学位論文要旨



No 114111
著者(漢字) 河内,全
著者(英字)
著者(カナ) コウチ,ゼン
標題(和) アミロイド前駆体蛋白質(APP)の細胞内輸送と分解機構に関する研究
標題(洋)
報告番号 114111
報告番号 甲14111
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3600号
研究科 理学系研究科
専攻 生物化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 鈴木,紘一
 東京大学 教授 竹縄,忠臣
 東京大学 教授 榊,佳之
 東京大学 教授 芳賀,達也
 東京大学 助教授 室伏,擴
内容要旨 1.小胞体残留シグナルを導入したAPPの代謝機構の解析

 アルツハイマー病の顕著な病理的特徴である老人斑の主要な構成成分の一つとしてアミロイド蛋白質(A)の沈着が知られており、未同定のセクレターゼによるAPPの限定分解のバランス異常により引き起こされるものと推定されている。またAPPの代謝機構及びセクレターゼの細胞内局在に関して多数の報告があるものの、具体的且つ統一的な知見は得られていない。このような原因を生んでいる背景に、APP分子自身の生理機能が不明であること、その細胞内輸送経路の複雑性、或いは細胞種によるAPP代謝機構の多様性等が挙げられる。しかし、アルツハイマー病の発症機構を解明する上でAPPの分子機能或いは代謝機構を明確に捉えることは必要不可欠であり、その現状を打破する新しい解析手法が必要である。我々はAPPに、それ自身が持っている本来の性質を変えることなく人為的に輸送シグナルを導入し、意図的にAPPの局在を偏らせて分解産物の生成やその量比の違いを生じさせることにより、セクレターゼの細胞内局在を同定することを試みた。またAPPは短寿命の膜蛋白質であるが、セクレターゼの存在以外にその寿命を司る分解システムの存在については知られていない。蛋白質への輸送シグナルの人為的導入という解析手段により細胞内コンパートメントという新たな観点から細胞内移行と蛋白質分解に関する新しい知見が得られることが期待される。

 シグナルの導入に関しては一次構造上明確な輸送シグナルとして知られるアデノウイルスE19蛋白質の小胞体残留シグナルを含む10アミノ酸をAPPC末端10残基と置換したAPPE19を作製した。APPE19をCOS細胞に一過性に発現したところ、細胞外への分泌が抑制されたが、予想に反してその細胞内局在はGolgi様の蛍光染色像が見られた。このAPPE19発現細胞をBrefeldinA(BFA)処理するとAPPE19を含むゴルジ様の細胞内構成成分は、trans Golgiに局在する-Siaryltransferase(SiaT’ase)とは異なり、等方的に拡散した染色像を示したことからAPPE19はcis/medial Golgiに局在することが示された。全長APPE19はBFA処理により殆ど量的変化を示さず、またtrans Golgiにおける膜蛋白質の選別輸送を阻害するモネンシン処理に対しても著しく感受性が低く、APPE19のcis/medial Golgiへの蓄積を支持する結果が得られた。一方、APPの置換領域に該当するC末端部位を欠損させた変異APP(APPC10)導入細胞では細胞外への分泌型APP(sAPP)の著しい分泌亢進が認められた。しかし、細胞表面APPのビオチン標識による解析では細胞表面からのAPPC10のsAPP分泌量は野生型APPに比較して相対的に低下していた。APPC10はモネンシン処理により野生型APPと同様に細胞内への蓄積が見られ、C末端部位が被覆小胞によるエンドサイトーシス以外に構成的分泌経路上において何らかの輸送・移行シグナルとして機能していることを示しており、APPE19と共に構成的分泌経路において異なる細胞内移行を示す3種類のAPP輸送モデル系を得た。

図1 APPE19及びAPPdeltaC10の推定移行経路右向きの矢印は順行輸送、左向きの矢印は逆行輸送を示し、線の太さは移行輸送されるAPPの量的関係を表す。形質膜(PM)近傍の環状矢印は細胞膜表面APPがクラスリン被覆ピットを介してエンドサイトーシス・リサイクリングされ、再分泌される経路を示す。APPE19はcis/medial Golgiに蓄積されることからこの領城で逆行輸送を受けると考えられるが、小胞体(ER)に到達するか否かは不明である(破線で示してある)。

 この2種類の変異APPを用いて局在の違いが生み出すAPP分解機構の相違を解析したところ、35Sを用いたパルス・チェイス実験によりAPPE19では細胞内半減期が著しく増大し、野生型の4倍の値を示した。一方APPC10は細胞内半減期が減少したが、sAPPの分泌が亢進しており、APPC10が構成的なデフォルトの外分泌系を短時間で移行することが示された。またsAPPの産生を指標にセクレターゼの細胞内局在を解析したところ、sAPPの各APP種における分泌量の関係はAPPC10導入細胞で増大が、APPE19では抑制が見られ、sAPP(sAPPとsAPPの総和と考えられる)でみられた量的関係とほぼ一致した結果が得られた。細胞表面のピオチン化ラベルによるsAPPの分泌は野生型と比較して2倍の分泌量の亢進が見られたが、パルス・チェイスによる解析ではチェイス後、短時間で約20倍のsAPPが分泌され、セクレターゼは構成的分泌経路上のtrans Golgiより後期の輸送過程に局在することが強く示唆された。またsAPPのC末端部分を特異的に認識する抗体を用いて変異体間の分泌量の違いを解析した結果、APPE19及びAPPC10のsAPP分泌は野生型APPと比較して著しく抑制されており、セクレターゼが構成的分泌経路上に局在する可能性は低いことが推察された。これらの一連の結果は及びセクレターゼが輸送経路の異なる全く別の細胞内区画に存在することを示している。

2.プロテアソーム阻害剤存在下におけるAPPとHsc73の相互作用の解析

 パルスチェイス解析により多くのAPPがセクレターゼによる分解、分泌以外に小胞体におけるクオリティーコントロール、及びリソソームでの分解を受けることが具体的に明らかとなった。最近膜蛋白質が小胞体においてプロテアソーム系による分解を受ける例が数多く報告されているが、ユビキチン化は受けないものの全長APPもプロテアソーム阻害剤処理により細胞内の蓄積が見られる。この現象に関連してAPPを自然発生的に過剰発現しているヒトグリオプラストーマA172細胞をALLNやラクタシスチン(LC)等のプロテアソーム阻害剤で処理するとHsc73のAPPへの結合が顕著に誘導されることを新規に見出した。これらの相互作用はAPPの抗N末端抗体及び抗C末端抗体両方による免疫沈降解析で検出され、全長APPがHsc73の標的となることが明らかとなった。またA172細胞を血清除去によりオリゴデンドロサイト様の細胞に分化させる過程においてプロテアソーム阻害剤で逐次的に処理すると、これらのAPPとHsc73の相互作用は経日的に増大する傾向が見られた。

 APPはC末端部位に、Hsc73(Heat shock cognate protein 73)を介したリソソームでの分解シグナルKFERQ配列に類似したKFFEQ配列が存在する。この部位がHsc73の結合に対して機能的配列であるかを調べるために細胞質領域をC末端より順次欠損させた変異APPをCOS細胞に発現させてHsc73との結合を解析したところ、KFERQ配列を含むC末端15残基までの欠損はその結合に殆ど影響を及ぼさなかった。一方細胞質ドメインを20残基以上欠損した変異APPは欠失領域の長さに比例して結合能が低下し、細胞膜貫通部位に近い細胞質領域がHsc73との結合に必須であることが示された。また家族性アルツハイマー病で見られるKM595/596NL、V642F、V642I、V642G変異、及び他の精神疾患で見られるAPP上の遺伝子変異E618Q、A638VはHsc73との結合に関して全く影響を及ぼさなかった。またAPP-Hsc73複合体の細胞内局在を解析したところ、APPE19やBFA処理においても同程度のHsc73の結合が見られ、また細胞内分画を行った結果、ミクロソーム画分に顕著に見出された。よって人為的にシグナルペプチドを欠損させた変異APP(APPSig)を用いて膜への組み込みが相互作用に必須であるかを解析した結果、Hsc73結合量の減少が認められたが完全には阻害されず、小胞体膜への組み込み過程の前後でHsc73が機能する可能性が示唆された。

 次にプロテアソーム阻害剤存在下におけるヌクレオチドのAPP-Hsc73複合体形成能に及ぼす影響を解析したところ、ATP存在下において結合が促進し、ATPSでは部分的な阻害が、またapyrase処理によって完全に結合は見られなくなった。ATP依存的にHsc73のAPPへの結合の増大が見られたことはHsc73の通常基質に対するヌクレオチド要求性とは異なるものであり、極めて特徴的な点である。またATPase活性に関する変異Hsc73を用いて結合能を解析した結果、ATPase活性の低いD10N、K71EではAPPへの結合が同程度に減少し、恒常的に、或いはATPase活性を促進するHsp40非依存的にATPase活性を持つT204V、EEVDでは結合が亢進した。よってAPPとHsc73の相互作用はATPase活性依存的に調節されていることが明らかとなった。

 APP-Hsc73複合体がプロテアソームによる分解機構にどのように関わるかを解析する目的で関連を調べた結果、ALLN存在下において特異的にHsc73は20Sプロテアソームと相互作用することが明らかとなった。またATPase活性の亢進したT204V、EEVDではAPPと同様に結合の増大が見られたが、K71Eにおいても結合の増大が見られた。このことはプロテアソーム活性及びHsc73のATPase活性依存的にAPP、Hsc73、プロテアソームの三者が機能的に結びついている可能性を示唆しており、今後Hsc73のAPPへの結合がAPPの細胞外分泌及び分解にどのような影響を与えるかが注目される。

図2 Hsc73のATP活性依存的なAPP及びプロテアソームとの相互作用プロテアソーム阻害剤存在下のAPPとの結合においてはATP結合型のHsc73で結合が促進する。またその結合にはHsc73のATPaseサイクルを必要とする。またHsc73はALLN依存的にプロテアソームと相互作用し、ATPaseサイクルにおけるその結合能もAPPと同様なパターンを示すことからHsc73がプロテアソームの部分的な構成要素としてその基質認識に重要な役割を果たすことが推測される。
参考文献Kouchi,Z.et al.(1998)Eur.J.Biochem.,258:291-300.Kouchi,Z.et al.(1999)Biochem.Biophys.Res.Commun.,254:804-810.
審査要旨

 Amyloid Precursor Protein(APP)はアルツハイマー病の病理的特徴として顕著に認められる老人斑の主要構成成分アミロイド蛋白質(A)の前駆体蛋白質であり、未同定のセクレターゼによるAPP限定分解のバランス異常が疾患の原因であると考えられるが、詳細な作用機序は不明である。その背景としてセクレターゼの実体も含めてその細胞内局在が明らかでないこと、APPが構成的分泌経路やエンドサイトーシス系を介した複雑な細胞内輸送経路を経ること、或いは細胞種によりAPP代謝機構が多様であること等が挙げられる。本研究は小胞体残留シグナルを導入した系を用いて人為的にAPPの細胞移行を改変させて分解産物の生成量比の違いを生じさせることにより、セクレターゼの細胞内局在を同定し、更にAPP分解を司る結合因子を探索してその制御機構を明らかにする目的で行ったもので5章よりなる。

 第I章はAPP研究の流れ、本研究の意義と目的を記したもので、全体の導入部である。

 第II章は実験材料、第III章は実験方法を記したものである。

 第IV章は結果と考察について記述したものであり、2部より構成される。第1部(IV-1章)ではアデノウイルスE19蛋白質の小胞体残留シグナルを導入した変異APPを利用した発現系を用いて各変異APPの移行経路を同定し、APP分解産物の変化を調べたものである。本章では変異APPの輸送経路と細胞内分解を解析し、更にセクレターゼの触媒で産生するN末端断片に特異的な抗体を用いてセクレターゼの局在を解析し、次の事実を明らかにした。小胞体残留シグナルを導入したAPPはシス・メディアルゴルジに局在し、トランスゴルジ以降の輸送経路を経た細胞外分泌が著しく抑制された。またこの変異APPを含めて構成的分泌経路を経た細胞外分泌に差のあるAPP分泌輸送モデル系を構築したことを確認した。変異APP間のsAPP(セクレターゼの触媒により生じるN末端断片)産生量の解析よりセクレターゼがトランスゴルジ以降の構成的分泌経路上に存在することを示した。同様にsAPP産生量の解析からセクレターゼはセクレターゼとは異なる独立した構成的分泌経路以外の細胞内区画(エンドソーム・リソソーム系)に局在する。またセクレターゼによる限定分解より初期の小胞体輸送過程にAPPを非特異的に分解する分解システムが存在することを明らかにした。本研究で用いた実験系はAPPの細胞内寿命に寄与する非特異的分解系とセクレターゼの限定分解による細胞外分泌が、各々輸送初期及び後期の異なる細胞内区画に由来することを輸送阻害試薬を用いずに輸送シグナルの導入という解析手段で初めて具体的に実証したものである。

 第2部(IV-2章)ではAPP細胞質領域に結合する蛋白質を探索し、熱ショック蛋白質Hsc73を新規に同定した。IV-1章の結果、細胞質領域のC末端部分にプロテアソームによる分解に関して感受性を決定する領域が存在し、その部位に存在する特徴的配列に着目して結合蛋白質を検索した。その結果、プロテアソーム阻害剤存在下でHsc73が特異的にAPPの細胞質領域に結合することが明らかとなった。細胞質領域の欠失変異体の解析から、結合にはAPPの膜貫通領域近傍の細胞質領域が必須であることを示した。プロテアソーム阻害剤で誘導されるAPPとHsc73の結合はATP存在下で亢進し、加水分解酵素アピラーゼ存在下では結合は見られなくなった。このAPP-Hsc73複合体形成のヌクレオチド要求性は通常のHsc73の基質認識機構と異なる点で非常に興味深い。またATPase活性に関するHsc73変異体を作製してAPPとの結合能を解析した結果、結合にはHsc73のATPase活性も重要であることが示された。またプロテアソーム阻害剤存在下で20SプロテアソームがHsc73と相互作用し、Hsc73のATPase活性依存的に両者の結合が制御されていることが明らかとなった。アルツハイマー病患者の脳では病理的特徴としてユビキチン結合蛋白質の蓄積が顕著に認められており、Hsc73のAPPへの結合がプロテアソームによる分解系にどのように関わるかは今後の重要な課題である。

 V章では本研究で得られた事実と意味ならびに今後の発展性を記載した全体の討論である。

 以上、本研究はAPPの細胞内移行、分泌経路を解析し、プロテアソームや熱ショック蛋白質がAPPの代謝に関与することを示唆したもので、学術上貴重な知見である。よって審査員一同は、本論文が博士(理学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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