学位論文要旨



No 114077
著者(漢字) 傅,剛
著者(英字)
著者(カナ) フ,ガン
標題(和) 日本海のポーラーロウに関する観測的・数値的研究
標題(洋) An observational and numerical study on polar lows over the Japan sea
報告番号 114077
報告番号 甲14077
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3566号
研究科 理学系研究科
専攻 地球惑星物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山岬,正紀
 東京大学 教授 木村,龍治
 東京大学 助教授 新野,宏
 東京大学 助教授 日比谷,紀之
 東京大学 助教授 沼口,敦
内容要旨

 ポーラーロウ(polar low)は、冬季に高緯度海洋上で発達する激しいメソスケール低気圧である。ポーラーロウは、衛星写真で見ると、成熟期においてスパイラル状またはコンマ状の雲のパターン、そしてしばしばはっきりした「目」を持つことで特徴づけられる。ポーラーロウは強風、高波などの荒天をもたらし、災害を生じるため、この構造や発生機構の解明、適確な予報などが切望されている。

 これまでの理論的研究によると、ポーラーロウの発達機構としては、1)傾圧不安定(Duncan,1977;Tsuboki and Wakahama,1992),2)順圧不安定(Nagata,1993),3)CISK(Conditional Instability of the Secound Kind)(Rasmussen,1979)/WISHE(Wind Induced Surface Heat Exchange)(Rotunno and Emanuel,1987;Gray and Craig,1998),あるいは4)これらの組合せなど様々なもの提案されている。しかし、詳細な観測データが不足しているため、具体的な事例についてどの過程が重要な役割が演じたかについて明確にされた例は非常に少ないのが現実である。

 日本海はポーラーロウが頻繁に発生する海域の中では最も低緯度に位置し、周囲が陸地に囲まれているために、高緯度の他の海域に比べて、比較的豊富な観測データが入手できる。従って、ポーラーロウの構造や発生、発達過程を研究する上では世界的に見ても適した海域と考えられる。

 1997年1月21日と1997年2月11日に日本海上で顕著なポーラーロウが観測された。この2つの事例は発生環境や振舞いが大きく異なるものであり、ポーラーロウの多様性を示す極めて典型的な事例であった。本研究の目的は、この2つのポーラーロウの構造や発生、発達過程を観測値の解析と数値シミュレーションを用いて詳細に記述し、その発達機構を明らかにすることである。解析においては、GMS赤外画像、レーダー、水平解像度20kmの気象庁客観解析データ(RANAL:Regional objective ANALysis)などを使用した。一方、数値シミュレーションには水平解像度20kmの気象庁の数値予報モデルRSM(Regional Spectral Model)と共に、1月の事例についてはRSM内にネストされた5kmメッシュの気象研究所非静水圧モデル(MRI-NHM:Non-Hydrostatic Model of Meteorological Research Institute)も用いた。これは非静水圧モデルを用いて行なわれた現実的なポーラーロウの数値シミュレーションの初めての成功例である。

 解析と数値シミュレーションは1月と2月の事例に分けて行った。まず、1月の事例について述べる。1997年1月21日20UTC日本海において、孤立した顕著なポーラーロウが観測された。静止気象衛星ひまわり5号の赤外画像および札幌レーダーによると、ポーラーロウの発生初期には、東西に伸びる雲バンドが北海道の西岸海洋上の収束帯に形成されていたことがわかる。この雲バンドは3.0×10-4s-1程度の強い水平シアを持ち、レーダー画像で見ると水平シアの不安定によると思われるいくつもの渦を伴っていた。雲バンドは時間と共に南西方向に移動したが、これらの渦の中でバンドの西端にあったものが発達し、低気圧性の回転を示すようになった。21日09UTC頃には、雲の水平スケールはかなり大きくなり、雲の形はコンマ状からスパイラル状へと変化していった。同日14UTC頃には、ポーラーロウは南東へとその進行方向を変え、日本列島に近づいた。20UTCにはポーラーロウは最盛期に達し、典型的な螺旋型の雲のパターンと明瞭な「目」を持つ様ようになった。その後2230UTCには新潟県に上陸し、急速に弱まった。

 発達期の12UTCの客観解析によると、このポーラーロウの渦度は550hPa以下に限られ900hPa面上でその最大値3.5×10-4s-1をとる背の低い構造をしていた。中心付近では高度850〜950hPaに高温域をもつ暖気核構造が見られた。このポーラーロウの構造と発生、発達機構を更に詳しく調べるために、まず21日00UTCを初期値とするRSMによる24時間予報を行なったところ。ポーラーロウの発生位置、強さ、また東西に伸びる渦度場の西側の部分が初期に巻き上がる様子など、観測から見られた特徴が非常に良く再現された。渦度解析の結果、ポーラーロウの渦度の生成は主として初期に収束雲に伴っていた大きな相対渦度を引き延ばすことによって作られたことがわかった。又、ポーラーロウの中心を含む矩形領域(〜660×300km)に対するエネルギー解析により、擾乱の運動エネルギーの増加が、主に平均場の運動エネルギーと鉛直対流による有効位置エネルギーからの変換によるものであることがわかった。

 次にRSMにネストした5kmメッシュMRI-NHMシミュレーションにより渦の細かい構造を調べた。このモデルは雲粒の他に、雨、雲氷、雪、あられの混合比を陽に予報する。初期に存在した収束雲に伴う東西に伸びる渦度集中域の西端に渦度の大きな領域が現れ、次第に渦度が大きくなって、収束雲を巻き込むようにスパイラル状とコンマ状の雲のパターンが現れる特徴がよく再現された。又、最盛期には雲や降水を伴わない明瞭な「目」も再現された。この「目」はポーラーロウの中心上層からの下降流によって作られており、明瞭な暖気核を伴っていた。この暖気核は熱力学収支解析から、主として下降流の断熱加熱によって生じていることがわかった。ポーラーロウの発達期において、中心を含む50km四方で平均された非断熱加熱率、鉛直渦度、水蒸気フラックスの収束、及び鉛直軸まわりの循環はCISK機構と矛盾しない。

 2月の事例では1月の事例とは異なり、日本海上でメソスケールの雲システムの中に比較的小さな4つのポーラーロウが連続的に観測された。この雲システムは一見閉塞した温帯低気圧に伴うものであるかに見えたが、当時総観場に閉塞した低気圧は無かった。又、従来から複数のポーラーロウを生成することが知られている日本海極気団収束帯(JPCZ:Japan Sea Polar airmass Convergence Zone)も存在しなかった。衛星画像で見ると2月11日の00UTC頃から雲システムの西部の南端に複数のポーラーロウが発生し始めた。01UTCから04UTCにわたって発生した。3つのポーラーロウA、B、Cはともに南東へ移動した。雲システムの西部に発生したAとBは比較的弱く比較的短時間に衰弱した。04UTC以後にはポーラーロウCのみが発達した構造を持続した。05UTCには、もうひとつのポーラーロウDがCの東側に発生した。08UTCには、Dの雲は螺旋状の様相を呈し、明瞭な「目」の構造を示した。。ポーラーロウDは10UTCに最盛期に達したが、Cは徐々に衰弱した。12UTC頃には、Dは新潟県に上陸し、その後徐々に消滅した。

 雲システムが閉塞したかのような外見を示した理由は、代表的な2つの相当温位(=283及び=277K)の高度分布から明らかになった。すなわち暖かく湿った空気塊は雲システムの南から流入し、次第に北西に向きを変えながら滑昇し雲域を形成する。一方、冷たく乾いた空気塊は朝鮮半島から東へ流れ出て雲システムの南側へ侵入する。この2つの異なった空気塊が、閉塞前線に似た構造を形成しその上に複数のメソスケールのポーラーロウが生じている。これらメソスケールのポーラーロウが発達を始める11日00UTCには日本海上の800hPa面上に2つの低圧部が見られた。これらのうち西側のものは冷たく乾いた空気を伴っており500hPa面の寒冷な渦の直下にあった。また、東測のものは相対的に暖かく湿った空気を伴っており、その構造は800hPa面より下に限られていた。東側の低圧部は地上天気図に見られたメソスケールの低気圧システムに対応していた。900hPa面より下では、このメソスケールの低気圧から西向きに広がるトラフが現れていた。3つのメソスケールのポーラーロウA、B、Cはこのトラフの中の比較的順圧的な構造を持つ背の低い水平シア帯に沿って形成されており、この水平シア帯の流れの順圧不安定によって生じていたことが示唆される。

 次にメソスケールの低気圧とメソスケールのポーラーロウの構造と発達過程をRSMを使った数値シミュレーションにより調べた。シミュレーションは3通りの初期値から出発した。2月10日00UTCを初期値とするシミュレーションは、メソ、メソスケールの低気圧のいずれも再現できなかった。10日12UTCを初期値とするものではメソスケールの低気圧は再現できなかったが、メソスケールの低気圧の発生は良く再現した。初期には日本海の北西域の朝鮮半島の付け根付近にメソスケールの低気圧があり、この低気圧から南東へ延びるトラフが見られたが18UTC頃からこのトラフの南東部の日本海中部付近に新たなメソスケールの低気圧が現れた。11日00UTCには新しい低気圧が顕在化し、初期の低気圧は弱まってむしろ、新しい低気圧から西北西へと延びるトラフが残った。11日00UTCを初期値としたシミュレーションはメソスケールの低気圧に加えてメソスケールの4つのポーラーロウもかなりうまく再現した。これらの渦の持続時間や振舞は衛星観測で得られたものと比較的良い一致を示した。新しいメソスケールの低気圧から西側へ伸びるトラフは徐々に弱まり。これに伴って渦AとBも次第に衰弱していった。

 04UTC以後は、地表面気圧のパターンは東西軸を持つ楕円型になり始めた。この気圧のパターンは、反時計回りに回転しながらさらに細長い楕円型になり、また水平シアを強めていった。これに伴ってこの水平シア帯の中にあった2つの渦は更に強まっていった。朝鮮半島から東へ侵入した冷気の先端を相当温位の等値線にもとづいて追跡したところ、冷気は山陰地方から北陸地方にかけてメソスケールの低気圧の南側をまわり込むような形で侵入していたことがわかった。楕円形の気圧パターンや水平シア帯の長軸はこの冷気の端を結んだ線にほぼ平行で、冷気が北東に侵入するに伴ってその長軸の反時計まわりの回転が生じたように見える。

 以上のように日本海上で発達した顕著な、しかし環境場、渦の振舞いやスケールとも異なる2つのポーラーロウの事例について観測データの解析と数値シミュレーションにより従来にない詳細な解析を行なうことができた。今後、多種多様なポーラーロウについて、当研究のような詳細な解析を蓄積し、各事例毎の類似点と相違点を明確にしていくことが重要であると思われる。

審査要旨

 ポーラーロウは、冬季、温帯低気圧が東方に抜け北方の極気団の寒気が暖かい海洋上を吹走するような条件下でできやすい水平スケールの小さな(1,000-100km程度の)低気圧である。ポーラーロウは高緯度海洋上の各地で起こる。本研究は日本海のポーラーロウについての研究である。これまで観測データの不足もあって、現象の重要性(適切な予報による防災や気象学的な重要性)にもかかわらず、その発生や構造のメカニズムの理解はきわめて不十分な状態にあった。本研究は、可能な限りのデータを収集して現象の実態を明らかにすると共に、近年とくに精度のよくなった数値モデルを用いて現象のシミュレーションに成功し、メカニズムの理解を深めた優れた研究である。

 本論文は4章で構成されている。本研究では2つの事例を扱っているが、1997年1月21日と2月11日に観測されたポーラーロウの2つの事例を、それぞれ第2章と3章で論じている。2つの事例のケーススタディーではあるが、現象の一般的な理解に大きく寄与する研究である。

 まず、1月の事例は、温帯低気圧が三陸沖に抜ける頃に、北海道の西方の日本海上で発生した水平スケール数百kmのポーラーロウである。気象衛星の赤外画像(及び可視画像)、気象衛星から推定した風のデータ、レーダデータ、気象庁の客観解析データ、地上観測データなどを用い、温帯低気圧に伴うスケールの大きな雲バンドの北西にあたる日本海上に生じた東西にのびる帯状の雲がポーラーロウを形成していく過程、ポーラーロウの中心の移動の特徴、構造(気圧,風,渦度,温度,相当温位,鉛直安定度)などを明らかにした。地上の低い気圧をつくる温暖域は高度850-900hPaにピークをもち、渦度場でみても背の低い低気圧である。最も重要と考えられる結果は以下の点である。東西にのびる雲バンドの西端付近が反時計まわりに巻き込んでポーラーロウを形成する。このとき、雲の形状は帯状からコンマ状、スパイラル状へと変化し、さらにスパイラル状の先端部分がいわゆる「目」を形成するように巻き込んでいく。このような過程は、一般にメソスケールの渦が形成される過程、熱帯域におけるクラウドクラスターから熱帯低気圧の卵となる渦が形成される過程などと共通している面はあるが、南北温度傾度をもった温帯域において、南からの暖気が北上してまわりこみ雲のバンドの南側よりも北側の方が暖かいような状況の中で渦が形成されることを示している点は、他の現象と対比したメカニズムの理解という点からみても、非常に興味深い。

 第2章の後半では、まず格子間隔20kmの気象庁の予報モデルを用いて、ポーラーロウの強さや移動の特徴をよく再現している。次に、気象研究所の非静力学モデルを用い格子間隔5kmで数値実験を行った。東西にのびる雲バンドの西端付近が巻き込んでポーラーロウを形成する過程、さらに、スパイラル状の構造や目の特徴を再現することにも成功している。格子間隔5kmは対流性の雲のシミュレーションに十分な分解能ではないものの、現在の数値モデルがポーラーロウの再現や予報、さらにメカニズムの理解のために非常に有用であることを示した意義は大きい。

 第3章では、2月の事例を扱っており、対流圏中層に中心をもつ寒冷核型低気圧(以下、寒冷渦)とその東側数百km付近に発生した下層のメソスケールの低気圧に伴ってみられた水平スケール100km位(メソスケール)の4つのポーラーロウについて論じている。気象衛星の赤外画像では、寒冷渦に伴うとみられる北西-南東方向の雲のバンドが、閉塞低気圧に伴う雲の形状に似たコンマ型に変化する。これらの大きな雲システムの中の西側部分で小さな渦が形成され、さらに新たな渦が次々と東側で形成される。そのメカニズムとして、水平シアに伴う順圧不安定が最も重要で、それに加えて水蒸気の凝結熱も大きな効果をもっていることなどを示唆している。寒冷渦の東側のメソスケールの低気圧は対流活動による凝結熱の放出により発生したものと考えられるが、これは1月の事例と同様に下層に温暖核をもった低気圧である。これに伴う低気圧性の流れによって南側の高い相当温位をもった空気が低気圧の東側から北側へとまわり込み、北側の低い相当温位をもった空気の流れと相俟って、相当温位(や雲システム)のコンマ型のパターンをつくり、また、相当温位の大きな水平傾度の場や潜在不安定の場をつくっている。水平シアに伴う順圧不安定との相対的重要性は今後の問題としても、寒冷渦、対流活動、メソスケールの下層の低気圧、メソスケールのポーラーロウの間の重要な関連を観測データから示唆している意義は大きい。

 第3章の後半では、20km格子モデルにより主にメソスケールの下層の低気圧を再現し、また、メソスケールのポーラーロウに伴う渦度や流れの場の特徴を論じている。

 本研究は、従来の多くの研究で扱われてきたポーラーロウに比べて水平スケールの小さな日本海上のポーラーロウを扱ったもので、観測データの解析と数値シミュレーションによって、その発生・発達過程や構造のメカニズムに関する従来の研究を大きく発展させ、多くの重要な知見を得た優れた研究である。また、今後の研究の発展に大きく資すると考えられる貴重な研究でもある。

 なお、本研究は新野宏氏らとの共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断される。

 したがって、博士(理学)を授与できると認める。

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