学位論文要旨



No 114100
著者(漢字) 山本,薫
著者(英字)
著者(カナ) ヤマモト,カオル
標題(和) 一次元d8金属ジオキシム錯体の電子構造と分子配列修飾
標題(洋) Electronic Structures and Molecular Arrangement Modifications of One-Dimensional d8 Metal Dioxime Complexes
報告番号 114100
報告番号 甲14100
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3589号
研究科 理学系研究科
専攻 化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 太田,俊明
 東京大学 教授 小間,篤
 東京大学 教授 浜口,宏夫
 東京大学 教授 小林,孝嘉
 東京大学 助教授 田島,裕之
内容要旨

 固体中の電子運動を数十から数ナノメートル程度に制限したメゾスコピック系と呼ばれる物質は,バルク結晶や単分子とは著しく異なる性質を示すことから注目されている。異種の半導体を交互に成長させることにより作られる半導体量子井戸はその典型で,既に原子レベルで制御された2次元電子系が作製されており,その性質も明らかにされつつある。また,より顕著な量子閉じ込め効果を目指して次元性をさらに制限した低次元系の創製も検討されている。しかし,多次元の構造制御は作製上の大きな困難を伴うために,良質な半導体量子細線などの実現には至っていない。

 一方分子性化合物の世界には,自然な形で一次元構造を持つ物が多数存在している。中でも金属ポリマーと称される一次元金属錯体では,結晶中の分子カラムにおいて,等価の金属イオンが等距離で連なった完全性の高い一次元構造が形成することが知られている。近年この一次元金属錯体であるd8金属ジオキシム錯体で,金属鎖上の非局在電子に起因する大きな三次非線形光学応答が観測されたことから,これらの錯体が新たな一次元光学材料として注目されている。

 本研究ではこの一次元金属錯体の光励起電子構造を調べた上で,さらに大きな量子閉じ込め効果の発現を期待した結晶構造の制御を行い,鎖長の有限化を行った。そして試作した有限長一次元金属鎖の電子状態を観測し,一次元金属鎖の構造修飾がその光励起状態の性質に如何に反映されているかの検討を行った。

1.一次元金属錯体の光励起状態

 図1(a)は代表的な一次元金属錯体として知られる白金ジメチルグリオキシム錯体(Pt(dmg)2)の真空蒸着膜に観測された線形吸収スペクトルと光伝導度スペクトルである。吸収帯Aは金属鎖構造の存在しない溶液では観測されず,金属鎖に平行な遷移モーメントをもつことなどから,金属鎖に平行な軌道電子から空6pz軌道への遷移であると考えられている。

 光伝導度の立ち上がりはこの吸収ピークの約0.4eV以上高エネルギー側に存在し,強い吸収強度にもかかわらずこの吸収位置では伝導度は観測されていない。これは吸収帯Aに伴う電子遷移が,電子と正孔が対となった励起子を生成していることを示している。

 図1(b)はこの膜の電場変調吸収スペクトルである。aを中心とした線形吸収の一階微分形で再現される信号は励起子のシュタルクシフトである。この高エネルギー側には,線形吸収にピークなどの構造が存在していないにもかかわらず,振動型の大きな吸収変化が観測された。図2(a)に示すようにb,cおよびdで示したこれらのピーク位置は,電場強度を増大させると各スペクトルのx点の位置を保ちながら位置が広がっていく。このような吸収変化の電場強度に依存したブロードニングは,バンド間遷移に対する外部電場効果であるFranz-Keldysh効果(FK効果)に典型的な特徴として知られている。注目すべき点は,観測された電場誘導吸収変化の符号にある。通常の場合,FK効果はバンドギャップ(Eg)を不動点として,その低エネルギー側に正,高エネルギー側に負から始まる振動型の吸収変化を与える。しかし実験結果では,Egの低エネルギー以下に強い負の信号を示し,高エネルギー側に正から始まる振動が観測されている。この一見位相が反転した形状は,FK効果の導出に一次元状態密度関数を採用することで説明可能であることが分かった。

図1(a)線形吸収および光伝導度スペクトル,(b)電場変調吸収および線形吸収の一階微分,(挿入図)Pt(dmg)2の分子カラム

 一次元系に対するFK効果は状態密度関数の発散に起因した負の発散をEgに生じ,この高エネルギー側には正のピークから始まる振動形状を与える。図2(b)に示すように,実験結果はこの一次元FK効果の数値計算により再現され,自由電子正孔対の有効換算質量として非常に小さな値(0.025電子質量)が見積もられた。

図2(a)電場変調吸収スペクトルの電場強度依存性,(b)一次元Franz-Keldysh効果のシミュレーション

 これらの結果から,一次元金属錯体の強い可視吸収は励起子への遷移と帰属され,さらにこの高エネルギー側に,高い電子非局在性を反映した一次元的なバンド間遷移の存在が明らかになった。

2.一次元金属鎖の構造修飾

 この高い電子非局在性を与える金属鎖の一部に,人工的に欠陥を導入することが可能であれば,一次元電子系の広がりが制限されて,より顕著な量子閉じ込め効果が発現すると期待される。こうした目的から,同時蒸着法によって金属間距離の短いPt(dmg)2に対し,配位子のかさ高さのために金属間距離の長い白金ジエチルグリオキシム錯体(Pt(deg)2)を欠陥として導入することを試みたところ,光吸収スペクトルの変化から二種類の錯体が一本のカラムの中で混合した混晶の形成が確認された。

 両錯体の格子構造は,金属間距離だけでなくカラム間距離にも差異を持っており,混晶の結晶格子には大きな歪みがかかると考えられる。にもかかわらず,両者はあらゆる混合比で混晶化可能であった。このことから,混晶の形成において歪みが緩和される何らかの機構が存在していることが示唆される。この点に注目し,Pt(dmg)2およびPt(deg)2混晶の格子構造を調べた。石英ガラス上に同時蒸着した混晶膜の金属鎖は基板面に平行に配向している。金属鎖間の距離に比例する(110)面回折および鎖中の金属間距離を示す(001)面回折を,XRDと全反射X線回折によりそれぞれ測定し,これらのd値の混合比依存性を図3に示した。格子定数などの固容体の性質は,混合比に比例した変化を示すのが一般的であり,d001はほぼこれを満たす傾向を示している。ところが,d110の変化は比例関係から大きくはずれ,わずかなPt(deg)2の濃度で大きく増大し,純粋なPt(deg)2の値へと漸近することが明らかになった。

図3混晶膜におけるd110およびd001値の混合比依存性

 この異方的な格子構造の混合比依存性は,結晶中のカラム骨格に依存していると示唆される。すなわち,金属間相互作用などの強い相互作用により,混晶中においてもカラムの一次元性が保たれた結果,混晶中のカラム間の距離は,かさ高いPt(deg)2の影響により大きく広がったと考えられる。こうした格子構造の変化によってカラムに垂直方向の格子歪みが緩和され,両錯体の混晶化が許容されたと考えられる。

3.ヘテロ一次元金属鎖の光励起状態

 このような構造制御が電子状態の制御に有効であるかは,構造欠陥として導入したヘテロ分子が急峻で大きなポテンシャル変化を与えているかに依存する。ここでは実際に作製した混晶膜の電場変調吸収スペクトルを観測し,一次元鎖に導入した構造欠陥による電子状態の変化を調べた。ただし,2章の場合よりも更に大きなポテンシャル変化の発生を期待して,構造欠陥として導入するジエチルグリオキシム錯体の中心金属をNiに置き換えて混晶膜を作製した。

 図4(a)はこの混晶膜の線形吸収スペクトルとその一階および二階微分,(b)は電場変調吸収スペクトルである。混晶膜ではPt(dmg)2の純物質で観測されていたFK効果による大きな振動は消滅している。これは,導入した構造欠陥により金属鎖上に広がる自由電子運動が大きく阻害されたためと考えられる。さらに,励起子のシュタルクシフトにも大きな変化が見られている。混晶膜に得られた電場変調吸収スペクトルは,線形吸収の一階微分にさらに二階微分形の寄与を加えて再現可能であることが明らかになった。二階微分形のシュタルク効果の発現は局所的な双極子モーメントの寄与と考えられ,構造修飾した金属鎖では,金属間距離や原子種の違いによる摂動のために,励起子に分極が生じていること解釈できる。この結果から,人為的な金属鎖の構造制御によって,光学特性を支配している励起子の状態を制御できる可能性が示された。

図4(a)混晶膜の線形吸収と一次および二次微分,(b)電場変調吸収および線形吸収の一次微分と二次微分形の和
4.おわりに

 本研究では,一次元金属錯体の光吸収スペクトルが励起子およびバンド間遷移によって帰属されることを明らかにし,光学特性に一次元的な電子非局在性が大きな影響を与えていることを示した。Pt(dmg)2の純物質で観測されたFK効果は,電子非局在性が小さい分子性結晶では通常観測が難しいと考えられており,これまでポリジアセチレン結晶以外に観測例は報告されていない。このポリジアセチレンも一次元構造をもっているが,本研究の結果と対照的に,観測されたFK効果の形状は一次元系に対する計算では再現できていない。この違いは鎖間の相互作用の大きさに依存していると示唆される。一次元金属錯体では,金属鎖間の相互作用が配位子によって制限されているために,より純粋に近い電子系の一次元性が保たれていると考えられる。

 また,結晶構造制御による一次元金属鎖の構造修飾を,新たな低次元構造の作製法として提案した。3章で確認した局所的な双極子の存在は,混晶化した金属鎖の電子状態が単に両者の平均的足しあわせではなく,部分的な構造欠陥や原子種の違いに大きく影響されていることを示している。すなわち実験結果は,金属鎖の構造制御によって一次元電子構造を制御するという,このアイデアの有効性を支持していると解釈できる。

 さらに制御されたヘテロ一次元鎖の作製がなされれば,より完全性の高い量子点構造の創製や,金属鎖上での励起子や自由電子運動の操作が将来可能になると期待される。

審査要旨

 本論文は5章よりなる。第1章は序論であり、本論文の主題である次元性の制御の持つ重要性を指摘している。固体中の電子運動を数十から数ナノメートル程度に制限したメゾスコピック系と呼ばれる物質は,バルク結晶や単分子とは著しく異なる性質を示すことから注目されている。異種の半導体を交互に成長させることにより作られる半導体量子井戸はその典型で,既に原子レベルで制御された二次元電子系が作製されており,その性質も明らかにされつつある。また,より顕著な量子閉じ込め効果を目指して次元性をさらに制限した低次元系の創製も検討されているという現状が述べられている。

 第2章では、一次元金属錯体のd8金属ジオキシム錯体が金属鎖上の非局在電子に起因する大きな三次非線形光学応答を持ち、新たな一次元光学材料として注目されていることを述べ、基本的な物性情報として、その分子構造、結晶構造、可視吸収スペクトル、三次非線形光学特性などについて述べている。

 第3章では、代表的な一次元金属錯体として知られる白金ジメチルグリオキシム錯体(Pt(dmg)2)の真空蒸着膜の線形吸収スペクトルと光伝導度スペクトルの結果を示している。可視部の吸収は金属鎖に平行な、電子と正孔が対となった励起子によるものと帰属している。また、電場変調吸収スペクトルの実験結果についても詳細に解釈している。それによれば、励起子吸収には顕著なシュタルクシフトが現れ、さらにこの高エネルギー側に、線形吸収に構造が存在していない大きな吸収変化が観測している。これはバンド間遷移に対する外部電場効果である一次元のFranz-Keldysh効果(FK効果)によるものと解釈している。この一次元FK効果の数値計算から自由電子正孔対の有効換算質量として非常に小さな値(0.025電子質量)を見積っている。

 第4章では、高い電子非局在性を制御する目的で、金属鎖の一部に人工的に欠陥を導入する方法とその結果が述べられている。同時蒸着法によって金属間距離の短いPt(dmg)2に対し,配位子のかさ高さのために金属間距離の長い白金ジエチルグリオキシム錯体(Pt(deg)2)を欠陥として導入することにより,光吸収スペクトルの変化から二種類の錯体が一本のカラムの中で混合した混晶の形成を確認している。両錯体の格子構造は,金属間距離だけでなくカラム間距離にも差異を持っており,混晶の結晶格子には大きな歪みがかかると考えられるが,両者はあらゆる混合比で混晶化可能であることを明らかにしている。また、更に大きなポテンシャル変化の発生を期待して,構造欠陥として導入するジエチルグリオキシム錯体の中心金属をNiに置き換えて混晶膜を作製した結果についても述べている。

 第5章では、4章で作られた混晶膜での光学測定の結果が述べられている。それによれば、Pt(dmg)2の純物質で観測されていたFK効果による大きな振動は消滅しており、導入した構造欠陥により金属鎖上に広がる自由電子運動が大きく阻害されたことを示している。さらに,混晶膜の電場変調吸収スペクトルは,線形吸収の一階微分にさらに二階微分形の寄与を加えて再現可能であることを明らかにしている。二階微分形のシュタルク効果の発現は局所的な双極子モーメントの寄与と考えられ,構造修飾した金属鎖では,金属間距離や原子種の違いによる摂動のために,励起子に分極が生じていること解釈できる。この結果から,人為的な金属鎖の構造制御によって,光学特性を支配している励起子の状態を制御できる可能性が示された。

 本論文では,一次元金属錯体の光吸収スペクトルが励起子およびバンド間遷移によって帰属されることを明らかにし,光学特性に一次元的な電子非局在性が大きな影響を与えていること、そして、電子非局在性が小さい分子性結晶では通常観測が難しいとされているFK効果をPt(dmg)2で観測し、これが一次元のFK効果として満足に説明できることを示し,結晶構造制御による一次元金属鎖の構造修飾を新たな低次元構造の作製法として提案している。さらに制御されたヘテロ一次元鎖の作製がなされれば,より完全性の高い量子点構造の創製や,金属鎖上での励起子や自由電子運動の操作が将来可能になると期待される。

 以上のように本論文は有機機能性材料の今後の開発に指針を与えるものであり、大きな貢献をしたものとして高く評価できる。

 なお、本論文は鎌田俊英氏、水上富士夫氏、八瀬 清氏、太田俊明氏らとの共同研究であるが、論文提出者が主体となって実験、解析、考察を行ったものであり、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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