本研究は3章からなり、第1章はシロイヌナズナのClpプロテアーゼ遺伝子群のcDNAの単離とそれらの構造解析、第2章はClpプロテアーゼの各サブユニットの葉緑体への局在とヘテロ会合体の形成、第3章は葉緑体の老化におけるClpプロテアーゼ遺伝子群の発現解析について述べられている。 大腸菌で基質特異性の高いプロテアーゼとして知られるClpプロテアーゼは調節サブユニットと、触媒サブユニットがヘテロ会合体を構成している。植物では調節サブユニット遺伝子が核に、触媒サブユニット遺伝子が葉緑体ゲノムにコードされていることが知られており、葉緑体のタンパク質分解の一翼を担っていることが推定されていた。しかし、どのような分子種が存在するのか、どのような制御のもとでどのような基質を分解しているのか、またその生理的な役割についての詳細な知見は乏しかった。 植物におけるClpプロテアーゼの分子機構、および機能を解析する第一段階として、本論文提出者はシロイヌナズナを材料に以下の研究を行った。まず、ESTデータベースを利用し、cDNAライブラリーをスクリーニングすることによって、調節サブユニットをコードする新規Clpプロテアーゼ遺伝子AtclpCのcDNAを単離した。既知の調節サブユニット遺伝子erd1との相同性解析から、AtClpCはERD1とは異なるサブファミリーに属する調節サブユニットであることを示した。さらに、葉緑体ゲノムにコードされた触媒サブユニット遺伝子pclpPに加えて、触媒サブユニットをコードする新たな核遺伝子に対する5種のcDNA(nclpP1-5)を単離した。これらの核遺伝子産物にはN末に延長配列が存在すること、また約75%程度の高い相同性を示す保存領域が存在することから、これらがオルガネラで機能するClpPであることを推定した。また大腸菌では、調節サブユニットの多様性がプロテアーゼの基質選択性に寄与することが示されている。そのためシロイヌナズナにおいて、調節サブユニットのみならず、触媒サブユニットにも多様性が見られたことから、高等植物の葉緑体においては、大腸菌やラン藻と比較して非常に複雑なClpプロテアーゼの系が働いている可能性を示した。 次に、Clpサブユニットが葉緑体内で活性を持つプロテアーゼとして機能しうることを検証した。シロイヌナズナの単離葉緑体を用いて、Clp調節サブユニットがストロマに存在していることを明らかにした。また、単離葉緑体を用いた輸送実験により、核コードの触媒サブユニットのひとつnClpP5もストロマに存在することを明らかにした。さらに、これらのサブユニットが活性を持つ巨大ヘテロ会合体を形成しうるかを解析した。ショ糖密度勾配遠心によって葉の可溶性画分を分画したところ、沈降係数が18SであるRubiscoより大きな分子を含む画分の中に、調節サブユニットAtClpCおよびERD1、触媒サブユニットpClpPのすべてが含まれる画分が存在した。さらに、免疫沈降実験によって、核コードの触媒サブユニットnClpP5も調節サブユニットAtClpCおよびERD1と相互作用を持つことを明らかにした。以上の結果は、葉緑体のストロマでClpプロテアーゼの調節サブユニットと触媒サブユニットが巨大ヘテロ会合体を形成している可能性を示唆するものである。また、エンドウのClpCやタバコのpClpPがそれぞれ大腸菌のClpAおよびClpPの機能的ホモログであるという報告と考え併せて、AtClpC、ERD1、pClpP、nClpP5が活性を持つプロテアーゼとして機能しうることを推察した。 緑葉の老化現象は、細胞内タンパク質の大々的な分解やクロロフィルの喪失などが高度に制御されながら進行すると考えられている。この現象にClpプロテアーゼが関与している可能性を調べるため、これらのClp遺伝子の老化過程における発現を解析した。ノーザン解析、およびウェスタン解析により、植物体に暗処理を施し人為的に誘導した老化において、調節サブユニット遺伝子erd1の転写産物、および遺伝子産物の蓄積量が顕著に増加することを明らかにした。また、触媒サブユニットの中でpClpPが暗処理期間中一定量存在すること、およびnclpP5の転写産物の蓄積量が長期の暗処理によって増加することを明らかにした。これらの結果、長期の暗処理によって起こる生理的な変化に調節サブユニットERD1、および触媒サブユニットpClpP、nClpP5が関与している可能性を示唆した。 また自然老化における各遺伝子の発現解析により、調節サブユニットのAtclpCとerd1、および触媒サブユニットのnclpP3とnclpP5の転写産物の蓄積量が老化の進行と共に増加することを明らかにした。触媒サブユニットpClpPについては、転写産物の蓄積量に大きな変化は見られなかったが、老化後期までタンパク質量が組織内に一定レベル存在していた。これらの結果から、調節サブユニットのAtClpCとERD1、触媒サブユニットのpClpP、nClpP3、nClpP5が自然老化過程において機能している可能性を示唆した。 これらの研究を通じて、本論文提出者は、シロイヌナズナを用いたClpプロテアーゼに関連する遺伝子群の新規cDNAの単離、およびそれらの構造解析と免疫学的な解析により、各サブユニットが活性を持つプロテアーゼとして機能しうることを示し、さらに各遺伝子の発現解析により、Clpプロテアーゼが葉緑体の老化過程におこるタンパク質の分解に関与している可能性について推察した。なお、本論文の第1章は伊藤正樹、渡邊昭両氏、第2、3章は伊藤正樹、清末知宏、篠崎一雄、渡邊昭各氏との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析および検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。従って、博士(理学)を授与できると認める。 |