学位論文要旨



No 114105
著者(漢字) 伊藤,俊樹
著者(英字) Itoh,Toshiki
著者(カナ) イトウ,トシキ
標題(和) 新規ホスファチジルイノシトール5-リン酸4-キナーゼは小胞体内に局在し、リン酸化を受けて機能する
標題(洋) A novel phosphatidylinositol 5-phosphate 4-kinase (PIPK II )is phosphorylated in the endoplasmic reticulum in response to mitogenic signals
報告番号 114105
報告番号 甲14105
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3594号
研究科 理学系研究科
専攻 生物化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 竹縄,忠臣
 東京大学 教授 秋山,徹
 東京大学 教授 芳賀,達也
 東京大学 教授 山本,雅
 東京大学 教授 横山,茂之
内容要旨 <はじめに>

 ホスファチジルイノシトール4,5二リン酸(以下PI(4,5)P2)は細胞内において多様な機能を持つリン脂質である。PI(4,5)P2の最もよく理解されている機能は、特異的ホスホリパーゼC(PLC)による水解を受けてジアシルグリセロール(DG)、イノシトール三リン酸(IP3)の2つのセカンドメッセンジャーを産生し、それぞれプロテインキナーゼC(PKC)の活性化、細胞内カルシウムの動員を引き起こすことである。しかしPI(4,5)P2は、多くのアクチン調節蛋白に結合してその活性を制御し細胞骨格構造変化に重要な役割を果たしていること、神経細胞におけるエキソサイトーシスや分泌などの膜輸送に必須であることなど、セカンドメッセンジャー産生以外にも多様な機能を持つことが明らかになっている。このようなPI(4,5)P2の多様な機能の発現に対応して、細胞内の特定の場において特定の機構に制御されたPI(4,5)P2合成酵素群が存在すると考えられる。中でもPI(4,5)P2合成の最終段階を担うPIPキナーゼは、その分子レベルでの解析がPI(4,5)P2の機能発現の制御機構を明らかにする上で非常に重要である。哺乳類のPIPキナーゼには大きく分けて2つのサブタイプ(type I、type II)が存在する。Type IがPI4P→PI(4,5)P2という反応を行うのに対して、type IIはPI5P→PI(4,5)P2という反応によりPI(4,5)P2合成を行うなど、各PIPキナーゼアイソフォームはそれに伴うPI(4,5)P2産生経路の多様性を実現しており、ホスホイノシチドの細胞内での多様な機能発現に重要な意味を持つと考えられる。本研究において私は、PIPキナーゼの細胞内機能の解明を目的とし新規PIPキナーゼの同定を試みた。

<結果>(1)新規PIPキナーゼの同定

 哺乳類PIPキナーゼ及び酵母におけるそのホモログであるMSS4、FAB1の一次構造上高度に保存されたアミノ酸配列(D/E)YCPXVFR、MDYSLLLG(I/M)(X:任意のアミノ酸)に相当するPCRプライマーを作製した。このプライマーを用いてラット脳cDNAを鋳型としてPCRを行い、新たなPIPキナーゼをコードすると思われる配列を得た。さらにこのcDNA配列をプローブとしてラット脳cDNAライブラリーのスクリーニングを行い完全長のcDNAを得ることに成功した。cDNAは1260bp、420アミノ酸をコードし、その配列はPIPKIIとそれぞれ61.1%、63.7%の相同性を有していたため、この新規PIPキナーゼをPIPKIIと命名した(図1)。マウス各臓器のmRNAに対するノザンブロットの結果からPIPKIIは腎臓における発現が最も顕著であったが、脳、胸腺をはじめその他全ての臓器においても弱い発現が認められた。

図1 (A)新規PIPキナーゼの一次配列(B)各Type IIアイソフォームとの相同性比較
(2)PIPKIIはPI5P4-キナーゼである

 次にPIPKIIをCOS-7細胞に過剰発現し、免疫沈降した沈降物に対して[-32P]-ATPを用いたPIPキナーゼアッセイを行ったところ、32P-PI(4,5)P2の合成が認められたことから確かにこの新規PIPキナーゼが酵素活性を有することが確認された(図2)。さらにこの32P-PI(4,5)P2をイノシトール5-ホスファターゼであるSrc Homology containing Inositol Phosphatase(SHIP)により脱リン酸化したところ、32P-PI4Pが検出された。この結果は、PIPKIIが他のtype II アイソフォームと同様にイノシトール環の4位をリン酸化するPI5P4-キナーゼであることを示している。

図2 PIPKIIの酵素活性
(3)PIPKIIは増殖刺激に伴いリン酸化される

 COS-7細胞内に過剰発現させたPIPKII、およびPC12細胞、3Y1ラット線維芽細胞やラット脳に存在する内在性のPIPKIIは特異的抗体を用いたウェスタンブロットにより分子量約47kDa付近の2本のバンドとして検出された(図3A)。さらにPIPKII免疫沈降物をアルカリホスファターゼで処理すると、このうち上側のバンドが消失した(図3B)。PC12細胞での32P-無機リン酸による細胞内標識では上側のバンドが標識され、また、そのバンドからはリン酸化アミノ酸解析によってホスホセリンのみが検出された。これらの結果からPIPKIIが生体内において強くリン酸化を受け、SDS-PAGEによる電気泳動度の減少を引き起こしていることが明らかになった。次に、3Y1細胞を血清、増殖因子等によって刺激し、PIPKIIのリン酸化に及ぼす影響を検討した。その結果、血清、上皮成長因子(EGF)、血小板由来成長因子(PDGF)によりPIPKIIのリン酸化バンドが増加し(図3C)、PIPKIIが主にチロシンキナーゼの下流に存在するセリン/スレオニンキナーゼによってリン酸化されることが示唆された。また、アルカリホスファターゼ処理による脱リン酸化によってPIPKIIの活性に変化は見られなかった。

図3 (A)各抽出液に対するPIPKIIのウェスタンブロッティング(B)アルカリホスファターゼ処理による脱リン酸化(C)増殖刺激によるPIPKIIのリン酸化の上昇
(4)PIPKIIは小胞体内に局在している

 次にPIPKIIの細胞内局在を細胞免疫染色により検討した。抗PIPKII抗体により3Y1細胞を免疫染色すると、PIPKIIは核周辺の比較的広い領域に存在することが観察された。この染色パターンが小胞体などの細胞内小胞器官の染色像と類似していたため、次に小胞体の特異的マーカーである抗BiP抗体、およびトランスゴルジのマーカーであるwheat germ agglutinin(WGA)それぞれとの二重染色を行った(図4)。その結果、PIPKIIはゴルジ体ではなく小胞体に局在することが明らかになった。3Y1細胞をEGF刺激後、ショ糖密度勾配遠心法により小胞器官分画を行ったところ、PIPKIIはやはり小胞体画分に見い出され、EGF刺激に伴うリン酸化を受けていた。これらの結果から、PIPKIIが小胞体内においてリン酸化を介した制御を受けていることが明らかになった。

図4 PIPKIIの細胞内局在
<考察>

 本研究において私は新規PIPキナーゼ(PIPKII)の同定に成功した。さらに私はPIPKIIが細胞増殖刺激に伴いリン酸化を受けることを明らかにし、PIPキナーゼの機能発現においてそれ自身のリン酸化が重要な役割を果たす可能性を示唆した。現在までに、EGF、fMLP、血小板活性化因子(PAF)、トロンビン、腫瘍壊死因子(TNF)等の細胞外刺激に伴う細胞内PI(4,5)P2合成の上昇や、PIPキナーゼの活性化が粗活性画分レベルで報告されている。また、Rac、Rhoなどの低分子量G蛋白にPIPキナーゼ活性が結合することも報告されている。しかし、いずれにおいてもPIPキナーゼの活性制御や、細胞内局在変化などの分子レベルでの機構は明らかになっていない。細胞内におけるPIPキナーゼ自身のリン酸化が持つ意味を明らかにすることは、リン酸化を行うタンパクキナーゼの同定と併せて今後の重要な課題である。少なくともPIPKIIに関しては、増殖刺激によるリン酸化やアルカリホスファターゼによる脱リン酸化によってそれ自身の活性は変化しないことから、リン酸化は他のタンパクとの複合体形成などを制御してPIPKIIの機能発現に寄与している可能性が考えられる。

 また私は細胞免疫染色法およびショ糖密度勾配遠心法により、PIPKIIが小胞体内に局在していることを明らかにした。これまでPIPキナーゼ活性は細胞膜および細胞質画分に見出され、主要なPI(4,5)P2合成の場は細胞膜であると考えられてきた。しかし、Helmsら(J.Biol.Chem.266(1991),21368-21374)はCHO細胞を用いて小胞体内におけるPI(4,5)P2の合成を報告しており、また最近Wongら(J.Biol.Chem.272(1997),13236-13241)により、PI4-キナーゼがHela細胞において小胞体およびゴルジ体に局在することが報告されている。これらの報告から、PIPKIIが細胞内小器官におけるPI(4,5)P2合成に関与する可能性が強く示唆される。特にtype II PIPキナーゼはPI5Pを基質とするPI5P4-キナーゼである。PI5Pは最近Ramehら(Nature 390(1997),192-196)によってその存在が見出された、細胞内にごく微量にしか存在しないイノシトールリン脂質である。このように微量な基質から効率的にPI(4,5)P2を合成するためには、小胞体のような限られた空間にPIPKIIが局在していることは重要な意味を持つと考えられる。今後、PI5P4-キナーゼ(type II PIPキナーゼ)を介したもう一つのPI(4,5)P2合成経路を理解するには、その基質であるPI5Pの合成機構やその細胞内局在なども含めた総合的なアプローチが必要と思われる。

<参考文献>Itoh,T.,Ijuin,T.and Takenawa,T.,J.Biol.Chem.273,20292-20299(1998)
審査要旨

 本論文は新規ホスファチジルイノシトールーリン酸キナーゼ(PIPキナーゼ)のcDNAクローニングと、その機能解析について述べられている。PIPキナーゼは細胞内セカンドメッセンジャー産生脂質として重要な役割を担うリン脂質、ホスファチジルイノシトール4,5二リン酸(PI(4,5)P2)を産生する酵素である。PI(4,5)P2はセカンドメッセンジャー産生だけではなくアクチン細胞骨格の再構成や細胞内小胞輸送など様々な現象に関与し、多様な細胞内機能を持っている。論文提出者は、このような多様なPI(4,5)P2の機能発現においてはその産生酵素であるPIPキナーゼ分子種の多様性が寄与していると考え、新たなPIPキナーゼの探索を行い、新規PIPキナーゼのクローニングに成功した。細胞内情報伝達に関わるタンパクキナーゼ、脂質キナーゼは、基質となるタンパク、脂質が同一の場合でも、その制御機構や個々のキナーゼが関与する細胞内現象などによって別個のアイソフォームを有するキナーゼファミリーを形成していることが多い。また、多様なPI(4,5)P2の細胞内機能、細胞内局在などを考えた場合、その合成キナーゼであるPIPキナーゼがそれに対応した多様性を示すという発想は適切であり、評価する。

 本研究はPIPキナーゼの新規アイソフォームを探索するために、既知のPIPキナーゼの一次構造比較に基づいたdegenerate RT-PCR法という一般的な方法を用いており、その後のcDNAクローニングも定法に従って適切に実験を進めている。クローニングされた新規PIPキナーゼ(PIPKII)は一次構造上、PIPキナーゼファミリーの中でもtype II型に属するため、他のtype II PIPキナーゼと同様にPI5P4-キナーゼ活性を有することを予想し、まずそれを証明している。さらに、Northern blotting法によってPIPKIIが他のPIPキナーゼアイソフォームとは異なる組織分布を示すことも明らかにしている。新規アイソフォームの同定、その活性の確認、組織分布の確認という基本的な実験データを最初にきちんと示している点が評価できる。

 本研究ではクローニングされたPIPKIIがリン酸化タンパクであることを証明している。これは従来まで知られていないPIPキナーゼアイソフォームに関する知見である。また同時に、PIPキナーゼが細胞内情報伝達においてタンパクリン酸化を介して制御される可能性を示唆しており、たいへん意義深い発見である。さらにこのリン酸化が血清刺激を始めとする細胞外刺激、特にチロシンキナーゼ型受容体のリガンドである上皮成長因子や血小板由来成長因子などによって上昇することも示されており、実際にこのリン酸化レベルが細胞内情報伝達において制御されていることも確認している。このリン酸化レベルはPIPKIIの活性には影響しなかったことから、本論文ではリン酸化の意義は不明としながらも、細胞内での機能発現に何らかの意味を持つことを予想している。

 さらに本研究において明らかにされた最も特筆すべき知見は、PIPKIIが小胞体に局在することである。PIPKIIに対する特異的抗体を作製してラット繊維芽細胞3Y1を染色すると、本酵素が小胞体内に局在することが観察された。また、この局在がtrans-Golgi体のマーカーとは一致しないことを示すことによって、対照となるデータも示されている。さらに、ラット肝臓を用いたショ糖密度勾配遠心による小胞器官分画によっても、PIPKIIの小胞体への局在を確認している。これまでの研究では、PIPキナーゼはその活性レベルでは細胞膜に主に見い出されることが報告されてきた。しかしながら、PI(4,5)P2が小胞輸送やアクチン細胞骨格の制御といった多様な機能を持つことを考えた時、本研究の成果はたいへん意義深いと思われる。すなわち、PIPキナーゼ分子が小胞体に局在するという知見により、PI(4,5)P2の産生が細胞膜以外の細胞内の場において行われる可能性が示されたことになる。本論文では細胞内におけるPI(4,5)P2の多様な機能が、PIPキナーゼ分子の細胞内局在によって説明されると考察しているが、論理に矛盾はなく適切である。

 本研究はPI(4,5)P2の機能の多様性を説明する仮説の設定、新規PIPキナーゼアイソフォームの同定、その機能解析による仮説の裏付けへという流れを持って進められており、また、一つ一つの実験データも明確でそれらの解釈も無理がなく適切である。以上の評価から本研究は博士の学位にふさわしいと判断できる。

 なお、本論文は伊集院壮氏との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54683