学位論文要旨



No 114119
著者(漢字) 水口,留美子
著者(英字)
著者(カナ) ミズグチ,ルミコ
標題(和) Janus kinase(JAK)活性化機構と下流シグナル伝達経路の解析
標題(洋)
報告番号 114119
報告番号 甲14119
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3608号
研究科 理学系研究科
専攻 生物化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山本,正幸
 東京大学 教授 竹縄,忠臣
 東京大学 教授 山本,雅
 東京大学 教授 宮島,篤
 東京大学 教授 秋山,徹
内容要旨 【序】

 造血系、免疫系の細胞の増殖や分化はサイトカインとよばれる一連の液性因子により制御されている。サイトカインは、細胞膜表面上にあるレセプターに結合することによりその機能を発現する。サイトカインレセプターの細胞内領域には様々なシグナル伝達分子が結合し、レセプターからのシグナルを下流に伝達する役割を担っている。それらのシグナル伝達分子の中にJAK(Janus kinase)とよばれる一群の細胞内非受容体型チロシンキナーゼが存在する。JAKは、Jak1〜3、Tyk2の4種類が知られており、これらのJAKが個々のレセプターにそれぞれ特異的な組み合わせで結合している。様々な研究から、サイトカインシグナル伝達におけるJAKの重要性が示唆されている。JAKの標的分子として最も詳しく解析されているのは、STAT(signal transducer and activator of transcription)とよばれる一群の転写因子である。JAKによってリン酸化されたSTATは二量体(三量体)を形成して核へ移行し、さまざまな遺伝子の転写を引き起こすことが知られている。しかし、JAKの生物学的役割はSTATだけでは説明できない点も多く、他のシグナル伝達分子の関与も示唆されているが、その詳細については十分な解析が進められていない。サイトカインの下流では、他のシグナル伝達経路も同時に活性化され、そのため現在までに用いられてきた方法では、JAKの明確な機能についての解明は困難であった。そこで本研究では、JAKの活性を人為的に直接制御することにより、細胞増殖におけるJAKの役割についての検討を行った。またこの系を用いて、JAKの下流で活性化されるシグナル伝達分子の同定と、JAKを介したシグナル伝達におけるそれらの分子の役割についての解析を試みた。

【結果と考察】

 JAKシグナルの細胞増殖に対する効果について調べることを目的として、各JAKをIL-3依存性マウスpro-B細胞に一過的に過剰発現させ、G0/G1期進行に関わる遺伝子群であるc-fos、c-myc、cyclin D3のプロモーター活性に対する影響について検討を行った。なおこの実験系では、テトラサイクリン(Tet)によって抑制され、IPTGによって誘導されるcDNA発現システムを用いて各JAKの発現を制御した。その結果、Tyk2の発現によって各プロモーターの活性が特に顕著に誘導されることがわかった(図1)。そこで、Tyk2をモデルとしてJAK活性化機構の詳細について検討した。一般にサイトカインのシグナル伝達においては、リガンドの結合によりレセプターを構成するサブユニットの細胞内領域が凝集する。この際、レセプターに結合したJAKは、膜の近傍でお互いに接近し、リン酸化し合うことによって活性化していると考えられている。そこで本研究では、この現象を人為的に再現するために、近年開発されたchemical dimerizationのシステムを取り入れた。このシステムは、抗生物質の誘導体であるcoumermycin(CM)が大腸菌のDNA Gyrase Bサブユニット中の配列(GyrB)と1:2の割合で結合することを利用して、目的の蛋白質の二量体化を誘導するものである。Tyk2の上流にGyrB配列を付加したG-Tyk2ならびにG-Tyk2の上流にSrcの膜移行シグナルを付加したSG-Tyk2の2種類を用いて(図2)、それぞれのc-fosプロモーター活性に対する効果について検討した。その結果、JAKの膜局在と二量体化によって、プロモーター活性が相乗的に上昇することが明らかとなった(図3)。このことから、細胞膜への局在化と二量体化がJAKの活性化に重要であること、およびSG-Tyk2をCMによって二量体化することによりTyk2を人為的に直接活性化できることが示された。上述したように、Tyk2は細胞増殖を正に制御する遺伝子群の発現を誘導することから、細胞内でTyk2の活性を構成的に誘導することにより、細胞が増殖因子の刺激なしに増殖可能になるのではないかと考えられた。そこでSG-Tyk2遺伝子をIL-3依存性マウスpro-B細胞に導入し、IPTGとCMによりTyk2を活性化するような条件下で増殖因子非依存的に増殖可能な細胞をスクリーニングした。その結果、複数の独立したクローンが得られ、それらの細胞ではSG-Tyk2タンパクが高レベルで発現していた。またそれらの細胞の増殖はIPTGおよびCMに依存的であった(図4)。細胞内のSG-Tyk2の状態を調べたところ、CMの添加により、すみやかにSG-Tyk2のチロシンリン酸化が引き起こされていた。またこの時、SG-Tyk2のリン酸化状態に応じて内在性Stat5のチロシンリン酸化も引き起こされていることより、このリン酸化がSG-Tyk2の活性化を伴ったものであることが示された(図5)。これらの結果より、SG-Tyk2はCM依存的な二量体化を介して活性化され、そのシグナルに依存して、細胞の増殖が引き起こされていることが示された。ここで得られた細胞は、Tyk2活性にのみ依存して増殖可能な細胞であるため、増殖因子によって引き起こされる他の様々な細胞内の変化の影響を受けずにJAKシグナルの解析を行うことが可能である。そこで、ここで得られた細胞を用いて、Tyk2依存的な増殖における既知のシグナル伝達系の関与について検討を行った。まず、様々な増殖因子やサイトカインによって活性化され、細胞増殖における重要性が示唆されているRasの関与について検討を行った。この細胞にドミナントネガティブ型Ras(RasN17)を導入し、SG-Tyk2とRasN17をともに発現する細胞株を作製した。この細胞でRasN17を過剰発現させたところ、IL-3依存的な増殖にはほとんど影響が見られなかったが、増殖因子非存在下でのTyk2依存的な増殖は完全に阻害された。このことより、Tyk2依存的な増殖シグナル伝達にRasが必須な因子として存在することが示された。次にこの細胞でTyk2によって活性化される主要なSTATであるStat5のTyk2シグナルへの関与について検討を行った。この細胞にドミナントネガティブ型のStat5(Stat5)を導入し、SG-Tyk2とStat5をともに発現する細胞株を作製した。この細胞においてStat5の発現を誘導したところ、RasN17の場合と同様に、IL-3依存的な増殖にはほとんど影響が見られなかったのに対して、増殖因子非存在下でのTyk2依存的な増殖は顕著に阻害された。このことから、Tyk2依存的な細胞増殖にはStat5活性も必要であることが示唆された。また今までの知見より、本研究で用いたpro-B細胞は、活性型Ras(RasV12)を単独で発現させた場合、増殖因子除去によるアポトーシスに対して耐性を示すものの、増殖因子非依存的な増殖能は獲得しないことが示されている。以上のことより、Tyk2の増殖シグナル伝達の機構として次の2つのモデルが考えられた。(1)Stat5活性のみがTyk2依存的な細胞増殖に必須なものであり、RasはTyk2とともにStat5の活性化に必要である。(2)RasとStat5のシグナルが協調しあうことによりTyk2依存的な増殖シグナルが伝達される。そこで、これらのモデルを検証するために、Stat5の活性化のみで親株細胞が増殖可能か否かについて検討した。まず、Stat5の活性を誘導するシステムを作製するために、Stat5のC末端にGyrB配列を付加し(Stat5G)、CMの添加によってStat5を人為的に二量体化できるようにした。このStat5Gは、CMの存在下で、Stat5依存的な転写が知られる-casein遺伝子のプロモーター活性を誘導することから、二量体化依存的に転写因子として機能していることが示された(図6)。このStat5Gを親株のpro-B細胞に導入したが、Stat5Gタンパクの高発現にもかかわらず、CM存在下において増殖因子非依存的な増殖能は示さなかった。そこで、親株細胞にRasV12とStat5Gを同時に導入し、細胞増殖を調べたところ、RasとStat5の両方を同時に活性化することにより、はじめてこの細胞は増殖因子非依存的な増殖能を獲得することがわかった(図7)。以上の結果より、Tyk2の下流では、Rasを介した経路とStat5を介した経路が同時に活性化され、それぞれが協調的に働くことによって増殖に必要なシグナルが伝達されていることが示唆された(図8)。

図1 各野性型JAKによるG0/G1期制御遺伝子群のプロモーター活性の誘導図2 Tyk2の人為的な膜局在化と二量体化:大腸菌DNA GyraseのBサブユニット由来の配列(GyrB):v-Src由来の膜移行シグナル:coumermycin(CM)図3 Tyk2の膜局在と二量体化のプロモーター活性に対する相乗的效果図4 SG-Tyk2の活性化による細胞の増殖因子依存性の消失図5 coumermycin依存的なSG-Tyk2の活性化A:coumermycinによるSG-Tyk2のチロシンリン酸化の誘導B:SG-Tyk2の活性化に伴う内在性Stat5のチロシンリン酸化の誘導図6 Stat5Gの二量体化による-casein遺伝子プロモーターの誘導図7 RasとStat5の活性化による協調的な細胞増殖図8 サイトカイン下流の増殖シグナル伝達経路のモデル図
【まとめと今後の展望】

 本研究では、JAKの活性を人為的に直接制御することにより、従来は他のシグナル伝達経路の影響により困難であった、サイトカインシグナルにおけるJAKの役割について明確に示すことが可能となった。この系を用いることにより、JAK単独の活性化が細胞増殖を引き起こすことを明らかにした。また、JAK依存的な細胞増殖にはRasとSTATの両方の活性が必要であり、これらの協調的な作用によって増殖シグナルが伝達されていることを初めて示した。今後は、Rasを介した経路とSTATを介した経路のそれぞれの下流に位置する分子を同定し、それらがどのように関連して細胞周期の起動に至るのかについて検討を行っていきたい。本研究で得られた知見は、サイトカインによる増殖シグナルと細胞周期との接点を探る上で有力な手がかりとなるものと期待される。

審査要旨

 本論文はJanus kinase(JAK)活性化機構と下流シグナル伝達経路の解析結果を述べたものである。造血系、免疫系の細胞の増殖や分化はサイトカインとよばれる一連の液性因子により制御されている。細胞膜にあるサイトカインレセプターの細胞内領域には様々なシグナル伝達分子が結合し、レセプターからのシグナルを下流に伝達する役割を担っている。それらのシグナル伝達分子の中にJAK(Janus kinase)とよばれる一群の細胞内非受容体型チロシンキナーゼが存在する。JAKには、Jak1〜3、Tyk2の4種類が知られており、これらのJAKが個々のレセプターに特異的な組み合わせで結合している。JAKの標的分子として最も詳しく解析されているのは、STATとよばれる一群の転写因子である。JAKによってリン酸化されたSTATは核へ移行し、様々な遺伝子の転写を引き起こす。しかし、JAKの生物学的役割はSTATだけでは説明できない点も多く、他のシグナル伝達分子の関与も示唆されてきたが、その詳細については解析が進んでいない。サイトカイン刺激では、他のシグナル伝達経路も同時に活性化されるため、JAKのみの明確な機能の解明は困難であった。

 論文提出者水口留美子は、JAKの活性を人為的に制御できる系を創出することにより、細胞増殖におけるJAKの役割についての検討を行った。またこの系を用いて、JAKの下流で活性化されるシグナル伝達分子の同定と、JAKを介したシグナル伝達におけるそれらの分子の役割についての解析を試みた結果、以下のような新しい知見を得た。

 まずJAKシグナルの細胞増殖に対する効果を調べるため、各JAKをIL-3依存性マウスpro-B細胞に一過的に過剰発現させ、細胞周期進行に関わる遺伝子のプロモーター活性に対する影響について検討を行った。ここでは、テトラサイクリン(Tet)によって抑制され、IPTGによって誘導されるcDNA発現システムを用いて各JAKの発現を制御した。その結果、Tyk2の発現によって各プロモーターの活性が特に顕著に誘導されることが分かり、以下にTyk2をモデルとしてJAK活性化機構の詳細について検討した。レセプターに結合したJAKは、膜の近傍でお互いに接近し、リン酸化し合うことによって活性化すると考えられている。この現象を人為的に再現するために、抗生物質の誘導体であるcoumermycin(CM)が大腸菌のDNA GyraseBサブユニット中の配列(GyrB)と1:2の割合で結合することを利用して、目的の蛋白質の二量体化を誘導するシステムを取り入れた。さらにTyk2の上流にGyrB配列とSrcの膜移行シグナルを付加したSG-Tyk2を検討した結果、JAKの膜局在と二量体化によって、プロモーター活性が相乗的に上昇することが明らかとなった。

 上記の知見から、細胞内でTyk2の活性を構成的に誘導することにより、増殖因子の刺激なしに増殖可能になる細胞株の樹立を試みた。その結果、IPTGおよびCMに依存してSG-Tyk2タンパクが高レベルで発現し、増殖する株が得られた。細胞内のSG-Tyk2の状態を調べたところ、CMの添加により、すみやかにSG-Tyk2のチロシンリン酸化が引き起こされていた。この細胞はTyk2活性にのみ依存して増殖可能であるため、増殖因子によって引き起こされる他の様々な細胞内の変化の影響を受けずにJAKシグナルの解析を行うことが可能である。そこでこの細胞を利用して、Tyk2依存的な増殖における既知のシグナル伝達系の関与について検討を行った。まず、細胞増殖における重要性が示唆されているRasの関与について検討した。ドミナントネガティブ型Ras(RasN17)を導入すると、増殖因子非存在下でのTyk2依存的な増殖は完全に阻害され、Tyk2依存的な増殖シグナル伝達にRasが必須であることが示された。次にTyk2によって活性化される主要なSTATであるStat5のTyk2シグナルへの関与について検討を行った。ドミナントネガティブ型のStat5を導入したところ、やはり増殖因子非存在下でのTyk2依存的な増殖は顕著に阻害され、Tyk2依存的な細胞増殖にはStat5活性も必要であることが示唆された。両者の関係をさらに解析した結果、Tyk2の下流では、Rasを介した経路とStat5を介した経路が同時に活性化され、それぞれが協調的に働くことによって増殖に必要なシグナルが伝達されていることが示唆された。

 以上のように論文提出者は、JAKの活性を人為的に直接制御することにより、従来は他のシグナル伝達経路の影響により困難であった、サイトカインシグナル伝達系におけるJAKの役割について明確に示すことを可能とした。またこの系を用いてJAK単独の活性化が細胞増殖を引き起こしうることを明らかにした。さらに、JAK依存的な細胞増殖にはRasとSTATの両方の活性が必要であり、これらの協調的な作用によって増殖シグナルが伝達されていることを初めて示した。これらの業績は博士(理学)の称号を受けるにふさわしいものであり、審査員全員が合格と判定した。

 なお、本論文は畠山昌則との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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