学位論文要旨



No 114114
著者(漢字) 高中,陽子
著者(英字)
著者(カナ) タカナカ,ヨウコ
標題(和) ニワトリ松果体における光受容蛋白質ピノプシン遺伝子の発現調節
標題(洋) Regulation of pinopsin gene expression in chicken pineal gland.
報告番号 114114
報告番号 甲14114
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3603号
研究科 理学系研究科
専攻 生物化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 深田,吉孝
 東京大学 教授 芳賀,達也
 東京大学 助教授 榎森,康文
 東京大学 助教授 堀越,正美
 東京大学 講師 名川,文清
内容要旨

 光情報は、視覚情報として重要な役割を果たすが、概日時計が正しく機能するためにも利用されている。つまり、多くの生物の概日時計の周期は正確に24時間ではないため、外界の光情報(明暗周期)をもとに概日時計の時刻(位相)を調節し、一日周期の変化に適応している。最近の概日時計の研究は目覚ましく、ショウジョウバエから哺乳類に至る普遍的な時計遺伝子がいくつか単離された。しかしながら、光情報伝達経路(光入力系)と概日時計の発振系を結ぶ分子メカニズムは依然として不明である。

 ニワトリ松果体は、ひとつひとつの細胞に光入力系と概日時計発振系が共存しているため、細胞を分散した状態でも概日時計が外界の明暗周期に同調するという特徴をもつ。申請者が所属する研究室ではニワトリ松果体に特異的に発現する光受容蛋白質ピノプシンを同定し、松果体における概日時計の光位相調節を司る光入力系蛋白質として注目している。またピノプシンは、網膜の視細胞に発現するロドプシンやアイオドプシンに見られるように、遺伝子の発現が概日リズムを示す可能性が考えられた。ピノプシン遺伝子の発現が概日時計によって制御されているとすれば、ピノプシン遺伝子の発現調節機構を明らかにすることによって、概日時計の発振系へと近づくことができる。

 そこでまず、この仮説を確かめるために、一日の明暗周期下におけるピノプシンのmRNA量の変動を調べた(図1)。その結果、昼間のピノプシン遺伝子の発現量が、夜間の約6〜9倍にも上昇するという日周変化を示すことが判明した。続いて、この発現量の変化が光刺激に依存するものか、あるいは概日時計に依存するものかを明らかにするために、ヒヨコを恒暗条件下に移し、ピノプシンmRNA量の変動を調べた。その結果、ピノプシンmRNA量は主観的昼には増加せず、翌朝に光照射すると再び増加した。つまりピノプシン遺伝子の転写量は、光によって制御されていると考えられた。次に、ピノプシン遺伝子の発現調節が概日時計と全く独立しているのか否かを検討するために、一日の様々な時間帯に光を照射し、ピノプシン遺伝子の発現量を調べた。具体的には、恒暗条件下で飼育したヒヨコを様々な時刻に明条件に移し、ピノプシン遺伝子の発現が誘導されるか否かを調べた。その結果、一日のうち、どの時間帯に光照射をしても、ピノプシンmRNA量は増加し、6時間後にピークに達した。一方、恒暗条件で保ったヒヨコでは、ピノプシン遺伝子の発現量は低く保たれていた。以上の結果から、ピノプシン遺伝子の転写量は光刺激のみに依存し、概日時計による調節はうけていないと考えられた。光刺激によってのみ転写が促進される例は、動物の光受容蛋白質の中ではピノプシン遺伝子が初めての例である。

図1ピノプシンmRNA量の変化5日齢のヒヨコを12時間おきの明暗条件下で6日間飼育し、続いて恒暗条件に移した。3時間おきに松果体を摘出して、ピノプシンmRNAの発現量をノザンプロット解析によって調べた(上段)。N-アセチルトランスフェラーゼ遺伝子(NAT;中段)は、概日時計が恒暗条件下でも発振していることを示すコントロールである。横棒は、光条件を示す(白:明期、黒:暗期、灰色:主観的昼、暗期)。

 さてニワトリは、少なくとも二つの光受容組織、網膜と松果体をもつ。そこで、ピノプシン遺伝子の発現量の変動が、いずれの光入力系の支配をうけているのかを調べるために、松果体をヒヨコから単離して器官培養した。その結果、個体でみられたのと同様に、光刺激によってピノプシン遺伝子が誘導されることがわかった。このことから、松果体に存在する光受容蛋白質を介してピノプシン遺伝子が光誘導をうけていると結論づけられる。ピノプシンはニワトリ松果体の光受容蛋白質の中で圧倒的に多量に発現していることから、ピノプシン自身が受容した光情報によって、自らの遺伝子発現を誘導していると考えられた。

 次に、光依存的なピノプシン遺伝子の発現調節機構をさらに詳しく調べるために、ゲルシフト解析を行った。まず、ニワトリゲノムDNAよりピノプシン遺伝子の転写開始点から上流約2.5kbpの領域を含む遺伝子を単離した。この中で転写開始点から上流側のおよそ200bpの領域に着目し、その断片化した二本鎖DNAフラグメントの中から、光依存的にヒヨコ松果体の核抽出物と結合するフラグメントを探索した。その結果、転写開始点を含む約100bpのフラグメントが、核抽出物と特異的に結合してシフトバンドを形成することがわかった。さらに、暗期に摘出した松果体の核抽出物に比較すると、明期の核抽出物の方が数倍強いシフトバンドを形成することがわかった。つまり、ピノプシン遺伝子の転写開始点を含む約100bpの領域に、ピノプシンの光依存的な発現調節に関わるシスエレメントが存在する可能性が示唆された。今後、この転写調節領域と結合する蛋白質を同定することにより、ピノプシンの光依存的な転写調節メカニズムを明らかにできるものと期待される。

 次に、ピノプシンmRNA量の変動がピノプシン蛋白質量の変動をもたらすか否かを明らかにするために、ピノプシン抗体を作成した。ピノプシン抗体の抗原部位には、網膜の光受容蛋白質とのアミノ酸一致度が低く、かつ比較的親水性の高いC末端領域を選んだ。精製した抗体(P9抗体と呼ぶ)はヒヨコ松果体に特異的に発現する約42kDaの蛋白質を認識し、このサイズはピノプシンの推定一次構造から計算される分子量と良く一致した。さらに、松果体に少量ながら発現している光受容蛋白質(アイオドプシンなど)とP9抗体が交差反応をしないことを確認した。このP9抗体を用いて、様々な時刻におけるヒヨコ松果体のピノプシン蛋白質量を調べた(図2)。その結果、12時間おきの明暗周期下で飼育したヒヨコの場合、常に松果体1個あたり約2ngのピノプシン蛋白質が検出され、mRNA量の顕著な日周変動とは対照的に、ピノプシン蛋白質量は大きな変動を示さないことが判明した。一方、ヒヨコを恒暗条件下に移すと、暗期の開始、約12時間後から約12時間かけてピノプシン蛋白質量は減少して、その後約1ngという一定レベルに保たれた。これを明条件下に戻すと約12時間で再び元の蛋白質量まで回復した。以上を考え併せると、明暗周期下におけるピノプシン蛋白質量は、合成と分解のバランスによって一定に保たれていると考えられる。つまり、明期においてはピノプシンが光受容と共に分解し、これを補うために遺伝子の転写が活発に行われていると考えられる。したがって、ピノプシン遺伝子の光依存的な転写誘導は、明暗周期条件下におけるニワトリ松果体の光感受性を一定に維持するために重要な役割を果していると推測された。

図2様々な光条件下におけるピノプシン蛋白質の発現量の変化5日齢のヒヨコを12時間おきの明暗条件下で6日間飼育し、その後恒暗条件に移した。各時刻で松果体を摘出して、ピノプシン蛋白質の発現量をウェスタンプロット解析によって調べた(上段)。対照として、ピノプシンmRNA量の変動も示した。横棒は、光条件を示す(白:明期、黒:暗期、灰色:主観的昼、暗期)。
審査要旨

 多くの生物の概日時計は、外界の光情報(明暗周期)をもとに概日時計の時刻を調節し、一日周期の変化に適応している。ニワトリ松果体は、ひとつひとつの細胞に光入力系と概日時計発振系が共存しているため、細胞を分散した状態でも概日時計が外界の明暗周期に同調するという特徴をもつ。ニワトリ松果体に特異的に発現する光受容蛋白質ピノプシンは、網膜の視細胞に発現するロドプシンなどと同様に、遺伝子の発現が概日リズムを示す可能性が考えられた。もしも、ピノプシン遺伝子の発現が概日時計によって制御されているとすれば、ピノプシン遺伝子の発現調節機構を明らかにすることによって、概日時計の発振系へと近づくことができる。

 そこでまず、一日の明暗周期下におけるピノプシンのmRNA量の変動を調べた。その結果、昼間のピノプシン遺伝子の発現量が、夜間の約6〜9倍にも上昇するという日周変化を示した。しかしながら、ヒヨコを恒暗条件下に移すと、ピノプシンmRNA量は主観的昼になっても増加しなかった。つまりピノプシン遺伝子の転写量は、光によって制御されていると考えられた。そこで次に、ピノプシン遺伝子の発現量の変動が、時刻にかかわらず光依存的なものかどうかを検討するために、恒暗条件下で飼育したヒヨコを様々な時刻に光照射し、ピノプシン遺伝子の発現が誘導されるか否かを調べた。その結果、一日のうち、どの時間帯に光照射をしても、ピノプシンmRNA量は増加し、6時間後にピークに達した。一方、恒暗条件で保ったヒヨコでは、ピノプシン遺伝子の発現量は低く保たれていた。以上の結果から、ピノプシン遺伝子の転写量は光刺激のみに依存し、概日時計による調節はうけていないと考えられた。光刺激によってのみ転写が促進されるという例は、動物の光受容蛋白質の中ではピノプシン遺伝子が初めての例である。

 さてニワトリは、少なくとも二つの光受容組織、網膜と松果体をもつ。そこで、ピノプシン遺伝子の発現量の変動が、松果体に発現する光受容体の支配をうけているのかを調べるために、松果体をヒヨコから単離して器官培養した。その結果、個体でみられたのと同様に、光刺激によってピノプシン遺伝子が誘導されることがわかった。従って、松果体に存在する光受容蛋白質を介してピノプシン遺伝子が光誘導をうけていると結論づけられる。

 続いて、光依存的なピノプシン遺伝子の発現調節機構を調べるために、ゲルシフト解析を行った。ピノプシン遺伝子の転写開始点から上流側のおよそ200bpの領域に着目し、その断片化DNAフラグメントの中から、光依存的にヒヨコ松果体の核抽出物と結合するフラグメントを探索した。その結果、転写開始点を含む約100bpのフラグメントが、核抽出物と特異的に結合してシフトバンドを形成することがわかった。さらに、暗期に摘出した松果体の核抽出物に比較すると、明期の核抽出物の方が数倍強いシフトバンドを形成することがわかった。つまり、ピノプシン遺伝子の転写開始点を含む約100bpの領域に光応答配列が存在する可能性が示唆された。今後、この配列と結合する蛋白質を同定することにより、ピノプシンの光依存的な転写調節機構を明らかにできるものと期待される。

 さらに、ピノプシンmRNA量の変動がピノプシン蛋白質量の変動をもたらすか否かを明らかにするために、ピノプシン抗体を作成した。ピノプシン抗体の抗原部位には、網膜の光受容蛋白質とのアミノ酸一致度が低く、かつ比較的親水性の高いC末端領域を選んだ。作製した抗体を用いて、様々な時刻におけるヒヨコ松果体のピノプシン蛋白質量を調べた。その結果、12時間おきの明暗周期下で飼育したヒヨコの場合、常に松果体1個あたり約2ngのピノプシン蛋白質が検出され、mRNA量の顕著な日周変動とは対照的に、ピノプシン蛋白質量は大きな変動を示さないことが判明した。一方、ヒヨコを恒暗条件下に移すと、暗期の開始、約12時間後から約12時間かけてピノプシン蛋白質量は減少して、その後約1ngという一定レベルに保たれた。これを明条件下に戻すと約12時間で再び元の蛋白質量まで回復した。以上を考え併せると、明暗周期下におけるピノプシン蛋白質量は、合成と分解のバランスによって一定に保たれていると考えられる。つまり、明期においてはピノプシンが光受容と共に分解し、これを補うために遺伝子の転写が活発に行われていると考えられ、ピノプシン遺伝子の光依存的な転写誘導は、ニワトリ松果体の光感受性を一定に維持するために重要な役割を果していると推測された。

 なお、本論文は、岡野俊行、飯郷雅之、深田吉孝氏との共同研究であるが、論文提出者が主体となって研究を行ったものであり、論文提出者の寄与が充分であると判断する。

 したがって、博士(理学)の学位が授与できると認める。

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