Amyloid Precursor Protein(APP)はアルツハイマー病の病理的特徴として顕著に認められる老人斑の主要構成成分アミロイド蛋白質(A)の前駆体蛋白質であり、未同定のセクレターゼによるAPP限定分解のバランス異常が疾患の原因であると考えられるが、詳細な作用機序は不明である。その背景としてセクレターゼの実体も含めてその細胞内局在が明らかでないこと、APPが構成的分泌経路やエンドサイトーシス系を介した複雑な細胞内輸送経路を経ること、或いは細胞種によりAPP代謝機構が多様であること等が挙げられる。本研究は小胞体残留シグナルを導入した系を用いて人為的にAPPの細胞移行を改変させて分解産物の生成量比の違いを生じさせることにより、セクレターゼの細胞内局在を同定し、更にAPP分解を司る結合因子を探索してその制御機構を明らかにする目的で行ったもので5章よりなる。 第I章はAPP研究の流れ、本研究の意義と目的を記したもので、全体の導入部である。 第II章は実験材料、第III章は実験方法を記したものである。 第IV章は結果と考察について記述したものであり、2部より構成される。第1部(IV-1章)ではアデノウイルスE19蛋白質の小胞体残留シグナルを導入した変異APPを利用した発現系を用いて各変異APPの移行経路を同定し、APP分解産物の変化を調べたものである。本章では変異APPの輸送経路と細胞内分解を解析し、更に、セクレターゼの触媒で産生するN末端断片に特異的な抗体を用いてセクレターゼの局在を解析し、次の事実を明らかにした。小胞体残留シグナルを導入したAPPはシス・メディアルゴルジに局在し、トランスゴルジ以降の輸送経路を経た細胞外分泌が著しく抑制された。またこの変異APPを含めて構成的分泌経路を経た細胞外分泌に差のあるAPP分泌輸送モデル系を構築したことを確認した。変異APP間のsAPP(セクレターゼの触媒により生じるN末端断片)産生量の解析よりセクレターゼがトランスゴルジ以降の構成的分泌経路上に存在することを示した。同様にsAPP産生量の解析からセクレターゼはセクレターゼとは異なる独立した構成的分泌経路以外の細胞内区画(エンドソーム・リソソーム系)に局在する。またセクレターゼによる限定分解より初期の小胞体輸送過程にAPPを非特異的に分解する分解システムが存在することを明らかにした。本研究で用いた実験系はAPPの細胞内寿命に寄与する非特異的分解系とセクレターゼの限定分解による細胞外分泌が、各々輸送初期及び後期の異なる細胞内区画に由来することを輸送阻害試薬を用いずに輸送シグナルの導入という解析手段で初めて具体的に実証したものである。 第2部(IV-2章)ではAPP細胞質領域に結合する蛋白質を探索し、熱ショック蛋白質Hsc73を新規に同定した。IV-1章の結果、細胞質領域のC末端部分にプロテアソームによる分解に関して感受性を決定する領域が存在し、その部位に存在する特徴的配列に着目して結合蛋白質を検索した。その結果、プロテアソーム阻害剤存在下でHsc73が特異的にAPPの細胞質領域に結合することが明らかとなった。細胞質領域の欠失変異体の解析から、結合にはAPPの膜貫通領域近傍の細胞質領域が必須であることを示した。プロテアソーム阻害剤で誘導されるAPPとHsc73の結合はATP存在下で亢進し、加水分解酵素アピラーゼ存在下では結合は見られなくなった。このAPP-Hsc73複合体形成のヌクレオチド要求性は通常のHsc73の基質認識機構と異なる点で非常に興味深い。またATPase活性に関するHsc73変異体を作製してAPPとの結合能を解析した結果、結合にはHsc73のATPase活性も重要であることが示された。またプロテアソーム阻害剤存在下で20SプロテアソームがHsc73と相互作用し、Hsc73のATPase活性依存的に両者の結合が制御されていることが明らかとなった。アルツハイマー病患者の脳では病理的特徴としてユビキチン結合蛋白質の蓄積が顕著に認められており、Hsc73のAPPへの結合がプロテアソームによる分解系にどのように関わるかは今後の重要な課題である。 V章では本研究で得られた事実と意味ならびに今後の発展性を記載した全体の討論である。 以上、本研究はAPPの細胞内移行、分泌経路を解析し、プロテアソームや熱ショック蛋白質がAPPの代謝に関与することを示唆したもので、学術上貴重な知見である。よって審査員一同は、本論文が博士(理学)の学位論文として価値あるものと認めた。 |