学位論文要旨



No 114092
著者(漢字) 白井,知子
著者(英字)
著者(カナ) シライ,トモコ
標題(和) 大気中における代替フロン等の超微量ハロカーボン類の分布と変動および挙動に関する研究
標題(洋)
報告番号 114092
報告番号 甲14092
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3581号
研究科 理学系研究科
専攻 化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 巻出,義紘
 東京大学 教授 秋元,肇
 東京大学 教授 小間,篤
 東京大学 教授 野崎,義行
 東京大学 教授 野津,憲治
内容要旨

 成層圏オゾン層破壊をもたらすことから国際的に生産・消費が規制され、先進国ではすでに全廃された特定フロン類(CFC:Chlorofluorocarbons)に代わり、代替フロンの使用量が急増している。主要な代替フロンであるHCFC類(Hydrochlorofluorocarbons)は小さいながらオゾン層破壊効果があるため、モントリオール議定書により先進国では1996年から消費規制が開始されており、一方、オゾン層への影響が全くないHFC類(Hydrofluorocarbons)についても1997年の地球温暖化防止京都会議において規制が決定された。しかし、次世代の代替品および製品の回収・処理技術は開発中であり、大気中への放出は今後もしばらく続くと予想されるため、その大気中での分布・挙動を明らかにすることは、早急な課題である。また、天然にも発生源のある塩化メチル(CH3Cl)や臭化メチル(CH3Br)などのハロゲン化メチル類もオゾン層破壊に関与しており、大気中分布のみならず、発生源や消失源、影響評価など解明すべき課題は多い。

図1.低温濃縮/GC/MS法による大気中微量成分測定装置

 本研究では、ECD(電子捕獲型検出器)では感度の低い代替フロン類の高感度・高精度大気中濃度測定法について検討し、低温濃縮/GC(ガスクロマトグラフ)/MS(質量分析計)法により、代替フロン類の大気中バックグラウンド濃度の検出に成功した。また、ハロゲン化メチル類、特定フロン類やハロンなども含め、放出源や大気中挙動の異なる多種のハロカーボン類を同時定量するために装置の製作と測定条件の検討を行い、その測定法により、過去に採取して保存されてきた大気試料や、新たに採取した種々の緯度の成層圏大気試料などを分析し、これらのハロカーボン類の全球規模での大気中濃度の分布や変動および挙動について調べた。

測定法

 対流圏大気試料は、真空排気した清浄な全金属製容器に、グラブサンプリング法で採取した。特定フロン類の大気中濃度測定にはECDが有効であるが、代替フロン類はECDによる感度が低く、直接検出が困難なため、本研究では、試料を予め低温濃縮し、GCで分離し、MSで検出する方法を開発した。

 質量分析では、水分や空気が検出器を不安定にし、感度を低下させるため、真空ラインやバルブ部分を改良し、感度の向上と安定化を図った。また、沸点の異なる化合物を再現性良く完全に捕集・脱離させるために、低温濃縮管のサイズや温度制御を最適化した。GCカラムの直前部で捕集成分を小体積に集めるcryofocusingの効率も向上させ、GCの分離能を高めた。さらにGCの昇温条件・MSの検出条件などについても改良を重ねた結果、大気中濃度が数pptv(pptv=10-12v/v)レベルと極めて低い代替フロンのHFC-134a(CH2FCF3)とHCFC-141b(CH3CCl2F)が定量的に測定可能となり、以前から使用されてきた代替フロンのHCFC-22(CHClF2)やHCFC-142b(CH3CClF2)、特定フロンのCFC-11(CCl3F)、CFC-12(CCl2F2)、CFC-113(CCl2FCClF2)、CFC-114(CClF2CClF2)とCFC-114a(CCl2FCF3)、ハロンのHalon-1301(CBrF3)とHalon-1211(CBrClF2)、天然にも放出源のある塩化メチルや臭化メチル、ヨウ化メチル(CH3I)なども含め14種類のハロカーボン類の同時定量が可能となった(図2)。

図2.典型的なバックグラウンド大気中の微量ハロカーボン類のGC/MS(SIM)ガスクロマトクラム(1998年8月3日、北海道・稚咲内)
代替フロン類の大気中濃度

 現在主に使われている代替フロンには、冷媒、発泡剤、エアゾール噴射剤などに用いられるHFC-134a、HCFC-142bおよびHCFC-22、発泡剤、洗浄剤などに用いられるHCFC-141bがある。本研究では、極めて低いこれらのバックグラウンド濃度の測定を試みるとともに、過去十数年にわたり北海道(42-45°N)および南極昭和基地(69°S)で採取して保存されてきた大気試料や、新たに採取した試料を分析し、南北両半球ならびに全球平均での大気中濃度の変動を調べた。

 その結果、これら代替フロンの大気中濃度は、近年、南北両半球で顕著に増加していることが明らかとなり、特に、CFCの国際的な規制が本格化した1990年代から使用され始め、最近の生産・放出量の伸びが著しいHFC-134aとHCFC-141bでは、1985年頃から放出の始まったHCFC-142bと比べても、さらに大気中濃度の増加率が大きいことを見出した(図3)。また、各化合物の業界による世界の生産量の統計値およびMidgleyらにより使用形態に応じて見積られた放出量の推定値に基づいて自分で2-boxモデルにより計算した大気中濃度を、測定値と比較したところ、HFC-134aとHCFC-141bでは半年程度の時間的なずれはあるもののほぼ一致したのに対し、HCFC-142bの大気中濃度の観測値は計算値の2倍以上であった。これは、発泡剤として使用されるHCFC-142bが、推定よりもかなり短期間のうちに大気中に放出されていることを示している。HFC-134aとHCFC-141bについても徐々に既存の製品からの放出の寄与が増えて放出量の見積もりは難しくなるため、計算値と実際の大気中濃度とのずれが広がることが予想される。1997年以降は国際的な生産・消費量の統計値が未発表であり、計算値との比較はできていないが、引き続き大気中濃度は増加し続けており、これらの代替フロン類は依然として大量に放出されていることを示している。1996年より開始されたHCFC類の生産・消費の規制が、今後のこれらの大気中濃度にどのように反映されるかを継続して観測し、代替フロンの各用途における生産から放出までの時間差などをより詳細に明らかにすることが、将来への影響を評価する上で重要である。

図3.代替フロン類の大気中濃度の経年変化(○:北海道、◇:南極昭和基地、●:全球平均)破線は生産統計値・放出推定値に基づいて2-boxモデルで計算した結果。
ハロゲン化メチル類の大気中濃度

 北海道・沖縄の海岸近くおよび東京都心部で採取された大気試料中の塩化メチル、臭化メチル、ヨウ化メチルの濃度の比較から、主にそれらの放出源について検討した。これらの大気中濃度は、北海道および沖縄において大きく変動しており、海洋からの発生が寄与していることが示唆されたが、臭化メチルの大気中濃度は、東京においても高く、変動幅も大きいことから、臭化メチルでは人間活動による放出の寄与が大きいことが示された。ハロゲン化メチル類の測定においては、ステンレススチール容器内で長期間保存された大気試料で濃度変化が見出されたため、内表面での吸着、脱着、反応、汚染の可能性についてシミュレーション実験を行って検討した。その結果、この現象は、吸着・脱着では説明がつかず、金属に取り込まれた成分、あるいはそれらの金属表面における反応由来の放出が起きている可能性を見出した。

ハロカーボン類の高度分布

 北極圏のスウェーデン・キルナ(68°N,20°E)上空において1997年2月22日および3月18日に、宇宙科学研究所三陸大気球観測所(39°N,142°E)上空において1997年5月30日および1998年9月3日に、南極昭和基地(69°S,40°E)上空において1998年1月3日に、それぞれ大気球搭載の液体ヘリウム冷却クライオジェニックサンプラーによる成層圏大気試料採取実験が、宇宙科学研究所および東北大学との共同実験により行われた。得られた成層圏試料の分析を、低温濃縮/GC/MS法により、採取後数カ月以内に行った。

 キルナ、三陸、南極上空におけるハロカーボン類の高度分布を図4に示す。特定フロン類およびハロンは対流圏内では非常に安定で分解されず、成層圏に入ると紫外光による分解を受け、その光吸収断面積に応じて高度とともに混合比が減少した。代替フロン類は、OHラジカルによって対流圏内で分解される地表から圏界面までにも混合比の減少が見られたが、成層圏内では比較的光吸収断面積が小さいため、中部成層圏以上の高度でも減少傾向は小さくなった。

図4.北極圏(キルナ)、日本(三陸)、南極(昭和基地)の上空におけるハロカーボン類の大気中濃度(混合比)の高度分布

 キルナ上空では三陸や昭和基地に比べ、各化合物とも著しい混合比の減少が見られ、冬の極域特有の現象である極渦内では均一に低濃度となっていることが見出された。一方、夏の南極上空では混合比の減少が緩やかであり、これらのデータの比較から、季節や緯度、南北半球の違いにより、上空大気の状態が大きく異なることが明らかになった。

 また、1997年の三陸上空では、高度20kmから30kmの間に採取された二つの試料において全成分が非常に低濃度を示した。成層圏での気象モデル用データを用いたバックトラジェクトリー解析では高度分解能が十分ではなく、その違いを捉えることができなかったが、気球の航跡図から、これらの高度において気球が他の高度と異なる流れに乗っていたと判断された。このような鉛直方向に数km規模の微細な構造が観測されたことは、成層圏での大気の運動状態を考える上で興味深い。

 成層圏におけるハロゲン化メチルの観測例は非常に限られているが、高度30km以上にまで及ぶ塩化メチル、臭化メチルの高度分布が得られた。両化合物とも、三陸、キルナ上空において、高度とともに減少した濃度が20km以上で再び増加する傾向を示した。この分布は、上方への拡散により高度と共に濃度が減少する、という従来の一次元モデルと合わず、光分解と大気輸送のバランスから、この現象を説明するには、低緯度で流入した対流圏大気の中・高緯度への早い輸送や、中・高緯度における対流圏大気の成層圏への流入などを想定する必要がある。

 以上のように、ハロカーボン類を大気の輸送過程のトレーサーとして、リモート・センシングやモデル計算では得られない成層圏・対流圏大気循環についての情報が得られた。

審査要旨

 本論文は全6章からなり、第1章では研究の背景として、測定対象化合物である大気中フロンガスの定義と、その成層圏オゾン層や地球温暖化への影響について、また、それらの生産・消費の規制および代替フロンの開発について説明されている。

 第2章では実験方法が記述されている。大気中微量気体濃度測定装置は、試料導入用真空系、キャピラリーガスクロマトグラフ(GC)/四重極質量分析計(MS)から構成され、装置の制御およびデータ処理にはコンピュータを用いた。低温分離・濃縮およびクライオフォーカス法により、pptv(=10-12)レベルのバックグラウンド濃度の代替フロン類の検出・定量に成功したほか、HFC、HCFC、CFC、ハロン、ハロゲン化メチルなど、オゾン層破壊や地球温暖化に影響を及ぼすハロカーボン類14種の同時測定を可能にした。

 第3章では大気試料採取法が記されている。対流圏大気試料は、ステンレススチール製の試料容器を作製し、グラブサンプリング法で採取した。局所的・一時的な放出の影響を受けないバックグラウンド濃度を得るため、北海道の海岸および南極昭和基地において、気象条件を選んで、定期的にサンプリングを行った。

 成層圏大気試料は、液体ヘリウムによるクライオジェニックサンプリング法が採用され、大気球に搭載して高度30km前後までの11高度で採取された。

 第4章では、測定結果のうち、代替フロンの大気中濃度の経年変化について記述されている。過去に採取されて保存されているバックグラウンド大気試料から最近の大気試料までの分析を行い、近年生産・消費が増加している代替フロンのHFC-134a(CH2FCF3)、HCFC-141b(CH3CCl2F)、HCFC-142b(CH3CClF2)などの対流圏大気中濃度の1998年までの経年変化を世界で初めて明らかにした。

 HFC-134aとHCFC-141bは、1994年から1997年にかけて、それぞれ年率83%および63%と指数関数的な増加を示した。この増加率は生産量の統計値と放出量の推定値を用いて、2-BOXモデルにより計算した大気中濃度の増加率と一致した。

 一方、1980年代から使われはじめたHCFC-142bでは、近年、濃度増加傾向が鈍化しているが、観測された大気中濃度と放出推定量に基づいて計算した期待値との間に2倍以上の違いが見られた。これは、Midgleyらにより推定された放出量に問題があることを指摘した。

 第5章では、ハロカーボン類の成層圏における高度分布について記述されている。北極圏のスウェーデン・キルナ、宇宙科学研究所三陸大気球観測所、南極昭和基地のそれぞれ上空において、成層圏大気試料採取実験が、宇宙科学研究所および東北大学理学部との共同実験により行われた。得られた成層圏試料の分析は、東京大学において低温分離・濃縮/GC/MS法により、採取後数カ月以内に行った。

 各ハロカーボンでは、OHラジカルによる分解や、成層圏における光分解を反映した高度分布が観測された。

 冬のキルナ上空では、各化合物とも著しい混合比の減少が見られ、冬の極域特有の現象である極渦内で均一に低濃度となっていることが見出された。一方、夏の南極上空では混合比の減少が緩やかであり、これらのデータの比較から、季節や緯度、南北半球の違いにより、上空大気の状態が大きく異なることが明らかになった。

 また、三陸上空では、気象モデルによるバックトラジェクトリー解析では捉らえられない大気の構造のあることを明らかにした。

 ハロカーボン類を大気の輸送過程のトレーサーとして、リモート・センシングやモデル計算では得られない成層圏・対流圏大気循環についての情報が得られた。

 第6章ではハロゲン化メチル類の大気中濃度測定について記述されている。大気中挙動に未解明の点の多いハロゲン化メチル類(塩化メチル、臭化メチル、ヨウ化メチル)について、東京、北海道、沖縄、インドネシアで採取された対流圏大気試料を測定し、得られた大気中濃度より、ハロゲン化メチルは海洋や森林火災などから発生すること、臭化メチルでは人間活動による放出の寄与も大きいことが示唆された。

 内壁に特殊処理を施さないステンレススチール容器内で保存された試料中で、ハロゲン化メチル類濃度の上昇が見られることから、ステンレススチール容器内でのハロゲン化メチル類濃度の安定性について、シミュレーション実験を行って検討した。

 成層圏におけるハロゲン化メチルの観測結果についても検討した。

 なお、第3章で述べられている両半球バックグラウンド大気の採取は論文提出者を含めた研究室メンバーおよび日本南極観測隊員によるものであるが、大気中濃度測定および詳細な経年変動の解析は論文提出者によるものである。また成層圏大気試料採取は、宇宙科学研究所で開発された液体ヘリウムクライオジェニックサンプラーを用いて同研究所および東北大学理学部との共同研究で得られたものであるが、大気試料の分析と解析は論文提出者による。

 また、本論文の主要をなす第2章の大気中微量気体濃度測定装置の開発と製作、および第4,5,6章の測定と解析は、すべて論文提出者によるものである。これらのことから、本論文における論文提出者の寄与は十分であると判断する。よって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54682