本論文はJanus kinase(JAK)活性化機構と下流シグナル伝達経路の解析結果を述べたものである。造血系、免疫系の細胞の増殖や分化はサイトカインとよばれる一連の液性因子により制御されている。細胞膜にあるサイトカインレセプターの細胞内領域には様々なシグナル伝達分子が結合し、レセプターからのシグナルを下流に伝達する役割を担っている。それらのシグナル伝達分子の中にJAK(Janus kinase)とよばれる一群の細胞内非受容体型チロシンキナーゼが存在する。JAKには、Jak1〜3、Tyk2の4種類が知られており、これらのJAKが個々のレセプターに特異的な組み合わせで結合している。JAKの標的分子として最も詳しく解析されているのは、STATとよばれる一群の転写因子である。JAKによってリン酸化されたSTATは核へ移行し、様々な遺伝子の転写を引き起こす。しかし、JAKの生物学的役割はSTATだけでは説明できない点も多く、他のシグナル伝達分子の関与も示唆されてきたが、その詳細については解析が進んでいない。サイトカイン刺激では、他のシグナル伝達経路も同時に活性化されるため、JAKのみの明確な機能の解明は困難であった。 論文提出者水口留美子は、JAKの活性を人為的に制御できる系を創出することにより、細胞増殖におけるJAKの役割についての検討を行った。またこの系を用いて、JAKの下流で活性化されるシグナル伝達分子の同定と、JAKを介したシグナル伝達におけるそれらの分子の役割についての解析を試みた結果、以下のような新しい知見を得た。 まずJAKシグナルの細胞増殖に対する効果を調べるため、各JAKをIL-3依存性マウスpro-B細胞に一過的に過剰発現させ、細胞周期進行に関わる遺伝子のプロモーター活性に対する影響について検討を行った。ここでは、テトラサイクリン(Tet)によって抑制され、IPTGによって誘導されるcDNA発現システムを用いて各JAKの発現を制御した。その結果、Tyk2の発現によって各プロモーターの活性が特に顕著に誘導されることが分かり、以下にTyk2をモデルとしてJAK活性化機構の詳細について検討した。レセプターに結合したJAKは、膜の近傍でお互いに接近し、リン酸化し合うことによって活性化すると考えられている。この現象を人為的に再現するために、抗生物質の誘導体であるcoumermycin(CM)が大腸菌のDNA GyraseBサブユニット中の配列(GyrB)と1:2の割合で結合することを利用して、目的の蛋白質の二量体化を誘導するシステムを取り入れた。さらにTyk2の上流にGyrB配列とSrcの膜移行シグナルを付加したSG-Tyk2を検討した結果、JAKの膜局在と二量体化によって、プロモーター活性が相乗的に上昇することが明らかとなった。 上記の知見から、細胞内でTyk2の活性を構成的に誘導することにより、増殖因子の刺激なしに増殖可能になる細胞株の樹立を試みた。その結果、IPTGおよびCMに依存してSG-Tyk2タンパクが高レベルで発現し、増殖する株が得られた。細胞内のSG-Tyk2の状態を調べたところ、CMの添加により、すみやかにSG-Tyk2のチロシンリン酸化が引き起こされていた。この細胞はTyk2活性にのみ依存して増殖可能であるため、増殖因子によって引き起こされる他の様々な細胞内の変化の影響を受けずにJAKシグナルの解析を行うことが可能である。そこでこの細胞を利用して、Tyk2依存的な増殖における既知のシグナル伝達系の関与について検討を行った。まず、細胞増殖における重要性が示唆されているRasの関与について検討した。ドミナントネガティブ型Ras(RasN17)を導入すると、増殖因子非存在下でのTyk2依存的な増殖は完全に阻害され、Tyk2依存的な増殖シグナル伝達にRasが必須であることが示された。次にTyk2によって活性化される主要なSTATであるStat5のTyk2シグナルへの関与について検討を行った。ドミナントネガティブ型のStat5を導入したところ、やはり増殖因子非存在下でのTyk2依存的な増殖は顕著に阻害され、Tyk2依存的な細胞増殖にはStat5活性も必要であることが示唆された。両者の関係をさらに解析した結果、Tyk2の下流では、Rasを介した経路とStat5を介した経路が同時に活性化され、それぞれが協調的に働くことによって増殖に必要なシグナルが伝達されていることが示唆された。 以上のように論文提出者は、JAKの活性を人為的に直接制御することにより、従来は他のシグナル伝達経路の影響により困難であった、サイトカインシグナル伝達系におけるJAKの役割について明確に示すことを可能とした。またこの系を用いてJAK単独の活性化が細胞増殖を引き起こしうることを明らかにした。さらに、JAK依存的な細胞増殖にはRasとSTATの両方の活性が必要であり、これらの協調的な作用によって増殖シグナルが伝達されていることを初めて示した。これらの業績は博士(理学)の称号を受けるにふさわしいものであり、審査員全員が合格と判定した。 なお、本論文は畠山昌則との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。 |