学位論文要旨



No 114107
著者(漢字) 小野,弥子
著者(英字)
著者(カナ) オノ,ヤスコ
標題(和) 骨格筋特異的カルパインp94の生理機能解析 : 肢帯型筋ジストロフィー2A型発症機構との関係について
標題(洋)
報告番号 114107
報告番号 甲14107
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3596号
研究科 理学系研究科
専攻 生物化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 鈴木,紘一
 東京大学 教授 若林,健之
 東京大学 教授 田之倉,優
 東京大学 助教授 榎森,康文
 東京大学 助教授 飯野,雄一
内容要旨 序論

 カルパインは細胞内に存在するシステインプロテアーゼの一種であり、限定分解によって基質の機能を修飾するバイオモジュレーターとして機能する。高等動物のカルパインは発現様式によって組織普遍的分子種と組織特異的な分子種とに二分でき、後者は発現組織の機能と強く関連すると考えられている。骨格筋特異的な分子種であるp94は、タンパク質レベルにおいても、挿入配列の存在、強い自己消化活性、及び筋弾性タンパク質コネクチン(タイチン)との結合という特徴を有する。いずれも他のカルパイン分子種には認められないことから、p94は他のカルパイン分子種が代行できない機能を果たしていると考えられてきた。1995年に、肢帯型筋ジストロフィー症2A型(LGMD2A)の責任遺伝子産物がp94であることが発見された。これにより、p94特有の機能が骨格筋組織にとって必要不可欠であるという従来の予想が強く裏付けられることとなった。

 LGMD2Aは劣性遺伝を示す進行性筋ジストロフィー症の一つである。p94以前に同定されたLGMD2C、2D、2E、および2Fの責任遺伝子産物はいずれも筋形質膜に存在するサルコグリカン複合体の構成要素の一つであった。そのためこれらについては、デュシャンヌ型筋ジストロフィーをはじめとする他の多くの筋疾患と同様に、構造タンパク質の異常により発症するという機構が示唆されている。これに対し、LGMD2Aは責任遺伝子産物がプロテアーゼであった初めてのケースであり、他のジストロフィー症とは異なる新規の発症機構によると考えられる。

 本研究では、p94の生理機能をLGMD2Aの発症機構との関連において解明することを試みた。LGMD2Aで発見されているp94の点変異体では、複数あるp94の特徴のいずれかが特異的に変化していることが期待される。分子全体に存在する点変異の中から、p94の機能ドメイン(I〜IVおよびIS1,2)との関係を考慮して十種の点変異体を作製した。すなわち、ドメインI(S86F)、ドメインII(L182Q,G234E,H334Q,V354G)、IS1(P319L)、ドメインIII(R490W,R572Q)、およびドメインIV(S744G,R769Q)である(表1)。これらの点変異体の性質を、コネクチンとの結合活性、自己消化活性、他の分子に対するプロテアーゼ活性について解析した。その結果より、LGMD2Aで共通して失われている特徴、つまり、p94の生理機能をより直接的に反映するものを同定した。

結果LGMD2Aとコネクチン結合能

 既述のように、酵母two-hybridを用いたスクリーニングによって、p94は筋弾性タンパク質であるコネクチンと結合することが明らかにされている。また、筋原繊維の精製画分にp94が比較的安定な状態で共存していること、免疫蛍光染色によってコネクチンのp94結合領域に対応する部分に存在することが確認されており、p94とコネクチンとの相互作用は生理的な意義をもつと考えられている。野生型p94および活性残基を置換したC129S変異体は、それぞれコネクチンのN2A領域とC末端領域に対応するクローン、pCNT-N2およびpCNT-C、の両方と結合する。点変異体では、どちらとも結合しなかったものが三種(S86F,L182Q,V354G)、どちらかのみと結合したものが五種(pCNT-N2:G234E,R572Q,S744G,R769Q;pCNT-C:P319L)、野生型と同様にどちらとも結合したものが二種(H334Q,R490W)という結果であった。このことから、LGMD2Aの発症機構に必ずしもコネクチンとの相互作用の消失が必要ではないという結論を得た。

LGMD2Aと自己消化活性

 LGMD2Aではp94の自己消化活性が失われているか、についてCOS7細胞発現系を用いて検討した。野生型p94を発現させた場合、全長のタンパク質はほとんど検出されず、55kDaの分解断片が主要な生成物である。一方、プロテアーゼとして不活性なC129Sは94kDaの断片として安定に発現する。そこで、変異体を発現させた場合に、94kDaの全長断片が安定に発現されるか、55kDaの分解断片を生じるか、について調べた。ドメインIVの変異体(S744G,R769Q)は自己消化活性を持っており、分解断片もほとんど検出されなかった。ドメインIIIの変異体(R490W,R572Q)はCa2+依存的な自己消化活性を示し、細胞内における自己消化活性は非常に弱かった。それ以外の変異体は94kDaの全長断片として存在しており、自己消化活性を欠いていることが示された。自己消化サイトであるIS1の変異体P319LにはC129Sを分解する活性があり、自己消化に必要なプロテアーゼ活性は残っていた。これらの結果から、自己消化活性を保持していてもLGMD2Aになりうるということが明らかとなった。

LGMD2Aにおけるp94プロテアーゼ活性の欠失

 細胞骨格系のタンパク質であるフォドリンは、m-,-カルパインの良い基質であり、その分解様式が詳しく解析されている。今回、p94を発現させると、COS7細胞内在性のフォドリンがプロテアーゼ活性依存的に分解されるという現象を見出した。これは、E-64やEDTA存在下でも進行した。そこで、LGMD2Aの変異体を発現させた結果、フォドリンの分解断片は生じなかった。つまり、p94はフォドリンを分解すると考えられ、この活性がLGMD2Aの変異体では失われていることが明らかとなった。さらに、カルパスタチンやHSP60もp94の基質となりうることを見出したが、これらを分解する活性もLGMD2Aの変異体からは失われていた。以上の結果により、LGMD2Aがp94の基質を正常に認識して、正しく分解するというプロテアーゼ活性の欠損によって引き起こされることが示唆された。

自己消化活性とプロテアーゼ活性

 LGMD2A変異体で欠失しているのは、p94の自己消化活性ではなく基質に対するプロテアーゼ活性であった。しかし、すべての変異体の自己消化活性は野生型とは異なっており、自己消化活性もプロテアーゼ活性には違いないため、両者が完全に独立な活性とは考えにくい。そこで、p94の自己消化活性を測定するために、転写活性化因子GAL4の機能ドメインとp94との融合タンパク質を酵母に発現させ、その自己消化活性と転写活性とが負に相関する系を利用した。この系において、C129Sが強い転写活性を示したのに対し、野生型p94を用いた場合は、C129Sの約1/100であった。

 次に、Ca2+依存的な自己消化活性を示したドメインIIIの変異体(R490W,R572Q)、野生型と同様に自己消化してしまったドメインIVの変異体(S744G,R769Q)について、転写活性を測定した。その結果から、細胞内のCa2+濃度下における自己消化活性の強さは、S744G>野生型≒R769Q>R572Q>R490W>C129S(≒0)であることが分かった。このことからも、自己消化活性に必要な要素と基質分解に必要な要素とが必ずしも一致しないことが確認された。

結論

 筋ジストロフィー症とカルパインその他のプロテアーゼとの関係に関する従来のモデルは、膜構造の異常が二次的に細胞質内プロテアーゼの過剰な活性化を引き起こし、その結果、細胞内部からも筋細胞の崩壊が進行していくというものであった。これに対し、p94のLGMD2A点変異体について得られた結果は、プロテアーゼ活性が欠失すると筋ジストロフィーが発症する場合もある、ということを示す初めての例である。また、p94のプロテアーゼ活性による基質タンパク質(フォドリン、カルパスタチン、HSP60)の分解が他のカルパインによって代替されないことから、p94の基質に対するプロテアーゼ活性が生理的に必須であることが示唆された。

表1 LGMD2Aで発見されたp94点変異体の性質
参考文献Ono,Y.,Shimada,H.,Sorimachi,H.,Richard,I.,Saido,T.C.,Beckmann,J.S.,Ishiura,S.and Suzuki,K.(1998)Functional defects of muscle-specific calpain,p94,caused by mutations associated with limb-girdle muscular dystrophy type 2A.J Biol Chem273:17073-17078.Ono,Y.,Sorimachi,H.and Suzuki,K.(1998)Structure and Physiology of Calpain,an Enigmatic Protease.Biochem Biophys Res Commun245:289-294.
審査要旨

 カルパインは細胞内に存在するシステインプロテアーゼの一種であり、高等動物においては、発現様式によって組織普遍的分子種と組織特異的分子種とに二分される。後者は発現組織の機能と強く関連すると考えられているが、具体的な生理機能に関する知見は殆どない。1995年に、肢帯型筋ジストロフィー症2A型(LGMD2A)の責任遺伝子産物が、骨格筋特異的な分子種p94であることが発見されており、p94特有の機能が骨格筋組織にとって必要不可欠であることが裏付けられている。

 本論文は、骨格筋特異的カルパインp94の生理機能を、肢帯型筋ジストロフィー2A型(LGMD2A)の発症機構との関係について解析したものである。その結果、p94の基質候補タンパク質を同定し、p94の基質タンパク質に対するプロテアーゼ活性の欠損によってLGMD2Aが発症することを明らかにしたものである。

 一章は語句説明、二章は序論、三章、及び四章は実験操作の詳細である。特に二章は導入部として、カルパインおよび筋ジストロフィーの研究の流れと、本論文の目的設定の背景となった知見について記述している。

 五章は実験結果を述べた三節からなる。

 一節と二節では、LGMD2Aで発見されている11種のp94変異体の解析と基質タンパク質の同定を行った。まず、p94の特徴、即ち、筋弾性タンパク質コネクチンとの結合活性と自己消化活性について、これらの変異体の性質を調べた。その結果、LGMD2Aの発症機構はp94とコネクチンとの相互作用の消失ではないこと、さらに、自己消化活性の有無もLGMD2Aの発症とは直接関係しないことが明らかとなった。この過程において、COS7細胞にp94を発現させると、内在性のフォドリンがプロテアーゼ活性依存的に分解される現象を見出した。これは、E-64やEDTA存在下でも進行した。LGMD2Aの変異体を発現させた場合には、フォドリンの分解断片は生じなかった。つまり、p94はフォドリンを分解すると考えられ、この活性がLGMD2Aの変異体では失われていることが示された。カルパスタチンやHSP60もp94の基質となりうることを見出したが、これらを分解する活性もLGMD2Aの変異体では失われていることが示された。以上の結果により、基質を正常に認識して、正しく分解するというp94のプロテアーゼ活性の欠損によってLGMD2Aが引き起こされることが示唆された。

 三節は、p94の挿入配列の機能を解析した結果である。p94のエクソン6,15,16は、特に発生初期において選択的スプライシングの対象となっており、これらのエクソンによる挿入配列は、p94の特徴である自己消化活性と強く関係していることが指摘されてきた。各種のスプライシング産物の性質を比較した結果、エクソン6は自己消化を受けるために必要であり、実際にこの領域で自己消化を受けている結果とも一致した。さらに、エクソン15,16の挿入によって、p94が一見、Ca2+非依存的な自己消化活性を獲得することが示された。p94が基質を分解するプロテアーゼ活性についても、エクソン15,16は同様の機能を果たしていると考えられる。これらの事実は、p94そのものとは異なる性質を示す種々のスプライス産物が発生の時期や細胞周期などに応じて発現し、異なった機能を発揮していることを示唆しており、p94の生理機能とその調節機構に関する研究の必要性を示すものである。

 六章では総合討論として、得られた実験結果をもとにその意味について考察した。さらに、これまでの他の報告結果と合わせて、今後検討すべき課題についても言及した。

 七章、八章は、引用文献及び謝辞である。

 なお、本論文の一部は嶋田弘子他6名との共同研究であるが、論文提出者が主体となって実験の計画・実施ならびに結果の解析を行ったもので、論文提出者の寄与は十分であると判断する。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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