本論文は、我が国の民営鉄道の輸送力増強投資を理論的、実証的に分析したものである。我が国の大都市圏鉄道への設備投資は、生産年齢人口の減少などの需要減少要因を考慮しても将来にわたって必要であり、特に、ピーク時輸送の改善をはかるためには、輸送の多くを占める民営事業者による既存路線の改良・増強投資の実施がこれからも不可欠である。それら既存路線に対する設備投資は、現状の事業環境の下では事業者が積極的なインセンティブを持つことは非常に困難という性質を持つが、設備投資の困難性を公的助成拡大への議論に直結することは、我が国の都市鉄道事業が効率的な経営によって企業的に成立し信頼性の高いサービスを提供してきたことを考えれば、必ずしも適切とは言えない。今後も混雑緩和等を目的とした設備投資が行われていくためには、鉄道事業が私企業による活力ある運営を維持されながら、設備投資が企業的な判断の結果として決定される枠組みを基本的に維持していくことが必要と考えられ、加えて今後は需要の伸びを事業者は期待できないことから、鉄道事業者が設備投資への動機付けを持たせるために従来とは異なる事業制度も求められていくと考えられる。以上の認識のもとで本研究は、地域独占性が高く需要弾力性が低い「大都市圏の鉄道事業」を対象として、事業者の設備投資水準決定行動を表現する「理論モデル」を提案し、その「理論モデル」を東京圏・大阪圏の各大手民鉄事業者に適用して事業者の設備投資行動を理論的・実証的に明らかすることにより、現状の各種鉄道整備制度の評価を行い、さらに今後の整備制度設計に向けての方向性を示したものである。 以下に本研究の概要を示す。まず、我が国の大都市圏の既存鉄道事業者による既存線の改良事業を念頭に置いて、非弾力的な需要下における事業者の投資行動を次のように表現し、モデルの定式化を行った;「鉄道事業者は、各利用者から『効用最大化要求』という圧力を受け、その圧力を何らかの媒体手段によって『認知』する。このとき事業者は、収支均衡の制約条件を満たしつつ『事業者の認知した全利用者からの集合体としての効用』が最大となる『運賃』『サービス』となるよう設備投資水準を決定する」。ここで、我が国の大都市圏鉄道のように地域独占性が高い場合では、都市鉄道の「利用者の圧力」は「地域社会全体からの圧力」と考えることができることから、本モデルを「社会的圧力最小化投資行動モデル」と名付けた。次に、東京圏・大阪圏の大手民鉄各社の過去30年間における各種経営データを用いて、「社会的圧力最小化投資行動モデル」を実際の事業者に適用するために必要な「費用サブモデル群」を構築した。「費用サブモデル群」は、事業者の制御変数であるサービス水準変数(車両キロ、最混雑断面輸送力)を入力として、事業者の総費用を算出するものである。このモデル群により出力される総費用と外性的に与える需要とから、ある事業者の利用者一人キロあたりの費用が算出される。ここで「一人キロあたりの費用」が「一人キロあたりの運賃」に等しいと仮定すれば、「費用サブモデル群」により、サービス水準と運賃水準との関係が求められることとなる。最後に、東京圏・大阪圏の大手民鉄事業者9社を対象として、各社それぞれの過去30年間における設備投資実績に対して「費用サブモデル群」を用いて「社会的圧力最小化投資行動モデル」を適用した。この結果から、過去30年間における各種事業制度が事業者の設備投資実績に与えた影響について評価・検討を行い、さらに、新たな事業制度を適用する際の設備投資行動を記述することにより、今後の鉄道整備制度設計に向けての方向性を示した。 以下に本研究により得られた知見を示す。 1)我が国の大手民鉄事業者は過去30年間、サービス改善に対する限界費用が5円/分(1994年価格)前後の水準で設備投資を行ってきた。このことから、事業者は、「サービス改善に対する利用者の限界的な支払意志額」を5円/分(1994年価格)前後と認知して設備投資を行ってきたと考えられる。 2)1)で求められた「限界的な支払意志額」の値は、都市間交通機関選択行動や所得接近法などから求められる「時間評価値」に比べて非常に低い。この理由は、ピーク時利用者とオフピーク時利用者との支払意志の差異が非常に大きいにも関わらず同一の運賃体系を両者に課しているので、比較的大きいピーク時利用者の支払意志を、事業者が正当に認知することができないため、もしくは、事業者がたとえ正当に認知したとしてもオフピーク時利用者の低い支払意志に引きずられることにより、ピーク時利用者の高い支払意志を設備投資決定に反映できないため、と考えられる。 3)特定都市鉄道整備積立金制度は、事業者自身の意志決定により大規模な設備投資の実施を可能としたことが示された。しかし現状の制度のもとでは、たとえCBA等で純便益が高いと判断される事業であっても、事業者自身の意志決定によっては実現されない事業も少なくない。この種の事業の実現には、建設費補助等の施策とともに、利用者負担を前提とした各種の施策(情報公開、ピーク時運賃賦課制度など)の工夫によっても、相当程度の効果があることが示された。 以上の成果は、社会基盤投資に関する学問上のみならず、計画実務にとっても極めて有益な知見である。これより、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。 |