学位論文要旨



No 114082
著者(漢字) 伊藤,光博
著者(英字)
著者(カナ) イトウ,ミツヒロ
標題(和) かさ高い置換基を有する低配位有機ホウ素化合物の合成と反応
標題(洋) Syntheses and Reactions of Low-coordinate Organoboron Compounds Bearing a Bulky Substituent
報告番号 114082
報告番号 甲14082
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3571号
研究科 理学系研究科
専攻 化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 川島,隆幸
 東京大学 教授 奈良坂,紘一
 東京大学 教授 橘,和夫
 東京大学 教授 中村,栄一
 東京大学 教授 下井,守
内容要旨

 有機化学において、オレフィンやケトンに代表される二重結合化学種は非常に重要な役割を担っている。それらの構成元素である炭素や酸素などを他の元素に置換した場合にどのような性質を示すかということに対する興味から、ここ十数年来盛んにヘテロ原子を含む多重結合化合物の研究が行われ、14、15族元素を含むものを中心に数多くの興味深い知見が得られている。一方で、13族元素であるホウ素の低配位化合物については、ホウ素-炭素およびホウ素-窒素二重結合化合物が知られているのみで、その他の化学種については捕捉反応や直接観測の例が殆ど無く、有効な発生法すら知られていないのが現状である。筆者は修士課程において、ホウ素-硫黄二重結合化合物(チオキソボラン)の有効な発生法を開発するとともにその捕捉に初めて成功した。そこで博士課程においては、ホウ素-16族元素間二重結合化合物に関する系統的な知見を得るために、ホウ素-酸素およびホウ素-セレン二重結合化合物(オキソボランおよびセレノキソボラン)の合成について検討を行うこととした。さらに、ホウ素の一価化学種であるボリレンにも着目し、その新しい発生法としてビス(メチルセレノ)ボランの光分解反応についても検討を行った。この化学種は、未知の第二周期同一元素間二重結合化合物として非常に興味深い化学種であるホウ素-ホウ素二重結合化合物(ジボレン)を与える活性中間体とも考えられている。低配位ホウ素化合物はその前駆体を含めて非常に反応活性であることが予想されるため、それらを速度論的に安定化すべく、本研究では優れた立体保護能を有する置換基である2,4,6-トリス[ビス(トリメチルシリル)メチル]フェニル基(Tbt基)をホウ素上に導入することとした。

 

1.オキソボランの新規発生法の開発とそのルイス塩基錯体の合成

 オキソボランはホウ素化合物の酸化反応における重要な中間体であるとともに、第二周期元素間の二重結合化学種としてその性質に興味が持たれているが、その分子自体が非常に反応活性であるとともに有効な発生法が見い出されていなかったこともあって、これまでの検討例は気相中での観測などごく限られたものであった。本研究では、ホウ素原子と酸素原子の高い親和性に着目し、含ホウ素環状化合物と酸素供与試剤の反応という新規な方法を用いてオキソボランの発生について検討を行った。

 Tbt基をホウ素上に有する四員環化合物1とジメチルスルホキシド(DMSO)の反応で得られる生成物(B31.9)にMes*CNO(Mes*=2,4,6-t-Bu3C6H2)を作用させ100℃に加熱したところ、オキソボラン2が[3+2]付加環化反応したと考えられる生成物3が得られた。一方、酸素供与試剤としてジフェニルスルホキシドを用いた場合にはDMSOの場合とは異なり、オキソボランの二量化した生成物である4(B42.5)が得られることが判った。これらの結果は、酸素供与試剤としてDMSOを用いた場合にはオキソボランのDMSO錯体5が生成し、5の加熱によって平衡濃度生成する配位を受けていないオキソボラン2がMes*CNOと反応して3を与えるが、ジフェニルスルホキシドを用いた場合には安定なオキソボランの錯体を形成することができず、配位を受けていないオキソボラン2が二量化して4を与えたものと説明できる。5のようなオキソボランの安定なルイス塩基錯体に関する報告はこれまでに無く、初めての報告例である。

 

 さらに、他の酸素供与試剤としてトリベンジルアミンN-オキシドやテトラメチレンスルホキシドを用いた場合にも、5と同様のオキソボランのルイス塩基錯体の生成を示す結果が得られた。

2.新規な含ホウ素4員環化合物1,3,2,4-ジセレナスタンナボレタン誘導体の合成とその熱分解反応によるセレノキソボランの生成

 セレノキソボランの発生法については、チオキソボランの発生に有効であったホウ素とスズを含む4員環化合物の熱分解反応が活用できると考え、セレノキソボランの前駆体として1,3,2,4-ジセレナスタンナボレタン誘導体の合成について検討した。

 Tbt基を有するトリヒドロボラート7に対してセレン源としてチタノセンペンタセレニドを作用させ処理したが、1,3,2,4-ジセレナスタンナボレタン誘導体の前駆体として期待されるビス(ヒドロセレノ)ボランは全く得られなかった。そこで、7とチタノセンペンタセレニドとを反応させた後Ph2SnCl2を作用させたところ、含セレン5員環化合物である1,2,4,3,5-トリセレナスタンナボレタン8が得られた。8に対してトリフェニルホスフィンを作用させて脱セレン化反応を行ったところ、定量的に目的とする新規な4員環化合物である9を得ることに成功した。また、スズ上によりかさ高いメシチル基を有する10についても同様の手法によって合成に成功した。10についてはX線結晶構造解析を行いその分子構造を明らかにした。

 

 このようにして合成した9を、ジメチルブタジエン共存下100℃で12時間加熱したところ、セレノキソボラン11のジエンとの[4+2]付加環化生成物と考えられる13がジフェニルスタンナンセロン12の三量体14とともに良好な収率で得られ、セレノキソボランの捕捉に初めて成功した。この結果は9がセレノキソボランの良好な前駆体となることを示すものである。また同様に、4員環化合物10もその熱分解反応によってセレノキソボランを生成することが判った。

 

 これまでホウ素-セレン結合を有する化合物は非常に不安定であるとされ、それらの硫黄類縁体に比べても極端に研究例が少なかったが、今回、Tbt基による速度論的安定化の手法を活用することで、種々の新規な含セレン有機ホウ素化合物を安定に合成しそれらの構造や反応性に関する興味深い知見を得ることができた。

3.ビス(メチルセレノ)ボランの光分解反応によるホウ素一価化学種ボリレンの発生の検討

 ボリレンは、ホウ素の一価化学種として種々のホウ素化合物の有用な合成ブロックとして期待されるのみならず、適当な置換基をホウ素上に有する場合には二量化してジボレンを与えると考えられる化学種である。ジボレンの合成についてはこれまでに多くの試みがなされているが、いずれも不成功に終わっている。その原因の一つとして、これまでボリレンの発生法として主に用いられてきたジハロボランの還元では、反応の制御が困難で過剰反応が進行してしまうということが挙げられる。そこで本研究では還元を伴わない方法によるボリレンの発生法として期待できるビス(メチルセレノ)ボラン15の光分解反応に着目して検討を行った。15は、7にチタノセンペンタセレニド、続いてヨウ化メチルを作用させることによって合成した。

 

 このかさ高い置換基を有する15に対し、フェナントレンキノン共存下で高圧水銀灯による光照射を行ったところ、ボリレンの生成を示唆する付加環化捕捉体である化合物17が得られた。捕捉剤を共存させずに15の光照射を行った場合は不溶性の生成物が得られた。この化合物についてX線結晶構造解析を行ったところ、セレン原子3個を含む5員環化合物である18であることが判った。18は、16が二量化してジボレン(Tbt-B=B-Tbt)を与えた後に、系中に共存するジメチルジセレニドなどのセレン源と反応して生成したか、16が系中に共存するセレン源と反応してセレノキソボラン(Tbt-B=Se)を与え、これが二量化した後、環拡大して生成したものと考えている。

 

審査要旨

 本論文は、5章からなっている。第1章は序論であり、第2-4章において、かさ高い置換基を有する低配位有機ホウ素化合物およびその関連化合物の合成、構造および反応性について研究した結果について述べ、第5章でそれらの総括を行っている。

 第1章では、近年著しい発展を遂げているヘテロ元素を含む低配位化合物の研究、特にホウ素誘導体について総括し、本研究の適切な位置付けを行っている。

 第2章では、かさ高い置換基を有するホウ素-酸素二重結合化合物オキソボランの新規合成法の開発と、オキソボランの安定なルイス塩基錯体の生成について述べている。オキソボランはホウ素化合物の酸化反応における重要な中間体であるとともに、第二周期元素間の二重結合化学種としてその性質に興味が持たれているが、これまでの検討例はごく限られたものであった。非常にかさ高い置換基であるTbt基をホウ素上に有する四員環化合物1とジメチルスルホキシド(DMSO)の反応で得られる生成物にMes*CNO(Mes*=2,4,6-t-Bu3C6H2)を作用させ100℃に加熱したところ、オキソボラン2が[3+2]付加環化反応したと考えられる生成物3が得られた。一方、酸素供与試剤としてジフェニルスルホキシドを用いた場合にはDMSOの場合とは異なり、オキソボランの二量化した生成物である4が得られることが判った。これらの結果は、酸素供与試剤としてDMSOを用いた場合にはオキソボランのDMSO錯体5が生成し、5の加熱によって平衡濃度生成する配位を受けていないオキソボラン2がMes*CNOと反応して3を与えるが、ジフェニルスルホキシドを用いた場合には安定なオキソボランの錯体を形成することができず、配位を受けていないオキソボラン2が二量化して4を与えたものと説明できる。5のようなオキソボランの安定なルイス塩基錯体に関する報告はこれまでに無く、初めての報告例である。

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 さらに、他の酸素供与試剤としてトリベンジルアミンN-オキシドやテトラメチレンスルホキシドを用いた場合にも、5と同様のオキソボランのルイス塩基錯体の生成を示す結果が得られた。

 第3章では、新規4員環化合物1,3,2,4-ジセレナスタンナボレタンの合成と、その熱分解反応によるホウ素-セレン二重結合化合物セレノキソボランの生成、反応について述べている。また、Tbt基を有するホウ素-16族元素間二重結合化合物の反応性について比較検討を行った。

 Tbt基を有するトリヒドロボラート7とチタノセンペンタセレニドとを反応させた後Ph2SnCl2を作用させたところ、含セレン5員環化合物である1,2,4,3,5-トリセレナスタンナボレタン8が得られた。8に対してトリフェニルホスフィンを作用させて脱セレン化反応を行ったところ、定量的に目的とする新規な4員環化合物である9を得ることに成功した。また、スズ上によりかさ高いメシチル基を有する10についても同様の手法によって合成に成功した。10についてはX線結晶構造解析を行いその分子構造を明らかにした。

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 このようにして合成した9を、ジメチルブタジエン共存下100℃で12時間加熱したところ、セレノキソボラン11のジエンとの[4+2]付加環化生成物と考えられる13がジフェニルスタンナンセロン12の三量体14とともに良好な収率で得られ、セレノキソボランの捕捉に初めて成功した。この結果は9がセレノキソボランの良好な前駆体となることを示すものである。また同様に、4員環化合物10もその熱分解反応によってセレノキソボランを生成することが判った。

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 これまでホウ素-セレン結合を有する化合物は非常に不安定であるとされ、それらの硫黄類縁体に比べても極端に研究例が少なかったが、今回、Tbt基による速度論的安定化の手法を活用することで、種々の新規な含セレン有機ホウ素化合物を安定に合成しそれらの構造や反応性に関する知見を得ることができた。

 第4章では、ホウ素一価化学種ボリレンの新規発生法の開発と、その反応について述べている。

 ボリレンは、ホウ素の一価化学種として種々のホウ素化合物の有用な合成ブロックとして期待される化学種であるが、これまでの研究例はごく限られたものであった。本研究では新規なボリレンの発生法として期待できるビス(メチルセレノ)ボラン15の光分解反応に着目して検討を行った。15は、7にチタノセンペンタセレニド、続いてヨウ化メチルを作用させることによって合成した。

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 このかさ高い置換基を有する15に対し、フェナントレンキノン共存下で高圧水銀灯による光照射を行ったところ、ボリレンの生成を示唆する付加環化捕捉体である化合物17が得られた。捕捉剤を共存させずに15の光照射を行った場合は不溶性の生成物が得られた。この化合物についてX線結晶構造解析を行ったところ、セレン原子3個を含む5員環化合物である18であることが判った。18は、16が二量化してジボレン(Tbt-B=B-Tbt)を与えた後に、系中に共存するジメチルジセレニドなどのセレン源と反応して生成したか、16が系中に共存するセレン源と反応してセレノキソボラン(Tbt-B=Se)を与え、これが二量化した後、環拡大して生成したものと考えられる。

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 第5章では、かさ高い置換基をホウ素原子上に有するホウ素-16族元素間二重結合化合物とホウ素一価化学種の生成、および反応性について新たな知見を得た本研究の成果を総括し、今後の展望についてを述べている。

 なお、本論文の第2-4章は、岡崎廉治氏、時任宣博氏との共同研究であるが、論文提出者が主体となって合成、構造解析、反応性の検討を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できるものと認める。

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