内容要旨 | | 哺乳類のゲノム中の遺伝子の大部分はそれをどちらの親から受け継いでも等しく機能するが、ごく一部の遺伝子では父親から受け継いだ場合と、母親から受け継いだ場合とでその機能が著しく異なることが知られる。そのような遺伝子はどちらの親由来かがあらかじめ刻印された遺伝子という意味で、インプリンティングを受ける遺伝子、と呼ばれる。インプリンティングの分子機構やその生物学的意義には依然不明の部分が多いが、様々なヒトの疾患との関与が明らかになりつつあることを鑑みても、インプリンティングを受ける新たな遺伝子を発見することには大きな意義があると考えられる。インプリンティングを受ける遺伝子を探すには、父親由来のアレルと母親由来のアレルを識別することが必要である。cDNAの3’末端部分(3’UTR)にはマウスの(亜)種間および系統間で高頻度に多型が存在することが知られている(Takahashi,N.&Ko,M.S.H.(1993)Genomics16,161-168)。ディファレンシャルディスプレー法(以下DD)は主にこの多型にとむ3’UTRを増幅するので(Ito,T.et al.(1994)FEBS Lett.351,231-236)、異なる系統のサンプルを比較すれば発現量の変化したものだけでなく多型性を示すバンドも検出されることになる。そこで通常のDDが遺伝的背景をなるべく揃えて生理的に異なる条件下のサンプルを比較することで発現の量的変化を検出しようとするのとは対照的に、異なる遺伝的背景のサンプルをその生理的条件を揃えて採取して比較を行えば、いわゆる遺伝子発現の変動の影響を排して多型のみを視覚化することが出来ると考えた。すなわち遺伝的に離れた2つの系のマウスJFとB6およびそれらをreciprocalに交配した2つのF1すなわちJBとBJのRNAを用いれば、多型を反映したインプリンティング遺伝子の単離が可能になる(Fig.1)。このようなディスプレイをDDと対照的にAllelic Message Display(以下AMD)と名付けた。また核移植により異なる系統のマウスに同一のミトコンドリアDNAを保持させ、これらのF1マウスにもそれを維持させることにより、母性遺伝するミトコンドリアの多型を原理的にゼロにおさえ、純粋に母性発現する遺伝子をスクリーニングする方法を開発した(東京農工大との共同研究)。そして実際に、新しく開発されたAMD法を用いてインプリンティングを受けている新しい遺伝子を発見した(Hagiwara Y.et al.,(1997)Proc.Natl.Acad.Sci.USA94,9249-9254)。すなわち脳のRNAを用いて128通りのプライマーコンビネーションによるPCRを行い約1000の多型性のバンドを検出した時点で、3種の父性発現遺伝子を見いだした。単離した断片のうちの1つをB6とJFの双方のマウスからクローン化して比較すると、この断片を検出するのに用いた任意プライマーのアニーリング部位に1塩基の置換を認めた。つまりこのバンドの有無は、プライミング部位の多型のため、B6ではPCRがかかったのにJFではこの領域が増幅されなかったことによるということが明らかになり、我々が考案した原理で実際にAMDが多型を反映して動いていることが実証された。さらにこの部位以外に3’UTRにもう一ケ所Tsp509I多型が確認された(Fig.2A)のでこの部位を利用したPCR-RFLPアッセイを行った。Genomic DNAを鋳型にPCR-RFLPを行うと両方のF1はともに両親のバンドパターンを併せ持つヘテロ接合型を示す(Fig.2B Top Left)が、脳のcDNAを鋳型に同様のアッセイを行うと、F1のJB(JFが母親、B6が父親のF1)では父親に由来するB6アレルのみが、F1のBJ(B6が母親、JFが父親のF1)でもやはり父親に由来するJFアレルのみが検出された(Fig.2B Top Right)。またこの現象は脳以外の各組織でも観察された。このことからこの遺伝子は父性から受け継いだときのみ発現するインプリント遺伝子であると考えられた。 この遺伝子のcDNAは318アミノ酸からなる蛋白質をコードしうるOpen Reading Frameを持っていおり、興味深いことにその翻訳産物は種々の細菌や酵母の蛋白質に高い相同性を示した。しかしながらこれらの微生物の蛋白質は、いずれも塩基配列決定によって初めて明らかになった仮想蛋白質で、YCR059c/yigZというファミリーをなすがその機能は未だ不明であった。今回我々の単離したImpact cDNAはこのファミリーと高い相同性を示し、特徴的モチーフを持っていることから、このファミリーの多細胞生物から見つかった初めてのメンバーであると考えられた。各細菌でのImpactホモログ近傍のゲノム構造を調べたところ、各細菌でまったく機能の異なる遺伝子が存在するのでオペロンからの機能の推定は出来なかった。唯一共通なのがE.coliとH.influenzaeのtrkH(カリウムイオンのtransportに関わる)だが、これがオペロンであるか否かは不明であった。ゲノム構造からの機能推定が出来なかったので酵母の遺伝子破壊やtwo-hybrid assayからその機能に関する示唆が得られないかと考えた。その結果酵母Impactはある翻訳調節因子と特異的に結合することがわかった。このように今回我々の同定した遺伝子は、インプリンティング(imprinting)を受け、しかも起源の古い(ancient)ものであることがわかったので、これにちなんでImpactと名付けた。Impactはマウスでユビキタスに発現していたが、中でも特に脳(Fig.3A Left lane2)で強い発現がみられた。そこでin situ hybridizationを行ったところ、おもに神経細胞の豊富な領域にシグナルがみられ、実際に脳神経細胞で発現が強いことが分かった(Fig.3B)。またImpactは胎児でも発現していることが確認された(Fig.3A Right)。 さてインプリント遺伝子は遺伝学的に明らかにされたインプリント領域にマップされ、またしばしばゲノム上でクラスターをなすということが知られており、その染色体上での位置には特に興味が持たれる。そこで我々はImpact cDNAをプローブに螢光in situ Hybridizationを行った。その結果、Impactは18番染色体A2-B2にマップされた。転座マウスを用いた遺伝的解析から18番染色体上にはインプリント遺伝子の存在が疑われていたが、Impactがその最初の例となった。またImpactの両隣の遺伝子を含むBACのscreeningを行い近隣遺伝子の発現を解析するのと平行して、データベースから18番染色体にマップされている遺伝子の中でImpactに近いもの、特にマウス、ヒト間で互いにsyntenicな領域に位置する4つの遺伝子についてそのアレル別発現を調べるためにそれぞれの遺伝子を単離しRFLPを行いアレル別発現状況を検出したところ、Lama3遺伝子、Fzd8遺伝子、Npc1遺伝子、N-cad遺伝子は両アレルが発現していた。 さらに我々はImpactのヒトにおけるインプリンティングを調べる目的でImpactのヒトホモログIMPACT全長を単離した。IMPACTはマウスImpactとアミノ酸レベルで81.3%のidentity,97.8%のsimilarityを示し、このYCR059c/yigzファミリーに特徴的なモチーフも全般的に高度に保存していた。またヒトIMPACTには少なくとも3種類の異なる5’UTRをもつisoformと少なくとも2種類の異なる3’UTRをもつisoformが存在し、Northern Hybridizationでも2種類のmessageすなわち約2.5kbのバンドと約3.6kbのバンドとが検出された。続いてヒトIMPACTの染色体上のローカスをOpen Reading Frameを含むcDNAプローブを用いた螢光in situ Hybridizationによって検討したところ、18番染色体q11.2〜q12.1にマップされた。ここは先述したマウスのImpactのローカスとsyntenicな領域にあたる。18番染色体のこの領域には連鎖解析により、インプリンティング効果が認められている躁うつ病Bipolar Affective Disorder(BPAD)(BPADはprobandの第一度親族に女性罹患者が多く、父から息子への遺伝はまれであることが知られている)がマップされており、上述したマウスImpactの脳特異的な発現や脳神経細胞での強い発現も併せ考えるとIMPACTが何らかの形でインプリンティング効果の認められるタイプの躁うつ病に関与している候補遺伝子である可能性が高いと考えられる。BPADが母系遺伝している家系を用いた最新のペーパーの連鎖解析ではまさにIMPACTのローカスである18q.11-12に高いlod scoreが報告されている(Ewald,H.,et al.,(1997)Psychiatric Geneticsl71-12)。そこでまず短い方の3’UTRを持つIMPACTの3’UTR領域に唯一見い出した黒人にのみ維持されているレアな多型部位を利用したPrimer Extensionにより、この転写物のヒトにおけるインプリンティングの有無を検討した(スタンフォード大学のアメリカ系黒人サンプルを用いた)。胎児CNS及び腎臓、肝臓においてIMPACTはbiallelicに発現していたがadultの末梢血では、調べられた二人のうちひとりではbiallelicに発現していたがもうひとりはゆるいimprintingを受けている様子が観察された(脳では未確認)(Fig.4)。したがってIMPACTの主な転写物のうちの一方はpolymorphicな刷り込みを受けている可能性が示唆された。長い3’UTRを持つIMPACTのインプリンティングについては現在検討中である。 新規インプリント遺伝子スクリーニング法によって単離された父性発現遺伝子Impactは、非常に起源の古い遺伝子ファミリーに所属することから何らかの重要な機能が予測されるうえ、マウスでは脳神経特異的に発現していることから、躁うつ病のpathogenesisの解明に寄与することが期待される。 Literature Cited1. Ewald,H.,O.Mors,K.Koed,H.Eiberg and T.A.Kruse.(1997) Susceptibility loci for bipolar affective disorder on chromosome 18?A review and a study of Danish families. Psychiatric Genetics 17 pp1-122. Hagiwara,Y.,et al.,(1997) Screening for imprinted genes by allelic message display:Identification of a paternally expressed gene Impact on mouse chromosome 18 Proc.Natl.Acad.Sci.USA 94,9249-92543. Ito,T.,Kito,K.,Adati,N.,Mitsui,Y.,Hagiwara,H.&Sakaki,Y.(1994) Fluorescent differential display:arbitrarily primed RT-PCR fingerprinting on an automated DNA sequencer. FEBS Lett.351,231-2364. Takahashi,N.&Ko,M.S.H.(1993)The Short 3’-End Region of Complementary DNAs as PCR-Based Polymorphic Markers for an Expression Map of the Mouse Genome. Genomics16,161-168Figure 1.Figure 2.Figure 3.Figure 4. |
審査要旨 | | 本論文は2章からなり、第1章は新規の刷り込み遺伝子の新技法によるスクリーニング法、第2章はそのマウス遺伝子の解析とヒトでの相同遺伝子の発見について述べられている。 (第1章)哺乳類のゲノム中の遺伝子の大部分はそれをどちらの親から受け継いでも等しく機能するが、ごく一部の遺伝子では父親から受け継いだ場合と、母親から受け継いだ場合とでその機能が著しく異なることが知られている。そのような遺伝子はどちらの親由来かがあらかじめ刻印された遺伝子という意昧で、インプリンティングを受ける遺伝子、と呼ばれる。インプリンテイングの分子機構やその生物学的意義には依然不明の部分が多いが、様々なヒトの疾恩との関与が明らかになりつつあることを鑑みても、インプリンティングを受ける新たな遺伝子を発見することには大きな意義があると考えられる。インプリンティングを受ける遺伝子を探すには、父親由来のアレルと母親由来のアレルを識別することが必要である。通常のデイファレンシヤルデイスプレー(DD)法が遺伝的背景をなるべく揃えて生理的に異なる条件下のサンプルを比較することで発現の量的変化を検出しようとするのとは対照的に、異なる遺伝的背景のサンプルをその生理的条件を揃えて採取して比較を行えば、いわゆる遺伝子発現の変動の影響を排して多型のみを視覚化することが出来ると考え、Allelic Message Display(AMD)法と名付ける新方法を開発した。そして実際に、AMD法を用いてインプリンテイングを受けている新しい遺伝子を発見した(Hagiwara et al.,Proc.Natl.Acad.Sci.USA..94 (1997)9249-9254)。すなわちマウス脳のRNAを用いて128通りのプライマーコンビネーションによるPCRを行い約1000の多型性のバンドを検出した時点で、3種の父性発現遺伝子を見いだした。この遺伝子は父性から受け継いだときのみ発現するインプリント遣伝子であると考えられた。 この遺伝子のcDNAは318アミノ酸からなる蛋白質をコードしうるOpen Reading Frameを持っていおり、翻訳産物は種々の細菌や酵母の蛋白質に高い相同性を示した。しかしながらこれらの微生物の蛋白質は、いずれも塩基配列決定によって初めて明らかになった仮想蛋白質で、YCR059c/yigZというファミリーをなすがその機能は未だ不明であった。今回単離したcDNAはこのファミリーと高い相同性を示し、特徴的モチーフを持っていることから、このファミリーの多細胞生物から見つかった初めてのメンバーであると考えられた。酵母の相同遺伝子はある翻訳調節因子と特異的に結合することがわかった。このように本研究で同定した遺伝子は、インプリンティング(imprint)を受け、しかも起源の古い(ancient)ものであることがわかったので、これにちなんでImpactと名付けた。Impactはマウスでユビキタスに発現していたが、中でも特に脳の神経細胞で発現が強いことが分かった。またImpactは胎児でも発現していることが確認された。蛍光in situ hybridization法で、Impactは18番染色体A2-B2にマップされた。転座マウスを用いた遺伝的解析から18番染色体上にはインプリント遺伝子の存在が疑われていたが、Impactがその最初の例となった。 (第2章)さらに我々はImpactのヒトにおけるインプリンティングを調べる目的でImpactのヒトホモログIMPACT全長を単離した。ヒトIMPACTの染色体上のローカスは、18番染色体Q11.2-q12.1にマップされた。ここは上述したマウスのImpactのローカスとsyntenicな領域にあたる。18番染色体のこの領域は連鎖解析により、インプリンティング効果が認められている躁欝病(BPAD)がマップされている。上述したマウスImpactの脳特異的な発現や脳神経細胞での強い発現も併せ考えるとIMPACTが何らかの形でインプリンティング効果の認められるタイプの躁欝病に関与している侯補遺伝子である可能性が高いと考えられる。このように本研究で開発された新規インプリント遺伝子スクリーニング法によって単離された父性発現遺伝子Impactは、非常に起源の古い遺伝子ファミリーに所属することから何らかの重要な機能が予測されるうえ、マウスでは脳神経特異的に発現していることから、躁欝病のpathogenesisの解明に寄与することが期待される。 なお、本論文第1章は、平井百樹、西山和利、金澤一郎、榊佳之、伊藤隆司との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので、博士(理学)の学位を授与できると認める。 |