学位論文要旨



No 114097
著者(漢字) 寺田,秀
著者(英字)
著者(カナ) テラダ,シゲル
標題(和) Ni,Pd表面及び、Pd/Ni薄膜表面での二酸化硫黄分子の吸着挙動
標題(洋) Adsorption of SO2 on Ni,Pd and Pd/Ni Thin film surfaces studied by X-ray Absorption fine structure
報告番号 114097
報告番号 甲14097
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3586号
研究科 理学系研究科
専攻 化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 太田,俊明
 東京大学 教授 岩澤,康裕
 東京大学 教授 小間,篤
 東京大学 教授 山内,薫
 東京大学 教授 小林,啓二
内容要旨 1.

 二酸化硫黄分子(SO2)は非常に低エネルギーの最低非占有軌道(LUMO)を持つことで知られている。このLUMO(*軌道)は一般に電子吸引性の吸着種として知られている一酸化炭素分子のLUMOよりもさらに低エネルギーにあるため、SO2分子は遷移金属表面においてアクセプターとして働き、吸着には基板からの大きな電荷移動を伴うことが予想される。このような強い吸着種-表面間相互作用には基板金属表面の電子構造が大きく影響を与えるため、SO2分子の表面吸着状態と基板金属の電子状態の比較から、表面吸着構造を規定する要因を明らかにできると考えられる。

 そこで基板電子状態をパラメーターとして変化させながら吸着構造を比較するために同じ10族元素であるNi、Pd表面およびNi表面上に作成したPd超薄膜表面の3つの系を選び、それぞれの表面上に吸着したSO2分子の表面吸着構造および吸着に伴う電子状態の変化をX線吸収微細構造スペクトル(SEXAFS、NEXAFS)を用いて解析、比較を行なった。

2.Ni(111),Pd(111)表面上のSO2の吸着

 清浄なNi(111)、Pd(111)単結晶表面に170KでSO2分子を単分子層以下吸着させた系を作成し、S-K吸収端SEXAFS,NEXAFS測定を物質構造科学研究所、放射光研究施設、軟X線ビームラインBL-11Bにて蛍光X線収量法により行った。

 図1にNi(111)およびPd(111)表面にSO2分子を単分子層吸着させた系および多層吸着層のS-K吸収端NEXAFSスペクトルを示す。低エネルギー側にあるピークがS1sからSO2*軌道への共鳴ピークであり、高エネルギー側のピークは*軌道への共鳴ピークである。この測定では1sからの励起を観測しているため、遷移の選択則から**軌道の遷移モーメントの方向を求めることができる。図1から明らかに*軌道への共鳴ピークの入射角依存性がSO2/Ni(111)とSO2/Pd(111)で逆になっていることがわかる。解析の結果、SO2分子は図4のようにNi(111)表面で分子面を表面と平行に吸着し、Pd(111)表面では分子面を表面と垂直に吸着するという全く異なる吸着構造を持っていることが明らかになり、SO2分子がNi表面とより強く相互作用していることが示唆された。

図1 SO2S-K吸収端NEXAFSスペクトル

 また角度平均である55°入射スペクトルの*共鳴ピークの面積と多層吸着層の*共鳴ピーク面積(2.0eに対応)の比較により基板から分子への電荷移動量を見積ることができる。この結果基板金属からSO2*軌道への電荷移動量はPd表面上での0.6eに対してNi表面上では1.1eと多く、SO2分子がNi表面とより強く結合していることが裏付けられた。表面と平行であるS-O結合(Ni表面上では2つのS-O、Pd表面上では1つのS-O)の距離は1.48Åとなり、気相のSO2のS-O結合距離である1.43Åよりも伸びていることが観測された。このS-O結合の伸びは基板金属から反結合性の*軌道への電荷移動によりS-O結合が弱くなり生じたと考えられる。これに対してPd表面では表面と直接結合していないO原子へのS-O結合の距離は1.43Åのまま変わらないことが明らかになった。

 NiとPdの電子状態を比較すると、同じ10族元素でも4d電子は3d電子に比べて内殻電子の遮蔽により非局在化しているため、Pd4dバンドはNi3dバンドに比べエネルギー幅が広くなっているという違いがある。SO2の吸着にはLUMOと基板のdバンドとの重なりが重要であり、フェルミ準位近傍の状態密度の違いが吸着挙動に大きく影響を与えると考えられる。エネルギー幅の広いPdの4dバンドではフェルミ準位近傍の状態密度がNiに比べて少なくなっているためPd表面上ではSO2分子と基板の相互作用が弱くなっていると考えることができる。この結果はSO2分子の吸着構造がNiとPdの電子状態の相違に対して敏感であることを示唆しており、SO2分子が金属表面の電子状態を測定するプローブと成りうることを示している。

3.Pd/Ni(111)薄膜表面上のSO2の吸着

 そこでNi(111)単結晶表面にPd超薄膜を作成し、薄膜表面でのSO2の吸着状態をXAFSにより解析した。Pd/Ni薄膜はブタジエンの選択的水素化触媒としても知られており構造的、電子的に特異な性質を持っていることが期待できる。実験はまずNi(111)単結晶表面にPd超薄膜を作成し、その成長過程を超高真空走査トンネル電子顕微鏡(STM)、低速電子線回折(LEED)を用いて観察した。その結果Ni(111)表面上でPdは少なくとも3ML程度まではエピタキシャル成長することが確認でき、NiとPdの原子半径の違いに起因する超格子構造が観測された。

 図2にNi(111)表面にPdを1ML成長させて作成した薄膜表面にSO2分子を吸着させた系のNEXAFSスペクトルを示す。この系では図3のS-K SEXAFSフーリエ変換スペクトルでも示されているようにSO2分子は直接Pd原子と結合しているにも関わらず、*軌道への共鳴ピークの入射角依存性はNi(111)表面上に吸着させた系と類似していることがわかる。NEXAFS、SEXAFSから得られた構造モデルを図4に示す。1ML Pd/Ni(111)表面ではSO2の分子面は表面から16±10°しか傾いていないことが明らかになった。すなわちこの系での吸着構造はNi表面上の吸着構造に近くなっていることがわかる。また基板からの*軌道への電荷移動量も0.85eとPd(111)表面に吸着した系に比べて明らかな増加が見られた。

図2 SO2/Pd/Ni(111)S-K吸収端NEXAFSのPd膜厚依存性図3 SO2/Pd1ML/Ni(111)S-K吸収端 SEXAFSスペクトルのフーリエ変換図4 SO2分子の表面吸着構造

 このような吸着挙動はPd/Ni薄膜表面の電子状態がPd表面に比べてNi表面に近くなっていることを示している。これはPd薄膜の電子状態がPd/Ni界面の出現により表面垂直方向のバンド分散を失い、Pdの4dバンド幅がNiの3dバンド幅に近くなっいることを示唆している。また図2に示すようにPd膜厚の増加に伴い*遷移ピークの入射角依存性が次第にPd(111)表面上の系に近くなり、吸着構造がPd(111)表面上の構造に漸近していくことがわかった。

 このように電子構造既知の単体の表面吸着構造から得られた情報を、人工的に作成した薄膜表面での吸着構造の解釈に適用することにより、薄膜表面の特異的な電子構造を明らかにすることができた。

審査要旨

 本論文は7章からなる。第1章は序論であり、本論文の主題である二酸化硫黄分子(SO2)の電子状態の特徴とその表面吸着状態研究の意義が述べられている。また、実験手法として主に用いられているX線吸収微細構造(XAFS)からどのような情報が得られるかについても述べられている。

 第2章ではS K-XAFSによってNi(100),Ni(111)表面に吸着したSO2がこれまで知られていた構造と明らかに異なり、表面平行の構造をしていることを明らかにしている。また、XAFS法がこのような分子吸着系の構造と電子状態研究に有効であることも言及している。

 第3章ではNi(100)面上に吸着したSO2について、真空紫外光電子分光(UPS)とO-K NEXAFS(吸収端近傍XAFS)で調べた結果について述べている。UPSにより、フェルミ準位のすぐ下に現れる弱いピークが基板NiからSO2の最低非占有軌道(LUMO)に電荷移動が起こったことによって生じたことを確認している。

 第4章では、Ni(110)面上でのSO2の吸着構造をS K-XAFS測定に選って調べた結果について述べている。この系では以前に角度分解光電子分光法によってSO2分子が立っていると報告されているが、実験の結果、他の面と同様に寝た構造をとることが分かった。

 第5章では、Pd(111)基板上SO2のS K-XAFS実験の結果について述べられている。この実験では基板であるPdからの散乱が無視できないために、全反射条件でXAFS測定することが必要なこと、そして、これによって高いS/N比のスペクトルが得られたことを述べている。PdはNiと同族であるがSO2の吸着構造は全く異なり、一つのS-O結合が基板に平行、他のS-O結合が基板に垂直に立った非対称な吸着構造をしていることを明らかにしている。基板からSO2の*軌道への電荷移動量はPd表面上での0.6eに対してNi表面上では1.1eと多く、SO2分子がNi表面とより強く結合していることが裏付けられた。また表面と平行であるS-O結合の距離は1.48Åであり、気相SO2の距離である1.43Åよりも伸びていることが観測された。これは基板金属から反結合性の*軌道への電荷移動によりS-O結合が弱くなり生じたと考えられる。これに対してPd表面では表面と直接結合していないO原子へのS-O結合の距離は1.43Åのまま変わらないことが示された。

 第6章では、Ni(111)基板上でのPd薄膜がどのように成長するかをLEED,STMで調べた結果を述べている。そして、Pd薄膜が少なくとも3層までは1層ごとに積み重なる成長様式をとること、そして、STMで顕著なモワレ構造が観測され、バルクと変わらない原子間距離を保ちながらエピタキシャルに成長していくことを明らかにしている。

 第7章では、Ni(111)面上に成長させたPd薄膜の上にSO2分子を吸着させたとき、どのような構造をとるかについて述べている。興味深いことに、Pd1層上のSO2はほとんど寝ていて、下地のNi基板の影響を強く受けていることが分かった。Pd層が厚くなるにつれて、S-O結合は次第に立っていき、6層積層した上ではほとんどバルクのPd表面上の吸着構造と同じになることを明らかにした。

 このように電子構造既知の単体の表面吸着構造から得られた情報を、人工的に作成した薄膜表面での吸着構造の解釈に適用することにより、薄膜表面の特異的な電子構造を明らかにすることができた。

 本論文は金属表面に分子が吸着するときに、基板の電子状態がどのように吸着構造や電子状態に影響するかを定量的に決定したものであり、表面化学の発展への寄与は大きい。

 なお、本論文は太田 俊明、横山 利彦、中橋 寿之、武中 章太、坂野 充、木口 学、北島 義典、松井 文彦、今西 哲士、濱松 浩等との共同研究であるが、論文提出者が主体となって実験、解析、考察を行ったものであり、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

UTokyo Repositoryリンク