グルタミン酸は高等動物の中枢神経系における主要な興奮性神経伝達物質であり、その受容体は機能的性質からイオンチャンネル型と代謝型(mGluR)とに大別される。イオンチャンネル型グルタミン酸受容体はそのアゴニスト親和性及び薬理学的、電気生理学的な特性からN-methyl-D-aspartate(NMDA)型、-amino-3-hydroxy-5-methyl-4-isoxazole propionate(AMPA)型、kinate(KA)型及び型等に分類される。イオンチャンネル型グルタミン酸受容体の一種であるAMPA型グルタミン酸受容体は、GluR1、GluR2、GluR3及びGluR4の四種類のサブユニットからなるヘテロ五量体であり、グルタミン酸作働性シナプスでの興奮性シナプス伝達においてシナプス後膜上の陽イオン透過性チャンネルとして機能している。更に学習や記憶の細胞レベルにおけるモデルとされるシナプス可塑性に関して、代謝型グルタミン酸受容体やNMDA型グルタミン酸受容体がカルシウム動員に関与してシナプス伝達の効率変化の誘発時に働くのに対し、AMPA型グルタミン酸受容体はその後の長期変化の維持相において重要な役割を果たすと考えられている。 一方、受容体型と非受容体型とに大別されるチロシンキナーゼは各組織に分布し、様々な細胞内情報伝達系において基質となる蛋白質上の特定のチロシン残基をリン酸化してその機能を調節する。チロシンキナーゼは脳内にも豊富に存在しており、神経機能の発現に関与することが近年報告されている。非受容体型チロシンキナーゼの一種、Srcファミリーチロシンキナーゼはアミノ末端付近のグリシン残基に共有結合している脂肪酸により細胞膜に局在し、更にユニークドメインからSrc Homology(SH)2ドメインまでの領域の一部で様々な膜受容体の細胞内領域と物理的に会合している。不活性状態においてはチロシンリン酸化されたカルボキシル末端調節領域とSH2領域が分子内結合しており、キナーゼ活性は抑制されている。この結合は、膜受容体への刺激に伴いカルボキシル末端調節領域におけるリン酸化チロシンの脱リン酸化が起こって解離する。その結果、新たにキナーゼドメイン内の自己リン酸化が生じると共にキナーゼは活性化し、下流の細胞内情報伝達系にシグナルを伝達すると考えられている。Srcファミリーチロシンキナーゼに属する分子としては現在までにSrc、Yes、Fyn、Lyn、Lck、Fgr、Hck、Blk、Yrkの九種類が知られおり、この内Src、Yes、Fyn、Lynの四種類のキナーゼ分子が特に神経系での高い発現を示している。 本研究では、AMPA型グルタミン酸受容体のチロシンキナーゼにかかわる細胞内情報伝達系に注目し以下に示す知見を得た。即ち、AMPA型グルタミン酸受容体が神経細胞においてイオンチャンネルとして機能するのみならず、Srcファミリー非受容体型チロシンキナーゼのLynを介してシナプス後膜から核へ情報を伝達し、脳由来神経栄養因子BDNFの遺伝子発現を調節することを明らかにした。 先ず、実験材料として用いた齧歯類の小脳内でAMPA型グルタミン酸受容体はLynと物理的に会合していることを、免疫共沈実験及びAMPA型グルタミン酸受容体もしくはLynの各細胞内ドメインとグルタチオン-S-トランスフェラーゼ(GST)との融合蛋白質を用いた共沈会合実験により示した。即ち1%NP-40を含む緩衝液によりマウス(ICR)或いはラット(Wistar)の小脳を可溶化して可溶化液を作製し、これに各抗AMPA型グルタミン酸受容体抗体(抗GluR1、抗GluR2/3、抗GluR3、抗GluR4)、抗Lyn抗体もしくは各GST融合蛋白質を混ぜて各沈降物複合体をウエスタンブロット法により解析した。抗AMPA型グルタミン酸受容体抗体は、ウサギにAMPA型グルタミン酸受容体各サブユニットのカルボキシル末端近辺の十数アミノ酸残基配列を含むペプチド抗原を注射免疫し、その血清からペプチド抗原親和性カラムにより精製したものを抗原認識の特異性を確認した上で使用した。AMPA型グルタミン酸受容体とLynキナーゼとの会合部位は、AMPA型グルタミン酸受容体側においてはGluR2の最もカルボキシル末端側にある細胞膜貫通ドメイン(TM4ドメイン)からカルボキシル末端までの間、Lyn側においてはSH3ドメインであることが各GST融合蛋白質を用いた実験から明らかになった。一般にSH3ドメインは富プロリン配列と結合することが知られているが、AMPA型グルタミン酸受容体には富プロリン配列は存在しない。X線結晶構造解析の結果、不活性状態ではSH3ドメインは同一分子内の富プロリン配列様のリンカー領域と結合していることが既に示されており、また後述する様にAMPA型グルタミン酸受容体とLynは恒常的に会合している。従って、LynはSH3ドメイン中の富プロリン配列認識領域以外の部位でAMPA型グルタミン酸受容体と結合していると考えられる。 次いで、培養日数三週間から四週間の基本的な神経ネットワークが完成した小脳初代培養細胞を用い、LynはAMPA型グルタミン酸受容体への刺激により活性化されることを明らかにした。実験としては、AMPA刺激後Lynを免疫沈降し続いてin vitro kinase assayを行いその自己リン酸化能の上昇を測定した。刺激に用いるAMPA濃度が通常のシナプス伝達を起こすのに十分な1MではLynキナーゼの活性化は見られなかったが、50あるいは100Mの高濃度のAMPAにより強い刺激を加えた時にはこの活性化が観察された。刺激アゴニストとしてAMPAでなく500MのNMDAを加えた時も活性化は見られなかった。 この物理的及び機能的会合は、発現ベクターに組み込んだGluR2サブユニットとLynをHEK293TやCOS等の培養細胞に共発現させた再構成系においても再現された。GluR2サブユニットのみで構成されるAMPA型グルタミン酸受容体はイオンチャンネルとして機能せず電流を通さない。つまりLynの活性化は刺激に伴いAMPA型グルタミン酸受容体を流れるナトリウム及びカルシウムイオンの電流には非依存的であった。従って、Lynの活性化はアゴニスト刺激に伴うAMPA型グルタミン酸受容体の何らかのコンフォメーション変化により引き起こされると推察される。尚、AMPA型グルタミン酸受容体とLynとの物理的結合には刺激の前後で量的な変化は観察されず、両者は恒常的に会合しているものと考えられた。 AMPA型グルタミン酸受容体に対する刺激によって活性化されたLynは、別なファミリーに属するチロシンキナーゼPyk2と結合した。更にPyk2と結合することが報告されているアダプター分子Grb2が刺激に伴いAMPA型グルタミン酸受容体と複合体を形成することを免疫共沈実験により明らかにした。Grb2は下流のSOS、Rasを介してMAPK系を活性化することが知られている。実際、小脳初代培養細胞をAMPAで刺激することにより、下流のMAPK系が活性化された。このAMPA刺激に伴うMAPK活性化は、野生型Lynを発現する組み換えアデノウイルスベクターを作製しこれを小脳初代培養細胞へ感染させることにより増強された。また逆にドミナントネガティブ様に働くことが予想される不活性型Lynを発現する組み換えアデノウイルスベクターの小脳初代培養細胞への感染あるいはチロシンキナーゼ阻害剤であるgenisteinやherbimycinAの投与により抑制された。つまりこの系において、MAPKはAMPA刺激に伴いLyn依存的に活性化された。 活性化したMAPKは核に移行し遺伝子発現を調節することが既に示されている。最後に、小脳初代培養細胞においてAMPA刺激後のBDNF mRNA量の上昇がMAPKの上流に位置しMAPKを活性化するMEK(MAPK-Erk Kinase)の阻害剤であるPD98059の投与により抑制されることを明らかにした。またこのBDNF mRNA量の上昇は上記の不活性型Lyn発現組み換えアデノウイルスベクターの小脳初代培養細胞への感染によっても抑制され、逆に野生型Lynを発現する組み換えアデノウイルスベクターの感染により増強した。従って、AMPA刺激に伴うBDNFの発現はLyn-MAPK系依存的に上昇した。実験としては小脳初代培養細胞から全RNAを分取し、これをノザン解析することによりBDNFとグリセルアルデヒド-3-リン酸デヒドロゲナーゼGAPDHの比を定量した。 脳由来神経栄養因子BDNFは神経成長因子NGF、神経栄養因子NT-3及び神経栄養因子NT-4/5と共に一群の神経栄養因子を構成し、神経細胞の生存や神経ネットワーク形成に関与する分子として機能することが知られている。BDNFはまた発生初期の神経回路形成過程のみならず、神経ネットワーク形成後のシナプス伝達の効率変化にも関与することが近年示されており、更に神経ネットワークが一応完成した後の再調整あるいは再構成に関わる分子としても働くと思われる。従って、以上の一連の実験により得られた知見から、AMPA型グルタミン酸受容体は神経細胞においてイオンチャンネルとして機能し通常のシナプス伝達過程で働くのみならず、強く刺激された時には下流のLyn-MAPK情報伝達系を介してシナプス後膜から核へと情報を伝達し、BDNF発現を調節することで遺伝子発現を伴う長期のシナプス可塑性に寄与していると考えられる。 図表 |