学位論文要旨



No 114162
著者(漢字) 岡村,敏之
著者(英字)
著者(カナ) オカムラ,トシユキ
標題(和) 大都市民営鉄道事業者の設備投資行動分析
標題(洋)
報告番号 114162
報告番号 甲14162
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4288号
研究科 工学系研究科
専攻 社会基盤工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 家田,仁
 東京大学 教授 森地,茂
 東京大学 教授 太田,勝敏
 東京大学 教授 吉田,恒昭
 東京大学 助教授 高橋,清
内容要旨 ◆本研究の背景

 我が国の大都市圏鉄道への設備投資は、生産年齢人口などの需要減少要因を考慮しても、まだまだ必要であり、通勤鉄道のピーク時輸送の改善をはかっていくためには、路線の新設のみならず、既存路線の改良・増強投資の実施、特に、輸送の多くを占める民営鉄道事業者による設備投資の実施が不可欠である。

 しかし鉄道事業者の行動原理が、狭義の利潤最大化にあるとするならば、それらの事業者が既存路線への設備投資に対して積極的なインセンティブを持つことは、以下の理由から非常に困難である。

 (1)現在の運賃制度のもとでは鉄道事業者は設備投資実施によって大きな利潤増大を期待しにくいこと。

 (2)特に大都市圏における既存路線への改良事業では、サービス・価格に対する需要の弾力性が非常に小さいため、このような設備投資は直接的には鉄道事業者に利潤増・需要増をもたらしにくいこと。

 (3)たとえ(広義の)経済的側面から優良なプロジェクトであっても、費用総額が膨大なために資金調達が容易ではなく、また用地買収などのために事業の遅延等のリスクが生じるケースが多いこと。

 さらに今後は、鉄道需要は横這いまたは減少傾向に推移すると予測されることから、設備投資への事業者のインセンティブはよりはたらきにくくなると考えられる。

 ただし、我が国の都市鉄道が効率的かつ健全な経営によって事業が企業的に成立し信頼性の高いサービスを提供してきたことを考えれば、設備投資の困難性を公的助成の拡大への議論に直結することは安易である。鉄道事業が私企業としての活力が維持されながら、今後も混雑緩和を目指して輸送力増強が行われ、運営されていくためには、企業的な判断の結果として輸送力増強投資が決定され、事業化されていくという基本的な枠組みを可能な限り維持していくことが必要である。鉄道事業者が設備投資への動機付けを持ち続けその結果としてサービス水準が向上されていくためには、今までとは異なる事業制度(ここで事業制度とは、助成制度・運賃規制等に限らず、利用者へのサービス水準情報公開の拡大方策等も含めた広い意味で用いる)が求められていくと考えられる。現在でも、鉄道事業者の設備投資に対する様々な規制や助成制度が存在しているが、それらは事業主体ごとにアドホックに決められ各制度間に整合性があるとは言えないなど、問題改善には多くの障害が存在している。

 新しい事業制度設計のためには、民営の鉄道事業者が上記(1)から(3)に示すような経営条件の下で、どのような経営行動をとるかを、理論的かつ実証的に明らかにすることが重要である。

◆研究の目的および構成

 そこで本研究では、民営鉄道事業者の設備投資行動をモデル化し、そのモデルを大手民鉄事業者各社について過去30年のデータを用いて実証し、その結果に基づいて今後の鉄道事業制度に示唆を与える。本研究の各研究アイテムを以下に示す。

(1)鉄道事業者の設備投資行動を表現する「理論モデル」の提案:

 我が国の大都市圏民営鉄道事業者の置かれた経営状況を前提として、狭義の意味で「利潤最大化行動」とは扱えない「鉄道事業者の設備投資水準の決定行動」を表現する理論モデルを提案する。

(2)我が国の大手民鉄事業者を対象とした「理論モデル」の検証:

 東京圏・大阪圏の大手民鉄事業者について、各事業者の過去30年間の設備投資実績を対象として、(1)で提案したモデルの検証を行う。

(3)各種事業制度の評価および今後の事業制度設計に向けての示唆:

 (1)のモデルを用いて、過去30年間における各種事業制度が事業者の設備投資実績に与えた影響について評価・検討を行い、さらに、将来において予想される市場条件のもとでの新たな事業制度適用の際における設備投資行動を記述することによって、今後の鉄道整備制度設計に向けて示唆を行う。

◆本研究の学術的な特色、内外の関連研究の中での当研究の位置づけ

 従来この種の研究では、個々の路線・事業者を対象とした事例研究にとどまっているものが多い。一方、計画論的研究の分野では、実証性を視野に入れていない純粋な理論研究か、もしくは理論的枠組みのない記述的研究のどちらかに偏りがちであった。

 本研究は、都市鉄道が、そのそれぞれの事業者が企業的な意志決定のもとで行動している現状を取り込むことにより、現在の効率的な鉄道運営形態の利点を活かしつつ、利用者の効用最大化を目指していくための政策オプションを、実証データをベースとして提示するものである。

◆本研究の内容(1)都市鉄道事業者の設備投資行動モデル「社会的圧力最小化投資行動モデル」の提案

 我が国の大都市圏民営鉄道事業者がおかれている事業環境を念頭に置いて、事業者が「非弾力的な需要」下において「既存線改良事業」を行う際の「設備投資行動モデル:社会的圧力最小化投資行動モデル」を提案した。

<社会的圧力最小化投資行動モデル>

 各々の鉄道利用者の効用が、「運賃」「(運賃の対価としての)サービス」の2つによって決まるものとする。このとき鉄道事業者は、各利用者からの「効用最大化要求」という圧力を受け、その圧力を何らかの媒体手段によって「認知」する。そして事業者は、収支均衡の制約条件を満たしつつ、「事業者の認知した全利用者からの集合体としての『効用』」が最大となる「運賃」「サービス」となるように設備投資水準を決定する。

(2)モデル検証のための各種費用サブモデルの構築

 東京圏・関西圏の大手民鉄12社を対象に、過去30年間の各種データを用いて、事業者の制御変数である各種サービス水準変数(客車走行キロ)を入力として、事業者の費用を算出する各種の費用サブモデルを構築した。これらのモデルにより、事業者のある時期t0におけるストックに関する変数と、将来のサービス水準(事業者の制御変数)に関する変数を入力として、tnでの事業者の総費用とサービス水準が出力される。費用サブモデルは以下の3モデルからなる。

(1)設備投資費用算定サブモデル

 <入力>車両キロ、営業キロ、最混雑区間ピーク時輸送力

 <出力>事業者の、輸送力増強に関する設備投資費用

(2)運営費用算定サブモデル

 <入力>車両キロ、列車キロ、営業キロ、駅数

 <出力>事業者の運営費用(減価償却費、支払利息を除いた費用)

(3)資本費用算定サブモデル

 <入力>設備投資費用、過去の投資実績、金融情勢、各種事業制度

 <出力>事業者の資本費用(減価償却費および支払利息)

(3)「社会的圧力最小化投資行動モデル」の検証

 費用サブモデルを用いて、東京圏、関西圏の大手民鉄事業者9社を対象に、各社の1967年以降の5カ年ごとの設備投資実績を表現することで、以下のことが明らかとなった。

 ・ 事業者は、単位サービス改善に対する限界費用が5円/分前後の水準で設備投資を行ってきた。

 ・ どの事業者も同様程度の限界費用で設備投資をしていることから、事業者は、利用者の時間価値がこの値前後であると認知して設備投資を行ってきたと考えられる。

 ・ ただしこの値は、他の交通モードにおける時間価値に比べて費用に低い値である。このアンバランスが生じる理由は、ピーク時利用者の時間価値(混雑も含む)とオフピーク時利用者の時間価値が非常に大きいにも関わらず、基本的には両者に同一の運賃を課さざるを得ないために、事業者は、ピーク時利用者の時間価値を正当に認知することができないためであると考えられる。

(4)「社会的圧力最小化投資行動モデル」から導かれる鉄道政策に対する提言

 鉄道事業者が設備投資を決定しそれを実行できるときとは、「当該事業者内の利用者間での内部補助が、利用者の感覚、制度の運用面の2点から見て容認されやすいとき(なぜなら、設備投資資金の回収が、基本的に、当該事業者の利用者間での内部補助(路線(区間)間/時間帯間/時代間)に依存しているため)」であり、またそれらの事業実施の結果としてサービスが向上(混雑率が低下)するのは、a)減価償却費の範囲内でサービス改善が可能な場合b)需要の伸びによる収益増加分(平均運営費用低減分も含む)を財源にして需要の伸び以上の容量増加投資が行える場合、などごく限定された場合に限られる。

 従って、鉄道事業者にとっての設備投資の実施可能性の高さと、鉄道利用者にとっての事業の必要性・逼迫性(=プロジェクトの有効性)とは、必ずしも一致しない。従って、必要性の高い事業が実施可能となるような制度が必要である。

 以上

審査要旨

 本論文は、我が国の民営鉄道の輸送力増強投資を理論的、実証的に分析したものである。我が国の大都市圏鉄道への設備投資は、生産年齢人口の減少などの需要減少要因を考慮しても将来にわたって必要であり、特に、ピーク時輸送の改善をはかるためには、輸送の多くを占める民営事業者による既存路線の改良・増強投資の実施がこれからも不可欠である。それら既存路線に対する設備投資は、現状の事業環境の下では事業者が積極的なインセンティブを持つことは非常に困難という性質を持つが、設備投資の困難性を公的助成拡大への議論に直結することは、我が国の都市鉄道事業が効率的な経営によって企業的に成立し信頼性の高いサービスを提供してきたことを考えれば、必ずしも適切とは言えない。今後も混雑緩和等を目的とした設備投資が行われていくためには、鉄道事業が私企業による活力ある運営を維持されながら、設備投資が企業的な判断の結果として決定される枠組みを基本的に維持していくことが必要と考えられ、加えて今後は需要の伸びを事業者は期待できないことから、鉄道事業者が設備投資への動機付けを持たせるために従来とは異なる事業制度も求められていくと考えられる。以上の認識のもとで本研究は、地域独占性が高く需要弾力性が低い「大都市圏の鉄道事業」を対象として、事業者の設備投資水準決定行動を表現する「理論モデル」を提案し、その「理論モデル」を東京圏・大阪圏の各大手民鉄事業者に適用して事業者の設備投資行動を理論的・実証的に明らかすることにより、現状の各種鉄道整備制度の評価を行い、さらに今後の整備制度設計に向けての方向性を示したものである。

 以下に本研究の概要を示す。まず、我が国の大都市圏の既存鉄道事業者による既存線の改良事業を念頭に置いて、非弾力的な需要下における事業者の投資行動を次のように表現し、モデルの定式化を行った;「鉄道事業者は、各利用者から『効用最大化要求』という圧力を受け、その圧力を何らかの媒体手段によって『認知』する。このとき事業者は、収支均衡の制約条件を満たしつつ『事業者の認知した全利用者からの集合体としての効用』が最大となる『運賃』『サービス』となるよう設備投資水準を決定する」。ここで、我が国の大都市圏鉄道のように地域独占性が高い場合では、都市鉄道の「利用者の圧力」は「地域社会全体からの圧力」と考えることができることから、本モデルを「社会的圧力最小化投資行動モデル」と名付けた。次に、東京圏・大阪圏の大手民鉄各社の過去30年間における各種経営データを用いて、「社会的圧力最小化投資行動モデル」を実際の事業者に適用するために必要な「費用サブモデル群」を構築した。「費用サブモデル群」は、事業者の制御変数であるサービス水準変数(車両キロ、最混雑断面輸送力)を入力として、事業者の総費用を算出するものである。このモデル群により出力される総費用と外性的に与える需要とから、ある事業者の利用者一人キロあたりの費用が算出される。ここで「一人キロあたりの費用」が「一人キロあたりの運賃」に等しいと仮定すれば、「費用サブモデル群」により、サービス水準と運賃水準との関係が求められることとなる。最後に、東京圏・大阪圏の大手民鉄事業者9社を対象として、各社それぞれの過去30年間における設備投資実績に対して「費用サブモデル群」を用いて「社会的圧力最小化投資行動モデル」を適用した。この結果から、過去30年間における各種事業制度が事業者の設備投資実績に与えた影響について評価・検討を行い、さらに、新たな事業制度を適用する際の設備投資行動を記述することにより、今後の鉄道整備制度設計に向けての方向性を示した。

 以下に本研究により得られた知見を示す。

 1)我が国の大手民鉄事業者は過去30年間、サービス改善に対する限界費用が5円/分(1994年価格)前後の水準で設備投資を行ってきた。このことから、事業者は、「サービス改善に対する利用者の限界的な支払意志額」を5円/分(1994年価格)前後と認知して設備投資を行ってきたと考えられる。

 2)1)で求められた「限界的な支払意志額」の値は、都市間交通機関選択行動や所得接近法などから求められる「時間評価値」に比べて非常に低い。この理由は、ピーク時利用者とオフピーク時利用者との支払意志の差異が非常に大きいにも関わらず同一の運賃体系を両者に課しているので、比較的大きいピーク時利用者の支払意志を、事業者が正当に認知することができないため、もしくは、事業者がたとえ正当に認知したとしてもオフピーク時利用者の低い支払意志に引きずられることにより、ピーク時利用者の高い支払意志を設備投資決定に反映できないため、と考えられる。

 3)特定都市鉄道整備積立金制度は、事業者自身の意志決定により大規模な設備投資の実施を可能としたことが示された。しかし現状の制度のもとでは、たとえCBA等で純便益が高いと判断される事業であっても、事業者自身の意志決定によっては実現されない事業も少なくない。この種の事業の実現には、建設費補助等の施策とともに、利用者負担を前提とした各種の施策(情報公開、ピーク時運賃賦課制度など)の工夫によっても、相当程度の効果があることが示された。

 以上の成果は、社会基盤投資に関する学問上のみならず、計画実務にとっても極めて有益な知見である。これより、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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