学位論文要旨



No 114095
著者(漢字) 田中,寿
著者(英字)
著者(カナ) タナカ,ヒサシ
標題(和) 分子性超伝導物質の電気・磁気的性質の化学的制御
標題(洋) Study on Molecular Superconductors by Chemical Control of Electrical and Magnetic Properties
報告番号 114095
報告番号 甲14095
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3584号
研究科 理学系研究科
専攻 化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小間,篤
 東京大学 教授 梅澤,喜夫
 東京大学 教授 太田,俊明
 東京大学 助教授 加藤,礼三
 東京大学 助教授 錦織,紳一
内容要旨 第一章.

 分子性伝導体は伝導を担う有機分子部位と対イオンからなり、その構成有機分子の異方性に由来する低次元性を反映した性質を持つ。そのため電子間クーロン相互作用(電子相関)や量子揺らぎの効果が本質的役割を担うと考えられる低次元量子系の物性の舞台として期待されている。また近年では磁性金属イオンを用いて、分子性伝導体に磁性イオンの磁気モーメントと伝導電子の相互作用を導入することが行われ始めている。これらは電子系の低次元性や強相関に由来する特徴に加えて、次の研究の展開として磁気的・電気的性質等の複合物性を示す分子性伝導体の物理・物性開発の両面から注目されている。

 本研究で用いた有機ドナー分子BETS(=bis(ethylenedithio)tetraselenafulvalene)は大きさのほぼ等しいGaCl4-、FeCl4-を対アニオンとし、それぞれが-型と呼ばれる全く同型結晶構造の塩、-(BETS)2MCl4を生じる(以下各々GaCl4塩、FeCl4塩と省略)。これらはそれぞれが低温で超伝導体、反強磁性体となる興味深い物質である。磁性金属イオンを含むFeCl4塩ではBETS分子の電子と局在Fe3+のd電子間にd-相互作用があるため電子を仲介してFe…Fe間に反強磁性的相互作用が生じている。一方磁性金属イオンを含まないGaCl4塩では、その諸物性は伝導電子の挙動を直接的に反映していると考えられる。筆者はこのGaCl4-の塩素の一部を臭素に置換した混合ハロゲン化ガリウム酸アニオン(GaBrxCl4-x-)を用いた-(BETS)2GaBrxCl4-x(以下Ga-Br-Cl塩と省略)の合成を行い、その臭素量変化に伴う物性の変化を測定した。そしてGa-Br-Cl塩の物性の制御が物理的圧力ではなくアニオン置換という化学的手法(Chemical Pressure)によって可能であることを提示した。これを基に-型BETS塩の研究は共同研究者らによる混合ハロゲン化鉄酸アニオンを用いた-(BETS)2FeBrxCl4-x(以下Fe-Br-Cl塩と省略)の研究、磁性イオンと非磁性イオン混晶系の-(BETS)2FeyGa1-yCl4(以下Fe-Ga-Cl塩と省略)の研究、また本論文第三章に示す更に臭素量変化を導入した-(BETS)2FeyGa1-yBrxCl4-x(以下Fe-Ga-Br-Cl塩と省略)の研究へと拡張された。本論文では一連の-型BETS塩の基本物質であるGa-Br-Cl塩について臭素量・温度変化に対する伝導電子の挙動を物性・構造の面から明らかにした。また磁性イオンを含むFe-Ga-Br-Cl塩の特異的な抵抗率・磁化率についての考察を行った。

 

第二章.-型Ga-Br-Cl塩

 混合ハロゲン化ガリウム酸アニオン(GaBrxCl4-x-)は各ハロゲン化ガリウム酸アニオン(GaCl4-,GaBrCl3-,GaBr2Cl2-,GaBr3Cl-,GaBr4-)の化学平衡による混合物であり、このアニオン自体はテトラアルキルアンモニウム塩として0≦x≦4で任意に得ることが出来る。しかし、-型BETS塩としてはGa-Br-Cl塩は臭素量xが0≦x≦2.0の範囲で同型結晶構造の塩として得られる。この範囲で臭素量を変えたGa-Br-Cl塩の主に電気抵抗率・高圧電気抵抗率・磁化率について測定を行い、その結果を臭素量-転移温度の相図に表した(図1)。

図1.-(BETS)2GaBrxCl4-xの臭素量-温度相図

 常圧に於いては臭素量の増加に伴い伝導特性は劇的に変化した。ここで図1の相図に見られる室温から20K付近に広がる非金属相では強い電子相関のため伝導電子が自由に動けず、抵抗率は非金属的(熱励起型)な温度依存性を示す。臭素量x<0.5の組成の塩では50-100Kで抵抗極大を示した後、金属相が現れて急激に抵抗が減少し7K付近で超伝導転移が起こった。一方臭素量0.6<x<0.8では10K前後で急激な抵抗の増大が見られる。臭素量x>0.9では金属相はなくなり、Ga-Br-Cl塩は室温から低温まで非金属-絶縁体的な伝導挙動を示した。この臭素量増加による絶縁化及び非金属相は物理的圧力により抑えられ、臭素量がx=1.5の塩では約3.0kbarの圧力下で9.7Kという高い超伝導転移温度を示した。

 磁化率の温度変化も臭素量の増加に伴い大きく変化した。臭素量x=0.0の塩では、磁化率は超伝導転移を起こす7K以上の温度では温度の低下と共に単調に上昇する。ところが臭素量の増加に伴い50K以下の磁化率の上昇が抑えられ、x>0.90の塩では50K以下で急激な減少が見られた。また針状結晶の針状平行方向と垂直方向について少なくとも5K以上では磁化率の異方性は見られず、等方的に磁化率は減少した。つまり、図1における低温絶縁相では伝導電子が何らかの磁気的な変化を伴って局在化し移動できなくなっていると考えられる。

 臭素量変化・温度変化に対する結晶構造の変化を比較検討するため、室温、および7Kの低温でいくつかの臭素量の塩について単結晶X線構造解析を行った。-型BETS塩の結晶構造を図2に示す。構造変化で見られた臭素量変化・温度変化に対する重なり積分の変化は図2に示したアニオンの各ハロゲン位置X1-4の臭素の占有率が一部に偏る、つまり各ハロゲン化ガリウム酸アニオン(GaCl4-,GaBrCl3-,GaBr2Cl2-,GaBr3Cl-,GaBr4-)が配向してBETS分子の配列を微妙に変化させるため生じている。ここでBETSは分子間重なりAで二量化しており、またBETSは+0.5/分子に酸化されているためBETS二量体毎にホールが1つ存在することになる。つまりBETS四分子が積層する-型BETS塩の単周期中には2つのホールが存在している(図3)。

図2.-型BETS塩の結晶構造図3.臭素量変化、温度変化に対する伝導電子の挙動

 上に述べたような劇的な物性変化には何らかの構造変化が伴うと考えられるが、臭素量変化・温度変化のいずれに対しても構造相転移は起きていない。そこでより小さな構造変化を検討するため拡張Huckel法により軌道計算を行い、重なり積分を求めてその変化を比較した。その結果、Ga-Br-Cl塩の物性を左右する臭素量変化、温度変化による構造変化は分子間重なりC(重なり積分sC)にもっとも顕著に表れていることが判った。つまり臭素量の増加はsCを大きく減少させ、二つのBETS二量体を更に二量化させる(BETS四量化)。臭素量の減少、もしくは温度の低下はその逆方向に働く。室温ではこれらのホールは強い電子相関を受けながらも移動できる(図3左)が、ここで臭素量が増加しsCが小さくなれば2つのホールは二量化し非磁性スピン一重項状態をつくって動けなくなるため電気抵抗率は上昇する(図3右)。一方温度の低下によりホールの二量化は弱められ、臭素量が少なければ低温に於いて電子相関は弱まり金属状態が出現するが、臭素量が多ければsCの増大が抑えられ金属状態は出現しない。即ち、臭素量x>0.6のGa-Br-Cl塩に於いて10K以下に見られた抵抗の増大は伝導電子自身の局在化に起因することが判った。

第三章.-型Fe-Ga-Br-Cl塩

 Fe-Gaの混晶塩であるFe-Ga-Cl塩および本研究物質-(BETS)2FeyGa1-yBrxCl4-x(Fe-Ga-Br-Cl塩)は超伝導と鉄イオンの磁気秩序化が絡んだ従来の物質にない性質(超伝導-反強磁性絶縁化)を示すことが判った。本研究では極低温におけるd-相互作用に対する更なる知見を得るためFeとGa比、およびBrとCl比を変化させたFe-Ga-Br-Cl塩を合成し、磁化率、電気抵抗率の測定を行った。その結果、Fe-Ga-Br-Cl塩ではかなり低い鉄濃度(y=0.1程度)でも圧力下、超伝導転移後更に低温で反強磁性転移を起こし、超伝導状態が壊れることが判った。この低い鉄濃度での磁気秩序化は交流磁化率の測定からはスピングラス的ではないことが示唆された。また、超伝導転移が壊れた後の有限抵抗状態(絶縁状態・金属状態)は、極低温における磁性イオンと伝導電子の相互作用の強さを反映していると考えられる(図4)。今後鉄イオンを含む-型BETS塩は分子性伝導体におけるd-相互作用を研究する上で重要な基本化合物となることが期待される。

図4.-(BETS)2FeyGa1-yBr1.0Cl3.0の電気抵抗率の温度依存性(a)y=0.5;常圧,(b)y=0.5;2.0kbar,(c)y=0.1;1.6kbar
第四章.’-型GaBr4

 -型Ga-Br-Cl塩は臭素量xが0≦x≦2.0の範囲で得られることは述べたが、臭素量xが2.0≦x≦4.0では-型によく似た結晶構造の’-塩が得られる。この’-(BETS)2GaBr4塩について構造・抵抗率・磁化率を測定した。’-塩の電気抵抗率は室温から50Kまではほぼ温度依存性がなく50Kで絶縁化を起こす。これに対応した磁化率の急激な減少がやはり50Kで起こるが、磁化率に異方性は見られない。このことから伝導電子がスピンパイエルス的な磁気的転移を伴って局在化し絶縁化していることも考えられるが、電気抵抗は臭素量の多い-型Ga-Br-Cl塩(第二章)と異なり強相関電子系の振る舞いとは一致しない。また’-塩の構造はBETS分子が4倍周期で積層する構造であり、スピンパイエルス相の周期ともともと一致しているため低温X線写真からは格子の歪みに起因する衛星反射は観測されていない。一方構造的な比較では-塩と’-塩は類似しているが、-塩のアニオンのハロゲンとBETS分子のカルコゲン間に多くの比較的近い接触があるのに対し、’-塩では少ないという特徴が見られた。

第五章.まとめ

 本研究におけるGa-Br-Cl塩の研究は、同一物質による超伝導相近傍の研究をアニオン置換を利用して詳細に行うことの出来る系を開発したという点、また特異な物性を示す系である一連の-型BETS塩の基本的な物性・構造変化を明らかにし、相図を描くことが出来た点で注目される。この様に限られた領域で様々な性質を示す物質は未だ例がなく、-型BETS塩の磁性イオンと伝導電子の相互作用が明らかになることで、従来考えられなかった超伝導と磁気秩序の競合という分子性伝導体の新側面が出現してきた。

審査要旨

 本論文は5章からなり、第1章では本研究の背景について、第2章では-型BETS混合ハロゲン化ガリウム酸アニオン錯体について、第3章では希薄磁性イオンを含む-型BETS錯体について、第4章では変形-型BETS錯体ついて、そして第5章では本研究のまとめについて述べられている。

 第2章で述べられている型BETS混合ハロゲン化ガリウム酸アニオン錯体(-型Ga-Br-Cl塩)は、臭素量xが0≦x≦2.0の範囲で同型結晶構造の塩として得られる。この範囲で臭素量を変えたGa-Br-Cl塩の電気抵抗率・高圧電気抵抗率・磁化率について測定を行い、臭素量-転移温度の関係を明らかにした。常圧においては臭素量の増加に伴い伝導特性は劇的に変化する。室温から20K付近に広がる非金属相では強い電子相関のため伝導電子が自由に動けず、抵抗率は非金属的(熱励起型)な温度依存性を示す。臭素量x<0.5の組成の塩では50-100Kで抵抗極大を示した後、金属相が現れて急激に抵抗が減少し7K付近で超伝導転移が起こった。一方臭素量0.6<x<0.8では10K前後で急激な抵抗の増大が見られる。臭素量x>0.9では金属相はなくなり、Ga-Br-Cl塩は室温から低温まで非金属-絶縁体的な伝導挙動を示した。この臭素量増加による絶縁化及び非金属相は圧力により抑えられ、臭素量がx=1.5の塩では約3.0kbarの圧力下で9.7Kという高い超伝導転移温度を示した。

 磁化率の温度変化も臭素量の増加に伴い大きく変化した。臭素量0の塩では、磁化率は超伝導転移を起こす7K以上の温度では温度の低下と共に単調に上昇する。ところが臭素量の増加に伴い50K以下の磁化率の上昇が抑えられ、x>0.90の塩では50K以下で急激な減少が見られた。また針状結晶の針状平行方向と垂直方向について少なくとも5K以上では磁化率の異方性は見られず、等方的に磁化率は減少した。すなわち、低温絶縁相では伝導電子が何らかの磁気的な変化を伴って局在化し移動できなくなっていると考えられる。

 第3章で述べられている-(BETS)2FeyGa1-yBrxCl4-x(Fe-Ga-Br-Cl塩)は、超伝導と鉄イオンの磁気秩序化が絡んだ、従来の物質にない性質(超伝導-反強磁性絶縁化)を示すことが明らかにされた。すなわち極低温におけるd-相互作用に対する詳しい知見を得るために、FeとGa比、およびBrとCl比を変化させたFe-Ga-Br-Cl塩を合成し、磁化率、電気抵抗率の測定を行ったところ、かなり低い鉄濃度(y=0.1程度)でも圧力下で超伝導転移した後、更に低温で反強磁性転移を起こし、超伝導状態が壊れることが判った。この低い鉄濃度での磁気秩序化は、交流磁化率の測定からはスピングラス的ではないことが示唆された。また、超伝導転移が壊れた後の有限抵抗状態(絶縁状態・金属状態)は、極低温における磁性イオンと伝導電子の相互作用の強さを反映していると考えられる。

 -型Ga-Br-Cl塩は臭素量xが0≦x≦2.0の範囲で得られるが、臭素量xが2.0≦x≦4.0では-型によく似た結晶構造の’-塩が得られる。この’-(BETS)2GaBr4塩について構造・抵抗率・磁化率を測定した結果が、第4章で述べられている。’-塩の電気抵抗率は、室温から50Kまではほぼ温度依存性がなく、50Kで絶縁化を起こす。これに対応した磁化率の急激な減少がやはり50Kで起こるが、磁化率に異方性は見られない。このことから伝導電子がスピンパイエルス的な磁気的転移を伴って局在化し、絶縁化していることが考えられるが、電気抵抗は臭素量の多い-型Ga-Br-Cl塩と異なり強相関電子系の振る舞いとは一致しない。また’-塩の構造はBETS分子が4倍周期で積層する構造であり、スピンパイエルス相の周期ともともと一致しているため、低温X線写真からは格子の歪みに起因する衛星反射は観測されていない。一方構造的な比較では-塩と’-塩は類似しているが、-塩のアニオンのハロゲンとBETS分子のカルコゲン間に多くの比較的近い接触があるのに対し、’-塩では少ないという特徴が見られた。

 以上のように、本研究は、Ga-Br-Cl塩という同一物質による超伝導相近傍の研究を、アニオン置換を利用して詳細に行うことの出来る系を開発した点、また特異な物性を示す系である一連の-型BETS塩の基本的な物性・構造変化を明らかにし、さらに相図を得た点で評価される。本論文の第2、3、4章は、小林速男氏、小林昭子氏、齋藤太郎氏、L.Brossard氏、徳本圓氏、P.Cassoux氏、内藤俊雄氏、圷広樹氏、佐藤あかね氏、小島絵美子氏、富田英登氏、川野光一氏との共同研究であるが、論文提出者が主体となって実験及び解析を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。したがって,博士(理学)の学位を受けるのに十分な資格を有すると認める。

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