学位論文要旨



No 114075
著者(漢字) 藤原,正智
著者(英字)
著者(カナ) フジワラ,マサトモ
標題(和) 熱帯対流圏オゾンを支配する現象 : インドネシアにおける五年間にわたるオゾン観測に基づいて
標題(洋) Controlling Processes for Tropical Tropospheric Ozone Revealed by 5-Year Observation in Indonesia
報告番号 114075
報告番号 甲14075
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3564号
研究科 理学系研究科
専攻 地球惑星物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 高橋,正明
 東京大学 教授 秋元,肇
 東京大学 助教授 岩上,直幹
 東京大学 助教授 松田,佳久
 東京大学 助教授 沼口,敦
内容要旨

 東京大学とインドネシア航空宇宙庁および宇宙開発事業団は共同で、インドネシア共和国のジャワ島東部に位置するワトゥコセッ観測所(Watukosek,7.5°S,112.6°E,50m altitude)において、1993年5月から月2回程度の定期的なオゾンゾンデによる高度分布観測を、1993年11月から毎日ブリューワ型分光光度計によるオゾン全量観測を行っている。それ以前には熱帯東アジア域においては定常的な地上からのオゾン観測は行われてきていないため、その時空間変動の様子を観測的に明らかにすることが観測計画の第一の目的であった。観測が始まってから2年間ほどデータが蓄積された時点でKomala et al.[1996]によって簡単な報告がなされているが、それによると、乾季末期において対流圏中・下層におけるオゾン濃度増大が、雨季から乾季への移行期にあたる5月頃には上部対流圏におけるオゾン濃度増大が観測された。

 本論文においては、1998年4月までの五年間にわたる観測によって明らかになってきた熱帯東アジア地域における対流圏オゾン変動を支配する二つの現象について論じる。一つ目は、1995年5、6月に実施した、上部対流圏におけるオゾン輸送過程に着目した集中観測によって発見された、赤道ケルビン波活動に伴う成層圏オゾンの対流圏への輸送現象である。二つ目は1994年と1997年の9、10月に生じた大規模な森林火災に伴う対流圏オゾンの光化学生成現象である。前者については、さらに五年間の観測結果を解析してその季節性と対流圏界面付近の気象場との関係性を論じ、また熱帯地域における成層圏対流圏大気交換問題に対する新しい提言も行った。

赤道ケルビン波に伴う成層圏オゾンの対流圏への輸送現象

 Komala et al.[1996]で報告された、上部対流圏におけるオゾン増大現象の時間変化などの特徴を観測的に明らかにする目的で、1995年5、6月にワトゥコセッにおいてオゾンゾンデによる集中観測を行った。その結果、上記現象の時間変化をとらえることに成功した。一方、同時期に西方600kmのバンドンで得られたレーウィンゾンデのデータなどを解析したところ、対流圏界面をはさんだ高度15-19kmに赤道ケルビン波、15km以下にはMJO(Madden-Julian Oscillation;東進積乱雲群に伴う大規模気象変動)のそれぞれによる東西風の振動が存在したことが分かった。これらの東西風振動とオゾン下方輸送との関係について、時間順に以下のように解釈できた:(1)まず、ケルビン波およびMJOの下降流に伴う成層圏オゾンの対流圏への輸送が生じた;(2)このケルビン波は破砕の条件を満たしており、(1)に引き続いてその位相部分(西風極大部)が観測所上空を通過した際に大気混合を引き起こしオゾンの下方輸送が生じた;(3)対流圏中に輸送されたオゾンは、温位変動の解析からは上方へ戻されたという積極的な証拠はないため、水平拡散等によりその大部分が対流圏中に残ったと推定される。この一連のシステムに伴う対流圏オゾンの増大量は最大10DU(この地域の対流圏オゾンの50%増大に対応)であり、また、その東西方向の広がりは6600km以上、南北方向の広がりは1800km程度であると推定された。

 さらに、五年間のオゾンゾンデデータを用いて、上部対流圏オゾン増大現象の季節性とその気象場との関係について調べた。その結果、インドネシア上空の対流圏界面付近はたいていの場合強い東風となっているが、4-7月期にだけその東風が弱まり弱い西風が出現し、この時期に集中してオゾン増大が散見されることが分かった。NCEP/NCARの客観解析データでグローバルな対流圏界面付近の東西風の様相を調べたところ、1995年の集中観測時に見られたようなケルビン波は季節、経度によらずあまねく見られるが、背景場には大きな季節・経度依存性があることが分かった。これらの事実から、背景の東西風に応じてケルビン波の破砕条件が満たされる場合に成層圏オゾンの対流圏への輸送が生じているということが強く示唆される。なお、ブラジルや大西洋上でのオゾンゾンデ観測から、季節によらず上部対流圏にオゾン増大が見られることが知られていたが、西半球では背景場が一年中西風となっていることから、上記メカニズムによる成層圏からの輸送が一年中生じていると考えると理解できる。

 大気波動に伴う成層圏からのオゾン輸送現象は中高緯度域においては古くからその存在が知られており盛んに研究がなされてきているが、熱帯域においても惑星規模の大気波動がオゾン輸送を引き起こしていることを観測的に明らかにしたのは本研究が初めてである。対流圏オゾン収支を支配する新しい現象を発見したと言える。さらにその現象がインドネシア以外の地域でも生じていることを示唆した。また、熱帯対流圏界面付近は対流圏大気が成層圏へ侵入する主要な入り口であると考えられているが、これまではもっぱら背の高い積乱雲の対流圏界面突き抜け現象のみが注目されてきた。しかしケルビン波に伴う対流圏界面気温の変動幅は10K近くにもなる場合があることが報告されており、例えば水蒸気や非火山性エアロゾルの収支にも重大な影響を及ぼしていると考えられる。この領域の大気微量成分収支に対する大気波動の役割に積極的に注目したこの研究は、成層圏化学に対しても新しい問題を提起した。

森林火災に伴う対流圏オゾンの光化学生成現象

 各オゾンゾンデ観測から対流圏オゾン積分量を算出すると、たいていの時期においては10-30 DUであったが、1994年9、10月には40 DUまで、1997年9、10月には55DUまで増大した。この増大の時間スケールは2ヶ月程度であった。一方、ブリューワ型分光光度計によるオゾン全量観測によると、たいていの時期においては250-260 DUであったが、対流圏オゾンの増大が観測された1994、1997年にはいずれも290DUに到達する増大が見られた。このオゾン全量の増大の大部分は対流圏における増大であったと言える。人工衛星によるオゾン全量のグローパル観測(TOMS)データから、この対流圏オゾン増大の水平的な広がりとその時間変化を推定してみたところ、両年とも同様の時空間変動を示しており、インド洋東部インドネシア西部に広がっていたことが分かった。1994年と1997年はエルニーニョ期にあたり、インドネシア付近は降雨量が激減したことにより大規模な森林火災が生じたことが報告されている。幾つかの単発的な微量成分観測により、この時期にオゾン前駆気体が極めて増大していたことも報告されている。従って、観測された対流圏オゾン増大は森林火災に伴い放出されたオゾン前駆気体からの光化学生成であると考えられる。

 さらに20年間にわたるTOMSデータを用いてインドネシア地域の対流圏オゾン増大量を推定し、これをエルニーニョの指標である南方振動指数(SOI)と比較したところ、エルニーニョ期にあたった1982/83、1987、1991、1994、1997年に顕著な対流圏オゾン増大が見られた。この結果は、エルニーニョ期にインドネシア域は乾燥化し、森林火災が拡大長期化することによって、対流圏オゾンの光化学生成が促進されオゾン量が増大すると解釈することができる。

 これまでアフリカ地域や南米アマゾン地域についてはバイオマス燃焼にともなう対流圏オゾンの増大現象が比較的詳細に調査されてきていたが、熱帯東アジア地域については1994年のケースが初めての報告となった。さらに1997年にも同様の事例を観測した。これらにより、熱帯の三つの大きな陸域のバイオマスの燃焼が、熱帯対流圏オゾンの重要な発生源のひとつであることが示された。インドネシア域に特徴的なことは、エルニーニョ期にその増大が極めて大規模になるということである。今後の課題としては、各種オゾン前駆気体の放出、輸送と最終生成物であるオゾンとの間の定量的な関係をおさえるために、航空機、人工衛星等をプラットフォームとした多成分同時観測、および輸送過程の研究を行っていく必要がある。

審査要旨

 大気中微量成分の濃度分布やその変化は、気候変動や温暖化予測の問題にとって重要である.その中でも、対流圏オゾンは温暖化にからむ重要な大気化学成分である。東京大学ではインドネシア、ワトゥコセッにおいて、93年5月からオゾンゾンデによる月2回程度の高度分布観測を、93年11月から毎日オゾンの全量観測をおこなっている。この5年間にわたるオゾンの長期観測データをもとに、筆者は学位論文において、その結果の解析および解釈をおこない、熱帯域インドネシアにおけるオゾン変動について非常に興味ある結果を見いだし、さらに気象学データの解析もおこなっている。ひとつの重要な研究は、インドネシアに於ける雨期から乾期への移行期にあたる5月頃の上部対流圏オゾン濃度の増大のメカニズムであり、もうひとつの重要な研究は乾期の末期における、対流圏中・下層でのエルニーニョ時のオゾン濃度増大である。

 論文の序(1章)、観測の2章をふまえて、第3章では1995年の5,6月に行った集中観測において見いだされた、インドネシア上空における上部対流圏でのオゾン濃度増加の現象を議論している。この上部対流圏のオゾン増加が、熱帯域に卓越して存在する赤道ケルビン波の活動と関係している事を示している。メカニズム的には赤道ケルビン波の下降流にともなう成層圏から対流圏へのオゾン流入、さらに、この波の破砕によって大気混合を引き起こしオゾンの下方輸送が生じたことである。対流圏中に輸送されたオゾンが上方に戻された積極的証拠はなく、水平拡散等でその大部分が対流圏に残ったことを示している。この成果はこれまで、熱帯域に於いては大循環的な大気の流れの立場からは上昇流なので、むしろ対流圏から成層圏にはいるので、成層圏のオゾン流入はないと思われていた。しかし、この論文ではこのような新しいプロセスの発見によって、成層圏から対流圏へのオゾン流入をしめし、これまでの知見の変更を加えたことで、重要な成果と思われる。

 今回、流入量を評価している(10ドブソン程度)が、これの年間をとおした成層圏・対流圏交換量については十分な観測がまだ行われていないために、決定できない状況である。それにも関わらず、この研究(ケルビン波による成層圏・対流圏交換プロセスの発見)は学位論文に十分あたいする成果と思われる。

 さらに、赤道ケルビン波の活動度をNCEP/NCARの客観解析全球データを用いて調べ、そのケルビン波の破砕の条件を詳しくデータを見ることにより、西半球のほうがその条件を満たしていることを示した。いくつかの西半球・アマゾン等でのまだ十分に観測のない領域における上部対流圏のオゾン増加の現象も、オゾンの成層圏から対流圏へのケルビン波による輸送ではないか?という重要な指摘もおこなっている。これは今後の詳しい観測によって確かめられるであろう。

 論文の後半部においては、インドネシアで観測されたオゾン変動のうちの、対流圏下層や中層におけるオゾンの増加現象をくわしく調べている。これはおもにインドネシアの乾期に起こる現象であるが、とくにエルニーニョの起こる年に顕著なオゾン増加が見られる現象である。この現象がバイオマスの火災によって起こることを、データ解析から示している。これまでバイオマスの火災によるオゾン増加はアフリカや南米アマゾンでは解析事実としてあるが、インドネシアでは初めての解析である(これまでインドネシアのオゾンは非常に静穏であると思われていた)。それらを、インドネシアのオゾン観測のデータや、さらに衛星データを用いてその事実をきちんと示した。また、とくにエルニーニョ時において、エルニーニョの西側においては乾燥することでバイオマスの火災の影響が平年時に比べ大きくなることをデータ解析によって明確に示している。

 この様に、筆者はインドネシアに於ける5年間のデータ解析から、赤道ケルビン波による対流圏・成層圏交換のメカニズムやバイオマスによる対流圏オゾンの中層・下層でのオゾン増加現象をみつけた。このような新しい知見は、大気物質輸送や大気化学の研究の基礎を与えるものである.

 なお、本論文第3章(対流圏・成層圏交換)は、共同研究であるが、論文提出者が主体となって解析および検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であったと認める。

 よって本論文は博士(理学)の学位論文として合格と認める.

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