真社会性の昆虫のコロニーには、自らは全く繁殖せず、他の血縁個体の繁殖を助けるいわゆるワーカーや兵隊などの不妊の個体が多数存在している。Hamilton(1964)の血縁選択説は、そのような不妊個体は、血縁者たちで構成しているコロニーとしての適応度を上げることで、自身と同様の遺伝子も子孫に残せることを、包括適応度の概念を用いて説明した。社会性昆虫は集団を形成し、そこでは様々な仕事に特殊化した個体(カスト)が分業を行い、『コロニー』という総体として秩序ある行動を行っている。これまでの研究ではこれらの昆虫での社会性の進化の究極要因を解明するために、集団遺伝学的な理論研究が多くなされてきた。しかし、実際の社会性が成り立つ至近的な要因に関してはブラックボックスのままでほとんど解明がなされていない。 シロアリ目(等翅目)は、膜翅目の一部とともに代表的な真社会性昆虫の1グループとして有名であるが、真社会性の膜翅目とは系統的には非常に離れており、全く独立に社会性を獲得したと考えられている。シロアリは、不完全変態である点、不妊のカストに雌雄両方が存在している点、全ての個体が2倍体である点で膜翅目とは大きく異なっており、膜翅目におけるコロニー内における個体間の血縁度の不均衡を重要視した一連の進化的理論は適応できない。 本研究では、個体が分業してコロニーを統合しているシステムへの理解を得るために、シロアリを材料に、行動・生態のレベルから遺伝子発現のレベルに至るまでいくつかのレベルで研究を行った。研究の主目的は「シロアリにおいて『コロニー』というユニットがいかにして統合され、いかなるシステムで調節されているのか」を解明することにあり、(1)社会行動におけるカスト間の分業と統合【行動・生態】、(2)分業体制とカスト分化(カスト分化経路・齢間性間分業)【生態・発生】、(3)カスト分化の仕組み(脱皮・ホルモン・形態変化)【発生・生理】、(4)社会性の遺伝子(カスト特異的遺伝子発現)【分子生物学】、(5)社会性の進化(分子系統・社会行動の進化)【進化・系統】、をテーマに研究を進めた。 本論文の第1部では、個体の行動レベルでどの様な調節・統合機構があるのかを明らかにするため、秩序だった採餌行動を行うコウグンシロアリを材料にして、分業と社会行動に関する生態学的な研究と、カスト分化機構と社会行動の統合の相互関係に関する研究を行った。また、カスト分化上での形態変化に関する新しい知見も得た。第2部では、オオシロアリにおける兵蟻(ソルジャー)分化の実験系を構築し、カスト特異的遺伝子の検出を試みた。 第1部コウグンシロアリHospitalitermes medioflavusにおける社会組織化 コウグンシロアリ(シロアリ科テングシロアリ亜科)は、東南アジアに広く分布し、巣の外部に身をさらすopen-air foragingというシロアリとしては珍しい採餌行動をとるシロアリで、行動の観察には格好の材料である。夕暮れから翌朝にかけて木の幹などに付着する地衣類を採餌するが、採餌場では職蟻(ワーカー)間の分業(餌をかじる個体と運ぶ個体)が見られる。行動観察及び体サイズの測定により,この分業は、大中小の3型の職蟻(ワーカー)によるものであることを発見し、この多型は各個体の発生ステージに依存することを示した。採餌は夕方から翌朝まで行われるが、カストによって、巣から出る時間や巣に戻る時間が異なる、つまり時間的にもカスト間の分業体制が敷かれていることも明らかとなった。また、多くのシロアリの食物である木材は栄養源となる窒素化合物が非常に乏しく、腸内に窒素固定細菌を保持したり、共生菌類を巣内に栽培するなど様々な方法で窒素分の獲得を行っている。Hospitalitermes属はシロアリの餌としては特殊である地衣類を摂取しているが、餌の窒素含有量は木材と比べて約10〜20倍も高いことから、open-air foragingは栄養生態学的にも非常に適応的であると考えられた。 さらに、採餌に参加する兵隊(ソルジャー)および3型のワーカーが発生学段階の上でどの様な関係にあるのかは未知であったため、解剖学的手法から不妊カストの雌雄判別を行い、また体サイズの詳細な測定を行い、不妊カストの分化経路を明らかにした。その結果、小ワーカーは雄であり、前兵蟻(プレソルジャー)を経て兵隊(ソルジャー)に分化すること、中ワーカーは雌であり、更に大ワーカーへと脱皮することを明らかにした。また、両性ともワーカーになる以前に2齢の幼虫を経ることが明らかとなった。本種の分化経路は、既に研究されている近縁なNasutitermes属のものと類似していたが、本種では個体発生と仕事分配の関係を重ね合わせて考えることが可能となり、これによって、H.medioflavusでは採餌における分業体制は不妊カストの齢と性によって決定されていることが明らかにされた。本研究は、シロアリにおける分業とカスト分化経路の関係を示した最初の例となったが、この分業体制は、シロアリが不完全変態で不妊カストに両性がいるという、膜翅目昆虫にはない特徴を発揮することによって実現されたものであると言える。 今回明らかになった不妊カスト分化の過程で、最も際だった形態変化を起こすのが、小ワーカーから前兵蟻(プレソルジャー)への脱皮の時である。本種の兵蟻(ソルジャー)はnasus(長鼻額腺)という器官を頭部前方に持っており、そこからテルペン系の物質を放出することで防衛を行っている。脱皮直前の小ワーカー個体の頭部前方のクチクラ下を観察すると、そこには同心円上の構造体が形成されていることが発見された。これは、完全変態昆虫で知られる成虫原基の構造に非常に似ており、組織学的な観察からも細胞層が折り畳まれた構造になっていた。この構造は、小ワーカーへと分化する雄の2齢幼虫や、コロニーの仕事を行っている機能的な小ワーカーでは、まだ構築されておらず、脱皮直前の一定期間の間に上皮細胞から分化することが示唆された。私はこの構造をsoldier-nasus disc(兵隊-長鼻額腺原基)と名付けたが、これがもし成虫原基などと同様の器官だとすると、成虫原基で知られているような形態形成因子が発現されている可能性が考えられている。これを手がかりにして、カスト分化に関わる特異的な形態形成の研究から、社会性に直接関わる分子機構への理解が得られるかもしれない。 第2部オオシロアリHodotermopsis japonicaにおけるカスト分化と遺伝子発現 社会性昆虫は、形態や行動の異なる個体(カスト)を保有していて、全てのカストは遺伝的には同一で、発生(後胚発生)の途上で受ける環境要因によって分化(カスト分化)すると考えられている。環境要因としては、個体間の相互作用が効いていると考えられ、フェロモンやホルモンの介在を示唆する研究例も多くある。しかし、その分化機構に関しては最近の研究はほとんどない。第2部では最近の技術を用いた実験系を構築し、カスト分化機構の解析を行った。 オオシロアリ(オオシロアリ科)は湿った腐朽木材の中に生息しているため飼育も容易で、また体サイズも大きいことからカスト分化の実験を行うのに比較的適している。本研究では、カスト分化研究の第一歩として、幼若ホルモン類似体(JHA)を用いた兵蟻誘導に関する先行研究をベースにし、兵隊分化に関する分子生物学的研究を進めた。JHA処理を擬職蟻(ワーカー)に施すと、25℃の条件下で2週間強で前兵蟻(プレソルジャー)に誘導されるが、最も効果のある処理期間を調べるため、処理時間を変えて実験を行った。10日から14日の処理時間が最も前兵蟻への誘導率が高く、それより短いと誘導率は落ち、長いと誘導までに時間がかかることが分かった。更に、2週間以上処理をしたものではJHA処理を停止すると前兵蟻への誘導率は上昇した。これらのことはから、約2週間で兵蟻分化へのスイッチが入り、スイッチングが起こると逆にJHAは分化に対して阻害的に働くことが示唆された。また、成熟兵蟻共存条件下でワーカーにJHA処理を行うと、誘導率の若干の減少が見られた。このことは、兵蟻自身が、他個体が兵蟻へ分化するのを抑制している可能性を示しており、コロニーにおけるカスト比調節の機構への示唆を与えた。 また、成熟した兵蟻で特異的に発現している遺伝子を同定するため、mRNAを逆転写し、それを鋳型としてランダムプライマーでPCRを行い、特異的なバンドを検出するdifferential display法を行った。いくつかの兵蟻特異的な遺伝子候補のバンドを切り出し配列を決定したところ、そのほとんどが新規の遺伝子であった。また、そのうち1つの候補ではnorthern hybridizationで兵蟻で非常に強く発現されており、約1kbのmRNAであることがわかった。興味深いことに、JHAで前兵蟻を誘導する過程ではほとんど発現しておらず、成熟し機能している兵蟻のみで発現されていた。次に遺伝子の全長を決定するため、RACE法を行い、703bpのcDNAの配列を得た。この配列は1つのopen reading flame(ORF)を持ち、新規の遺伝子をコードしていることが示唆された。さらに、in situ hybridizationにより、この遺伝子の発現部位を特定した結果、大顎の付け根に位置する大顎腺で強い発現が認められた。大顎腺は、アリやミツバチなどの社会性昆虫で研究がされており、フェロモン分泌腺であることが知られている。アリでは警告フェロモンを、ミツバチの女王では他個体を不妊化する女王物質を産生、分泌している。オオシロアリの各カストについての解剖学的・組織学的な観察により、擬職蟻から、前兵蟻、兵蟻に分化するに従い、大きく発達することが明らかとなった。また、兵隊の大顎腺のduct(管)にはタンパク質様の分泌物が蓄積されていた。得られた遺伝子のコードするタンパク質のアミノ酸配列のN末端側には疎水性のアミノ酸残基が集中して存在するシグナル・ペプチドがみられ、このタンパク質が分泌タンパク質である可能性が示された。兵蟻で特異的に発現されていることを考慮すると、このタンパク質の機能は、攻撃に関与する物質か、他個体に作用するフェロモン様の物質であることが示唆された。 本研究により、シロアリの社会行動を構築しているカスト間の分業とカスト分化の機構に関して、いくつかの新しい知見が得られ、これまで全く行われていなかった分子レベルでの分化機構を目指した研究も始められた。特に兵隊カストの分化に関してはコウグンシロアリ、オオシロアリにおいてそれぞれ異なるアプローチから、カスト特異的な遺伝子発現に関する非常に興味深い示唆が得られている。本研究では特に取り上げられなかったが、コロニーの統合やカスト分化に関して非常に重要な要因と考えられているのが、個体間の相互作用やフェロモンの問題がある。カスト分化フェロモンはその存在が示唆されながらもこれまでに同定されておらず、また、栄養交換などの個体間相互作用とカスト分化の関係も未知である。本研究で検出しているカスト特異的な遺伝子をマーカーとすれば、これらの要因を解明する糸口も得られると考えられる。今後はこれらの解析を更に追及すると共に、生態学的な現象にフィードバックした現象の解明を行い、新しい研究分野の開拓に貢献したいと考えている。 |