学位論文要旨



No 114101
著者(漢字) 織原,美奈子
著者(英字)
著者(カナ) オリハラ,ミナコ
標題(和) ショウジョウバエのengrailed/invected遺伝子のプロモーターの個体内転写における機能及び前部区画特異的転写の制御機構
標題(洋)
報告番号 114101
報告番号 甲14101
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3590号
研究科 理学系研究科
専攻 生物化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 西郷,薫
 東京大学 教授 榊,佳之
 東京大学 教授 塩川,光一郎
 東京大学 助教授 堀越,正美
 東京大学 助教授 多羽田,哲也
内容要旨

 転写制御機構の解析は、原核細胞生物から高等生物にいたるまで広く進められている。basalな活性化因子については、cell-free系や培養細胞系での実験法が確立されており、特異的な組織や細胞部位で活性化される制御遺伝子についても、in vitro、in vivo両方向から研究されている。特に遺伝子本来の持つ機能を知るためにはが個体レベルで転写制御因子とそれに対するエンハンサー・プロモーター部位の関係をみることが要求される。しかし、プロモーター領域の機能について個体レベルで解析されたケースは非常に少ない。engrailed/invected遺伝子は、ショウジョウバエの後部区画特異的に発現し、その領域の特性を決めることに関わる遺伝子である。本研究は、invectedの第二イントロンにP因子が挿入し、翅原基の後部区画ではなく、前部・後部区画の境界の前部側で特異的にレポーター遺伝子を発現するエンハンサートラップ・ラインL71の発見に端を発する。このengrailed/invected遺伝子座にはこの他にも多くのP因子挿入系統が知られているが、L71以外はすべて、engrailed/invected遺伝子とほぼ同一の発現パターンを示していた。ここでの、問題点は、第一に、何故L71は、後部区画特異的にレポーター遺伝子発現しないのか?であり、第二の問題点は、L71の前部区画での発現は、どのように制御され、またengrailed/invected遺伝子のどのような働きと関わるのか?である。第一の問題は、最初、プロモーターとエンハンサーの"相性"という観点からモデル系を用いて検討された。まずGal4を用いて、個体レベルでコアプロモーター活性をアッセイするシステムを構築し、engrailed遺伝子コアプロモーターのnested deletion体の活性をengrailedエンハンサーの存在下で測定した。engrailedエンハンサーを相手とする場合,-37bpより内側に転写の正確さを規定する領域が有り、-168から-38bpまでは、転写活性を加算的に調節するサイトが散在することが分かった。この状況は、相手とするエンハンサーを変えたり、逆にプロモーターを変えることでも変わった。例えば、hedgehogのfrontal sacエンハンサーに対しては、-168から-38bpまでは、全く不必要であり、hspプロモーターは、後部区画以外でもengrailedを活性化させた。個体レベルでPプロモーターは、engrailedプロモーターと競合している可能性も示唆された。L71の発現は、後部区画からのhedgehogシグナルの支配下にあり、翅だけでなく、肢、複眼、胚でも起こる一般現象で、engrailedの前部区画への"侵入"と関連することが分かった。しかしその制御は、組織毎に異なっていた。3齢後期、蛹期の翅原基でのL71/engrailedの発現から、hedgehogの前後部境界からの拡散が、最大で30-50細胞にわたることが示され、hedgehogが従来考えられていたよりも遥かに広い範囲に影響を及ぼす因子であることが示唆された。

Fig.1.Summary of the requirement of upstream promoting regions.a:detection system b:used promoters and expression levelFig.2.Effects of upstream deletions on en stripe enhancer.a,b;-168,c,d;-38,e,f;+4,g,h;-168VA,i,j;(GA)-38,k,l;ctr
審査要旨

 本論文は2章からなり、第1章はプロモーターとエンハンサーの相互作用に関する解析、第2章はエンハンサートラップライン(L71)の解析を通じて得られたengrailed(en)遺伝子の制御機構の特殊性に関する解析について述べている。

 個体は、様々な細胞から形成され、そこでは種々の遺伝子の発現が、時間的・空間的に正しく制御されている。その制御の中心がプロモーターとエンハンサーと呼ばれるシスDNA調節要素であり、従って、個体を形成する各細胞内で、両者がどのように相互作用しているかを調べることは、非常に基本的である。エンハンサーに関しては、組織特異的遺伝子発現に関わる調節要素の特定を中心に、個体レベルで解析されてきた。しかしプロモーターの研究は、実験のし易さという点にひきずられ、組織特異性との関わりの少ないin vitro転写系や培養細胞系を用いた解析が多かった。本研究ではこのギャップに着目し、個体を形成している細胞内で様々な変異プロモーターを作用させ、個体形成細胞内でのプロモーターの機能及びプロモーターとエンハンサーの相互作用を調べた。このような試みは、多細胞生物系においては、全く新しいものであると思われる。本研究では、ショウジョウバエの後部区画特異的に発現・機能しているen遺伝子を中心に解析した。

 ショウジョウバエ胚期におけるen遺伝子の後部区画特異的なエンハンサーに応答可能な最小プロモーター領域を特定するために、一連の欠失プロモーターと完全長エンハンサーを含むコンストラクトをつくり、ハエを形質転換させた。en遺伝子には2個のイニシエーター、Inr1、Inr2があり、in vitro、in vivoともに、それぞれから2つずつの転写産物(+l/+2と+5/+6)がつくられる。また、enは、TATA-less遺伝子であり、イニシエーターの下流30-40塩基対の場所にDPE(Downstream Promoting Element)を持っている。解析の結果、転写効率は非常に悪いが、Inr2及びDPEにかこまれた38bp断片だけで、正しく胚期エンハンサーのシグナルを受容できることが示された。同じDNA断片は、in vitro転写系でも最小の活性を示すプロモーターであることが示唆されており、in vitro、in vivoの最小プロモーター領域は同一であることが分かった。しかし、in vitroでは、転写効率が低下するのに対し、in vivoでは、転写開始の頻度が低下するという大きな違いも見出だされた。更に、in vivo実験により、Inr上流域に複数の加算的に作用する転写開始頻度増境域が存在することが示された。近縁種であるD.melanogasterとD.virilisとの間で5塩基以上連続して保存されている配列を比較すると、多くの保存配列には、GAGA因子(GAF)の結合部位と推定されるCTCTCが、含まれていることが分かった。そこで人為的にGAF結合部位を導入することで、活性の増強が可能かどうか調べた。36bpのGA/CT配列(7つの連続したGAFの結合部位に相当)により転写開始あるいは維持の頻度が、著しく増強されることが分かった。従って、in vivoにおけるenの基本プロモーターは、エンハンサーのシグナルを正しく受容する最小プロモーターと、恐らくクロマチン構造を活性化し発現開始頻度を上げる複数のGAF結合部位からなっていると結論された。

 GAF結合部位以外にも、ホメオドメイン蛋白質HTHの結合部位とDPE様配列が上流域に含まれていた。特に後者については、Inr1からの転写に特異的に必要なTFIID結合部位である可能性が示唆された。enは、プロモーターが重複構造を持っていることが示唆された初めての遺伝子かもしれない。

 第2章では、翅の発生分化に関わる遺伝子の探索過程で見出された、en locusのエンハンサートラップライン(L71)の性質について述べてある。予期しない発見であったが、L71においては、通常の後部区画特異的なエンハンサーではなく、3齢後期に前部区画で弱く発現する特殊なエンハンサーだけがトラップされていた。この大きな要因は、トラップに使用したP因子プロモーターが、enプロモーター/エンハンサー存在下で、enの後部区画エンハンサーと相互作用できないためであると考えられる。更に、トラップされたエンハンサー活性をレポーター遺伝子を用いて調べることで、1)翅では、3齢後期、蛹期にかけ、Hedgehogが、前部・後部区画境界から30細胞以上離れた場所でも、en発現を誘発していること、及び2)Hedgehogによるenの前部区画側での発現は、翅に限らず広く見出される、より一般的な現象であることが示唆された。

 以上述べたように本論文は、個体内細胞での遺伝子発現調節機構解明に大きく寄与するものと期待され、博士(理学)の学位論文として合格であると判定した。

 なお、本論文の内容は、細野千恵、小嶋徹也、西郷薫との共同研究を含むが、論文提出者は、実験・解析ともに中心的役割を果たした。

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