学位論文要旨



No 114158
著者(漢字) 山野,博哉
著者(英字)
著者(カナ) ヤマノ,ヒロヤ
標題(和) サンゴ礁礁原の堆積過程
標題(洋) Sedimentary process of coral reef flat
報告番号 114158
報告番号 甲14158
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3647号
研究科 理学系研究科
専攻 地理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 茅根,創
 東京大学 教授 米倉,伸之
 東京大学 教授 松本,良
 東京大学 教授 大森,博雄
 東京大学 教授 小池,勲夫
内容要旨

 サンゴ礁は生物によって地形が形成され、地形によって物理環境が規定され、さらに、物理環境が生物の分布に影響を与えるというように、地形-物理-生物が互いに密接に結びついた系である。したがって、これらを統合する学際的な研究が必要とされる。

 サンゴ礁は水深の小さい「礁原」と呼ばれる地形を形成する。礁原は、水深が小さいこと、陸域に接することが多いことから、海面上昇や人為的攪乱の影響を受けやすい。環境変動に対する礁原の応答を評価するためには、現在と過去からの堆積過程を理解することが不可欠である。礁原は、現地性の造礁サンゴにより形成された枠組み部分(礁舗・礁嶺・礁縁)と、生物遺骸片が堆積して形成されたバックリーフ地形(礁池・洲島)という二つの部分からなる。枠組みの形成に関しては知見が収集されているが、バックリーフの形成・堆積過程に関しては不明であった。本研究では、特にこのバックリーフ地形に着目し、異なる地形型・環境条件を持つ3つのサンゴ礁において、礁原の現在の堆積過程と、後期完新世における堆積過程を比較することにより、サンゴ礁礁原の堆積過程を明らかにした。さらに、礁原の堆積を規定する要因を抽出した。

 調査対象地域の特性は以下の通りである。

 川平:裾礁・モンスーン地域に位置する・後期完新世において海面低下あり

 パラオ:堡礁・モンスーン地域に位置する・後期完新世において海面低下なし

 グリーン島:台礁・貿易風帯に位置する・後期完新世において海面低下あり

 バックリーフは造礁生物の遺骸片から構成されるため、遺骸片の生産・運搬・堆積過程を理解することが必要である。造礁生物の分布と遺骸片の堆積環境は海水流動に大きく影響を受ける。したがって、本研究においては、第一に、観測に基づいて、卓越する海水流動を推定できるモデルを構築し、卓越パターンを抽出した。第二に、卓越する海水流動に規定された造礁生物分布を示した。第三に、造礁生物による炭酸カルシウムの生産とその運搬・堆積過程を示した。また、台風が造礁生物分布と運搬・堆積過程に与える影響を明らかにした。最後に、礁原でコアを掘削し、層相解析・年代測定をおこない、後期完新世における礁原の堆積過程を検討した。

(1)海水流動

 サンゴ礁内の海水流動は風・潮汐・礁嶺上での砕波によるとされているが、サンゴ礁ごとに影響を与えている要因は異なっている。定量的に要因の影響を評価する一般的なモデルがなかった。観測結果に基づいて、風・潮汐・礁嶺上での砕波による流量で礁内の流量をモデル化した。これのモデルにより、風が礁内の流量に大きく影響を与えていることが明らかとなった。卓越流パターンは卓越風時のパターンであることが示された。川平では北風時、パラオでは無風時、グリーン島では南東貿易風時のパターンが年間を通じて卓越することが示された。また、このモデルは他の研究例にも適用可能である。

(2)造礁生物分布

 主な礁原上の造礁生物はサンゴ・サンゴモ・ハリメダ・有孔虫である。これら全部について分布と流れ・干出と台風の対応を検討した。その結果、岩盤上の群集は卓越流パターンに規定されて分布していることが明らかとなった。さらに、後期完新世における海面低下によって礁嶺が干出し、それによって礁嶺上に有孔虫が分布することが明らかとなった。また、空中写真の解析により、砂地の上に成立する造礁サンゴ群集は10年スケールで変化することが明らかとなった。造礁サンゴ群集の出現・消滅は台風による無性生殖によって規定されている可能性が示された。

(3)現在のバックリーフの堆積過程

 バックリーフ表層の堆積物は枠組み上に分布する造礁生物遺骸片から構成される。枠組み上に分布する造礁生物による炭酸カルシウムの生産量を現存量と生産率から見積もった。また、底質については構成物を同定した。炭酸カルシウム生産量の割合と構成物の割合を比較した。さらに、構成物と卓越流との関係を考察した。

 炭酸カルシウムの生産量と構成物の割合は一致しない。それは運ばれやすさ、壊されやすさといった造礁生物の特性によるものであると考える。有孔虫は運ばれやすいが、サンゴは枠組みの形成に寄与するため、運ばれにくい。底質の粒度・構成物と流れの対応を見ると、台風の少ない地域では遺骸片の沈降速度(Maiklem,1968)と構成物が一致するが、台風の多い川平サンゴ礁では粗いサンゴ片の割合が増える。すなわち、底質の構成物は、基本的に造礁生物の特性と定常時の卓越流パターンで規定されている。台風は、粗いサンゴ片を供給するという役割を果たす。

(4)後期完新世におけるバックリーフの堆積過程

 過去からの造礁生物遺骸片の堆積過程を現在の堆積過程と比較した。川平サンゴ礁とパラオサンゴ礁の礁原でコアを掘削し、年代測定・層相解析をおこなった。バックリーフの堆積物に関しては構成物の同定をおこなった。また、炭酸カルシウムの収支を見積もった。川平においては全体的にサンゴ・サンゴモが礁池埋積に寄与しているが、サンゴ片の割合が多い。4000年前から有孔虫が現れ、2000年前からその割合が増加し、さらに、現在干出する礁嶺上に分布しているホシズナが出現する。川平は2000年前に地震による海面低下があったとされており(河名,1989)、海面低下により有孔虫が出現して層相が変化した可能性がある。パラオでは、層相に変化はなく、5500年前から常にサンゴ・サンゴモが礁原を埋積している。パラオでは海面低下がなかったとされているため、有孔虫の出現がなかったと考える。また、両サンゴ礁において、コア底部のものほど粒径が細かくなっている。これは流れが現在より弱かったことによるものであろう。バックリーフの層相は定常時のパターンと、台風によるサンゴ片供給に加え、海面低下による造礁生物分布の変化で説明される。炭酸カルシウム収支を見積もると、川平では常に生産量が堆積量を上回る。パラオではほぼつりあっている。台風は堆積物を外洋に運搬するという役割を果たしていると考えられる。

 以上により、サンゴ礁礁原の堆積過程に関し、以下のことが明らかとなった。

 現在のサンゴ礁礁原の堆積過程は、卓越する海水流動と、礁枠組み部分に分布する造礁生物と、台風によって規定されている。また、過去からの堆積過程は、これらの要素に加え、海面低下による造礁生物分布の変化に大きく影響を受けている。すなわち、礁原の構造を変化させる要素として、台風と海面変動という二つの要因が考えられる。礁原は、台風の多寡と海面低下の有無によって4つの型に分類できる(図)。

 現在、バックリーフは10年スケールで変化しているが、バックリーフの層相と炭酸カルシウムの収支は長期にわたって安定している。すなわち、バックリーフは長期にわたっては安定な構造である。

 しかし、この安定な構造を海面低下は実際に変化させたし、台風は層相の変化に加え、炭酸カルシウムの収支の均衡を変えてしまい、海面低下と同様に構造を変化させてしまう可能性がある。現在サンゴ洲島は台風が少なく、海面低下のあった地域に分布しているため、将来海面上昇・人為的攪乱による生物群集変化あるいは台風増加といったことが起こると、礁原が別の状態(図中の川平型・パラオ型)に移行してしまい、洲島に大きな影響を与える可能性がある。

図:4000yBP以降の礁原の堆積モデル
審査要旨

 本論文は,タイプの異なる3つのサンゴ礁における現地調査と採取したデータや堆積物試料の解析とに基づいて,サンゴ礁礁原に働く物理・生物・地学過程を解析し,その堆積過程を解明したものである.従来の研究では,サンゴ礁の枠組み地形である海側(外側)の礁嶺・礁舗の形成過程の解明に力が注がれていたが,本研究ではその陸側(内側)に分布する礁池・洲島の堆積過程の解明に重点をおき,礁原全体における地形形成と堆積過程を論じ,サンゴ礁研究に新しい展開をもたらした.本論文は7章からなり,イントロダクション(第1章),調査地の説明(第2章)に続いて,最初に海水流動を明らかにし(第3章),次に海水流動に規定された生物分布(第4章),海水流動と生物過程に規定された現在の堆積過程を議論し(第5章),これを地学的な時間スケールでの堆積過程と比較し(第6章),最後に全体をまとめて考察する(第7章)という重層構造をとっている.

 第1章では,従来の研究をレヴューして,問題の所在と本研究の視点,全体の構成が述べられている.これまで,物理・生物・地学過程がそれぞれ個別に扱われることが多かったが,これらを統合して研究することが重要であること,台風などのじょう乱の重要性が述べられ,本研究がこうした視点をふまえて行なわれたものであることが明確にされている.第2章では,本研究の目的に沿って選ばれた調査地域の特性がまとめられ,調査地域を比較することによってサンゴ礁礁原の一般的な堆積過程を明らかにすることができることが示される.第3章では,礁原上の海水流動の一般的なモデルを提案し,外洋からの波浪,潮汐,風によって流動が説明できることを議論した.このモデルは,様々なタイプの礁原に適用可能なものである.また,流動を規定する要因としてあげられた風は,従来の研究では十分考慮されていなかった.第4章では,この海水流動に規定された生物の分布とその変化を規定する要因を明らかにした.生物分布としては,これまで主にサンゴが取り上げられることが多かったが,本研究では有孔虫,石灰藻などの分布もまとめ,これらの生物分布がサンゴ礁上の流動の勾配と対応することを示した.さらに本章では,生物分布の10年スケールでの変化が,台風によって規定されていることを指摘した.この時間スケールでの変化は,これまでほとんど研究例がなかったものである.第5章では,礁原上の堆積物が,供給源である造礁生物の分布と運搬営力である海水流動とによって規定されることを示した.さらに,台風によるじょう乱の影響が大きいことも示した.礁原の堆積と生産との比較,運搬・堆積過程における生物遺骸片の形態の特性が重要であること,台風の重要性などは,本研究によって初めて指摘された.第6章では,礁原の掘削結果に基づいて層相の変化と埋積過程を1000年という時間スケールで明らかにし,生産と堆積の収支の見積もりを試みた.単に掘削結果から埋積過程を復元するだけでなく,生物生産や海水流動,現在の堆積過程,台風などのじょう乱の重要性など,これまでの章の成果に基づいて議論が展開された独創性の高いものである.1000年という時間スケールでの生産量と堆積物収支の見積もりは,誤差等の見積もりについて問題はあるものの,きわめて意欲的な試みと評価できる.第7章では,これらの結果をまとめ,礁原の堆積過程を規定する要因として台風と海面変化をあげ,これに基づいてサンゴ礁礁原の分類を試みた.これによって,地形型や環境条件が異なるためにこれまで断片的・個別に議論されてきた礁原の堆積過程を,初めて統合的に理解することができた.

 こうした成果は,本論文が目指した学際的なアプローチによって初めて達成された.学際的であるばかりでなく,これまで述べたとおり各分野のもっとも基本的な手法を丁寧に用いて結果を得,それぞれの分野においても十分評価される成果をあげている.このようなアプローチは環境研究などにおいて今後ますます重要になっていくと考えられる.さらに本論文がもつ一般性は,地形型と環境条件を検討して慎重に選ばれたフィールドによっている.従来のサンゴ礁研究は,貿易風地域の環礁,モンスーン地域の裾礁,大陸型の堡礁など,環境条件も地形型も異なるフィールドにおいて行われた結果から一般性を抽出するものが多かった.本論文では日本のみならず海外からもフィールドを選定し,それらを比較することによって一般性を抽出している.こうした点で本論文は,国際的な研究と比してもきわめて高いレヴェルにある.礁原はサンゴ礁の中でもっとも特徴的な地形であり,本論文はサンゴ礁の地形学,堆積学に新しい知見を加えることができた.さらに礁原の堆積地形の変化とその規定要因の研究は,将来の海面変動に対して人間生活の場ともなっているサンゴ州島がどうように応答するかという今日的な問題にも寄与する.

 なお本論文のうち,第3章の一部は茅根 創・米倉伸之・中村 仁・工藤君明との共同研究(Coral Reefs誌に公表),第4章の一部は茅根 創・米倉伸之・工藤君明との共同研究(Journal of Coastal Research誌に印刷中),第5章の一部は宮島利宏・小池勲夫との共同研究(Coral Reefs誌に投稿中)であるが,いずれも論文提出者が主体となって現地調査と結果の解析を行ない,筆頭著者として論文をまとめたもので,論文提出者の寄与が十分であると判断する.

 上記の点を鑑みて,本論文は地理学とくにサンゴ礁研究の新しい発展に寄与するものであり,博士(理学)の学位を授与できると認める.

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