学位論文要旨



No 114103
著者(漢字) 佐藤,慎二
著者(英字)
著者(カナ) サトウ,シンジ
標題(和) 早期発症型家族性アルツハイマー病原因遺伝プレセニリン1の分子生物学的解析
標題(洋) Molecular Biological Analysis of Presenilin-1Gene for Early-Onset Familial Alzheimer’s Disease.
報告番号 114103
報告番号 甲14103
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3592号
研究科 理学系研究科
専攻 生物化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 榊,佳之
 東京大学 教授 岩倉,洋一郎
 東京大学 教授 鈴木,紘一
 東京大学 教授 竹縄,忠臣
 東京大学 教授 横田,崇
内容要旨 (目的)

 アルツハイマー病(Alzheimer’s Disease:AD)は、高齢者の痴呆の原因として最も頻度の高い神経変性疾患であり、進行性の記憶障害や痴呆をその主な症状とする。AD脳に特徴的な病理学的変化としては、大脳皮質や海馬における神経細胞の脱落、A42を主成分とする老人斑、神経原繊維変化の出現などが知られている。AD発症の分子メカニズムは今だ不明であるが、AD症例中の約10%には家族性ADが存在し、アルツハイマー病研究のモデルとなっている。早期発症型家族性アルツハイマー病(Early-Onset Familial Alzheimer’s Disease:EOFAD)は多くの家系が第14染色体に連鎖することが知られおり、本研究でもそのポジショナルクローニングを目指して解析を進めたが、1995年に原因遺伝子Presenilin-1(PS-1)がカナダのSt George-Hyslopらのグループにより報告された(1)。本研究ではPS-1の報告を受けて、国内に存在するFAD家系についてPS-1変異の検索を行い、PS-1変異がAD発症に与える分子メカニズムを理解することを目的とした。

(方法と結果)

 PS-1は467アミノ酸をコードする8回膜貫通型蛋白質で、一部疎水性の領域を持つループが6番目と7番目の膜貫通領域に存在する(Fig.1)。これまでに43種の変異が報告されており、そのほとんどが塩基置換による膜貫通領域内での点突然変異である(2)。本研究においても、7FAD家系(TK-1、TK-2、AH、KF、KT、OS-2、OS-3)に対し、Direct Sequencing法によりPS-1変異の検索を行ったところ、4家系から新たな点突然変異(TK-2;His163Arg、AH;Ala260Val、OS-2;He213Thr、OS-3;Va196Phe)を検出した(3)。この傾向から、PS-1膜貫通領域内に生じた変異は、本来の膜配向性(トポロジー)に影響を与え、PS-1タンパク質の膜での折り畳みや機能に障害をもたらすと推測される。また、TK-1家系では、intron9のacceptor siteにおいてAG→AAへの塩基置換により、exon10欠失型転写産物(exon10)が生じる新しいタイプの変異を発見した(4)。RT-PCRを用いて、exon10flanking領域を増幅したところ、321b.p.の野性型バンドと233b.p.のexon10の欠失を示すバンドを確認した(Fig.2)。このことからTK-1家系において、PS-1はexon10のabnormal splicingにより、291-319番目のアミノ酸を欠き、さらに290番目のアミノ酸がSer→Cysに置換していることが判明した。PS-1はexon10がコードするループ領域内でproteolysisを受けて、27-28kDaのN末断片と16-17kDaのC末断片に切断される(5)。exon10欠失型PS-1はこの領域を欠失しているため、proteolysisを生じえない。しかしこの断片化がもたらす生理的意味は不明であるため、exon10欠失型PS-1が発症に与える影響は現在の所よく分かっていない。

Figure 1. PS-1蛋白の模式図●は、本研究において発見された点突然変異を示す(OS-3;Val96Phe-TM1、TK-2;His163Arg-TM3、OS-2;lle213Thr-TM4、AH;Ala260Val-TM6)。また、TK-1家系からはHydrophobic(HP)領域をコードするexon10欠失型変異が検出された。PS-1はHP近傍でProteolysisを受ける。Figure 2.RT-PCRによるexon 10欠失型PS-1の検出

 PS-1変異がFADを発症させるメカニズムはAD研究における最大の懸案であったが、PS-1を過剰発現した培養細胞や、トランスジェニックマウス脳でA42産生の増加が相次いで報告され、これらの結果はAD発症におけるアミロイド説の一般性を追認するものであった。一方、それら動物脳で顕著なアミロイド蓄積がみられるにもかかわらず、神経細胞脱落は確認されていない。したがって、Aの蓄積はADの必要条件ではあっても、神経細胞死を含むAD発症メカニズムを理解する上では十分ではないと推測される。そこで、AD発症のメカニズムを神経細胞死という観点から理解できないかと考えた。FADの原因遺伝子として単離されたPS-2は、PS-1とアミノ酸レベルで67%の高い相同性を示し、PS-2C末断片はFas-ligandによって誘導されるアポトーシスを抑制することが知られている(6)。Fas-ligandはc-Jun N-terminal Kinase(JNK)やp38などのMAPK family pathwayを活性化することから、PS-2はこれらのpathwayに抑制的に働くと推測される。また、AD脳海馬では選択的に神経細胞死が生じているが(7)、JNK3の活性化はAD脳と同様な神経細胞死を海馬に引き起こす(8)。さらに抗JNK3抗体を用いたAD脳海馬の免疫染色では、選択的な神経細胞死とともに、JNK3が減少していた(7)。これらの知見は、JNK pathwayがもたらすアポトーシスにおいてプレセニンが重要な役割を果たしている可能性を示唆していた。それゆえ本研究では、PS-1がJNK pathwayの活性化に及ぼす影響に着目し検討することとした。

 JNK pathwayはCdc42/PAK/MEKK-1/SEK1/JNKのカスケードを形成し、UV、放射線、活性酸素、サイトカインなどによって活性化する。活性化したJNK蛋白は核内に移行した後、c-Junなどの転写因子を介してアポトーシスを制御していると考えられている。カスケード上の各分子には構成的活性型を持つものがあり、Cdc42G12VやMEKKはJNK pathwayを活性化する。そこで、PS-1およびJNK3をコードする発現プラスミドを構築後、JNK pathwayを強く活性化するMEKK発現プラスミドを共にCOS-7細胞中で一過的に発現させた。Western Blot解析によりJNK3とPS-1の発現量を確認したところ、PS-1によるJNK3の発現量への影響は認められなかった(Fig.3A)。さらに、JNK3の活性を測定するため、細胞溶解液から免疫沈降によりJNK3蛋白のみを精製後、その基質であるGST-c-Junと-32PATPをインキュベーションし、リン酸化GST-c-Junの放射活性を測定・定量化した。その結果、野性型PS-1はMEKKによって誘導される本来のJNK3活性を64.0%に減少させ、一方FAD変異型(M146L、exon10)PS-1では、それぞれ79.4%、81.6%に減少させるにとどめていた(Fig.3B)。さらにこれらの結果を confirmするため、GAL4-c-Jun fusion proteinを用いてLuciferase assayを行った。Cdc42G12V発現プラスミドと共にNIH3T3細胞内でPS-1とJNK3を発現させたところ、野性型PS-1はJNK3の本来の活性を31.4%に減少させ、一方FAD変異型PS-1ではそれぞれ43.7%、49.2%に減少させるにとどめていた(Fig.4)。以上の結果から、野性型PS-1はJNKの活性化に抑制的に働くのに対し、FAD変異型PS-1では抑制の度合が減少することが判明した。

Figure3. COS-7細胞におけるPS-1、JNK3の発現とJNK3活性の測定(A)MEKKと共にPS-1、JNK3発現ベクターをCOS-7細胞内で発現し、抗Flag抗体及び抗Myc抗体を用いてWestern解析を行った。(B)COS-7細胞溶解液から抗Flag抗体を用いて免疫沈降を行い、GST-c-JunによりJNK3の活性を測定した。Figure 4. NIH3T3細胞におけるLuciferase assayCdc42G12Vと共にPS-1、JNK3発現ベクターをNIH3T3細胞内で発現し、GAL4-c-Junをレポーター遺伝子としてルシフェラーゼ活性を測定した(n=3)。測定結果はANOVA解析を行い、エラーバーは標準偏差を示す。
(考察)

 培養細胞系を用いた本研究では、野性型PS-1はJNK pathwayの活性化を抑制する機能を持ち、FAD変異型PS-1ではJNK pathway活性化の抑制能を欠いていることが明らかになった。JNK pathwayはさまざまな細胞に普遍的に存在してアポトーシスを制御していることから、培養細胞を用いて示された結果は、神経細胞死の過程におけるJNK pathwayのメカニズムを一部反映している可能性がある。JNK pathwayの活性化によって生じるアポトーシスのメカニズムはまだ明らかになっていないため、PS-1がどのようなメカニズムを用いてJNK pathwayの活性化を抑制しているのかは推測の域を出ない。しかし最近の報告では、Cdc42/PAK/MEKK-1/SEK1/JNKのカスケードのさらに下流にはCaspase-3(CPP-32)が存在し、Caspase-3の活性化がポジティブフィードバックループによって上流のMEKK-1を再活性化することが示されている(9)(10)。興味深いことに、PS-1やPS-2はアポトーシス誘導下、上述のproteolysis以外に別のループ領域のAQRDS(342-346 amino acids)付近でCaspase-3により切断を受けることが明らかとなっている(11)。これらを総合すると、PS-1はJNK pathwayでCaspase-3を介したポジティブフィードバックループに対し、自らがCaspase-3の基質となることで、JNK patwayの再活性化を抑制している可能性が考えられる。言い換えれば、外部環境からのストレスによって生じたアポトーシス実行のシグナルをPS-1は吸収していると考えられる。したがって、培養細胞系での成果をもとに、中枢神経系でのPS-1とJNK pathwayの役割を明らかにすることによって、アルツハイマー病発症メカニズムの解明に大きく貢献することが期待される。

(参考文献)(1)Sherrington,R.et al.Nature 375,754-760(1995).(2)Cruts,M.and Van Broeckhoven,C.Hum Mutat 11,183-190(1998)(3)Kamino,K.et al.Neurosci Lett 208,195-198(1996)(4)Sato,S.et.al.Hum Mutat Suppl1,S91-S94(1998)(5)Thinakaran,G.et al.Neuron 17,181-190(1996)(6)Vito,P.et al.J Biol Chem 271,31025-31028(1996)(7)Miller,C.et al.Proc Natl Acad Sci USA84,8657-8661(1987)(8)Yang,D.D.et al.Naturre389,865-870(1997)(9)Deak,J.C.et al.Proc Natl Acad Sci USA95,5595-5600(1998)(10)Widmann,C.et al.Mol Cell Biol18,2416-2429(1998)(11)Kim,T.W.et al.Science277,373-376(1997)
審査要旨

 アルツハイマー病(AD)は、進行性の記憶障害や痴呆を主症状とする、高齢者の痴呆の原因として最も頻度の高い神経変性疾患である。AD患者脳に特徴的な病理学的変化としては、大脳皮質や海馬での神経細胞の脱落、-アミロイド(A)を主成分とする老人斑、神経原繊維変化の出現などが知られるが、一方ではAD発症の分子メカニズムは不明とされている。本論文では、一般的なADの発症機構を明らかにする目的で、単一遺伝子疾患とされる早期発症型家族性AD(EOFAD)をモデルに、原因遺伝子の探索と遺伝学的解析、および分子生物学的手法を用いた機能解析を行っている。

 本論文は全3章から構成されている。第1章ではAD研究のこれまでの知見について概説した後、EOFADの原因遺伝子座とされる第14染色体q24.3領域にYAC contig mapを作成し、原因候補遺伝子の単離後に、本邦に存在するEOFAD患者を対象にした変異スクリーニングを行っている。一連の解析中に、Presenilin-1(PS-1)と名付けられた原因遺伝子がSherringtonらによって報告されたため、本申請者もこの報告に基づき本邦のEOFAD7家系について、同遺伝子の解析を行った。その結果、4家系から3種の新規点変異(Val96Phe、His163Arg、Ile213Thr)と1種の既知点変異(Ala260Val)、さらに1家系からはintron9のacceptor siteの塩基置換に起因する新規のabnormal splicing(EX10)変異を検出した。さらに、Val96Phe、His163Arg、Ile213Thr、EX10変異については、各家系の同胞について調査を行い、PS-1変異が各家系での発症原因であることを明らかにした。

 -アミロイド蓄積の分子メカニズムは依然不明であったことや、第1章においてPS-1がEOFADの原因遺伝子であることが明らかになった事を受け、第2章ではPS-1が持つ生理機能の理解を分子生物学的手法により試みている。実験材料には、PS-1遺伝子を安定に保持し、且つ誘導可能な神経芽細胞腫株を樹立することで、これを培養細胞系でのモデルとしている。また、FAD変異型PS-1を保持する細胞株では、Aの産生が増加している事を見い出した。これらの細胞株を用いて、蛍光ディファレンシャルディスプレイ(FDD)法により、PS-1の発現によって特異的に挙動変化を示す遺伝子を探索した。合計411primer combinationを用いて、FAD変異型PS-1の誘導によって影響を受ける遺伝子を検索したところ、4種の遺伝子[immunoglobulin-binding protein(Bip)、induced PS-1 gene、2種のミトコンドリア遺伝子]を報告している。Bipは小胞体においてシャペロン蛋白として機能し、-アミロイド蛋白前駆体(APP)と結合してAPP蛋白の成熟やAの産生を抑制するという報告に注目した上で、PS-1の誘導によりBip mRNAが挙動変化を示したことは、APPの代謝機構の点からも興味深いが、現時点では両者の関係についての詳細は不明であると論じている。

 第2章におけるFDD解析の結果から、FAD変異型PS-1が細胞内の全遺伝子の発現パターンに与える影響はわずかである事が判明した。またPS-1変異がA産生の増加をもたらすことは、ADの病理学的特徴を説明する上で理に叶うものであったが、PS-1の生理的機能の解明という点では他方面からの解析の必要性を論じている。そこで第3章では、PS-1のホモログであるPS-2がFas-ligandで誘導されたアポトーシスに対して抑制的に働くという報告をもとに、Fas-ligandで活性化が引き起こされるJNK pathwayとPS-1の関係に注目している。さらに、JNKファミリーの1つであるJNK3は神経特異的な発現パターンを示し、脳海馬においてアポトーシスを仲介することから、とくにJNK3を中心に報告している。培養細胞系において、カスケード上の構成的活性型であるCdc42G12VやMEKKを用いてJNK pathwayを活性化し、野性型およびFAD変異型PS-1によるJNK3活性化への影響を検討した。その結果、野性型PS-1はJNK3の活性化に抑制的に働くのに対し、FAD変異型PS-1ではその抑制能が減少していることを明らかにした。この結果から、アポトーシスを誘導するJNK pathwayの活性化機構にはPS-1が関与するという全く新しい概念を提唱し、AD発症の分子機構の解明に大きな貢献をした。

 なお、本論文第1章は紙野晃人氏、三木哲郎氏、土井章良氏、伊井邦雄氏、P.H.St George-Hyslop氏、荻原俊男氏、榊佳之氏との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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