学位論文要旨



No 114099
著者(漢字) 持田,陸宏
著者(英字)
著者(カナ) モチダ,ミチヒロ
標題(和) 海塩粒子表面における不均一ハロゲン放出過程の研究
標題(洋) Heterogeneous Processes for Halogen Release on the Surface of Sea-Salt Particles
報告番号 114099
報告番号 甲14099
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3588号
研究科 理学系研究科
専攻 化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 秋元,肇
 東京大学 教授 山内,薫
 東京大学 教授 巻出,義紘
 東京大学 教授 幸田,清一郎
 東京大学 助教授 植松,光夫
内容要旨 【序】

 極域成層圏におけるオゾンホール出現において、極域成層圏雲の表面における不均一反応がオゾン破壊連鎖反応に重要な役割を果たしていることが明らかになるなど、近年、大気成分の変動に対する不均一反応の重要性が指摘されている。そして北極域春期において対流圏オゾン濃度がほぼ0になる現象が、Br種の濃度の急激な上昇と共に出現することが確認されて以来、対流圏ハロゲン化合物の重要性が指摘されるとともに、ハロゲン種の供給源として海塩粒子上における不均一反応に注目が集まっている。本研究では、清浄な海洋大気中に存在するHOBr.Cl2.O3が、アルカリハライド、合成海塩等の海塩粒子モデル化合物上においてハロゲン放出を伴う不均一反応を起こすことを見出し、これらの反応について反応速度(取り込み係数)の算出、海洋大気における影響評価を行った。HOBrは、Br種によるオゾン破壊サイクル中の気体成分であり、不均一反応による新たなハロゲン放出がこのオゾン破壊サイクルに強く影響すると考えられる。Cl2の不均一反応の研究は、これまでハロゲンの供給源としての海塩粒子上における不均一反応の研究に重点がおかれている中、役割の異なるハロゲン間の交換反応の知見を得るという意味で重要である。そしてオゾンの不均一反応は大気中のハロゲンの有無に関わらずハロゲンを放出する機構として重要である。

【実験方法】

 実験は、各ガス成分のアルカリハライド等の試料への衝突あたりの反応確率つまり取り込み係数を求めることを目的として、四重極質量分析計を備えたクヌーセンセルリアクターを作製し、測定を行った。装置は、反応ガスの導入部、圧力が分子流領域に保たれているクヌーセンセルリアクター、四重極質量分析計を備えた分析部で構成される(図1)。HOBr等の反応ガスは、ガス導入部からキャピラリーを通してリアクターへと導入される。アルカリハライド等の試料はリアクター下部に置かれ、プランジャーにより反応ガスとの接触が制御される。反応ガス及び生成ガスは、オリフィスを通過して分析部へと導入される。分析部は差動排気部を備えており、反応セルから流入するガスの圧力は四重極質量分析計で測定可能な領域まで下げられ、差動排気部と質量分析計の間に組み込まれた回転式チョッパーによりガスの一部がチョップされ、質量分析計により検出される。そしてロックイン増幅により分析室の残存ガスの寄与が取り除かれる。

図1 実験装置の概略図

 アルカリハライド試料としては、ガラス板上の薄膜試料と粉末状の試料を使用した。ガラス板上の薄膜は、NaCl.KBrを溶かしたメタノール飽和溶液を噴霧器を用いて420Kに加熱されたガラス板上に吹き付けて作製した。走査型電子顕微鏡による観察により、表面の凹凸による見かけの表面積と実際の表面積の違いは2倍以内であると考えられ、取り込み係数の算出においてはガラス板の面積を試料の表面積と考えて計算を行った。粉末状の試料は、乳鉢で粉砕することで結晶の径が10mから100mの間のものを使用した。この粉末試料の取り込み係数の算出には、粉末間へのガスの拡散の影響を考慮に入れる計算モデルを用いた。図2に示すように、NaCl粉末試料の重量に対する試料容器の面積で考えた見かけの取り込み係数の関係は、モデルから得られる曲線とよく一致し、このモデルにより粉末試料を用いて真の取り込み係数、つまり分子の衝突あたりの反応確率を算出できることが確認された。合成海塩はAqua Ocean(日本動物薬品)及びInstant Ocean(Aquarium Systems)、自然海塩はSel de Guerande(フランス産天然食塩)を使用して実験を行った。

図2 粒径を揃えたNaCl粉末試料上における、試料容器の面積で考えたHOBrの見かけの取り込み係数の試料の質量に対する依存性
【結果と考察】

 HOBr/saltsの系図3(a)はNaCl粉末試料上におけるHOBrの取り込みを測定した結果の一例である。プランジャーを上げ試料とHOBrガスを接触させると取り込みに伴いHOBr(m/e=96)の分析部への流量が大きく下がると共に、Br2(m/e=160).BrCl(m/e=116)の生成が確認された。BrClは

 

 という不均一反応による生成が考えられ、Br2については試料表面上におけるHOBrのセルフリアクションによる生成が考えられる。

 

 図3(b)は電磁パルスバルブを用いてHOBrを導入した実験結果の一例である。HOBrと試料を隔離した状態では、10msオーダーのパルスで導入されたHOBrのシグナルが、オリフィスを通してそのコンダクタンスに相当する速さで減衰する(control pulse)。一方、HOBrを試料に曝した条件で測定したHOBrのシグナルは、NaCl上へのHOBrの取り込み係数を反映した、より速い減衰が確認された(reactive pulse)。BrClとBr2の生成物のシグナルは共にHOBr導入後およそ100ms後にピークが表れている。放出時間に違いは見られないことから、Br2生成はBrClの二次反応によるものではなく、セルフリアクションによるものである可能性を支持している。

図3 NaCl試料上へのHOBrの取り込みの測定の一例

 図4は、HOBrのNaCl,KBr上への反応開始直後の取り込み係数のHOBrの流量依存性を示したものである。HOBrの流量すなわちリアクター内のHOBr分圧に対する依存性が確認され、これは低圧及び高圧で、異なる反応機構が支配していることを示唆している。

図4 取り込み係数のHOBr流量依存性。(a)NaCl上(b)KBr上。

 図5は、HOBrのKBr上における不均一反応の収率をHOBrの流量に対してブロットしたものである。流量により収率が100%から50%まで変化していることが確認できる。一方、Brを含まないNaNO3薄膜を用いて取り込みの測定を行ったところ、やはりBr2生成が確認され、収率は測定を行った全圧力領域で50%であった。これは、式(2)のように表面におけるHOBr自身の反応によるBr2生成の過程が進行していると考えられる。従って、HOBrのKBr上における反応では、HOBrとKBrとの不均一反応及び試料表面上におけるHOBrのセルフリアクションが同時に進行していると考えられる。

図5 KBr試料上へのHOBrの取り込みの収率

 海洋境界層(MBL)では海塩粒子の多くが液滴として存在しているが、液滴においても反応性が本研究で用いた固体試料と同程度であるという仮定のもとにHOBrと海塩粒子の不均一反応のMBLにおける影響の見積もりを行った。典型的な海塩粒子の半径、数密度を仮定し、HOBrの流量の下限における取り込み係数を実大気における値と仮定した場合の不均一反応の速度と大気中の分子拡散の速度から、NaCl.KBr上におけるHOBrの一次の反応速度定数を算出するとそれぞれ5.0×10-5s-1,6.7×10-1s-1となった。対流圏におけるHOBrの光解離定数の一例としてJ(HOBr)=3.5×10-1s-1という値が挙げられるが、この値と比較すると、HOBrのNaCl.KBr上における不均一反応の速さは光解離と競合しうるものである。この結果は、この反応がMBLにおいてHOBrの重要な消失過程となるのと同時にBrCl.Br2の発生源として重要であることを示している。また本研究で確かめられたHOBrのセルフリアクションは、土壌粒子等の表面における分解反応の重要性も示唆している。

 Cl2/saltsの系 Cl2のNaBr.KBr上における不均一反応ではBr2が生成物として確認され、臭化物を微量しか含まない合成海塩、自然海塩においてもNaBr,KBrと同程度の取り込み係数及びBr2生成が確認された(表1)。この理由としては、反応が表面の吸着水内で起こり、吸着水内でBrイオンの濃縮が生じている可能性と、アルカリハライド以外の微量成分が反応性を高めている可能性が考えられる。この不均一反応の反応性は電気化学ポテンシャルを用いて液相での反応と同様にして説明でき、ハロゲンの酸化力は、Cl2>Br2>I2の順であることから、より重いハロゲンが海塩から気相へ放出されやすいと考えられる。HOBrの場合と同様の見積もりから、MBLにおけるCl2の消失速度として1.65×10-1s-1、気相のCl2の濃度を1-100pptvと仮定した場合のBr2の生成速度として4×103-4×105molecules cm-3s-1という値が得られ、反応の重要性が確かめられた。MBLにおいてCl種の光化学反応ではRH+Cl→HCl+Rの反応により有機物の酸化が主要になるのに対し、Br種の光化学反応では、その有機物との低い反応性からオゾンの連鎖的な破壊が主要になると考えられ、役割の異なるClとBrの分配にこの不均一反応は強く関与していると思われる。

表1 Cl2/salt系の結果のまとめ

 O3/saltsの系 オゾンの合成海塩上における不均一反応では、Br2の生成が確認された一方、NaBr.KBr上においては反応性が低く、生成物のシグナルは検出限界以下であった(図6)。合成海塩で反応性が高い理由としては、高い反応性を持つ成分の存在等の可能性が考えられる。合成海塩上におけるオゾンの取り込み確率及びBr2の収率をMBLにおける条件に適用した結果、Br2の発生源として重要である可能性が示唆された。

図6 (a)NaBr試料上、(b)合成海塩上(Aqua Ocean)へのO3の取り込みの測定の一例
【まとめ】

 以上のように、HOBr.Cl2.O3の海塩粒子モデル化合物上における不均一反応の取り込み係数の測定を行った。そして、これら大気微量成分の海塩粒子上における反応が、海洋境界層における無機ハロゲン化合物の放出源として重要であることが明らかになった。これらの結果の三次元大気モデル等への適用により、ハロゲン循環と他の大気成分への影響のより詳細な評価が可能になると思われる。

審査要旨

 本論文は8章より成り、第1章は序論、第2章は実験手法、第3章は試料の調整法、第4章はHOBrのアルカリハライドによる取り込み、第5章はCl2と海塩粒子との反応、第6章はオゾンと海塩粒子との不均一反応、第7章はこれらの反応の大気中での重要性、第8章は結論が述べられている。

 本論文は近年注目されている対流圏におけるハロゲン化合物に関連して、海塩粒子上における不均一反応を取り扱った研究をまとめたものである。本研究では、清浄な海洋大気中に存在するHOBr,Cl2,O3が、アルカリハライド、合成海塩、自然海塩等の粒子上においてハロゲン放出を伴う不均一反応を起こすことを見出し、これらの反応について不均一反応速度(取り込み係数)の測定およびこれらの反応の海洋大気中における重要度の評価を行っている。

 実験装置としては取り込み係数を求めることを目的とした四重極質量分析計を備えたクヌーセンセル・リアクター作製した。HOBr等の反応ガスは、ガス導入部からキャピラリーを通してリアクターへと導入された。アルカリハライド等の試料はリアクター下部に置かれ、プランジャーにより反応ガスとの接触が制御された。アルカリハライド試料としては、ガラス板上の薄膜試料と粉末状の試料とを使用した。ガラス板上の薄膜は、NaCl,KBrを溶かしたメタノール飽和溶液を噴霧器を用いて420Kに加熱されたガラス板上に吹き付けて作製した。合成海塩はAqua Ocean及びInstant Ocean、自然海塩はフランス産天然食塩を使用して実験を行った。

 HOBrとアルカリハライドの系(第4章)NaCl粉末試料上におけるHOBrの取り込みを測定した結果では、プランジャーを上げ試料とHOBrガスを接触させるとHOBr(m/e=96)の信号強度が大きく下がると共に、Br2(m/e=160),BrCl(m/e=116)の生成が確認された。BrClは、

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 という不均一反応による生成が考えられ、Br2については試料表面上におけるHOBrのセルフ・リアクションによる生成が考えられた。

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 HOBrのKBr上における不均一反応の収率をHOBrの流量に対してプロットすると流量を増すにつれ収率が100%から50%まで変化していることが確認できた。一方、Brを含まないNaNO3薄膜を用いて取り込みの測定を行ったところ、やはりBr2生成が確認され、収率は測定を行った全圧力領域で50%であった。これらの実験事実から、式(2)のように表面におけるHOBr自身の反応によるBr2生成の過程が進行していることが確証された。

 Cl2/海塩の系(第5章)Cl2のNaBr,KBr上における不均一反応ではBr2が生成物として確認され、臭化物を微量しか含まない合成海塩、自然海塩においてもNaBr,KBrと同程度の取り込み係数及びBr2の生成が確認された。この理由としては、反応が表面吸着水内で起こり、吸着水内でBr-イオンの濃縮が生じている可能性と、アルカリハライド以外の微量成分が反応性を高めている可能性が考えられた。この不均一反応の反応性は電気化学ポテンシャルを用いて液相での反応と同様にして説明でき、ハロゲンの酸化力は、Cl2>Br2>I2の順であることから、より重いハロゲンが海塩から気相へ放出されやすいと考えられた。海洋境界層におけるCl種の光化学反応ではRH+Cl→HCl+Rの反応により有機物の酸化が主要になるのに対し、Br種の光化学反応では、Brと有機物との反応性が低いことからオゾンの連鎖的な破壊が主要になると考えられた。役割の異なるClとBrの分配に、この不均一反応は強く関与していると思われる。

 O3/海塩の系(第6章)オゾンの合成海塩上における不均一反応では、Br2の生成が確認された一方、NaBr,KBr上においては反応性が低く、生成物のシグナルは検出限界以下であった。合成海塩で反応性が高い理由としては、高い反応性を持つ成分の存在の可能性が考えられる。合成海塩上におけるオゾンの取り込み確率およびBr2の収率を海洋境界層における条件に適用した結果、この反応が清浄海洋大気中におけるBr2の発生源として重要である可能性が示唆された。

 なお、第4章はスイス・ETH(ローザンヌ)のMichel Rossiらのグループと、第5-6章は本学先端科学技術研究センター秋元研究室のスタッフらとの共同研究であるが、論文提出者が主体となって実験および解析を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると認められる。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できるものと認める。

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