学位論文要旨



No 114148
著者(漢字) 木元,克典
著者(英字)
著者(カナ) キモト,カツノリ
標題(和) 底生有孔虫のCd/Ca比に基づいた後期更新世の西太平洋の深層水循環変動
標題(洋) Late Quaternary deepwater circulation in the western Pacific Ocean based on Cd/Ca in benthic foraminifera
報告番号 114148
報告番号 甲14148
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3637号
研究科 理学系研究科
専攻 地質学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 平,朝彦
 東京大学 教授 松本,良
 東京大学 助教授 多田,隆治
 東京大学 助教授 蒲生,俊敬
 東京大学 助教授 徳山,英一
内容要旨 <はじめに>

 第四紀における周期的な環境変動の要因には,海洋の循環を形成している深層水の挙動の変化が大きな役割を果たしていると考えられている.現在における深層水の循環は北西大西洋で貧栄養かつ高酸素濃度表層水が沈み込みを開始し,南極周辺で再冷却を受け,最終的に北太平洋でもっとも高栄養・貧酸素の深層水となるが,氷期にはこの循環形態が異なっていた可能性が示唆されている.氷期の大西洋では北大西洋深層水(NADW)の形成が完全に止まったかまたは弱くなったことにより,南極周辺海域で形成された栄養塩に富む周南極深層水(CPDW)および南極底層水(AABW)が大西洋に流入していたことが判明している.しかしながら,氷期における太平洋の深層水循環についてはほとんど解明されていない.この問題を明らかにするため,本研究では,底生有孔虫の殻に含まれる微量金属元素であるカドミウム(Cd)に注目した.Cdは,その含有量が海洋の主要な生物制限元素であるリン(P)濃度ときわめて良い相関関係にある(Bruland,1980;Boyle,1988)ため,海水中のCdから栄養塩としてのリン酸濃度を復元することが可能である.一方,底生有孔虫は海水の中に含まれるCdをある一定の割合で取り込む.したがって,地質時代をとおして産出する底生有孔虫の殻の中に含まれるCdを定量することができれば,過去の栄養塩濃度を復元することが可能となる.本研究では,西太平洋において採取された保存の良い石灰質堆積物の中に含有される底生有孔虫の殻のCdを測定し,栄養塩濃度を推定すること,さらに南北トランセクトの栄養塩濃度の復元より,過去の太平洋深層水循環像を明らかにすることを目的としている.

<試料と分析方法>

 使用したサンプルは,90年度から98年度において,東京大学海洋研究所白鳳丸および淡青丸航海,工業技術院地質調査所白嶺丸航海によって西太平洋および南大洋の各海域より計21地点で採取された.堆積物は63m以上の篩いで水洗し,150m以上の底生有孔虫をCd/Ca分析に用いた.分析に使用した種は,汎世界的に分布し,海底面に生息しているといわれるCibicidoides wuellerstorfiを主に用い,この種が産出しない海域では近縁種のC.kullenbergiを用いた.有孔虫殻の正確なCdの定量を行うため,有孔虫殻の化学処理はすべて,クラス100のクリーンベンチ内で行った.試薬は市販の超高純度試薬を使用し,希釈および有孔虫洗浄に使用した水は,Mill-Q水(18.0M)をクリーンベンチ内においてサブボイリングした超純水を使用した.本研究ではBoyle(1997,私信)に従い有孔虫殻の化学洗浄を行い,金属酸化物や有機物,粘土鉱物粒子を除去した.化学洗浄を終えた有孔虫殻の破片は,最終的に0.25mol/l,200lのHNO3で完全に溶解したあと,分析に供した.

 Cdの定量にはフレームレス原子吸光分析計を用い,Caの定量にはICP発光分析計を用いて測定を行った.

<過去15万年間におけるCd/Ca比変動>

 各コアに関して過去15万年間に対してCd/Ca比を測定した.それによると,本研究で使用したコアのCd/Ca比パターンは表1の2種類に大別できる.これは深層水の化学的性質が気候変動とともに変化してきたことを示している.

図表
<海水中のCd濃度(CdW)変化>

 底生有孔虫の海水からのCdの取り込み比(分配係数)は水深に依存して高くなる傾向を持つ(Boyle,1988;1992)ため,海水中のCd濃度(以下CdW,nM/kg)に換算して比較を行った.南大洋を含む西太平洋21海域から得られた表層堆積物のCd/Ca比と,GEOSECS stationのPO4濃度より算出されるCdW値を用いて,Boyle(1988)によって定義された以下の式に従って分配係数(以下D(Cd))を算出した.Ca濃度は全海洋で一定とし,その濃度は10mmol/kgとした.

 

 本研究で算出したD(Cd)は深度依存性が強く認められるが,水深3000m以深でやや減少傾向を示した.上記の結果を用い,それぞれのコアについてCdWに換算し,比較を行った.現在と最終氷期(LGM)とを比較すると,北西太平洋のCdW値はLGMに0.56-0.70nmol/kgである.これは現在の値よりも約20%低い値である.これは北西太平洋に,より栄養塩に乏しい海水の影響があったことを示していると考えられる.北西太平洋のCdW値は,オホーツク海より得られたRAMA44コアのCdW値(Boyle,1992)に近似していることより,氷期には北太平洋において現在とは異なった,新しい海水を作り出す循環セルの存在を示唆している.また氷期に低いCdW値をもつ傾向を示すのは,南緯15°の北フィジー海盆にまでみられるため,この海水の影響が南半球まで達していた可能性を指摘することができる.また西赤道太平洋の最終氷期のCdW値は,水深3000mよりも浅い水深で0.93-1.05nmol/kgであるが,それよりも深い水深では北西太平洋と同様に低い値(0.50nmol/kg)を示すことが明らかになった.これは最終氷期には西赤道太平洋において深層より中層で栄養塩濃度が高かったことを意味する.

 一方,南大洋のコアのCdW値は,LGMで約0.85nmol/kgを示し,現在のCdW値である0.6nmol/kgの約30%高い.従って,氷期に南大洋タスマン海台に到達していた深層水は,現在のCPDWよりも栄養塩に富んだ海水であった可能性を示唆している.

図1 南大洋および西大平洋の過去15万年間のCdW値
<底生有孔虫の炭素同位体比との比較>

 底生有孔虫の炭素同位体比は,深層水循環を知るための重要なトレーサーである.しかしながら西太平洋および南大洋では,Cd/Ca比と炭素同位体比がそれぞれ異なった結果を与えていることが知られている(たとえばBoyle,1992;Charles and Fairbanks,1990).この原因についてはいくつかの仮説が与えられているが,そのひとつに北太平洋起源の深層水形成による影響の可能性があげられる(Broecker,1993).本研究の底生有孔虫の炭素同位体比は,いずれも汎世界的な炭素同位体比のカーブと対比できる変動パターンであるが,本研究でもっとも北に位置しているシャツキー海台の炭素同位体比のみ,最終氷期から現在にかけて値がほとんど変化しない特徴を示した.これは最近Keigwin(1998)によって示されたオホーツク海における水深2000m以浅の炭素同位体曲線の特徴と一致している.もし得られた結果が正しいとすると,シャツキー海台の水深3100mに見られる炭素同位体比は,氷期における活発な鉛直混合もしくは北太平洋中層水の拡大を示している可能性が高い.一方,南大洋タスマン海台の炭素同位体比は過去15万年間を通して,典型的なCPDWの値よりも重い値をとり,むしろ西太平洋の炭素同位体比の値に近い.したがって,南大洋タスマン海台はCPDWだけでなく太平洋深層水の影響を強く受けていた可能性が示唆される.

<炭酸塩溶解と深層水循環>

 海水が栄養塩濃度に富んだ場合,生物分解によって生じた過剰の二酸化炭素は海水中の炭酸イオンと結びつき,炭酸水素イオンを形成するため海水中の炭酸イオンは減少する方向にはたらく.したがって,高い栄養塩濃度を有する海底の炭酸塩堆積物は溶解し,逆に低い栄養塩濃度であれば保存はよいと考えられる.この論理を前提に,全ピストンコア試料に含まれる石灰質浮遊性微化石の完全個体の相対頻度を用いて,炭酸塩の溶解の度合いを見積もった.それによると,最終氷期に高いCdW濃度を示した西赤道太平洋では,同時期に炭酸塩溶解も進行していることが明らかになった.西赤道太平洋は氷期に生物生産量が増大していることが知られており(Kawahata,1992など),氷期の高いCdW値はこの海域の生産性を反映した結果である可能性が考えられる.逆に,氷期に比較的新しい海水の影響を受けていると考えられる3000m以深のコアについては,氷期の炭酸塩溶解の度合いは比較的よく,間氷期には溶解が進行していることが明らかになった.このパターンは太平洋の典型的な炭酸塩の溶解パターンと一致する.すなわち太平洋における間氷期の強い溶解は,現在のような深層水循環により,栄養塩に富んだ古い海水が流入してきていたと考えられ,氷期には北太平洋に起源を持つ新しい深層水が西太平洋を満たしていたため,氷期の保存が比較的良かったと解釈できる.

<過去15万年間における西太平洋の深層水循環の復元>

 底生有孔虫の殻の中に含まれるCd/Ca比,炭素同位体比および堆積物の炭酸塩溶解の度合いより,氷期における西太平洋および南大洋の深層水循環は,現在の海洋循環パターンとは異なっていたことが明らかになった.氷期には,西太平洋の水深3000m以深において現在の栄養塩濃度より約30%減少しており,北太平洋を起源とする栄養塩に乏しい深層水,北太平洋深層水(NPDW)が形成されていたことが示唆された.またこの深層水は赤道を越えて南半球の北フィジー海盆にまでその影響が観察されることから,この海域までNPDWが到達していた可能性が高い.一方,西赤道太平洋の水深3000m以浅の栄養塩濃度は,現在よりも約20%増加していた.さらに現在CPDWの影響下にある南大洋タスマン海台は,最終氷期に高いCdW濃度を記録していることから,この海域は氷期にCPDWの影響を受けていなかったか,またはCPDWの勢力が減少したことを意味していると考えられる.

 以上の総合的な結果は,これまで知られていなかった過去15万年間の太平洋深層水循環を南北トランセクトでこれまでになく明瞭に復元した.

審査要旨

 本論文は底生有孔虫の微量化学成分の分析から、過去の海洋深層環境の復元を目指したものである。

 本論文は、全3章からなる。まず、第1章では、問題の背景と研究の目的が述べられている。第四紀の環境変動の本質を理解するために、海洋における深層水の循環様式の解明がクリティカルであること、そして大西洋と太平洋では循環様式が異なる可能性が指摘できることを指摘している。また太平洋では炭酸塩堆積物の分布が限られているために注意深い解析が必要であることが述べれている。本章は現在まで蓄積された知識と問題点を要領良くまとめており、研究全体の背景が理解できる。

 第2章は本論文の中核をなす部分であり、海底堆積物柱状試料に含まれる底生有孔虫のCd/Caから過去の太平洋深層循環を復元しようとする試みである。まず、ボイルらによって開発されてきたCd/Ca手法のレビューを行なった。そして原子吸光法によるCdの測定について新しい手法の開発を行なった。これについては十分評価できる。提出者はCd/Caの海水から有孔虫への分配係数が深度3000mほどで関係式が変化することも見いだした。これについての理由は解明できなかったが、Cd/Caから海水のCd濃度を推定する場合に十分に注意が必要であることを提出者は示している。

 Cd/Caの結果から北太平洋と南大洋で異なったパターンを見いだし、北太平洋では、氷期にCd/Caが小さくなることを発見した。氷期の小さい値は赤道付近まで追跡できることを示した。一方、南大洋では、Cd/Caは氷期に増える傾向を発見した。これらの結果から、現在の大西洋からの深層水の循環様式は氷期には別な様式、すなわち北太平洋での新たな深層水の形成と南氷洋からの深層水循環の停滞が起こったことを示した。北太平洋での深層水の形成は、今まで可能性が指摘されてきたが、今回、初めてCd/Caおよび炭素同位体比の測定によるしっかりした証拠を得ることができた。本研究は氷期での深層水の循環とさらに大気二酸化炭素変動に大きな示唆を与えるものであり、大きな貢献と言える。提出者の実験の進め方、論議の展開も適切である。

 第3章では、以上の結果をさらにチェックするために氷期-間氷期サイクルにおける西太平洋の炭酸塩溶解度の変動を解析している。おおむね氷期には炭酸塩の溶解がすくなるなる傾向が示され、これは氷期における北太平洋深層水の形成を支持する結果となっている。

 本論文は、北太平洋における深層水形成を証拠だてたものであり、実験、論証ともに適切であり、第四紀の環境変動への貢献が大きい。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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