本論文は、金星の気候システム(温度構造や大気組成)の安定性を、大気化学と大気物理学の視点から研究したものである。 ここで扱う気候とは、二酸化硫黄などの大気組成と硫酸の雲の状態及び温度の鉛直構造を意味する。この意味の気候を、化学モデル、雲モデル及び大気構造モデルを組み合わせた鉛直1次元モデルによって研究している。このモデルにより、金星の地表面温度が、太陽光フラックスなどにどのように依存するかを調べ、金星の気候の安定性を調べている。 第1章の序論の後、先ず、第2章において、金星表面において炭酸塩が存在するという理由がないことを示している。Bullock and Grinspoon(1996,1998)は炭酸塩が存在すると、炭酸塩と珪酸塩の化学反応の化学平衡により、現在の金星大気の二酸化炭素量をうまく説明出来ると考えた。しかし、今まで考慮されていなかった二酸化炭素の温度効果を取り入れると、炭酸塩と珪酸塩の化学平衡によっては、金星の二酸化炭素量が説明できないことが示された。これにより、本研究では金星に炭酸塩が存在しないという前提の下に議論が進められる。 第3章においては、特に二酸化硫黄に注目し、二酸化硫黄を媒介として、化学反応、アルベード、温室効果を考慮したフィードバックループが提案されている。二酸化硫黄量は、地表面におけるパイライト、マグネタイトとの化学反応によって規定されているとしている。二酸化硫黄は温室効果気体なので、その量が地表面温度に影響する。それだけではなく、二酸化硫黄を原料として、硫酸の雲が生成されるので、雲のアルベード、温室効果を通して、地表面温度に影響を与える。 以上のようなプロセスを取り入れた、化学モデル、雲モデル、大気構造モデルを結合したモデルにより、太陽放射定数、大気量、大気中の水の量が変化したときの、地表温度の変動を調べている。但し、モデルは鉛直1次元モデルで、温室効果は二酸化炭素、水蒸気、二酸化硫黄、雲の赤外線吸収を考慮した灰色の放射対流平衡モデルである。このモデルによって計算された現在の金星の鉛直温度分布は、比較的よく観測値を再現している。 計算結果によると、このモデルで考慮した化学、アルベード、温室効果の相互作用は広いパラメータ範囲にわたって地表面温度を安定化し、金星の気候を現在の状態に維持するように働くことが示された。 第4章においては、第3章において構築したモデルを用いて、大気組成の変化による気候変動の可能性を検討している。具体的には、水蒸気量と二酸化硫黄量を広い範囲にわたって変化させ、得られる地表面温度を計算している。その結果によると、100K程度の地表面温度の変動は、これらの成分の変動により可能なようである。 本研究のユニークな点は、今まで別個に研究されていた地表面の化学反応と雲の生成過程と放射対流の過程を結合して考察したことである。この点が、この研究の新しい寄与をもたらしたものであると考えられる。その結果として、第2章では、金星表面では炭酸塩が存在する積極的理由がないことが示された。また、第3章では、現在の金星の気候が再現されただけではなく、安定であるという事が示された。しかし、このモデルでは、炭酸塩が存在しないと仮定していることもあり、二酸化炭素の量がモデルの中では全く決まらないという問題がある。その他、ここで用いたモデルが鉛直1次元の簡単なモデルであり、灰色近似の限界や雲層の子午面循環の効果が取り入れられないなどの欠点もある。しかし、これらの問題は今後の研究に期待すべきであり、本研究の成果だけでも、十分興味深い結果であり、惑星科学に対する重要な寄与と考えられる。 なお、本論文は一部、阿部豊氏と佐々木晶氏との共同研究であるが、論文提出者が主体となって研究を行ったものであり、論文提出者の寄与が十分であると判断する。 よって、審査委員会は全員の一致した意見により、博士(理学)の学位を授与できると認める。 |