学位論文要旨



No 114152
著者(漢字) 三戸,太郎
著者(英字)
著者(カナ) ミト,タロウ
標題(和) 棘皮動物Hox遺伝子の構造と発現 : ボディプラン進化への分子発生学的アプローチ
標題(洋) Cluster organization and spatial expression of echinoderm Hox genes : a perspective on body plan evolution
報告番号 114152
報告番号 甲14152
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3641号
研究科 理学系研究科
専攻 地質学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 大路,樹生
 東京大学 教授 棚部,一成
 東京大学 助教授 渡邉,俊樹
 東京大学 教授 雨宮,昭南
 富山大学 教授 小松,美英子
内容要旨

 カンブリア紀初頭に,多細胞動物の大規模な放散,いわゆるカンブリア大爆発が生じたことが古生物学的データにより示されている。このような動物の基本的な体のつくり(ボディプラン)の多様化の背景には,個々の動物種のレベルでみれば,当然それに対応した発生プログラムの改変があったはずである。そのような観点から,多様なボディプラン成立の謎を分子発生学的手法によって解き明かそうとするアプローチに,近年注目が集まっている。

 棘皮動物は後口動物の一門をなし我々脊椎動物を含む脊索動物の起源を考える上でも系統上重要な位置にある。本研究では,棘皮動物のボディプラン進化を遺伝子レベルで理解することを目指し,Hox遺伝子に着目した。Hox遺伝子群は体の前後軸に沿ったパターン形成をつかさどっており,後生動物間で基本的に共通するシステムを構成していることが知られている。この遺伝子群は染色体上でクラスター構造をなしており,その発現パターンとクラスターにおける遺伝子の順序との間に一般に相関が見られる(共線形性collinearity)。五放射状の特異なボディプランを有する棘皮動物でもやはりHox遺伝子は保存されていることが示されている。まず手がかりとしてこのような基本的なシステムを詳しくしらべることで,そこを起点としてボディプランの違いが生み出される仕組みに迫ることが可能になると考えられる。そこで本研究では,(1)Hox遺伝子探索とそれに基づくクラスター構造の推定,そして(2)遺伝子の発現パターンの解析を行った。

(1)PCRを用いた棘皮動物Hox遺伝子の探索

 一般にHoxクラスターは構成遺伝子の発現領域に基づき便宜的に前方(anterior;3’末端側),中間(medial),後方(posterior;5’末端側)の3つの領域に分けられる(図1参照)。かつてウニで行われたスクリーニングで前方領域に含まれる遺伝子が検出されなかったことから,体のより頭部側で働くこれらの遺伝子の欠如と,頭部構造を欠く棘皮動物のボディプランの特徴との関連の可能性が指摘されていた。ところが私が以前に行ったヒトデのHox遺伝子探索によって世界で初めてクラスターの最前端(3’末端側)のグループ,PG(パラロガスグループ)1に対応する遺伝子(AM-1)の存在が確認され,棘皮動物のクラスターは,それまで考えられていたよりも一般的なものに近い遺伝子構成を保っていることが示唆された。しかし棘皮動物のHoxクラスターの構成遺伝子についての情報は未だ不完全であった。

 本研究では,現生の棘皮動物の中で最も原始的な体制を保持しているとされるウミユリ類に属する,ニッポンウミシダ(Oxycomanthus japonica)を材料とし,Hox遺伝子の探索とクラスター構造の推定を行った。また,クモヒトデの1種(Stegophiura sladeni)についても同様の探索を行い,その結果も合わせて考察した。

 まず,核DNAからHox遺伝子のホメオボックス領域の一部をPCR法により増幅し,クローン化して塩基配列を決定した。次にこれらの配列と他の動物群も含めた既知のホメオボックス配列との関係を,データベース検索や近隣結合法,最尤法による解析をもとに推定し,ウミシダ,クモヒトデの遺伝子のHoxクラスター上での位置を推定した。そして,以下のような結果を得た。

 (1)ウミシダで11種類,クモヒトデについては9種類のHox遺伝子の存在が確認された。

 (2)それぞれにつき,クラスターの数は,他の調べられている綱(ウニ,ヒトデ)と同じく,ただ1つであることが推定された(図1)。

 (3)ウミシダでは,前方領域に属するPG1,PG2,PG3の全てに対応するものが確認された。棘皮動物の単一の種から前方領域の遺伝子が全て検出されたのは本研究が最初である。

 (4)クラスターの後方領域の遺伝子が従来知られていたよりも多数存在することを示す証拠が得られた。ウミシダからはクラスター後方領域に位置すると思われる遺伝子断片が4種類検出された。その内3つはウニで報告されているもの(Hbox4,Hbox7,Hbox10)に対応し,1つはヒトデで検出されたもの(AM-9)と顕著な相同性が見られた。一方クモヒトデの後方遺伝子については,他の綱のものと対応のつかないもの2種類を含む6種類が検出された。

 これらの結果から棘皮動物の共通祖先の段階に存在したHox遺伝子を推定することが可能となった(図1)。棘皮動物の系統でも,左右相称動物と基本的に同様な1つのクラスターが保持されてきたことが強く示唆される。また,かつて予想されたような,そのボディプラン成立と関わり得るような前方領域の遺伝子の欠失は起こらなかったことが示された。後方領域には少なくとも4種類の遺伝子が存在していたと考えられる。後口動物のHoxクラスターの特徴として後方の遺伝子の重複とアミノ酸配列の大きな変化が知られている。棘皮動物のクラスターも他の後口動物と同様な後方遺伝子の特徴を有していると考えられる。

 このようなことから棘皮動物独自のボディプラン形成にはHoxクラスターの構成要素の数の変化より,むしろHox遺伝子の上下の遺伝子カスケードにおける変化が重要であった可能性が高いといえる。今後各遺伝子の発現パターンの研究が重要な指標となると考えられる。一方で,クモヒトデの結果は棘皮動物の綱のレベルで比較してもクラスター後方の遺伝子が多様化していることが示唆された。このことは棘皮動物間の形態の違いに影響を与えている可能性もあり,今後,各綱のクラスター構造をさらに詳細に調べることで重要な知見が得られることが期待される。

(2)ヒトデのHox遺伝子(AM-1)の発現パターンの解析

 クラスターの前方領域の遺伝子群は,脊椎動物や節足動物では頭部構造の形成に関与しており,これら左右相称動物と棘皮動物の間の体制の違いが生み出される機構を明らかにする上で特に重要な意味を持つと考えられる。PCR法による探索でその存在が明らかとなったヒトデのHox遺伝子AM-1はクラスター最前端(3’末端側)に位置すると考えられる。この遺伝子の発生過程における発現パターンをチビイトマキヒトデ(Asterina minor)を材料として調べた。

 特異性の高いプローブの作製のためにホメオボックスの外側の配列を得る必要があり,まず幼生の全RNAをもとに合成したcDNAを鋳型としてPCR(3’RACE)を行った。プライマーは,PCR探索で決定された配列をもとに設計した。その結果,ブラキオラリア期後期から変態初期までの幼生より得たcDNAサンプルからAM-1の3’末端側の領域が増幅された。ホメオボックス領域の配列はマウスやショウジョウバエなどのPG1の遺伝子と極めて高い類似性を示す。ホメオボックスの外側の配列に相補的なDIG(digoxigenin)標識プローブを合成し,幼生のホールマウント標本を用いたin situハイブリダイゼーション法によりmRNAを検出した。

 孵化後4-5時間後の幼生の体の後部(盤:将来成体の体の主要な部分が形成される場)に最初のシグナルが検出された。盤での発現はその後変態期を通じて維持された。一方,孵化後約15時間後の幼生で前体腔に発現が確認された。この前体腔での発現のシグナルは,その後変態期に入ると前体腔の先端部付近(ブラキオラリア腕先端付近)に明瞭な局在を示した(図2)。ハイブリダイズ後の標本の切片を作製したところ,発現部位は体腔上皮に限定されていることが確かめられた。盤における発現部位は左右の後体腔と水腔葉の上皮であることがわかった。変態後期から幼若個体にかけて,ブラキオラリア腕の吸収に伴って前体腔でのシグナルは消失し,後体腔における発現は弱まりながらも維持される。

 前体腔の狭い領域に限定された発現パターンは左右相称動物のPG1遺伝子の発現の特徴に対応する。したがって成体の軸性とは異なるにも関わらず,幼生の前後軸に沿って,Hoxシステムが共線形的に働いていることを示唆する。しかし脊索動物では,外胚葉で発現がみられ神経系の分化に重要な役割を担っているのに対し,ヒトデの幼生では発現部位が中胚葉に限定されている。棘皮動物では前後軸に沿った神経系が発達しないこと関係があると思われる。

 一方,盤における発現は棘皮動物に特徴的とみらる。このことはHox遺伝子の発現調節機構の一部に重大な改変が起こっていることを示しており,棘皮動物の形態を特徴づける一因となっていると考えられる。体腔上皮は神経細胞や分泌細胞など様々な種類の細胞を生み出すことから,特定の細胞への分化と関わっていることも考えられる。

 棘皮動物の成体の5本の各腕に沿った軸が他の動物の前後軸に対応するという仮説が出されており,盤におけるHox遺伝子発現はそれを検証するための有効な指標となると考えられる。しかし,AM-1遺伝子の盤のおける発現からは,前体腔でみられた様なPG1遺伝子に特徴的な発現部位の局在は確認できず,腕に沿ったHox遺伝子群の共線形的な発現の有無については不明である。今後,他の遺伝子の発現パターンと合わせて慎重に検討する必要がある。

 このように本論文では,棘皮動物のHox遺伝子クラスターは,予想以上に構造と遺伝子発現パターンの特徴が保存されていることを示した。このことは変態期の大幅な軸性の転換という現象にも関わらず,棘皮動物でもHoxシステムは幼生の前後軸に沿って,左右相称動物同様に機能していることを示唆する。一方,棘皮動物に特徴的な発現パターンが存在することも本研究で明らかにし,成体の特異なボディプラン形成との何らかの関係があることを指摘した。

(図1)推定される棘皮動物Hoxクラスターの遺伝子構成Crinoid:ウミユリ(ウミシダ),Ophiuroid:クモヒトデ(本研究)。Asteroid:ヒトデ(Mito and Endo,1997)。Echinoid:ウニ(Popodi et al.,1996をMartinezとDavidsonとの私信に基づき修正)。Archetypical cluster:棘皮動物の共通祖先のクラスター。右側が3’末端側。数字は脊椎動物のクラスターに基づくPG(パラロガスグループ),Hboxは棘皮動物内のグループの名称を示す。(図2)ヒトデ幼生におけるAM-1遺伝子の発現部位(変態期のブラキオラリア幼生)グレーの部分が発現のシグナルが観察された領域を示す。矢印は前体腔におけるシグナル局在部位を示す。
審査要旨

 無脊椎動物の門の一つである棘皮動物は,その成体が五放射相称の対称性を示し明確な頭部構造を持たないという,三胚葉動物としては非常に特異なボディプランを持つ.また,内骨格性の硬組織を持つため,カンブリア紀初期以来化石記録も豊富で,その化石には多くの解剖学的特徴(水管系,肛門など)の痕跡が残される.本論文は,このような背景の中で,棘皮動物におけるHox遺伝子(体の前後軸に沿ったパターン形成を司るマスター遺伝子)の構造と発現を解析し,得られた知見をもとに棘皮動物のボディプラン進化について論じた世界的にも先駆的な成果である.

 本論文では,(1)PCR法を用いたウミユリ類とクモヒトデ類のHox遺伝子の探索とクラスター構造の推定,(2)ヒトデ類におけるHox遺伝子(PG1遺伝子)の発現パターンの解析,という二つの研究課題についての研究結果をまとめ,さらに今後の研究の目指すべき方向性について論じている.

 まず,ウミユリ類とクモヒトデ類のHoxクラスターについて.従来の棘皮動物のHox遺伝子に関する研究は,申請者が修士課程で行ったヒトデ類の研究を除くと,ほとんどウニ類を中心に行われてきており,残りの現生3綱(ウミユリ類,クモヒトデ類,ナマコ類)に関する知見はほとんど報告がなかった.本研究では,ウミユリ類に属するOxycomanthus japonica(ニッポンウミシダ)およびクモヒトデ類のStegophiura sladeniの2種について,Hox遺伝子の一部領域の増幅と塩基配列の決定を行い,得られた配列と既知のHox遺伝子との関係を近隣結合法・最尤法を用いて推定し,それぞれの種についてクラスター構造の推定を行った.

 その結果,ウミシダにおいて,棘皮動物の単一の種からは初めて,Hoxクラスター前方領域の3つの遺伝子(PG1,PG2,PG3)に対応するもの全てを発見した.棘皮動物では,頭部構造を欠くその特異なボディプランに対応して前方領域の遺伝子が欠失していることがかつて予想されたが,今回の結果からその考えが否定された.さらに,後方領域の遺伝子が従来の予想よりも多数存在すること,特にクモヒトデにおいてその傾向が顕著であることから,他の後口動物のものと同様に,棘皮動物の後方領域遺伝子が基本的に重複して存在することを示すとともに,後方領域遺伝子の数の違いが棘皮動物の各綱の形態の多様性をもたらしている可能性を示した.また全般に,他の動物と比較して棘皮動物だけが共有するHoxクラスターの遺伝子構成上のユニークな特徴は特にないこと,したがって棘皮動物独自のボディプラン進化には,Hox遺伝子の上流または下流の遺伝子カスケードの変化が重要であった可能性が高いことが明らかにされた.

 次に,ヒトデ類におけるHox遺伝子(PG1遺伝子)の発現パターンについて.申請者は,ヒトデ類Asterina minor(チビイトマキヒトデ)の孵化から変態前後の幼生におけるHox PG1遺伝子(AM-1)の発現パターンの経時的変化をin situハイブリッド形成法により解析した.また,これに先立ち,AM-1遺伝子に特異的なプローブを作成するため,RACE法を用いて,AM-1遺伝子3’末端領域の塩基配列を決定した.

 解析の結果,Asterina minorのPG1(AM-1)遺伝子は,幼生体躯の前部(前体腔の先端部)と後部(後体腔および水腔葉)の2カ所で,いずれも体腔上皮(中胚葉)において発現することが明らかにされた.前端部における発現は,明瞭なシグナルの局在を示した.すなわち本研究により,棘皮動物においても,幼生の前後軸に沿って,他の動物と同様にHoxシステムが共線形的に働いている可能性が高いことが明らかにされた.一方,後部における発現は,他の動物には見られないものであり,またその発現部位が将来成体の主要な部分が形成される場であることから,それが棘皮動物の特異なボディプラン形成と関連している可能性があることを示した.

 申請者が本論文で示した実験結果とその解釈が,棘皮動物のボディプラン進化を理解する上での重要な貢献であることは疑いがない.また,本論文は,古生物学と分子発生学の境界領域という未開拓の分野における将来の方向性を示したと言える.よって,審査委員全員は申請者が博士(理学)の学位を受けるに十分な傑出した論文を提出したと判断した.

 なお,本論文は遠藤一佳との共同研究であるが,論文提出者が主体となって研究を進めたもので,論文提出者の寄与が十分であると判断する.

UTokyo Repositoryリンク