日比谷,紀之
 東京大学 助教授 沼口,敦
内容要旨 1.はじめに

 太平洋では、大西洋と異なり大規模な深層水塊の形成はおこらず、北部大西洋と南極縁辺海(主にウェッデル海)で形成した深・底層水塊が南大洋で混合を受けて形成するCircumpolar Deep Water(CDW)が底層から流入・湧昇し、中・深層で南大洋へ流出しており、表層では熱塩循環が弱いと考えられている。このため、太平洋の熱塩循環は大西洋などと比較してあまり盛んに研究されて来なかった。しかし、熱塩循環の理解には、深・底層水塊の形成過程だけでなく、それらの上層水塊への変質過程の理解も欠かせない。

 本研究では、太平洋の熱塩循環のメカニズムを数値モデルを使ったプロセススタディによって調べる。プロセススタディとは、境界条件や内部パラメータを変化させて計算を行ない、それらの結果を比較することにより、現象を支配するメカニズムを明らかにする手法である。ここでは、上層、中・深層、底層について、それぞれの問題を取り上げていく。

 ・上層…風成循環が強い上層における熱塩循環の現れ方

 ・中・深層…風応力の熱塩循環に対する影響

 ・深・底層…太平洋の深・底層の熱塩循環及びトレーサー分布の再現

2.北太平洋の上層循環に対する熱塩効果

 北太平洋中層水の低塩分水塊は、熱帯域にも広がっているが、流入経路はフィリピンの東海岸に集中しており、低緯度に南向きの西岸境界流が存在していることを示唆している。この流れに、北太平洋内での海面における熱塩外力(簡単に言えば、海面密度の南北分布)に伴う熱塩循環が効いているのではないかと考え、北太平洋モデルにおいて、海面における熱塩外力を変化させたケーススタディにより、北太平洋上層における熱塩循環の現れ方を調べた。北太平洋における海面熱塩外力は、表層の下にある熱塩循環に伴う南下流を強める傾向があり、これは、風応力がある場合には弱められはするものの、なくなることはなかった(図1)。南下流は、亜熱帯域では風成循環系の東側と南側に現れ、低緯度で岸にぶつかった後は、南向き西岸境界流として赤道域に向かう。つまり、熱帯・亜熱帯域における温度躍層付近では、北側と西側では、風成循環が卓越し、南側と東側では、熱塩循環が現れる。このメカニズムにより、南太平洋、南大西洋における南極中層水の熱帯域への流入過程も説明できる。

図1.海面のrestoring温度・塩分が観測値の場合と、一様な場合の585m深における水平流速の差(北太平洋の海面熱塩外力の「効果」)。(a):風応力なし、(b):風応力あり。bにおける破線は風成循環系の境界を示す。
3.風応力が熱塩循環に及ぼす影響

 数値モデルの結果から、太平洋の層構造を持つ熱塩循環の上部循環や、大西洋の北大西洋深層水の形成に伴う深層循環の強さが風応力の影響を強く受けていることが指摘されている。実際、エクマン湧昇のある領域(例えば亜寒帯循環系)では、深層水が海面近くまで持ち上げられるため、熱塩外力(海面における熱フラックス・淡水フラックスの分布)が風応力がない場合と大きく異なっている可能性がある。ここでは、矩形の海を対象とし、理想化された外力条件のもと、風応力がある場合とない場合について比較することで風応力が熱塩循環に及ぼす影響を詳細に調べた。実際に風応力によって熱塩循環が強められ、また、熱塩外力はエクマン湧昇がある領域で大きく変化していた(図2)。亜寒帯循環系では、温度躍層が海面付近まで持ち上げられるため、海面で得られた熱はそのまま深層水塊を温めるのに使われる。それに伴い、深層水形成域での水塊形成が活発になって、エクマン湧昇域と深層水形成域を結ぶ循環ができる。これが本質的に熱塩循環であることは、亜寒帯循環域の上層で鉛直拡散係数を大きくすることにより、風応力を与えなくても熱塩循環を強化できる(図3)ことからわかる。このように、風応力の分布は熱塩外力を決める重要な要因となっており、熱塩循環の強さ・構造もこれに非常に強い影響を受けていることがわかる。

図2.東西積分した子午面循環(下:単位Sv.)と海面での密度フラックス(上:単位・m3s-1)。(a):風応力なし。(b):風応力あり。図3.図2と同様で30°N〜40°Nの0-420m深で鉛直拡散係数を大きくした場合。風応力は与えていない。上図の破線は「風応力あり」のケースのもの(図2b参照)。
4.深さ依存する鉛直拡散係数による太平洋深・底層循環の再現

 太平洋の深・底層へは、大西洋北部やウェッデル海を起源とし、これらが南大洋で混合して形成されるCircumpolar Deep Water(CDW)が20Sv流入し、そのうち10Svが北太平洋へ流入している(Schmitz.1995)が、この流量は、世界海洋大循環モデルでは再現されていない。Hasumi and Suginohara(1998)の結果から、太平洋の中・深層循環や大西洋の深層循環の強さが風応力に影響を受けている(前節)のとは異なり、太平洋の深・底層循環や大西洋の底層循環の強さは鉛直拡散に大きく依存していると考えられる。そこで、鉛直拡散係数が実際にどのような値を持っているのかを調べると、上層では0.1cm2s-1程度の小さい値(Ledwell et al.,1993等)、深・底層では、平均的に3.0cm2s-1程度の大きい値(Morris et al.,1997等)をとることが報告されている。ここでは、深さとともに増加する鉛直拡散係数により、どのような太平洋の深・底層循環が形成されるのかを調べる。大西洋と太平洋を想定したtwo-basinモデルにおいて、上層と底層の鉛直拡散係数は観測から得られた値で固定し、その間のつなぎ方を変えて循環の強さや、循環構造の変化を調べる。図4には、2500m深を中心として上層の値(0.1cm2s-1)から底層の値(3.0cm2s-1)へ変化させた場合と、温度躍層下部で大きい値(1.0cm2s-1)をとらせた上で底層につなげた場合について、太平洋における子午面循環を示した。前者(図4a)に比べ、後者(図4b)の子午面循環は強くなっており、底層と温度躍層をつなぐ1つのセルができている。つまり、温度躍層から底層へ十分に熱が伝えられて初めて太平洋の底層循環が強くなる。この循環に伴うCDWの北上流の量は観測値にも近い。また、こうして得られた循環は、観測から得られるトレーサーの分布も良く再現していた(図5)。

図4.太平洋の子午面循環(左:単位Sv)と用いた鉛直拡散係数(右:単位cm2・s-1)。(a):鉛直拡散係数を深層で増やし始めた場合、(b):鉛直拡散係数を温度躍層下部から増やし始めた場合。図5.太平洋の東西平均塩分分布。左:観測(Levitus.1982)、右:鉛直拡散係数を温度躍層下部から増やし始めた場合のモデルの結果(図4b参照)。

 太平洋の深・底層循環は、鉛直混合の度合に強く支配される古典的な熱塩循環であり、前節で示した風応力によって強められる熱塩循環(太平洋の中・深層循環、大西洋の深層循環)とは好対照を為している。

5.まとめ

 太平洋の熱塩循環は、従来盛んには研究されてこなかったが、本研究により、様々な様相を呈していることが示された。上層に於いてさえ、北太平洋中層水や南極中層水の挙動を理解するために熱塩循環を考慮に入れることが重要であり、中・深層では風応力に強められた熱塩循環が、南大洋と北太平洋の亜寒帯循環系を結ぶ子午面循環を作っており、そして、深・底層循環は深さ方向に変化する鉛直拡散係数に強く支配されている。

 今後は、北太平洋中層水などの中層水塊の振舞いを理解するため、高解像度モデルによる、黒潮の離岸緯度などを含めた北太平洋の上層循環の忠実な再現や、太平洋の深層循環を理解するため、観測等により、鉛直拡散係数の詳細な空間分布が明らかにされることなどが望まれる。

審査要旨

 本論文は5章からなり、第1章は全体の緒言、第2章は北太平洋の上層循環に対する熱塩効果、第3章は風の強制力によって強められた熱塩循環、第4章は深度で変化する鉛直拡散による太平洋深層循環、第5章で全体の結論と今後の課題、が述べられている。

 本論文は、従来モデルによる十分な再現がなされておらず、したがって、物理的な理解も不十分であった、太平洋の循環・水塊構造について、数値モデルを用いて熱塩循環の影響を調べたものである。北太平洋は深層水が形成されず、上層で熱塩循環が弱いと考えられてきたため、太平洋の熱塩循環は大西洋のと比較してあまり盛んに研究されてこなかった。

 第1章では、太平洋における従来のモデル研究が総括され、研究の現状と問題点、それを踏まえた本論文の目的が述べられている。

 第2章では、風成循環が卓越する上層(表面から主温度躍層)における、熱塩循環の現れ方が調べられた。この結果、北太平洋における海面熱塩外力は、表層の下にある熱塩循環に伴う南下流を強めることが明らかとなった。この南下流は、亜熱帯循環域では風成循環の東側と南側に現れ、低緯度で岸に到達した後、南向き西岸境界流として赤道域に向かうことが示唆された。この南向き西岸境界流は北太平洋中層水のフィリピン東岸の分布を説明しうるものである。

 第3章では、従来別々に議論されてきた風成循環と熱塩循環を結びつける新しい概念が提出された。中深層を含む大規模な熱塩循環が、直接表層のエクマン湧昇域に到達する海域では、深層水が効果的に加熱され、その結果局所的な風応力によって熱塩循環の強さが大きく影響を受けるというものである。この過程を、風応力場や表面熱塩外力を変える数値実験を行うことによって明確に示し、北太平洋において適用可能であることを示した。

 第4章では、深さ依存する鉛直拡散係数による太平洋中・深層循環の再現が試みられた。従来の数値モデルにおいては、南極深層水の北太平洋への流入量が正しく再現されておらず、塩分などのトレーサ分布も再現されていなかった。本研究では、観測から示唆されているように、上層で鉛直拡散係数を小さい値に、深底層で大きな値を設定することで、熱塩循環がどのように変化するか、調べられた。その結果、主温度躍層の下部で鉛直拡散係数が大きく、温度躍層から深層に十分熱が伝えられる条件の場合に、南大洋から北太平洋への深層水流入量や中深層のトレーサ分布が、良く再現されることを示した。

 第5章では、得られた結果が総括され、太平洋の熱塩循環について議論されるとともに、今後の課題が示された。太平洋では、従来あまり熱塩循環の観点からの研究はなされてこなかったが、北太平洋中層水や南極中層水の挙動を理解するためには、上層においてでさえ熱塩循環を考慮することが重要であることが示された。中深層では風応力によって強められた熱塩循環が南大洋と北太平洋亜寒帯循環系を結ぶ子午面循環を作っており、底深層循環は鉛直拡散に強く依存していることが明らかにされた。今後の課題として、高解像度モデルの開発と観測の充実が指摘された。

 以上の成果は、海洋大循環のモデル化・理解に大きな貢献をもたらすものであり、審査員一同は、本論文が博士(理学)の学位論文として合格に値するものと認めた。

 なお、論文の一部は、指導教官等との共同研究の成果であるが、主要部分は、論文提出者が主体となってなされたものであり、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54063