学位論文要旨



No 114093
著者(漢字) 高橋,一志
著者(英字)
著者(カナ) タカハシ,カズユキ
標題(和) 新規電子受容体の合成とキャラクタリゼーションおよびその分子性導体への応用
標題(洋) Preparation and Characterization of Novel Electron Acceptors and their Applications to Molecular-Based Conductors
報告番号 114093
報告番号 甲14093
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3582号
研究科 理学系研究科
専攻 化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小林,啓二
 東京大学 教授 西原,寛
 東京大学 助教授 岩澤,伸治
 東京大学 教授 川島,隆幸
 東京大学 助教授 小林,昭子
内容要旨

 分子性導体の研究は電子供与体であるTTF誘導体のラジカルカチオン塩を中心に活発に行われており、これまでに実に多様なTTF誘導体が合成されている。一方、ラジカルアニオン塩についてはいまだに十分に開発されたとは言えない。そこで博士課程において電子受容体に注目した分子性金属の開発を目指して以下の研究を行なった。

1.チオフェン縮環DCNQIとそのヨウ化銅(I)錯体

 

 修士課程においてチオフェン縮環DCNQI(1)がヨウ化銅(I)との反応によりヨウ素を含む伝導性配位ポリマー錯体(1)(CuI)2を与えやすいことを見い出した。そこで、この種のヨウ化銅錯体の形成要因を探るため、構造的あるいは電子的効果の異なる種々の誘導体(5-7)を新規に合成し、以前に合成したDCNQI誘導体と共にヨウ化銅錯体の作成とキャラクタリゼーションを行なった。

 前駆体となるキノン体にビストリメチルシリルカルボジイミドと四塩化チタンを作用させることにより5から7を合成した。サイクリックボルタンメトリー法により酸化還元電位を測定したところ、5が最も高い電子受容性を示した(表1)。これは塩素の電子求引性の効果によるものと考えられる。また、7は一電子還元により、非古典的チオフェンの共鳴構造が出現し、芳香化への駆動力がないため、著しく電子受容性が低下したものと考えられる。

表1 縮環型DCNQIの酸化還元電位と錯体の組成

 電子受容体(1-8,10)とヨウ化銅(I)との混合によりヨウ化銅錯体の作成を試みたところ、いずれも黒色の粉末が得られた。それらの組成を表1に示す。5は(5)2Cuという組成の銅錯体、7は(7)(CuI)という組成のヨウ化銅錯体を与えた。また、ベンゼン縮環DCNQI(8)では(8)(CuI)2、後述するフラン縮環DCNQI(10)では(10)2Cuという組成の銅錯体が得られた。アクセプターの第一還元電位と得られた錯体の組成の比較より(acceptor)(CuI)2という組成のヨウ化銅錯体の形成条件としてはアクセプターの分子構造よりむしろ電子的な性質が大きな寄与を与えることが分かった。

2.フラン系TCNQ,DCNQI

 チオフェン縮環TCNQおよびDCNQIの分子設計を更に拡張し、フラン環を縮環したTCNQ(9)およびDCNQI(10)を合成した。

 

 合成は上記のスキームに従った。TCNQ体(9)は紫色針状晶、DCNQI体(10)は紫色粉末としてそれぞれ収率79,45%で得られた。サイクリックボルタンメトリー法によりこれらの酸化還元電位を測定した(表2)。9,10はいずれも可逆な二段階一電子還元波を示した。第一還元電位は母体のTCNQには及ばないものの、チオフェン縮環体より高い電位であり、比較的高い電子受容性を有することが明らかになった。これは電気陰性度の大きな酸素原子の効果が現れたものと考えられる。また、分子内クーロン反発に相当するEの値はTCNQと比べると小さくなるもののチオフェン縮環体ほどではなかった。これは酸素原子と硫黄原子の分極率の違いによるものと理解される。

表2 芳香環縮環電子受容体の酸化還元電位

 比較的高い電子受容性を反映して9,10はそれぞれ電子供与体との混合により電荷移動錯体を与えた。特にTTFとはそれぞれ1:1組成の錯体を与え、粉末圧縮試料ながらそれぞれ7.7,9.9Scm-1と高い伝導性を示した。一方、10はチオフェン縮環体(1)のようなヨウ化銅錯体を生成しなかった。

 9のラジカルアニオン塩を電解法により作成した。得られた塩の対カチオンと電子受容体との組成はPh4P塩の1:2以外は2:3であった。電気伝導度はLi:1.2×10,Me4N:1.1,Et4N:3.4×10-1,Et4P:1.6×10-2,Ph4P:6.8×10-4Scm-1であり、室温付近での温度依存性はいずれも半導体的であった。(Et4N)2(9)3についてX線構造解析を行なった(図1)。a軸方向より見るとカチオン層と電子受容体分子のカラム層からなり、カラム間に相互作用のない一次元系の結晶構造であった。9にはカラム中に二種類の分子A,Bが存在し、ABAABAの順で積層し三量体を形成していることが分かった。三量体内と三量体間の面間隔はそれぞれ3.309,3.308Åであった。このように三量体を形成しているため見かけは部分電荷移動が達せられているものの金属的な伝導性を示さないものと考えられる。同形であるEt4P塩ではカチオンが大きくなることで分子の面間隔が広がるため、さらに電気伝導度が小さくなるものと考えられる。

図1 (Et4N)2(9)3の結晶構造
3.ヘキサシアノスチルベンキノジメタンジアニオンの合成

 拡張共役系からなり、また多段階の酸化還元挙動を示すことが期待される電子受容体として、ヘキサシアノスチルベンキノジメタン(14)を設計し合成を試みた。

 

 上記スキームに従い、前駆体(20)を合成した。種々の酸化剤により目的化合物(14)への誘導を試みたが、14の単離には至らなかった。しかし、スチルベン体(20)のジアニオンをテトラエチルアンモニウム塩(21)として単離することができた[IR(KBr)2214,2163,2126cm-1;Anal.calcd.for C38H48N8:C,73.99;H,7.84;N18.17.Found:C,73.80;H,7.73;N,18.21.]。21のサイクリックボルタンメトリーには、二つの非可逆な酸化波と可逆な一つの還元波が見られた[,,=+0.77,+0.53,-0.63V vs.Ag/AgCl(DMF)]。一段階目の酸化波で折り返しても非可逆であること、および繰り返し掃引すると新たな広幅の還元波が現れることから、アニオンラジカルが不安定であるため、電極表面でポリマー化するものと推定した。21を電解することでラジカル塩および電荷移動錯体の作成を試みているが、これまで単離に至っていない。

審査要旨

 本論文は、分子性導体の構成分子となるべき新しい電子受容性パイ化合物の合成的研究と、それらの電荷移動錯体およびラジカルイオン塩に関する物性的、構造的研究を内容とし、5章からなる英文の論文である。

 第1章ではこの論文の背景となる分子性電気伝導体の理解とこれまでの研究の状況をレヴィーしている。ここにも述べられている通り、これまでの分子性導体の研究は電子供与体であるTTF誘導体のラジカルカチオン塩を中心に行われており、ラジカルアニオン塩についてはいまだ十分に開発されたとは言えない状況にあることからして、本研究の意義を十分に認めることができる。

 第2章では、チオフェン縮環ジシアノキノジイミン(DCNQI)とそのヨウ化銅(I)錯体について述べられている。本章で注目すべき結果は、これら合成した化合物の多くがヨウ化銅(I)との反応により、銅とともにヨウ素を含む伝導性錯体を形成する点である。従来、DCNQIの誘導体はCu(DCNQI)2の化学式で表される伝導性錯体を与えることが知られているが、チオフェン環を縮合することにより全く異なる化合物を与えたことになる。この点を解明すべく、チオフェン環に種々の置換基を導入した誘導体、立体的要素を変えた誘導体などを合成し、ヨウ化銅(I)との反応による錯体生成を試みている。電子受容体の第一還元電位と得られた錯体の組成の比較より(acceptor)(CuI)2という組成のヨウ化銅錯体の形成条件としては電子受容体の分子構造よりむしろ電子的な性質が大きな寄与を与えることを明らかにしている。

 結晶性の良い錯体が得られ難いようで、残念ながら、単結晶のX線結晶構造解析は行われていないが、以前に結晶構造解析されたヨウ化銅(I)錯体との粉末X線回折パターンの比較を詳細に行うことにより、新たに得られたヨウ化銅(I)錯体の構造は、電子受容体分子が二座配位してヨウ化銅(I)の梯子状構造に架橋した配位ポリマーであると結論している。このような構造の伝導性錯体はこれまでに例がなく、この分野に新たな系列の化合物を提供し物性研究の対象に加えた点は新物質開発の立場から高く評価される。

 第3章では、チオフェン縮環TCNQおよびDCNQIの分子設計を更に拡張し、フラン環を縮環したDCNQIおよびTCNQ誘導体の合成とそれらの錯体の生成および物性について述べている。母体化合物はいずれもチオフェン縮環体より高い電子受容性を有することをサイクリックボルタンメトリーの測定結果より明らかにしている。フラン縮環体とチオフェン縮環体のスペクトル的性質や電気化学的な性質は、酸素原子と硫黄原子の分極率の違い、電気陰性度の違い、原子半径の違いにより解釈され、ヘテロ原子の影響についての系統的な考察は物理有機化学の基礎として重要な貢献をするものと考えられる。

 さらに第3章では、作成された対カチオンが異なる三種のラジカルアニオン塩について、X線結晶解析により同形の結晶構造であることを明らかにし、伝導度との関係を検討している。すなわち、カラム中に二種類の分子が積層し三量体を形成している構造について、三量体内と三量体間の面間隔が、カチオンの大きさの順になることを指摘し伝導度の実測値を見事に解釈している。

 第4章では、拡張共役系からなり、また多段階の酸化還元挙動を示すことが期待される電子受容体として、ヘキサシアノスチルベンキノジメタンを分子設計し合成を行っている。目標化合物の合成は意外に困難で、数多くの合成経路を検討したのちに、最終的に目標化合物をジアニオンのテトラエチルアンモニウム塩として単離している。この合成への努力は高く評価されて然るべきである。ジアニオンのサイクリックボルタンメトリーの測定結果より、予想通り多段階レドックス系を構成するが、アニオンラジカルが不安定で電極表面でポリマー化することを明らかにしている。

 第5章では、難溶性のアクセプターから電気化学的にラジカルアニオン塩をつくる新しい方法について述べている。すなわち、支持電解質としてテトラキス[3、5-ビス(トリフルフルオロメチル)フェニル]ボラート塩を用いる方法で、極性のそれほど高くない溶媒からも対応するラジカルアニオン塩の良質の結晶を得ることができる点で、非常に適応範囲の広い、利用価値の高い方法と認められる。

 以上の成果は、いずれも分子性導体の分野において大きな貢献をし、この分野の進展に資するところが大きいと判断される。よって、本論文審査委員会は全員一致で本研究が博士(理学)の学位論文として合格であると判定した。

 なお、本研究は、東京大学小林啓二教授ほか1名との共同研究の部分があるが、論文提出者が主体となって実験および考察を行ったもので、論文提出者が主たる寄与をなしたものと認められる。

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