学位論文要旨



No 114085
著者(漢字) 樫村,吉晃
著者(英字)
著者(カナ) カシムラ,ヨシアキ
標題(和) 有機配位子を持つ遷移金属錯体からなる分子性伝導体に関する研究
標題(洋) Studies on Molecular Conductors Based on Transition Metal Complexes with Organic Ligands
報告番号 114085
報告番号 甲14085
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3574号
研究科 理学系研究科
専攻 化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 加藤,礼三
 東京大学 教授 小島,憲道
 東京大学 教授 濱口,宏夫
 東京大学 助教授 小林,昭子
 東京工業大学 助教授 森,健彦
内容要旨 第1章

 通常の分子性伝導体では、有機分子が基本的な構成要素であるため、主にp電子が電気伝導を担っている。ところが、これに遷移金属イオンに由来するd電子が加わると、従来の分子性伝導体では見られなかったユニークな物性を示すことが報告されている。ただし現段階ではp電子とd電子を含む分子性伝導体の数はそれほど多くはない。本研究では、そのような分子性伝導体における新物質開拓という観点から、2つのアプローチを試みた。1つは、物性開発という立場から、p電子とd電子を含む分子性伝導体の圧力下での物性測定を行い、新たな興味ある物性の発現を目指した(第2、3章)。もう1つは、新物質合成の立場から、新たなp電子とd電子を含む分子性伝導体の合成開発を試みた(第4章)。

Scheme 1
第2章(R,I-DCNQI)2Cu(R=I,Br,Me)の異常な圧力-温度相図

 (R1,R2-DCNQI)2Cu系は、置換基(R1,R2)によらず結晶構造が同型であるにもかかわらず、置換基の種類によって異なる物性を示す。結晶中ではDCNQI分子がc軸方向に1次元的に積み重なってカラム構造をとっている。特徴的なことは、CuイオンがDCNQI分子によって、歪んだ四面体型に配位され、DCNQIカラムを3次元的に連結していることである。金属状態でのCuの価数はほぼ+4/3で混合原子価状態を取っている。このことはCuのd軌道がフェルミエネルギー近傍に位置し、この系がp電子とd電子が相互作用する、いわゆるp-d系であることを示している。加圧により(R1,R2-DCNQI)2Cu系は金属から絶縁体へと転移をする。この転移はDCNQIカラム上の電荷密度波とMott転移に伴ったCuサイトにおける電荷の整列(…Cu+Cu+Cu2+…)が同時に起こった現象であることが示唆されている。この時、双方の周期が3cであることが大きな特徴である。

 (R1,R2-DCNQI)2Cu系の中でも置換基にヨウ素原子を含む系は大きな磁化率(2-3倍)、圧力に対して金属状態が非常に安定など、特に興味深い振る舞いを示す。筆者は修士課程において置換基にヨウ素を2つ持つ系(DI-DCNQI)2Cu(DI-塩)について研究を行い、DI-塩は加圧により、絶縁体となった後さらに高圧で再び金属になるという異常な振る舞いを見い出した。そこで博士課程においては、DI-塩についてさらに高圧における測定を行い、他のヨウ素を含む(DCNQI)2Cu系についても同様の圧力実験を行った。その結果、加圧とともにDI-塩の低温における基底状態は金属→絶縁体→金属→絶縁体→金属という異常な振る舞いをすることが明らかとなった(図1)。DI-塩の高圧における電子状態を強結合近似のバンド計算等、さまざまな角度から検討を行った。(DCNQI)2Cu系では、Cuの配位四面体の歪みの度合いが物性に重要な寄与を与える。加圧により配位四面体の歪みが増すと、配位子場分裂によってフェルミ準位近傍に位置するCuのdxy軌道の準位が上昇する。これにより、CuからDCNQI分子への電荷の移動が起こる。Cuの電荷と、DCNQI分子上の電荷密度波の周期およびCuサイト上の電荷の整列の周期との関係について検討した結果、DI-塩の圧力下における異常な振る舞いは、CuからDCNQI分子への電荷の移動が重要な影響を与えているというモデルを提案した。

図1:(DI-DCNQI)2Cuの圧力-温度相図
第3章’-X[Pd(dmit)2]2系(X=Me4Z,Et2Me2Z;Z=P,As,Sb)の物性

 この系は、高圧超伝導体-Me4N[Pd(dmit)2]2(Tc=6.2K at 6.5 kbar)の対カチオンを置換した系であり、対カチオンXが変わっても-Me4N塩とほぼ同様の結晶構造(’型)をとる。結晶構造は単位格子に2つの立体交差したカラムを含み、各々のカラム内ではPd(dmit)2分子が強く二量化している。この系は対カチオンが変わることによって二量化の度合いが若干変化し、それに伴い電子構造も変わってくる。従って、結晶構造や電子構造を微妙に制御することが可能となり、系統的な研究をするのに非常に適した系と言える。

 一連の測定の結果、’-X[Pd(dmit)2]2系は圧力下での振る舞いがカチオンによって大きく異なることがわかった。ただし一般的な傾向として、圧力の増加に伴って低温での安定相が非金属→金属→非金属と変化する。通常の分子性伝導体では、加圧と共に金属状態が安定化する傾向があるので、この振る舞いはかなり奇妙な振る舞いと言える。Pd(dmit)2分子では、対称性の理由から金属イオンのd軌道はHOMOに寄与しない。そのためHOMOとLUMOとのエネルギー準位の差が小さいという特徴がある。そして強い二量化の為に、二量体内ではHOMOの反結合性軌道とLUMOの結合性軌道の準位とが逆転していることが実験的にわかっている。従って、エネルギーバンドを形成した時、常圧では通常のアクセプター系伝導体と異なり、フェルミ準位がHOMOバンドに位置する。圧力下では二量化の度合いが小さくなり、HOMOバンドに加えてLUMOバンドもフェルミ準位近傍に位置してくると考えられる。このような描像に基づいて、圧力下における電子状態を検討した結果、非金属→金属→非金属という振る舞いには、系の電子構造の次元性とHOMOおよびLUMOバンドの重なりとが密接に関係していると考えた(図2)。その考察に基づくと、’-Et2Me2P塩は超伝導相近傍に位置する可能性が高いと予想された。そして、詳細な圧力測定の結果、’-Et2Me2P塩が超伝導転移を示すことが明らかとなった(4.0K at 7.0kbar)。また詳細な圧力-温度相図を得た。

図2:(’)-X[Pd(dmit)2]2系の物性を説明する模式図
第4章非対称型金属ジチオレン錯体からなる分子性伝導体の合成、構造と物性

 金属-ジチオレン錯体系はTTF(tetrathiafulvalene)誘導体と並び、分子性伝導体の重要な構成要素の一つである。しかしながら、詳細な研究が行われているのはdmit,mntなどを配位子とする一部の系に限られていた。その大きな要因の1つは、異なる配位子を持つ「非対称」錯体の合成法が確立していなかったことである(TTF系では多くの非対称体が知られている)。そこで本研究では、新しい遷移金属系として「非対称」型金属-ジチオレン錯体の系統的な合成方法を開発することを試みた。

 非対称体の合成は次の様な方法で達成できた。まず2種類の対称体のモノアニオン塩をアセトン中で還流すると、配位子交換反応が起きて非対称体が生成した。非対称体は、HPLC(ODP;acetonitrile/H2O10%)で対称体と容易に分離することができた(図3)。(ジアニオン塩を用いた場合は保持時間の差がほとんどないために分離ができなかった。)この手法は非常に簡便かつ一般的であり、この方法を用いて多くの新規非対称体を合成することができた(Scheme 2)。

図3:HPLCによる非対称体の分離Scheme 2.新たに合成した非対称金属錯体

 電気化学的なデータは、非対称体が電子受容性・分子内クーロン斥力において、対応する対称体のほぼ中間的な性質を持つことを示唆した。実際に結晶化した場合には、さらに構造的な因子も加わるので、ジチオレン錯体系分子性伝導体の多様性が大きく拡ったと言える。様々なドナー分子とのアニオンラジカル塩は定電流電気分解法により作成した。これまでにNi(dmit)(mnt)およびNi(dmit)(tdas)錯体でそれぞれ2種類づつ金属的な挙動を示す塩が得られた。また、その他の塩でも多くの高伝導性の塩が得られた。

第5章まとめ

 (1)2つのp電子とd電子を含む分子性伝導体、(R,I-DCNQI)2Cuおよび’-X[Pd(dmit)2]2について、圧力下における抵抗率の測定を行い、その電子構造についての考察を行った。前者については、加圧とともに金属相と絶縁相が交互に現れるという異常な振る舞いを観測した。この振る舞いについて、Cuの電荷移動に基くモデルを提案した。後者については、加圧に伴って非金属→(超伝導)金属→非金属というユニークな振る舞いが観測された。また、’-X[Pd(dmit)2]2の物性を説明するためのモデルを提案し、それに基いて’-Et2Me2P塩で新たに超伝導転移を見い出した。

 (2)「非対称」型金属-ジチオレン錯体の簡便かつ一般的な分離・精製法を開発し、多くの新規な非対称体を合成することができた。これによってジチオレン錯体系の分子性伝導体の多様性が大きく拡がった。これまでに金属的な塩を4種類得た。

審査要旨

 本論文は5章からなり,第1章は序論,第2章はヨウ素原子を含む-d系(DI-DCNQI)2Cu塩およびその類縁体の温度-圧力相図,第3章はジチオレン金属錯体Pd(dmit)2のアニオンラジカル塩の物性(特に圧力下における超伝導の発現),第4章は「非対称」型ジチオレン金属錯体の合成と性質,第5章はまとめである。

 第1章序論では,これまで開発されてきた分子性電気伝導体の構造と物性にについて概観した後に,本論文で取り扱う金属錯体系分子性導体の特徴について述べられている。ここでは,金属錯体系分子性導体は,従来の伝導電子系にd電子が加わることによって自由度が増し,特異な物性の発現が期待できる系であることが強調されている。一方,格子の「柔らかい」分子性導体では,圧力によって物性が大きく変わりうることを指摘した上で,金属錯体系分子性導体における圧力効果の研究の重要性が述べられている。そこで,本論文では,金属錯体系分子性導体に対して,「物性」開発の観点から,DCNQI-Cu塩とPd(dmit)2塩における圧力効果,「物質」開発の立場から非対称ジチオレン錯体の合成が検討されている。

 第2章では,ヨウ素原子を含むDCNQI-Cu塩の高圧下における電気伝導特性について記述されている。アクセプター分子DCNQIのCu塩では,DCNQIの1次元カラムが配位結合を介して(四面体配位の)銅イオンによって3次元的に連結されており,銅は混合原子価状態にある。従来のDCNQI-Cu塩は,加圧によって金属状態から局在スピンの発生を伴う絶縁状態へと転移し,その中間領域ではリエントラント転移(金属→絶縁体→金属)を示す。この系における金属-絶縁体転移では,DCNQIカラム上の電荷密度波と銅サイトにおける電荷整列(…Cu+Cu+Cu2+…)とがカップルしている。これらの現象には,パイエルス転移,モット転移,ヤーン・テラー効果,混合原子価等の数多くの概念が関わっていることが明かとなっている。DCNQI-Cu塩の物性は,置換基によって大きく異なるが,特に置換基としてヨウ素を含む系は,特異な性質を示す。本論文では,ヨウ素原子を含むDCNQI-Cu塩において,加圧とともに低温における基底状態が金属→絶縁体→金属→絶縁体→金属と変化する現象を初めて見出している。本章の後半では,この特異な相図の原因について,強結合近似のバンド計算等に基づいて考察している。いくつかの可能なメカニズムとその問題点を指摘した上で,DCNQI上の電荷密度波と銅サイトの電荷整列の周期の整合性に着目したメカニズムを提案している。銅の価数は,加圧によって配位四面体の歪みの度合いが大きくなると増大する。一方,電荷密度波と電荷整列の周期は,銅の価数が+4/3と+1.6の時に整合する。この時,絶縁状態が安定化される,というのが要点である。このメカニズムについては,まだspeculationの域にとどまっているが,興味深い指摘である。

 第3章では,ジチオレン錯体Pd(dmit)2の塩の高圧下における電気伝導特性について述べられている。高圧超伝導体-Me4N[Pd(dmit)2]2は,結晶内にPd(dmit)2分子のカラムを含み,カラム内ではPd(dmit)2分子が強く二量化している。アクセプター系では,通常LUMOが伝導バンドを形成する。しかし,この系では,HOMOとLUMOの分子軌道準位間のエネルギー差が小さく,しかも結晶内で強く二量化している結果,二量化による分裂で生じた(anti-bondingの)HOMOバンドが(bondingの)LUMOバンドより上に位置する。ここで重要な点は,各分子軌道の対称性の違いから,HOMOバンドは2次元的,LUMOバンドは1次元的である点にある。電気伝導は狭いhalf-filled HOMOバンドが担っており,常圧では,一種のモット絶縁化を起こしていると考えられる。対カチオンをMe4Z+やEt2Me2Z+(Z=P,As,Sb)に置換すると,結晶構造が若干変化するが,伝導層内のPd(dmit)2分子配列に大きな変化はない。しかし,本研究において,圧力下における電子状態が,カチオンによって大きく変化することが見出された。特に,Et2Me2P塩が圧力下で超伝導転移を示すことを発見し,この系の詳細な温度-圧力相図が明らかとされた。この系では,圧力の増加に伴い低温での安定相が絶縁体→金属→絶縁体と変化する。本論文では,この現象に対して以下のような考察を行っている。加圧すると二量化が弱くなるために各バンドの幅が拡がり,LUMOバンドがHOMOバンドと重なるようになる。すると,2つのバンド間で電子の再配分が起こってHOMOバンドがhalf-filledでなくなり金属(超伝導)状態が出現する。しかし,さらに加圧を行うと,フェルミ準位近傍で1次元的なLUMOバンドの性格が強くなり,1次元伝導電子系の不安定性が現れる。また,強結合近似のバンド計算等に基づいて,常圧でのHOMOバンドが2次元性を強く示す系ほど加圧によって金属相が現れやすい傾向があることを見出し,これによってカチオンの効果を考察している。

 第4章では,「非対称型」ジチオレン金属錯体の合成について述べられている。第3章で明らかになったように,金属ジチオレン錯体は分子性導体の構成成分として非常に興味ある分子である。しかし,膨大な化合物の合成例が知られている有機電子系分子性導体に比べ,その種類は未だ限られている。これは,有機電子系では極くありふれた「非対称」分子を合成・分離する手法が確立していないことが一因となっている。本論文では,二つの異なる配位子と結合した,いわゆる「非対称」型金属ジチオレン錯体分子を合成し分離・精製するための一般的な方法について記述されている。反応そのものは単純で,2種の対称体をアセトン中で還流すると,配位子交換反応が進行し非対称体が生成する。重要な点は,非対称体をHPLC(ODP)で容易に対称体から分離できることを見いだした点にある。この方法によって多数の「非対称」型ジチオレン錯体を新規に合成している。また,これらの錯体を用いて電荷移動錯体を作成し,金属的電気伝導を示す塩も得ている。

 第5章では,金属酸化物等の無機系伝導体と比較して,d電子を導入した分子性伝導体の今後の展望について述べられている。このような系の特徴の一つが「多バンド」であることを指摘した上で,本研究がこれらの開発の基礎を築く上で果たした意義について述べられている。

 有機電子と金属d電子が共存する遷移金属錯体系分子性導体の特異な物性の測定(第2,3章)と新規物質の合成(第4章)に取り組んだ本研究の成果は,今後の分子性導体開発の重要な基礎となるであろう。

 なお,本論文の一部は,加藤 礼三,澤 博,山浦 淳一,岡野 芳則,花咲 徳亮,田島 裕之,青沼 秀児,との共同研究であるが,論文提出者が主体となって物性評価及び合成を行ったもので,論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって,博士(理学)の学位を授与できると認める。

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