学位論文要旨



No 114142
著者(漢字) 福田,めぐみ
著者(英字)
著者(カナ) フクダ,メグミ
標題(和) 気孔開閉の日周運動と孔辺細胞における細胞骨格系の動的変化との関係に関する研究
標題(洋) Studies on the relationship between diurnal stomatal movement and dynamic change in cytoskeletal system in guard cells
報告番号 114142
報告番号 甲14142
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3631号
研究科 理学系研究科
専攻 生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 近藤,矩朗
 東京大学 教授 黒岩,常祥
 東京大学 教授 長田,敏行
 東京大学 助教授 真行寺,千佳子
 東京大学 助教授 馳澤,盛一郎
内容要旨

 気孔は根から吸収した水を水蒸気として大気中に放出し、同時に二酸化炭素を吸収して光合成を行うことにより、地球上の水の循環や大気中の二酸化炭素濃度を低く保つのに貢献している。このように気孔は植物と大気との接点として地球環境の維持に重要な役割を演じてきた。また、環境条件や植物の生理状態の変化に応じて開閉運動を行い、大気汚染や乾燥などの環境ストレスから植物を防御するなど、植物の生育や生存上からも重要な構造である。したがって、気孔開閉運動のメカニズムの解明は基礎研究として非常に重要である。

 気孔の開閉運動は、孔辺細胞と、隣接する細胞とのあいだに生じる水ポテンシャルの差に依る、水の移動に伴う孔辺細胞の大きさ及び、形態の変化によって引き起こされており、その制御要因としては主にイオン輸送に依る浸透圧調節が考えられている。もうひとつの制御要因として細胞壁が挙げられる。従来、孔辺細胞細胞壁はその独特の構造によって気孔開閉を制御するということは知られていたが、環境に応答して細胞壁の弾性が変化することにより気孔開閉に影響を与えるという報告がなされた。本研究では未知の部分を多く残している細胞壁に的を絞って、気孔開閉のメカニズムに関わる研究をしており、その形態的特徴の決定要因と考えられている細胞骨格系のひとつである微小管の関与の可能性を検討した。孔辺細胞における細胞骨格系の研究は、分化の過程に関するものが多いが、成熟した孔辺細胞における気孔の機能調節への細胞骨格系の関与に関する報告はほとんどなかった。

 まず、気孔開閉の日周運動と孔辺細胞微小管構造との関係について検討した。自然光下で栽培しているソラマメ(Vicia fabaL.)の葉の裏側にある孔辺細胞の微小管を、抗,-チューブリン抗体を用いた間接蛍光抗体法により、蛍光顕微鏡及び共焦点レーザー顕微鏡により観察した。孔辺細胞微小管の構造には、日中にみられる細胞を取り巻く放射状の配向から、夜中の微小管の断片化への移行というはっきりとした日周変化があった(Fig.1,2)。日周サイクルにおいて、微小管構造と気孔開度とのあいだには平行関係が存在し、この平行関係は、植物を自然光条件から継続暗所に移してさらに、二日間観察されたことから、微小管構造の日周変化は気孔開閉運動と同様、内生の概日リズムをもつことがわかった。また、微小管重合阻害剤であるプロピザミドを明け方の表皮切片に処理したところ、孔辺細胞微小管の重合を阻害し、気孔開口を阻害した。また微小管脱重合阻害剤であるタキソールを夕刻の表皮切片に処理したところ、孔辺細胞微小管の脱重合を阻害し、放射状の構造が保持されて、気孔閉鎖を阻害した。これらの実験結果から、日周サイクル内で、孔辺細胞微小管構造が気孔開閉に影響を与えることが明らかとなった。

Fig.1Fig.2

 次に、日周サイクルに伴う、孔辺細胞微小管の重合/脱重合・再構築のメカニズムを解明するために生化学的手法の検討を行った。

 従来、孔辺細胞タンパク質は、孔辺細胞をプロトプラスト化してから単離することがほとんどであったが、細胞壁消化など多くの酵素処理及び処理時間を要するので、生理現象と直接結びつけるための詳細な解析が困難であった。そこで、本研究では迅速かつ直接的な孔辺細胞からのタンパク質の抽出方法の開発を試みた。剥離した表皮組織から、機械的処理により表皮細胞画分を除去後、ガラスビーズミル法を用いて孔辺細胞を破砕することにより孔辺細胞由来のタンパク質の抽出法を開発した。

 日周サイクルにおける各時刻で抽出した孔辺細胞総タンパク質のSDS-PAGEの結果、時刻によってタンパク質の量比、組成が変動することが観察された(Fig.3)。また、抗-チューブリン抗体を用いたイムノブロットの結果から、日周サイクル内でチューブリンの量的変動が観察された(Fig.4)。

Fig.3Fig.4

 また、タンパク質のリン酸化/脱リン酸化による制御の可能性を検討するためにprotein kinase inhibitor及び、protein phophatase inhibitorの影響を検討したところ、日周サイクルにおける微小管構築の際、重合にはリン酸化、配向決定には脱リン酸化が関与することを示唆する結果が得られた。一方、微小管断片化の際、配向のランダム化にリン酸化、脱重合には脱リン酸化が関与することを示唆する結果が得られた。

 以上、本研究において孔辺細胞微小管の構造や状態が、日周変化を示すうえに、気孔開閉運動の制御要因となっていることが初めて明らかとなった。気孔が正常に機能するうえで、細胞壁がその特殊な孔辺細胞の形態を維持するための重要な役割をもつと考えられるが、本研究の結果はこのことを積極的に実証するものであり、さらに孔辺細胞細胞壁が、分化が終わって成熟したあとでも活発な変化をしていて、気孔開閉運動を制御していることを示唆するものである。

 今後、孔辺細胞微小管の構造の変化が、孔辺細胞細胞壁の性質(セルロースの合成、配向の秩序化や、その他物理化学的性質など)に与える影響を明らかにできれば、気孔開閉制御のメカニズムに関してだけでなく、植物の細胞壁の機能に関しての新しい知見が得られる可能性がある。

 浸透圧調節との関連については、アクチン繊維と微小管との関係を明らかにすることなどから気孔開閉運動制御の全体像を把握していきたいと考えているが、これらの関係の解明は全く新しい知見となる可能性がある。

 また、孔辺細胞における生化学的研究は、従来プロトプラストを用いて行われてきたが、この単離過程にはいくつかの問題があり、気孔の生理現象と直接結びつける詳細な実験は困難であった。本研究では新たに孔辺細胞からのタンパク質の抽出法を試み、ガラスビーズミル法を用いた破砕法を導入することにより短時間での直接的な抽出に成功した。日周サイクルに伴う孔辺細胞微小管の構造変化に伴って、孔辺細胞タンパク質が質的、量的に変動することが観察された。チューブリン分子の量的変動及び、タンパク質のリン酸化、脱リン酸化などの翻訳後修飾も関与することが明らかとなった。これらの結果から、日周という短いサイクルにおいて、孔辺細胞内では、少なくともタンパク質レベルで、劇的な変動が存在することがわかった。今後、孔辺細胞微小管の構築を含めた、気孔開閉運動のメカニズムに関する、生化学的アプローチによる詳細な検討が進むと考えられる。

審査要旨

 本研究は植物と大気環境の接点として、植物が光合成の基質である二酸化炭素を吸収したり、根から吸収した水を大気中に放出する、いわゆるガス交換を行っている気孔の開閉運動の調節機構を解明することを目指したものである。気孔は一対の孔辺細胞によって構成され、孔辺細胞の体積の増減により開閉運動を示す。孔辺細胞の体積変化は孔辺細胞の浸透圧調節によると考えられ、これまでの多くの研究では浸透圧を決めるイオンの輸送が注目されてきたが、本論文提出者のグループでは、孔辺細胞の細胞壁の力学的性質の変化が気孔開閉の制御要因の一つであることを示唆する結果を得ていた。細胞壁の力学的性質は細胞壁の骨組みであるセルロース繊維の配向によって決められる。また、このセルロースの配向は表層微小管の配向によって制御されていることが分かってきており、本研究は孔辺細胞の表層微小管の配向に注目した研究であり、孔辺細胞の表層微小管が気孔の開閉の日周運動の制御に関わっていることを始めて明らかにしたものである。

 本論文は3章からなっており、第1章では、まず、気孔開閉の日周運動と孔辺細胞微小管構造との関係について検討した。自然光下で栽培したソラマメから、1日周期の様々な時間帯に葉を採取し、裏側表皮を剥がして、間接抗体法により孔辺細胞内の微小管の構造を蛍光顕微鏡を用いて観察した。孔辺細胞微小管は明方から日中にかけて微小管を構築し、細胞質表面を取り巻く放射状の配向を取った。その後、夕方から夜間にかけて配向のランダム化や断片化が起こり、やがて消失するといった日周変化を示した。この微小管構造の日周変化と気孔開度の日周変化との間には平行関係が認められた。また、微小管の重合阻害剤の処理により明方の気孔開口が阻害され、微小管の安定化剤処理により夕方の気孔閉口が阻害することが分かり、微小管の構造が気孔の開閉運動の制御因子の一つであることが示唆された。

 第2章では、気孔の開閉運動や微小管の構築に影響を与える様々な代謝阻害剤を処理して、気孔開閉運動と微小管構築に与える影響を比較した。その結果、明方の放射状微小管の構築や気孔開口運動には新たなRNA、タンパク質および細胞壁の合成が必要であること、明方および夕方の微小管の構築/脱重合や配向の決定にはタンパク質の燐酸化/脱燐酸化が必要であり、この場合にも微小管の放射状配向と気孔の開閉運動との間に平行関係が存在することが明らかになった。それに対して、アクチン繊維の構築は日中の気孔開度の維持にのみ必要であることが示唆された。また、呼吸や光合成といったエネルギー供給系は気孔開口あるいは開度の維持に必要であり、また、微小管構造とその放射状配向の構築・維持に不可欠であることが示された。これらの結果は、明方の気孔開口、日中の気孔開度の変化、夕方の気孔閉口は、それぞれ異なったメカニズムによって制御されており、明方には放射状配向も持った新たなセルロース合成が必須であること、日中はおそらくイオン輸送による浸透圧調節が重要であることが示唆された。しかし、夕方の気孔閉口運動を阻害する微小管の役割やその仕組みについては現在のところ不明である。

 第2章で示唆されたメカニズムを検証するためには、孔辺細胞の分子レベルの研究が必要である。第3章では、孔辺細胞からのタンパク質の抽出法について検討し、日周サイクル中でのタンパク質の量比の変化や微小管を構成しているチューブリンタンパク質の量的変化を調べた。孔辺細胞の細胞壁は硬く、通常の摩砕法では細胞を破壊することができないが、ガラス・ビーズ破砕法を取り入れることによって短時間でタンパク質を抽出することができた。タンパク質をSDS-PAGEで分析すると、1日の時刻によってタンパク質の組成が変化すること、特に夕方に抽出した場合に組成が他の時刻と大きく異なることが分かった。チューブリン分子は夕方から夜中にかけて大きく減少し、明方および日中には蓄積していることが明らかになった。第2章で示されたように、明方から昼にかけての微小管の構築に新たなタンパク質の合成が必要であることから、微小管の構成タンパク質であるチューブリン分子そのものの合成と分解とが微小管構造の変化における一つの重要な要因であることが示唆された。このように、気孔の開閉運動には孔辺細胞における極めて活発な代謝回転が関与していることが明らかになってきた。今後は燐酸化/脱燐酸化を受けるタンパク質の同定、細胞壁の代謝の調節因子の探索などを含め、分子レベルでのメカニズムについて詳細に検討する必要がある。

 本論文は気孔開閉運動が微小管によって制御されていることを示した最初の研究である。この研究の当初のアイデアやそれを導く端緒になった研究は共同研究者によって行われたが、本論文のすべての実験のほとんどは、論文提出者自身が行ったものであり、本人による技術面での創意工夫も含まれている。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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