学位論文要旨



No 114151
著者(漢字) 西尾,嘉朗
著者(英字)
著者(カナ) ニシオ,ヨシロウ
標題(和) 海洋底玄武岩中の炭素,窒素,ヘリウム,アルゴン同位体比 : マントルの炭素循環の解明にむけて
標題(洋) Isotopic systematics of carbon,nitrogen,helium and argon in abyssal basalt glasses : implications for carbon recycling
報告番号 114151
報告番号 甲14151
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3640号
研究科 理学系研究科
専攻 地質学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 佐々木,晶
 東京大学 教授 兼岡,一郎
 東京大学 教授 杉浦,直治
 東京大学 助教授 中井,俊一
 東京大学 助教授 岩森,光
内容要旨

 炭素は温室効果ガスの1つであり、炭素の地球内部における循環を明らかにすることは地球表層の環境変動を理解する上でも重要である。現在の地球内部からの炭素のフラックスは莫大で、このフラックスなら地球史45億年以下で十分に現在の地球表層の炭素を供給することができる。このような点から、炭素に関しては地球史を通して連続的に脱ガスしてきたことを主張する研究者もいる。しかし、アルゴンやゼノンといった希ガスのデータは、地球形成初期のカタストロフィックな脱ガスが起こったことを示唆しており、ここで炭素だけが異なる脱ガス史をとったとは考えにくい。また、多くの研究者は堆積物などの形で固定された炭素がプレートの沈み込みに伴って地球内部に再注入している可能性を指摘している。しかし、実際に海洋底玄武岩などのマントル物質の中の再循環炭素を同定して、炭素循環を解明できた研究報告はこれまでなかった。なぜならこれまでの研究は炭素含有量や炭素同位体比といった炭素の情報のみに注目してきたからである。確かに炭素含有量や炭素同位体比といったデータは炭素循環を理解する上で重要ではある。しかし炭素は揮発性元素であるので脱ガスや地表付近での汚染の影響を非常に受けやすく、地表で得られたサンプルの炭素の情報は様々な要因で攪乱されている可能性を持つ。さらに、沈み込み炭素の有力な2つの候補である炭酸塩炭素と有機炭素を混合させると見かけ上マントルの炭素同位体比を作ることが可能であるため、炭素同位体比のみを用いて再循環炭素とマントル炭素を簡単に区別することはできない。本研究では炭素循環を理解するために、マントル物質である海洋底玄武岩の炭素、窒素、ヘリウム、アルゴンといった揮発性元素の同位体比、及びこれらの元素比を1つの試料から測定可能な装置を開発した(ヘリウム同位体比を除く)。さらに炭素循環の解明に重要な情報として、試料のマトリックスを構成している難揮発性元素の主成分元素及び希土類元素といった微量元素濃度を分析した。このように1つ試料からこれだけのデータを用いて炭素循環の解明を試みた研究はこれまでなかった。特にこれらの測定元素の中でも、窒素はその含有量の低さと大気などから汚染の受けやすさから、海洋底玄武岩のようなマントル物質中の窒素同位体比の報告はこれまでほとんどなかった。一般に多量の窒素ガスは汎用の動作動型の質量分析計で分析することが可能であるが、海洋底玄武岩のようなマントル物質の同位体分析にはサブナノモルといった極微量の窒素で同位体分析する必要がある。近年、超高真空ラインと希ガス同位体比分析に使用される静作動型の磁場型質量分析計を用いて極微量窒素を高精度に測定する技術が開発され、この装置を用いてマントル物質の窒素同位体比を測定した結果も報告されてきている。しかし特に背弧海盆玄武岩などの海洋底玄武岩の窒素同位体比はまだ詳細に報告されておらず、沈み込み帯での窒素の挙動はよくわかっていなかった。窒素は炭素同様に海洋堆積物に多く含まれることから、炭素循環を理解する上で窒素同位体比は重要なサブデータとして期待される。

 海洋底玄武岩試料からの揮発性元素の抽出法として、今回採用した真空下で試料をボールミルで粉砕することで気泡中のガスを抽出するクラッシング法は、特に汚染の影響をうけやすい窒素などの揮発性元素にとって汚染の少ない状態で抽出できる方法であることが指摘されている。本研究ではこのクラッシング法と揮発性元素の同時測定技術を用いて、中央海嶺玄武岩(MORB)や背弧海盆玄武岩(BABB)を測定した。

 中央海嶺玄武岩(MORB)は上部マントルの情報をもたらす有力な試料であり、これまでにも元素ごとではあるが揮発性元素のデータはかなり詳細に報告されいた。しかし、これまで報告されていたMORBは北大西洋や東太平洋といった北半球から採取された試料がほとんどで、インド洋など南半球のMORBの揮発性元素のデータはまれであった。そこで本研究では、インド洋ロドリゲス3重会合点で採取されたMORBを分析したところ、炭素、窒素、ヘリウム、アルゴンの同位体比にはこれまで報告されていたMORBの値と大きな違いは観察されなかったが、幾つかの元素比に明らかな違いを観察した。これまでMORBのN2/Ar、C/N、CO2/3He比は北大西洋や東太平洋MORBの研究から80、>200、(1.5±0.5)x109程度である信じられてきたが、今回のインド洋中央海嶺玄武岩の値はそれぞれ150、〜26、1.2x108とこれまでの報告と明らかに異なる値で測定された。今回測定したインド洋中央海嶺玄武岩は液相濃集元素に乏しい典型的なN-MORBであり、これまで報告されていたMORBと化学組成が違っているわけではない。また、同時に測定した4He/40Ar比やアルゴン同位体比は、これらの元素比の違いが脱ガスや大気成分の汚染によるものでないことを示しており、インド洋と北大西洋-東太平洋MORBのこれらの元素比の違いは、これらの元素比のマントルの不均質に由来するはずである。インド洋MORBのC/N、CO2/3He比は、これまで報告されていた北大西洋-東太平洋MORBに比べてより初生的なマントル炭素の(再循環炭素の汚染の影響が少ない)値であった。簡単なマスバランスの計算から、これまで報告されていた北大西洋-東太平洋MORB中の炭素のかなり(65〜95%)が沈み込んだ海洋堆積物起源であることが導き出される。このことは炭素も希ガス同様に地球形成初期にカタストロフィックな脱ガスを経験したが、海洋堆積物など形で固定された炭素が効率良く地球内部に再注入された結果、現在のマントルにはカタストロフィックな脱ガスから推定される炭素量より過剰な量の炭素が存在していることを指示する。

 本研究では沈み込み帯の試料として背弧海盆玄武岩の分析も行った。その分析結果の中でNorth Fiji Basin(NFB)の中央拡大軸で噴出している新鮮な玄武岩ガラスの気泡中のCO2/3He比と13C値が、ガラスのK2O濃度と相関を示すことを明らかにした。K2O濃度が増加するにしたがってCO2/3He比は増加し、13C値は減少している。NFBのK2O濃度の変化は、これまでのSr-Nd同位体比の研究からマントル成分ともう一方の成分の2成分混合の結果であるので、同様にNFBで観察されるCO2/3He比と13C値の大きな変動も2成分混合の結果によるはずである。成分のうち1つは、低いK2O濃度、低いCO2/3He比、高い13C値を持つNFBのウエッジマントルに由来する成分であり、もう1つは高いK2O濃度、高いCO2/3He比、低い13C値を持つ沈み込み起源の成分である。これらのデータを用いた簡単なマスバランスの計算は、この地域での沈み込み炭素のうち70%が炭酸塩起源であり、残りの30%が有機物起源の炭素であることを指示する。もしNFBに付随する海溝を通して沈み込んだ有機物が沈み込む過程で完全に分解されたと仮定するなら、本地域で現在沈み込んでいる海洋堆積物中の炭酸塩炭素と有機炭素の比が20:1であることから、沈み込んだ炭酸塩の90%以上は分解されずにそのまま再びマントル内に沈み込んでいってる可能性が示唆される。これまで高温高圧実験より沈み込んだ炭酸塩は分解されずに沈み込んでいく可能性が指摘されていたが、本研究の結果もその可能性を支持する。

 一方、背弧海盆玄武岩を窒素同位体比の結果は複雑で、統一的にこれまで理解されている端成分の混合のみで解釈することは不可能である。特に脱水反応に起因して運ばれた窒素はMORBなどの上部マントルより低い15N値を示し、簡単に考えれらる-3‰程度のマントル窒素と+7‰程度の沈み込み窒素の混合モデルでは単純に説明できない。ただし、背弧海盆玄武岩の中でも不適合元素に乏しく通常のN-MORBと非常に良く似た組成を持つN-MORB的な背弧海盆玄武岩は正の15N値を持ち、負の15N値をもつ本来のN-MORBに比べて明らかに高い。15N値とN2/36Ar比を用いた簡単なマスバランスの計算から、背弧海盆のウエッジマントルの窒素は上部マントルの窒素と再循環窒素がほぼ同量で含まれてることが明らかになった。しかし、この再循環窒素は直接プレートと沈み込んだ窒素がスラブからの脱水に付随して運ばれものではなく、一度マントル内に注入された再循環窒素がプリュームと共に上昇してものであることが推測される。

審査要旨

 本論文「Isotopic systematics of carbon,nitrogen,helium,and argon in abyssal basalt glasses:implications for carbon recycling(海洋底玄武岩中の炭素、窒素、ヘリウム、アルゴン同位体比〜マントルの炭素循環の解明に向けて)」は、海洋底玄武岩試料の多元素の成分・同位体分析を通じて、沈み込み帯における炭素循環さらには、マントルへの炭素の取り込みを定量的に議論した論文である。

 これまでの研究では、炭素の量、同位体比だけを取り上げていたため、炭酸塩に含まれる炭素と有機炭素を区別することはできなかった。本研究では、炭素の他に、窒素、ヘリウム、アルゴンなどの揮発性元素の同位体比を1つの試料から測定するシステムを開発して測定するとともに、試料の主成分元素、希土類元素の分析も行った。この結果、大気の汚染や脱ガスによる質量分別作用の効果を除くことが可能となり、炭素の起源を定量的に議論できるようになった。

 中央海嶺玄武岩の分析では、インド洋のサンプルのC/N、C/3Heが他の地域の値と比べるとマントルの初生的な値を示すことを明らかにした。これにより、逆に北大西洋や東太平洋の中央海嶺玄武岩中の炭素の65-95%が沈み込んだ海洋堆積物起源であることを明らかにした。この結果は、これまで微量元素の同位体から推測されていた、南半球の方が沈み込んだ物質が再循環しているという主張とは異なるものである。しかし、炭素そのものを用いた議論はこれまで無く、マントルの物質循環の問題に対して、大きな転回を迫ることになる、結果を得たといえる。

 背弧海盆玄武岩の分析からは、沈み込み炭素の30%が有機物起源であることを明らかにした。もともと沈み込む有機物の割合が5%程度であることを考えると、沈み込み炭素の主体である炭酸塩炭素の大部分は、マントル内に取り込まれたと考えられる。これは、マントル内部へ取り込まれた炭素を定量的に議論できた貴重な新しい情報である。また、窒素同位体の研究からは、上部マントルの窒素と沈み込みで循環した窒素がほぼ同じ寄与をしていることを明らかにした。これも新しい結果である。

 本研究の過程で、論文提出者自身が、岩石中の極微量の窒素の同位体を測定できる、静作動型の磁場型質量分析計を用いたシステムの製作に携わり、日本国内では唯一、世界的なレベルの分析精度を実現した。分析誤差は15N値で0.5‰以下である。また、クラッシング法により岩石の気泡中のガスを抽出するシステムも論文提出者自身が製作した。これも、論文を高く評価できる要素である。

 本論文のうち、背弧海盆の炭素循環の研究(Earth and Planetary Science Letters誌に掲載済)は佐々木晶、蒲生俊敬、比屋根肇、佐野有司との共同研究であるが、論文提出者がほぼ全てにわたり分析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

UTokyo Repositoryリンク